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今回のミニチュアバンクーバーでは、前回のコキットラム市の東隣にある(えてして、一部のようにも見える)、ポート・コキットラム市を紹介したい。 では、始めに、靴下を片方用意してもらおう。できれば洗濯した、スポーツ系の物がいい。それのつま先を左、地図的に言うと西に向けて置いてもらいたい。これで当然、踵は右側、つまり東側になる。そのカカトの部分がポート・コキットラム市である。もし、あなたが幸運にしてちょうど、踵の強化してあるスポーツソックスを持っていたら、これは一目瞭然である。他の部分はすべてコキットラムなのに、そこだけがやけに分厚い。 だから名前が違う。市も違う。アキレス腱から踵を巡って足の裏側の部分でピット川とフレーザー川が合流し、ちょうどカカトの部分が港(ポート)になるから、ポート・コキットラム市である。全然、イチブではないのだ。ちなみに足の甲の上には、ちょこんとポート・ム−ディー市(前述)が載っている。いいですか、皆さん。この三市をメトロ・バンクーバーでは総称して、トライ(3つの)・シティーと呼び、この足首を巡るくびれた場所が、今日の話の激戦地となるのです。 川と川の合流点。コキットラム市が京阪沿線……そうだ、肝心の写真を忘れていた。 ギャザリング・プレースのベランダから。Rollei XF35にて撮影。Kodak T-MAX 400 使用。D76 1:1で現像。 桂川、宇治川、木津川が合流して淀川に交わる所。位置的な特徴、日本史における分れ目。運命のもつれ、緊迫したくびれ、それらを考慮して、ポート・コキットラム市は京都府八幡市(やわたし)にふさわしい。ここは日本史の踵(きびす)である。 八幡市の対岸には大山崎町があり、ここには言わずと知れた天下分け目の天王山がある。かつては織田信長を討った明智光秀と西国(毛利)遠征から急遽戻った羽柴秀吉が争った土地であり、幕末の長州人(真木和泉、久坂玄瑞の一部隊)は身を焦がして潔白を訴えるため、尊王攘夷の大書をかざし、ここから京都になだれ込んだ。鳥羽伏見の戦いでは、伏見奉行所が炎上したため幕府軍が下ってきた場所でもある。 土方歳三が率いる新選組は、鳥羽伏見の戦で敗れ淀まで退いた。その光景を地図で追うと京阪本線がちょうど手相の運命線のように見えてくる。幕府歩兵隊、会津藩兵、新選組は伏見から淀まで退き、淀城で再建を計ろうとしたが、ちょうど新政府軍に掲げられた錦旗の旗の影響からか、淀藩主から入城を拒まれてしまう。この迎撃線で新選組古参、井上源三郎が死亡。その後幕府軍は後退を重ね、現、京阪本線、橋本駅の東、男山に布陣する。地の利では(賊軍となった)幕府軍に絶対の利があったものの、対岸の大山崎を守備していた津藩が新政府軍(官軍)に寝返り、これに動揺した幕府軍は総崩れし、土方の新選組は淀川を下り大阪城に逃れる。このときの戦いで、新撰組諸士調役兼監察、山崎烝が重傷。(後、紀州湾沖にて死亡) 嗚呼。勝てば官軍。負ければ、賊軍。 ここで、きびすを返す。 今の大阪、京都の地図を見ても、やはりこの地域は合流点と言う印象を受ける。山崎から八幡市、久御山町、城陽市、伏見区にかけては、各社の鉄道が入り組んで走っている。JR奈良線、近鉄京都線、京阪本線、JR東海道新幹線、JR東海道本線、阪急京都線、京阪宇治線。 さあて、ポート・コキットラム。 ここは最初、農業地として開発されるが、その後、カナダ太平洋鉄道が進出し、土地の多くを敷地とされ、複数の線路の交錯する場所となった。こじつけではない。不思議と、こういう点でも共通するのだ。これもやはり土地と歴史の妙なのか。でも全然、イカツクないのだ。一度訪れると、ここはきっと誰もが好きになれるような可愛いらしい街である。ポート・コキットラム市、略してポコちゃん。こじんまりと小奇麗に整頓されていて、全然気負った所もなく、あっという間にメインストリートが終わるような街。僕はそんな所が好きだ。もちろん、大阪の眠らないネオンサインも大好きだけれど…… そうそう、写真がメインだったよね。 ポコのメインストリート。おいしい焼きたてのパンを売っているパン屋の前から。 お姉さんやおばさんが、ハムとかチーズも切り売りしてくれる。 Rollei XF35にて撮影。Kodak T-MAX 400 使用。D76 1:1で現像。 そうです。ミニチュアバンクーバーは写真がメイン。忘れてはなりません。 では、サンドウィッチでも作りますか。
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2009年03月11日
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