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きやのんいおすきっすすりい です。 1999年4月発売。《小型、軽量、サイレント、簡単操作》をコンセプトに、Canon EOS Kissの初代が発売されたのが1993年。これは、その三代目にあたる。 まさにコンセプト通り、何の不足もないカメラ。それに十分なスペックだから、本格的な撮影だってできてしまう。流石はキヤノン。商売上手。色気たっぷり……キッスだなんて、恥ずかしいではないですか。 このカメラは祖父から譲り受けた。日本にいた頃の僕は、カメラにも写真にも興味がなく、そんな祖父の趣味さえ知らなかったのだが、後に母から伝え聞き、祖父が所有のカメラの一つをセットでくれるということになった。どうしてキッスなのか?それは知らない。《小型、軽量、サイレント、簡単操作》が喜ばれると思ったからなのか、そのコンセプトが逆に祖父の所有欲を衰退させたからなのか、だめだよ、やっぱ、キッスだなんて…からなのか。 とにかく、この名前は、何と言うか、僕にしてみれば、『パンティー・ストッキング』くらい恥ずかしい。 ないんてぃーんないんてぃーないん。 1999年。ノストラダムスの大予言、人類滅亡の年である。それにコンピュータの誤作動によるパニックを危惧した、2000年問題が懸念され、終末論的な風潮がどことなく漂っていた頃である。そうです。時代は救世主を待ち望んでいたのです。 1999年 デビッド・ボウイ『hours...』を発表。 でいびっとばうい。 ロック史を紐解くと、1999年の欄には、たった一行、これだけが記されている。 地球に堕ちてきた男。ルー・リードのセカンドアルバムのプロデュースをして彼を救ったり、イギー・ポップを再生させたり、救世主として、彼は少なくともロック界に手を貸している。 デビッド・ボウイは常に時代の先端を進んでいた。ハイテクなキヤノンのように。『hours...』はそんな彼が初めて、ふと立ち止まり、自分と、『老いる』という現実に向き合った作品と言える。ある時、ふと、じっくりと、何かの拍子に、鏡の中の自分を見て、愕然と、え、いつの間に、しかも、とても、リアルに、突きつけられる、『老い』。彼はこれと折り合いを付けるために、このアルバムを作り、自分を赦し、折り返しのボードを蹴り、リターンした。当時、ボウイ52歳。遅くない? (もちろん、天才はそんなこと気にしない。若いモデルの嫁をもらったから、庶民的な『老い』なんて、40代に感じている暇はなかったのだ) 僕の祖父が、キヤノンのEOS KISS IIIを僕にくれたときのことを考えると、僕はいつもこの『老い』という宿命的な命題にぶつかる。時代の流れと技術に追いつけなくたった自分。そのコンセプトには、理解を示す一方、もはや魅了されなくなっている自分。便利で簡単なことを、持て余してしまい、むしろ面倒くさいプロセスに喜びを見いだしている自分。どうしてもEFレンズが好きになれない自分。 ちょっと納得。 キヤノンEFレンズのラインナップはどこからどのように見ても、世界一である。もし、あなたが相当なお金持ちなら、キヤノンを僕はお勧めする。白レンズ、Lレンズ、何でも買えや……、そら、ええがな、当たり前やないか、何十万円もするレンズ、わしゃ買われへん。買えるわけないやろ。いやいや、ひがみやないねん、そやから、ええがな、買えば、好きにしなはれ…… キヤノンのキットレンズや廉価版の安いEFレンズは、他社に比べて、優等生、偏差値の高い私立の進学校的である。 そう、悪い所がないのです。 もちろん、これをどのように受け入れるかは、あなたしだいであるけれど、僕からすると、そこに、個性がないと感じてしまう。FDマウントの頃のキヤノンはもっと個性的だったように思える。まあ、これも『老い』のせいなのかも知れないが、ハイテクで、画一的優等生のキヤノンが、あまりに今の日本を表していると思えるのは、僕の思い過ごしなのであろうか。 いや、もうキヤノンの悪口はこれでよそう。レンズ・ラインナップの豊富さ。それにmade in Japanにこだわる姿勢は今日において、感動的でさえある。 がんばれキヤノン。がんばれニッポン。北京オリンピックは、もうすぐそこだ! *ちなみに、EOS KISSの北米名称は、EOS REBEL(反抗)です。日本国内においては、柔らかな女性的なイメージであるのに対し、北米ではその正反対な、シャープな男性的なイメージで販売しています。(you tube で canon eos rebel commercial で検索すれば、髪の毛ふさふさのアンドレ・アガシが見られます) Do dodo, dodo dodoo... rebel rebel...
