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今回のミニチュア・バンクーバーは、以前に紹介したリッチモンド市の《新市街編》である。前回の《旧市街編》で取り上げた、スティーブストンの記事の日付が2008年10月となっているので、ちょうど2年が過ぎたことになる。2年前か……。時間的には北京五輪が終わって、みんな一息ついた頃だったろう。ずっと前のことのようにも、つい最近のことのようでもある。僕は今と同じ格好で、ブログを書いていたと思うけれど、上野さんだったっけ、あの五輪のソフトボールが凄かったんだ。 リッチモンド市は、一番大きなルル島、バンクーバー国際空港のある海島(Sea Islandという名前)を含む、13の小さい島々で構成されている。フレーザー川の堆積土でできた陸地だけに、海抜が0から12メートルくらいしかなく、島の周囲にはダイクと呼ばれる土を盛った堤防が築かれている。これらの条件のため、地下のある家屋は少なく、また空港が近いことから、ビルの高さも150フィート(46m)までに規制され、どことなく、だだっ広い印象を受ける。 ヤオハン・スーパーマーケット(今は中国企業が経営)の裏側 PENTAX645で撮影。Ilford Delta100使用。 D76 1:1にて現像。 BC州で4番目に人口が多い市で、海外からの移民の人口が全人口の59%(カナダで最高)、そしてそのほとんどが1990年以降に来た、香港、台湾、中国本土からの移民である。 わりと中国。 漢民族の大移動。 この大移動は1984年の英中共同声明により、香港返還が1997年の7月1日に決まったことに起因する。それ以降、英連邦であるカナダに香港系の華人の移民が多くなり、1989年に起こった天安門事件の翌年には6万2千人が移民、バンクーバーは(くだらないけれど)ホンクーバーとまで揶揄されるようになる。 その後はリッチモンド市の(今やメインストリートである)No.3ロード沿いに中国系スーパーマーケットやショッピングモールが乱立され、中国語のみで書かれた商品や、多数の中国語新聞が発行され、売る方も買う方も中国語を喋ると言う状態で、まったく英語を理解しないでも生活できるというような街ができた。 けっこう中国。 前回の《旧市街編》で、リッチモンド市を大阪ベイエリア(住之江区)になぞらえたことをふまえて、この《新市街》を当てはめるならば、その最も適した場所は何を隠そう、大阪市此花区となる。 大阪市此花区も昔は漁業と農業で栄え、その後阪神工業地帯の中心となる巨大工場が田畑の後に建設されたが、1980年以降重工業が振るわなくなり、将来を模索していた。その後の動きとして2001年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開業、2008年のオリンピック誘致のため(失敗)人工島である舞洲にスポーツアイランドを造成し、あげくの果てに、巨大でセンスのないラブホテルかと思わせる、下水処理場とゴミ処理場まで建ててしまった。フンデルトヴァッサーという人の建築らしいが、莫大な税金がつぎ込まれたことは言うまでもない。 もちろん此花区は悪くない。すべては大阪府、大阪市に責任がある。 それで、此花区とリッチモンド市の新市街のどこが似ているのかと言う話だが、どちらもデルタ地帯で海抜が低いこと。二つの大きな川に挟まれていること。どちらもオリンピックに関係していること。バンクーバー五輪の会場になったリッチモンド市。大阪が負けて、2008年にオリンピックを開催したのが中国の北京であったこと。北京で起きた天安門事件とリッチモンド市の中国人移民の関係。オリンピックが北京に決まったのが2001年、同年に此花区にUSJがオープン。これだけ観ても、どこか因縁のある奇妙な三角関係に思えないだろうか。 それに、リッチモンド市と大阪市此花区にはどちらも海底トンネルがある。 此花区のそれは、安治川トンネルと呼ばれ1944年に竣工。日本初の沈埋工法(潜函工法)によるトンネルであるらしい。両岸には(此花区と西区)エレベーターがあり、歩行者、自転車が、地下15メートルまで降りて約80メートルの通路を横断するという仕組みで、もちろん今でも現役である。(僕も昔、自動車教習所に通うのによく利用させてもらいました。) 