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今回は、キヤノンATー1。 1976年12月。キヤノンのATー1は、海外だけで販売を開始された。この年の4月5日、ちょうど8ヶ月ほど前に、同社はたちまちベストセラーになり、ブームを巻き起こしたAE−1を発売している。この双子のようなカメラは、常に一緒に語らねばならない。ややこしくなりそうなので箇条書きで説明したい。 4月発売 AE−1 世界で初めてCPUを搭載した35㎜一眼レフ。シャッター速度優先オート。 設計の根本から、5つの大きなユニットと25の小さなユニットに分け、それをマイクロコンピュータが中央集中制御する方針を採用。電子化により部品点数を従来機より300点減、また生産にも自動化を大幅に取り入れ、高機能、低価格を実現した。 キャッチコピーは、『連写一眼』 これが世界中で絶賛され、オートマティックカメラの先駆けとなった。 ボディーのみで、50000円、50㎜/1.4付きで、81000円。 12月発売 ATー1 上記、AE−1と同等のボディーに、追針式のマニュアル測光を入れただけのカメラ。 キャッチコピーもなし。 最終的に日本国内で販売されることはなかった。 販売価格、不明。 キヤノンの苦しい公式見解を見ると、一部海外市場では、低価格とは言え、AE−1はやはり高額機種であり、<保守的>なマニュアル指向のユーザーも依然と多かった。このような要請に対して応えるべく、ATー1は開発されたらしい。 おそらく嘘であろう。 キヤノンは最初からATー1を製造していた。(この意見は『キヤノンAシリーズに萌え萌え』というホームページを持っておられるBISON氏から借りている)もし、AE−1という世界初のオートカメラが今までのユーザーから受け入れられなかった場合のことを考慮して、保険というか、じゃんけんの<あとだし>のような感じというか、先発ピッチャーがすぐにKOされたときの、つなぎのような役目というか……。とにかく、国内の写真家達は案外保守的ではなく、AE−1は飛ぶように売れた。それでまあ、せっかく作ったんだから、安いレンズとセットにして外国に出せば、国内的にキヤノンの名前に傷もつかないし、案外ビビってたという本心もばれないだろう、ということで、ATー1は廻り廻って、今僕の手元にある。 ロック史と見る1976年。 1月16日 ボブ・ディラン『欲望』発表。 1月20日 ヤマト運輸『宅急便』発売。初日引き受け個数は2個。 3月 ビーチボーイズ 結成15周年を迎え『偉大なる15年』を発表。 4月23日 ラモーンズ『ラモーンズの激情』でデビュー。 6月26日 アントニオ猪木対モハメド・アリ戦。武道館で行われる。 7月 7日 モントリオール・オリンピック開催。 10月 レッド・ツェッペリン『永遠の詩』ライブ映画上映。 11月 ジャクソン・ブラウン『プリテンダー』発表。 12月8日 イーグルス『ホテル・カリフォルニア』発表。 実は、1976年について、以前ペンタックスMEの項でやっているのです。 ですから、少し違う角度から見た1976年とは。 アメリカの夢の終り。『ホテル・カリフォルニア』(アルバム) 1976年はちょうどアメリカ建国から200年目にあたる。 ドン・ヘンリーもインタビューで答えているように、このアルバムは200年という節目に立って、アメリカ、とりわけ開拓期間から楽園のように思われ、人々を集めてきたカリフォルニアの行き詰まった現実を歌ったコンセプトアルバムである。最も良く知られる、意味深な歌詞で色々な解釈の尽きない、一曲目の『ホテル・カリフォルニア』にもその暗い影は濃く落ちている。 アメリカのフロンティアは東に始まり西へ西へと進んできた。ヨーロッパから大西洋を渡り、あるところで土地を所有し定住した人達もいれば、そこで上手くやっていけずに、広い大陸をより良い場所を求めて、人々が数珠つなぎになって移動してきた。ある人は夢や希望を持ち、ある人は隠れ場所を求めるようにして。