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以前に僕は、ニュー・ウェストミンスター市のダウンタウンを天王寺、アップタウンを大阪ビジネスパークと例えた。それに、無謀にも僕は、ポート・ムーディ市を伏見とも言った。 それを変更するつもりはない。無理を承知で、あくまでこれに従う所存である。 というわけで、ここまで来たからには、メトロ・バンクーバーのど真ん中に位置するバーナビー市を訪れねばなるまい。 先の、ニュー・ウェストミンスター市のダウンタウンからアップタウンまでを、僕達は地下鉄谷町線で移動する。天王寺駅から北に向かって南森町駅まで。で、その一つ先からがバーナビー市になる。 だから南森町を乗り越して、僕達は東梅田駅で下車する。大阪駅前第四ビル方向に階段を上って、地下鉄御堂筋線梅田駅までを歩いていく。この道が比較的空いていて、ちょっと気が向けば中古カメラ屋をのぞく事だってできるからだ。 でも、やめとこう。今回はぐっとこらえて僕達は阪神百貨店の地下、スナックパーク入り口付近を目指す。だって、せっかくなんだから、イカ焼きくらい買ったっていいだろう? 君の同意を得て、僕達は列の最後尾におとなしく並ぶ。デラパンを僕は二枚。君は三枚買う事にする。その方が僕の良心の呵責が少なくて済むからだ。 僕達は阪神電車につながる広い階段に並んで座り、フーフーしながらデラパンを食べる。やっぱり、うまいなあとか何とか言いながら。もちろん、僕が一人でしゃべっている。君はフーフーしながら(猫舌なのだ)一心にイカ焼きを食べている。でも、こうしていると高校生の頃を思いだすなあ。野球をしていた頃。ロックンロールに目覚めた頃。まるい飯店とかレックとかトダカメラとか名曲堂とか…… 食べ終わった君にちらっと急かせれて、僕達は立ち上がる。僕は遠い記憶を振り払い、重くなりかけた腰を上げる。『よっこらしょっ』て、えーっ、もう中年じゃん。 バーナビー市は地下鉄御堂筋線の梅田駅から千里中央駅までの範囲である。 だからもし君が今、大阪に住んでいて、御堂筋線に乗ることがあれば想像してほしい。うめだからせんちゅうの間、君はカナダのブリティッシュ・コロンビア州のバーナビー市にいるのだと。 写真はバーナビー市の最北、バーナビー山から北側を見下ろしたもの。ボートがバラード入り江(ポート・ムーディ市に前述)を進んでいる。 キヤノンEOS KISSIII(カメラの書庫参照)、canon ef28-105mm USMにて撮影。Ilford Delta100使用。D-76 1:1にて現像。 バーナビー市にはメトロタウンという名前の、北米でたぶん2番目?に大きいショッピング・モールがある。北側には、イタリア系が多く、中心地メトロタウン近辺には中国系が多い。まあ、世界中で、中国人のいない都市はないけれど…… 何と言うか、あまりメリハリはないが、巨大なバンクーバーのベッドタウンであり、大きな都市であり、多くの企業の本社もあり、山もあり、湖もあり、日系人の老人ホーム『さくら荘』だって、日系人会館だってあり、ニュー・ウェストミンスター市との境には、僕の住んでいるリトル・ピンク・ハウスだってある。 そうなんです。 まとまりなし。 ちなみに、バーナビー市は北海道釧路市と姉妹都市でもあるのです。ですから、バーナビー山にはアイヌ文化の立派なトーテム・ポールがあることも、この際ですから伝えておきます。 森のクマさんの彫り物。 どこか寂しそうに思えるのは、気のせいかしら? クマさんの言うことにゃ、お嬢さん、お逃げなさい、スタコラサッサッサーのサー、スタコラサッサッサーのサー。(この歌って、オリジナル?それとも、翻訳? 知ってる人いたら教えてください) えーと。 聞きたまえ。 バーナビー市は地下鉄御堂筋線の梅田駅から千里中央駅までの範囲である。 だからもし君が今、大阪に住んでいて、御堂筋線に乗ることがあれば想像してほしい。うめだからせんちゅうの間、君はカナダのブリティッシュ・コロンビア州のバーナビー市にいるのだと。 それから、谷町線の天王寺から南森町の間はニュー・ウェストミンスターにいるのだと。 これで、次回に続けていいですか?