対して、リッチモンド市のトンネルは、フレーザー川の対岸にあるデルタ市とを結ぶ4車線の自動車用のトンネルで、ジョージ・マッシー・トンネルと呼ばれている。1959年竣工。建設にはプレキャストコンクリートで作った6つのトンネルを浮かべておき、繋いで沈める(沈めてから繋ぐ?)北米で初めての方法が用いられたらしい。最深部が25メートル。全長は629メートル。 建設方法や規模、利用客のタイプは違えども、この海底トンネルはリッチモンド市と大阪市此花区をしっかりと結んでいるのだ。 ちなみに、もっと古い中国系移民はバンクーバー市に多く、チャイナタウンを形成している。これは世界の大きな都市だとどこでもそうだけれど、メトロ・バンクーバーでは5人に1人が中国人。 かなり中国。 アバディーン・センターのフード・コートから PENTAX645で撮影。Ilford Delta100使用。 D76 1:1にて現像。 アバディーン・センターは今一番人気のあるアジア(中国)系ショッピング・モールで、中には日本からのダイソーもあります。値段は100円ではなく一律、2ドル。円とカナダドルの為替でしょうか。 それでは、この項、終了。
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mini van
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久しぶりのミニチュア・バンクーバー。 今回の場所は、ホワイト・ロックと言う名前の小さな市。以前に書いた広大なサーレー市の一部をひっそりと間借りしているようにも見えるのだが、ここが喉元というか、サーレーの下顎というか何というか……また、例のゾウの横顔マップを見て頂きたい。(赤い部分です) ホワイト・ロックは、バンクーバー島との入り海であるジョージア海峡に面し、その遠浅の美しく広い砂浜で有名である。1913年にBC州のバンクーバーからアメリカのワシントン州シアトルまで続く鉄道の駅が、ホワイト・ロックに設けられると、その砂浜を目当てにバンクーバーやニュー・ウエストミンスターから多くの避暑客が訪れるようになった。同時期に開業し始めた複数の製材所の影響もあり、街はにわかに賑わいを見せるようになっていく。 1950年代になり、サーレー市の都市計画から孤立させられていると感じるようになったホワイト・ロック地区(この頃はサーレー市の一部)は、州政府から特別な補償を受け、57年に正式に市として発足する。そのようないきさつで、この喉元というか、気をつけないと二重顎になりかねない微妙な場所に、ホワイト・ロックと言う名前の小さな市が誕生したのである。 書いていて思い出したのだが、昔、僕の友人が『豚晴』で豚カツを食べて、衣の固さに『上顎をやられた』と言っていたが。これは余談……しかも下顎…… 450メートルある、ホワイト・ロックの桟橋。ちなみにビーチの長さは2.5キロもある。 Minolta HI-MATIC 7Sにて撮影。 Ilford Delta 100使用。 D76 1:1で現像。 さて、ホワイト・ロックという名前。原住民の言い伝えによると、昔々、若い海の神がバンクーバー島のカウチン族の姫と恋に堕ち、結婚を誓ったが許されず、失意と怒りのなかで、この海の向こうで姫と新しい部族を作ろうと白い岩をジョージア海峡の向こうに投げたと伝えられている。海の神が希望を託して投げた、白い岩のたどり着いた場所がこのホワイト・ロックという浜辺らしい。ここで海の神とカウチン族の姫は新しい生活を始める予定だった。証拠に、その白い巨岩は実在する。高さ4メートル、重さ488トンの白い岩は今でもホワイト・ロックの砂浜にあって、記念写真を撮られたり、鳥に糞を落とされたり、卑猥なラクガキをされたりしている。 (地理学的に言うと、氷河期の終りに沿岸の山から運ばれてきて、氷が溶けビーチに残ったと説明されている。実際、白い花崗岩であると言われているが、今はラクガキを消すために定期的に白いペンキを塗られており、みょーに白い。) 南海電車に乗り、サーレー市ではなく、堺市に向かうと石津川という川にあたる。ここはまだ堺市西区だが、それは些細なこと。古代の神々の話から、現在の行政区画に従い、定規で線が引けるものであろうか。