もちろんスタインベックの『怒りの葡萄』を読めば解るように、現実は厳しく、楽園なんてなかったのだけれども、その温暖な気候と豊かな土地、ハリウッドに代表される華やかさがいつまでも人々を魅了してきた。美しき罠。甘い蜜。ネオンサイン…ってやっぱり惹かれてしまう。 欲望を満たすためだけの場所が『ホテル』であり、『ホテル』にはたくさんの部屋がある。誰もがようこそと招き入れられ、ある部屋ではドラッグ、ある部屋ではセックス、見えない裏側では暴力が行使されている。全てはマネーであり、トレンドの追求であって、スピリットなどはとうに失われてしまったのだ。気がつけば、そこを短絡に享受していた自分があり、昔を思い出しここから抜け出そうとするが、容易には抜け出せない……。 ジャクソン・ブラウンの『プリテンダー』もそうだけれども、この年のアメリカには心情的に行き場を失った感じと、強大に膨れ上がった資本主義という権力が引っ張り合って悲鳴を上げつつあるような感じがする。 だからかどうか、この年の11月2日に行われた大統領選挙では民主党のカーターが初当選しているし、ナイフを突き立てるようにしてロックを革新する、パンク・ミュージックの筆頭ラモーンズが衝撃的なデビューを飾っている。アントニオ猪木がモハメド・アリとがんじがらめのルールであっても、敢えて対戦したように、時代は沸々と、自らを見失いそうになる悪夢のような現状から、打破を求めていたのだ。 (アルバム)『ホテル・カリフォルニア』は、ドン・ヘンリーの歌う『Last Resort』という美しい曲で締めくくられる。これはアメリカのフロンティアという精神の終りと、資本という欲望が当然のように破壊していく環境問題を扱っている、ロックとしては珍しい種類の曲である。自然を破壊して作り上げられる新しい楽園とはいかなるものか、それをドン・ヘンリーが長々と、7分以上もかけて歌うのだが、この『Last Resort』というタイトルがどのような意味を込めて付けられたのかが興味深い。 『Last Resort』は通常『最後の手段』とか『頼みの綱』とか、そういう意味で使われる。この曲を頼みの綱として、環境問題とか、アメリカ人の失ったスピリットの回復に呼びかける意味で付けられたのか、それとも、最後の手段の後に、失われてゆくものを追悼して付けられたのかを考えさせられる。 キヤノンはAEー1によって新たな道を切り拓いた。一大ブームとなったこのオートマティックカメラは400万台を販売した。(アルバム)『ホテル・カリフォルニア』の売り上げ枚数、アメリカ国内だけで1600万枚には到底及ばないけれど、同じ年に大ヒットした(シングル)『およげたいやきくん』が450万枚だから、相当な数だと言っていい。日本はアメリカに比べて平和と言うか、この頃はノーテンキだったんでしょうねえ。ちなみにピンクレディーが『ペッパー警部』でブレイク。都はるみの『北の宿』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』が上半期の芥川賞を受賞。 このようなベストセラーの陰で我がATー1は生まれ、ひとつのメッセージを僕に伝えてくれました。 『Last Resort』 キヤノンがこっそり製造したATー1は、僕の仮説によるとキヤノンの『頼みの綱』であったように思われます。最新の技術を駆使して、今までにないものを発表するのは、かなりの勇気と覚悟が必要だったでしょう。キヤノンは大見得を切るAEー1の、失敗の代償として、ATー1を懐刀のようにしたのです。 【追記】
このカメラ、とてもいいカメラです。僕はAE−1も持っていますが、どちらかと言うとATー1の方が好きです。『連写一眼』なんてコピー、意味もよく解らないし……。慌てずに、ゆっくりマニュアルで露出を合わせるほうが、お米を噛んで食べているような、充実した気持ちになれますよ。FDレンズの写りも◎。個人的には最新のスマートなEFレンズよりも個性があるように思えます。外観もどこかストロングスタイルで、ほら、格好いいではありませんか。 |

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