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バンクーバーは夏が短い。 長く暗い、じめじめした冬が(治らない水虫みたく)しつこくあって、春、夏、秋が、やっと来たかと思うと、とんとんとんと駆け足で、とりわけ夏に限っては、全力疾走で過ぎていく。 確か、8年前の夏は3日しかなかった。 だから夏がくるともうそれは、スーパーの時間限定特売品を買いに行く主婦のように、いささか異常な興奮を持って、人々は水辺に急ぐ。 さて、『miniature vancouver』今回の舞台は、そんな水辺の一つ、Port Moody市である。 (ほらね、ボートです。クリックにて拡大) ポート・ムーディ市の歴史は前回のニュー・ウェストミンスター市と深い繋がりがある。 前回にも書いたように、ニュー・ウェストミンスター市は最初の州都であり、ダウンタウンであった。そこの防衛にあたり、Moody大佐なる人が任命され、北の入り江に向けて大きな道路を敷き、南からの攻撃に備えた。有事の際にはバラード入り江に軍艦を停泊させ、武器や軍隊をニュー・ウェストミンスターに輸送するのがその目的である。その道の名残りが現在のNorth Road(そのままですな)であります。古来から都市とは軍事的な計画性を持ってつくられているのです。 北にある防衛拠点。ならば、伏見か。(驚きましたか?) 歴史的に現在の京都市伏見区は京の都と大阪を船で結ぶ拠点でありました。言うまでもなく、戊辰戦争の発端になった鳥羽・伏見の戦いで、新選組が陣取ったのが伏見の奉行所。白刃振りかざし突撃を繰り返すも、薩長の近代的な火器の前では歯が立たず、幕軍は再起を図るために将軍、徳川慶喜のいた大阪城(上町台地、現在の大阪ビジネスパーク)まで引かざるを得ませんでした。 それに関連して思い起こされるのが、明治になって兵部大輔になった大村益次郎がとった計画。 彼は軍事上の重要施設を首都の東京には置かず、大阪に置きました。いずれ西郷隆盛の起こす西南戦争を予見し、兵器や物資を瀬戸内海経由で大阪湾から九州へ直送するために。 大村益次郎が大阪に置こうとした軍事施設は、陸海軍練兵場、兵学寮、兵器工場、それに火薬庫。 結局、練兵場は伏見に、火薬庫は宇治になり、西郷は予見通りに反乱を起こすのです。 と……ここまで言えば、もう納得ですね。Port Moody市は、ずばり伏見です。 それに、Port MoodyのMoody(むっつり、不機嫌、ふさぎ込んだ)と『伏見』の字から受ける印象が似ているではありませんか。 (ほらね、ボートです。一年間の使用期間が、正月の門松くらいなのに、何故、ボートが欲しいのか? これは、現代の人間の異常な心理なのでしょうか。ハワイに住んでいる人が、ミンクの毛皮のコート持ってるかなあ…知っている人がいれば、教えて下さい) Nikon F801 AiAF Nikkor 50mm 1.8(Cameraの書庫参照)にて撮影。 Ilford Delta100使用。Kodak D76 1:1で現像。 次回に続く。
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2008年05月28日
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