過去のホワイト・ロックがサーレーに含まれていたように、多少の含みを許して頂きたい。 さて、ホワイト・ロック市は南海本線石津川駅より南に、諏訪ノ森駅、浜寺公園駅、羽衣駅、高石駅の周辺にあたり、ビーチは、夏目漱石の『行人』にも出てくる有名な浜寺公園とする。古くから白砂青松の景勝地として和歌に詠まれ、多くの貴人歌人達が遊覧に訪れた浜寺は、大久保利通の下手な歌の助けを借りて、明治6年に日本最古の公園と指定され、それ以降も関西の避暑客を集めている。ここらはさして珍しくもない。さて、では白い岩の符合はいかに? ここで僕達は高石駅から引き返して石津川駅に戻る。(ちなみにこの間にある諏訪ノ森駅と浜寺公園駅の駅舎は登録有形文化財に登録されている。どちらも阪神間モダニズムの雰囲気を残しており、特に浜寺公園駅は日本銀行とか大阪市中央公会堂とかを手がけた辰野金吾と言う人が設計したものらしい)この石津川駅のやや南、石津川のすぐ北側に石津太神社がある。この辺りは昔浜であったらしく、イザナギ、イザナミの生んだヒルコが流れ着いた場所とされる。 ヒルコとは『古事記』にある国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神である。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。漂着したヒルコは携えていた五色の神石を、今の石津太神社の鳥居の前あたりに置いたと言われる。五色の石を置いた場所を『石津』といい、五色の石は埋められて、封をするように大きな石(岩)が今でも置かれている。ちなみに石津太神社は戎宮であり、ヒルコ→蛭子→エビス→戎を祀っている。 五色の石の色が何色であったのかは知らない。封をしてある岩は写真で見る限り、(行ったことはございません)神社にある普通の石の色(グレー)であるが、カナダの神が投げた岩と、日本の神の流した石が辿り着いた場所の符合(この場合ホワイト・ロック市と石津ー高石間)は何と興味深いではないか? 晴れて、ホワイト・ロックは大阪の地図の上に重なり合う。 よし。 下が、証拠の白い岩。家族が記念撮影をしています。 Minolta HI-MATIC 7Sにて撮影。 Ilford Delta 100使用。 D76 1:1で現像。 『豚晴』の関係者の方、僕の友人の昔の発言に気を悪くされたらすいません。 『やめとけ。上顎やられるぞ』とも、よっぽど腹が立ったのか、彼は顔をしかめて僕に余計な世話までやいてくれましたが……。
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Ladies and Gentlemen. お元気ですか? 以前、この『mini van』の書庫ページ6で、僕はメトロバンクーバーの中心を流れるフレイザー川を大和川に置き換えた。サーレー市を取り上げたときのことだ。もう一年も前になる。覚えていますか?サーレー市は、堺市でした。 その大和川の南側で、サーレー市の東側が今回の舞台。 お待たせいたしました。ラングレー市、およびそれを囲むラングレー郡です。 ダウンタウン・ラングレー(ラングレー市) Pentax PC35にて撮影。Ilford Delta100使用。 D76 1:1にて現像。 フレイザー川の南側の地形をよく見ると、ちょうど左を向いたゾウの頭に似ている。まだここで取り上げていないが(地区の皆様、お待たせしています)デルタ地区がゾウの鼻部分、サーレー市が顔、そしてこのラングレー郡がゾウの大きな耳に見えるのだ。本当に良く似ている。あなたイタリアが長靴に見えますよね。まあ、それと大体同じくらい…… BC州の中でも歴史は古く1827年にハドソン・ベイ会社が毛皮の貿易地点として開発し、1858年にはその川の上流で金が見つかり、ゴールドラッシュに集まる人々の宿場町として栄え、BC州の生誕地とまで宣言された由緒ある土地なのである。しかしゴールドラッシュが終り、ニュー・ウエストミンスターが州都に選ばれるとしだいに落ち目となり、ラングレーは、いつしか農業中心の田舎町となっていく。 で、当時、町の中心だったダウンタウンが街灯の設備の供給を訴えたのだが、ラングレー郡にはこれができず、逆にダウンタウンが郡から独立したような格好で、そこだけが市となり(人口密度などの条件)、未だにその周りの広大な土地は郡のままである。 