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君が 知らないと仮定して 僕は 本当の君を映す 鏡になるよ 吹く風に 降る雨に 輝く夕日に それにドアの上に灯る 小さな明かりにも 君が家にいることを知らせるために 暗い夜が 君の中にそっとしのび込み 君のいびつに歪んだ心が見られたと 思えるような そんな時 僕は見せてあげるよ 君の前で 君には見えない 本当の君自身の姿を 君の美しさに 君が気づいていないこと それを僕が理解するのは困難だけれど 本当に君が知らないなら もう怖がらなくてすむように 君の瞳にも 君の暗闇を探る指先にも 僕にはなれる 君の鏡に… 僕は見せてあげるよ 君の前で 君には見えない 本当の君自身の姿を “I’ll be your mirror” by Velvet Underground & Nico |
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Blueberry
ピクニックに行きたかった、らしい。ブルーベリーを持って。 僕はその日別れた妻の所に娘を迎えに行き、ピクニックだか何かに誘ったのだ。 娘はどこにも行きたがらなかった。 そうこうしているうちに時間がきて、僕は仕事に向かった。 それから何日か雨が続いた。 僕はその日のことをあまりよく覚えていなかった。 「ブルーベリーを置いて行ったのよ」と娘が言った。「ドアの外に」 そう言われてやっと、いくつかの情景を思いだした。 たしか、スーパーの袋に入れたまま置いて行った。 持って帰ってもしかたがなかったのだろう。 それに、仕事へ行く途中だった。 「怒ってたの?」と娘が訊ねる。 もう何年も前のことだから、僕には「わからない」 「濡れてたの、気がついたときには。それで…」 例えば、僕が娘に何か欲しいものを買ってやる。 彼女の願い(友達の家に遊びに行きたい、とか)を聞いてあげる。 そういった時、彼女はふとこの話を口にする。 「あのときはピクニックに行かなくて、ごめんね」 彼女が三歳か四歳の頃の、雨に濡れたブルーベリーの話。 僕はそのつど、その日のことを思い浮かべる。 あるいは想像する。 置き去られたブルーベリー、そして、僕の車が遠ざかって行く後ろ姿。 それは、その頃まだ僕が運転していた八十五年のトヨタ・ターセルだ。 僕は懐かしいターセルが小さくかすんでしまうまで見送る。 それらはもう、過ぎ去ったことなのだ。 「もういいよ。忘れたら?」と僕は娘に言う。 「怒ってなんかいないし、ずっとムカシのことなんだから」 いつか、彼女は本当に忘れてしまうかもしれない、と僕は思う。 これまでのことも、今のことも、これからのことも。 それは僕にとって寂しいことに違いないが、娘はまだ八歳なのだ。 どうして嬉しいときに彼女は、こんな話を思いだすのだろう? 「このことは、僕が代わりに覚えておくから」 「どうして?」 「それが僕の一番大切な仕事だからさ。何よりも大切な」 娘はよくわからないという様子で、しばらく考えている。 その考えている顔。また成長している。これもしっかり覚えておこう。 僕の一番大切な仕事。 「君はとても優しくて、いい子だ」 「本当に、そう思う?」 「もちろん。百パーセント。完璧に」 ようやく、彼女はにっこり笑う。どこにも翳りのない無邪気な笑顔。 それでいい。 彼女は今、幸せであるべきなのだ。一分の隙もなく。隅から隅まで。 |