ちょうど『耳』と『耳の穴』のような関係とでも言えば、あなたにわかってもらえるだろうか。 【OSAKA】 天王寺から歩道橋を渡ると阿倍野橋駅がある。阿倍野橋から僕達は近畿日本鉄道(通称きんてつ)の南大阪線に乗る。メトロバンクーバーの片田舎、ラングレー市を含むラングレー郡は、きんてつ南大阪線、道明寺線、長野線の沿線、いわゆる片田舎(じゃなかった)南河内地区に当てはまる。 (きんてつ道明寺駅から古市駅区間)ラングレー市。 Pentax PC35にて撮影。Ilford Delta100使用。 D76 1:1にて現像。 慶長20年(1615年)5月6日。後藤又兵衛率いる豊臣軍先鋒は小松山に登り、陣を整える。大阪夏の陣。対するは、江戸幕府軍。この日は濃霧のため真田幸村率いる後隊の到着が著しく遅れ、孤軍奮闘の又兵衛らは遂に伊達政宗らに小松山を包囲されてしまう。激しい銃撃戦の末、後藤又兵衛は腰を撃たれ歩行不能となり自刃。遅れて到着した真田幸村が激戦の末、伊達軍を押し込むも、大阪城からの退却命令により、退却。真田軍は殿軍(しんがり)を務めた。 道明寺の戦い。 この激戦地となった小松山、道明寺付近。先述した藤井寺市道明寺駅から又兵衛の墓のある柏原市、羽曳野市古市駅辺りが、ラングレー郡の中に位置するラングレー市に相当する。 近年、ラングレーにはぶどう農家が増え、ワイン作地として有名になりつつある。大阪府柏原市、羽曳野市も然り。ワイン農家が増え、醸造所ができ、『河内ワイン』等で少しずつ有名になりつつある。この符号を『こじつけ』と呼ぶか『偶然』と呼ぶか、はたまた『mini van』の『キセキ』と呼ぶかはあなた次第。 あなた次第で、明日が今日よりも好きになれるかも…… それでは、特別大サービス。 ゾウの耳の穴(赤い部分) |
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もう、ずいぶん前のことになるけれど、僕達は梅田の地下街で寄り道をした。地下鉄谷町線の東梅田で降り、御堂筋線梅田駅まで行く途中、僕達は阪神百貨店でイカ焼きを買い、阪神電車のホームに続く階段に座り、焼きたてのデラパンを食べた。想い出してくれただろうか? 僕はほんの二枚、君はなんと三枚も食べたよね。 もちろん僕が誘ったのだから、いや、何枚食おうと勝手なのだから、それはいい。大切なのは今回、僕達はこのまま階段を下りて阪神電車に乗ることなのだ。 「いいよ、僕が切符を買ってくるから、君はここで待っていて」 行き先を君に伝えずに、僕は野球観戦、いや、ストレス発散にいく、すでにハイテンションなタイガースファンをかき分け、ぱっとしない電鉄会社のぱっとしない券売機の前に立つ。しかし、何としたことか、君を待たせておいた果実ジューススタンドの前まできて、僕は小銭を使い果たしたことに気がつく。ここの果実ジュースが飲みたかったのに……。ミックスジュースの、ピンクがかった淡いオレンジ色が、ミキサーの中で渦を巻いている。君はいいやつだな、と僕は思い、そう信じる。君は、本当にいいやつだ。 ほどよい甘さとはどういうものか、僕達はそれを改めて確認しながら、人ごみを見つめている。阪神電鉄梅田駅では、景気よく『六甲おろし』が流れている。ついつい歌っていたところを君に見られ、僕は途中で歌を止める。フレー、フレ、フレ、フレーの二番目のフのところ。やばい、ちょっと調子に乗りすぎていたかも。で、さあ、応援の『フレー』ってさあ、いったいどういう意味なの? 僕達はいつものごとく各駅停車に乗り、窓の外を眺めながら将棋の歩(フ)のように進んでいく。野田を過ぎ、尼崎を過ぎ、武庫川、甲子園を過ぎ、西宮、さらに芦屋を過ぎる。ニュー・ウェストミンスター市の北西、その方角に、ツートーンカラーのぱっとしない阪神電車がゴトゴト走っている。行き先は、懐かしの三宮。僕達はよくアルバイトで貯めたお金を握りしめて、三宮まで行ったのだ。 バンクーバー市、ダウンタウン編。 Konica Auto S3で撮影。Kodak T-Max 400使用。 d76 1:1にて現像。 左側に写っているドームがBCプレーススタジアム。2010年、冬季オリンピックの開会式、および閉会式に使用される建物。古いドームである。(オリンピックの開会式、および閉会式が室内って変だよね。バンクーバー・オリンピック……大丈夫かなあ?) ダウンタウン・バンクーバーは阪神電鉄本線三宮駅から元町、そこから神戸高速鉄道東西線で、新開地駅までの範囲である。いわゆる神戸ダウンタウンが、いわゆるバンクーバー・ダウンタウンに当てはまる。 こうべえー、泣いてどうなるのかあー。 二十年前、僕達は三宮駅で下車し、いつも高架下のアメリカ輸入衣料品店を物色して歩いた。アヴィレックスやショットの革ジャン。LLビーンのフィールドコート。リーバイスの501。リーのライダースジャケット。マックレガーのスタジャン。ジッポ、レイバン。レッドウィングのアイリッシュセッター。 当時アメカジに憧れていた僕達は給料をもらうと決まって三宮に行きそれらを買い、大阪に帰った。この頃はまだミナミのアメリカ村より三宮の方が品数や店舗で勝っていたのだと思う。いわゆる専門店的な店が多かった。ジッポの店。革ジャンの店等々。今から思うと、とても高価な買い物だった。もちろん、今でもまだ持っているものだってあるけれど。 神戸。 1995年1月17日の朝のことを僕は今でもよく覚えている。午前5時46分。僕は何故かその数分前(たぶん一分か二分だと思う)に目が覚めた。ふだんの僕にはあり得ないことで、自分でも変に思って窓の外を見た。冬の朝、まだ早朝なのに、ずいぶん明るいなと感じた。その直後、どすんと体が真下に落ちた。僕はとっさに爆弾だと思った。どこかからミサイルでも打ち込まれたのだと思い、畜生、やられたと反射的に思った。日本の主要都市が破壊される光景が目に浮かび、その後、横に大きく揺れ始めてようやく地震だと認識した。それでもまだ関西が震源地だとは想像もせず、揺れている間も日本列島が総崩れになっているような気がして、絶望的な気持ちになった。 当時、僕は大阪府吹田市江坂町三丁目に、彼女と猫と一緒に住んでいた。 記憶は事実と反しているかも知れない。けれどこれが、僕があの日の朝、揺れている数十秒間に感じたことである。 6443人が死んだ。 その後ほどなくして、僕は日本を離れた。だから地震の後の神戸、三宮には行っていない。ただ、日本を発つ前に、芦屋には一度だけ訪れた。地震の半年前まで彼女が住んでいた場所を僕は一人で見に行った。僕には景色が歪んで見えた。彼女の住んでいた場所はなくなっていて、二人で歩いた堤防沿いの空き地には、まだテント式の仮設住宅が建ち並んでいた。 一枚目の写真は、ここの展望台(円盤のある塔)から撮影したもの。 Olympus XAにて撮影。Kodak T-Max 400使用。 d76 1:1にて現像。 バンクーバー市は横浜と姉妹都市である。だから、神戸の従姉妹(いとこ)にあたる。ちなみに神戸市はアメリカのシアトルと姉妹都市で、規模的にはシアトル横浜、バンクーバー神戸の方がお似合いで、釣り合いが取れる。神戸にも中華街(南京町)があり、バンクーバーにも小汚いチャイナタウンがある。三宮、元町周辺はロブソン通り。新開地はどことなくヘイスティング・ストリートの寂れた感じに似ている。 とどのつまり、僕達は新開地の商店街でワンカップ大関を買い、日の暮れた公園のベンチに座りそれを飲み干す。君は安物の酒があまり好きでなく、半分ほどで嫌になり、結局は僕がその残りを、そんなん、めっちゃもったいないから、しょうがないから、飲むことになる。やっぱり、君はいいやつだと僕は思う。 ここまで来ると、ぜんぜんアメカジではなく、ただの酔っぱらいだけれども。 震災の直後、仰木彬監督率いるオリックス・ブルーウェーブは、イチローを中心にペナントレースを争い、リーグ優勝を果たす。これが神戸の人々を勇気づけたことは言うまでもない。僕には、何もできなかった。ただ、記録として書いたものが少しある。今後機会があれば、それを載せようかと思う。 神戸は見事に復興した。空港まで作ってしまった。 だから、最後まで歌わせて欲しい。 フレー、フレ、フレ、フレー。