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ペンタックス、キヤノン、オリンパス、ミノルタ、と所有していれば十分すぎるわけで、普通の人からすると、ニコンが新たに必要なはずはなかった。浮気心といえば、言える。でも、来るべきして来ることになっていたのだ、という運命の方を僕は信じる。だって、ペンタ、キヤノン、オリ、ミノルタンときて、ニコンがないのは、青レンジャーのいないゴレンジャーではないか。 発売は1988年。この年のキーワードは『ブリッジ』 1988年と言えば昭和63年、昭和最後の年で、バブル絶頂の頃である。 この頃はいわゆる異常な現象がたくさん見られた。どうしてだろう。あの頃を思い出すと、集団で幻覚を見ていたような感じがするのだ。ご機嫌でド派手な、LAメタルが流行っていた頃。 ロック史においても、このあたりから特筆するような出来事がなくなっていく。 3月13日 青函トンネル開通 ロン・ウッドがボ・ディドリーと来日 ミックジャガーが、J・サトリアーニとS・フィリップスを連れて大興奮の初来日 4月10日 瀬戸大橋開通 10月10日 U2『魂の叫び』2枚組アルバムとドキュメンタリー映画を発表。 えー、瀬戸大橋はまさに『ブリッジ』ですけど、それだけ? いや、もちろんそれだけではないよ。この年のカメラグランプリは何と京セラの『サムライ』が受賞している。いわゆる『ブリッジカメラ』なんです。そして、この頃にはそんなへんてこなカメラがたくさん生産されていたのです。 オリンパス『イズム』、リコー『ミライ』、キヤノン『オートボーイ・ジェット』等々。ハイスペックでやたらごちゃごちゃしていて、高価で、ご陽気で、ド派手で、ぜんぜん不必要。 元々、コンパクトカメラと一眼レフをつなぐ意味で『ブリッジカメラ』と名付けられたらしく、要するにズームレンズ固定式のフルオート一眼レフなのですが、(それもスターウォーズやガンダム的なスペースチックな形をした)こんなのいる?あなた、欲しい? まさにバブル時代だからこそ生まれたカメラ。まあ、記念として持っておいてもいいかもしれないけれど……って、やめとこうねこれ以上。 『ブリッジ』その2。ミックジャガーが2年後に来日するストーンズの先駆け(橋渡し的な存在)として待望の初来日。この頃はまだ、ウドー音楽事務所だったから、整理券もらって並べばいい席が取れたんだよな。大阪城ホール。ホンキートンクでの幕開け。絶叫、跳躍、そして絶叫。 『ブリッジ』その3。『魂の叫び』このアルバムは『ヨシュア・ツリー』と『アクトン・ベイビー』の間に位置する。U2のひたむきなロックンロールが最高傑作『Joshua Tree』で昇華し、宗教性を帯びるまでになり、その後の彼らの方向性を模索していたであろう時に、彼らが彼らの方法で世に問うた2枚組アルバム。僕曰く『ブリッジレコード』(映画は前半が白黒で後半がカラーだった)言うまでもなく、U2は『アクトン・ベイビー』で華々しく、さらに進歩し、どこまでも彼ららしく再生する。 言うなれば、らしさ、というのが一番大切なのではないか。 で、ニコンに話は戻る。 このF801はまったくもってニコンらしい。バブル時代に迎合せず、らしさを貫いた逸品。8000分の1秒シャッター。ペンタプリズム。ストロボ250分の1秒同調。軽量にして最高のスペック。ニコンのオートフォーカスのはしり。信じられないかもしれないが、この頃はまだ、一眼レフのオートフォーカスは確固とした存在ではなかったのだ。まあ、そういった見方からしても、この801はブリッジ的かな。ニコンが伝統のFマウントでオートフォーカスに参戦するF4への橋渡し。十分な戦闘能力を持った脇差し。 そうです。やっとここに来ましたね。 僕にとって、ニコンF801は1尺9寸5分の堀川国広のような気がします。 どんな時でも、太刀の代わりとして戦える、切れ味鋭い名刀。あの、ハイアイポイントの明るいファインダー、できれば、あのシャッター音を聞いてみてください。これはとても官能的です。鋼と鋼が打ち合う音みたいに。そう、きっとしびれますよ。 何はともあれ、僕はついに底なし沼のニコンを手にし、ついに、バンバラバンバンバンのゴレンジャーを揃えました。 50mm 1.8については、この先、時間があれば……。 |