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今回のミニチュアバンクーバーでは、前回のコキットラム市の東隣にある(えてして、一部のようにも見える)、ポート・コキットラム市を紹介したい。 では、始めに、靴下を片方用意してもらおう。できれば洗濯した、スポーツ系の物がいい。それのつま先を左、地図的に言うと西に向けて置いてもらいたい。これで当然、踵は右側、つまり東側になる。そのカカトの部分がポート・コキットラム市である。もし、あなたが幸運にしてちょうど、踵の強化してあるスポーツソックスを持っていたら、これは一目瞭然である。他の部分はすべてコキットラムなのに、そこだけがやけに分厚い。 だから名前が違う。市も違う。アキレス腱から踵を巡って足の裏側の部分でピット川とフレーザー川が合流し、ちょうどカカトの部分が港(ポート)になるから、ポート・コキットラム市である。全然、イチブではないのだ。ちなみに足の甲の上には、ちょこんとポート・ム−ディー市(前述)が載っている。いいですか、皆さん。この三市をメトロ・バンクーバーでは総称して、トライ(3つの)・シティーと呼び、この足首を巡るくびれた場所が、今日の話の激戦地となるのです。 川と川の合流点。コキットラム市が京阪沿線……そうだ、肝心の写真を忘れていた。 ギャザリング・プレースのベランダから。Rollei XF35にて撮影。Kodak T-MAX 400 使用。D76 1:1で現像。 桂川、宇治川、木津川が合流して淀川に交わる所。位置的な特徴、日本史における分れ目。運命のもつれ、緊迫したくびれ、それらを考慮して、ポート・コキットラム市は京都府八幡市(やわたし)にふさわしい。ここは日本史の踵(きびす)である。 八幡市の対岸には大山崎町があり、ここには言わずと知れた天下分け目の天王山がある。かつては織田信長を討った明智光秀と西国(毛利)遠征から急遽戻った羽柴秀吉が争った土地であり、幕末の長州人(真木和泉、久坂玄瑞の一部隊)は身を焦がして潔白を訴えるため、尊王攘夷の大書をかざし、ここから京都になだれ込んだ。鳥羽伏見の戦いでは、伏見奉行所が炎上したため幕府軍が下ってきた場所でもある。 土方歳三が率いる新選組は、鳥羽伏見の戦で敗れ淀まで退いた。その光景を地図で追うと京阪本線がちょうど手相の運命線のように見えてくる。幕府歩兵隊、会津藩兵、新選組は伏見から淀まで退き、淀城で再建を計ろうとしたが、ちょうど新政府軍に掲げられた錦旗の旗の影響からか、淀藩主から入城を拒まれてしまう。この迎撃線で新選組古参、井上源三郎が死亡。その後幕府軍は後退を重ね、現、京阪本線、橋本駅の東、男山に布陣する。地の利では(賊軍となった)幕府軍に絶対の利があったものの、対岸の大山崎を守備していた津藩が新政府軍(官軍)に寝返り、これに動揺した幕府軍は総崩れし、土方の新選組は淀川を下り大阪城に逃れる。このときの戦いで、新撰組諸士調役兼監察、山崎烝が重傷。(後、紀州湾沖にて死亡) 嗚呼。勝てば官軍。負ければ、賊軍。 ここで、きびすを返す。 今の大阪、京都の地図を見ても、やはりこの地域は合流点と言う印象を受ける。山崎から八幡市、久御山町、城陽市、伏見区にかけては、各社の鉄道が入り組んで走っている。JR奈良線、近鉄京都線、京阪本線、JR東海道新幹線、JR東海道本線、阪急京都線、京阪宇治線。 さあて、ポート・コキットラム。 ここは最初、農業地として開発されるが、その後、カナダ太平洋鉄道が進出し、土地の多くを敷地とされ、複数の線路の交錯する場所となった。こじつけではない。不思議と、こういう点でも共通するのだ。これもやはり土地と歴史の妙なのか。でも全然、イカツクないのだ。一度訪れると、ここはきっと誰もが好きになれるような可愛いらしい街である。ポート・コキットラム市、略してポコちゃん。こじんまりと小奇麗に整頓されていて、全然気負った所もなく、あっという間にメインストリートが終わるような街。僕はそんな所が好きだ。もちろん、大阪の眠らないネオンサインも大好きだけれど…… そうそう、写真がメインだったよね。 ポコのメインストリート。おいしい焼きたてのパンを売っているパン屋の前から。 お姉さんやおばさんが、ハムとかチーズも切り売りしてくれる。 Rollei XF35にて撮影。Kodak T-MAX 400 使用。D76 1:1で現像。 そうです。ミニチュアバンクーバーは写真がメイン。忘れてはなりません。 では、サンドウィッチでも作りますか。
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