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螢 映池 写真集ブログ: 謹賀新年 2012年が良い一年となりますように

Camera

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Canon AT-1

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今回は、キヤノンATー1。

1976年12月。キヤノンのATー1は、海外だけで販売を開始された。この年の4月5日、ちょうど8ヶ月ほど前に、同社はたちまちベストセラーになり、ブームを巻き起こしたAE−1を発売している。この双子のようなカメラは、常に一緒に語らねばならない。ややこしくなりそうなので箇条書きで説明したい。

4月発売 AE−1
世界で初めてCPUを搭載した35㎜一眼レフ。シャッター速度優先オート。
設計の根本から、5つの大きなユニットと25の小さなユニットに分け、それをマイクロコンピュータが中央集中制御する方針を採用。電子化により部品点数を従来機より300点減、また生産にも自動化を大幅に取り入れ、高機能、低価格を実現した。
キャッチコピーは、『連写一眼』
これが世界中で絶賛され、オートマティックカメラの先駆けとなった。
ボディーのみで、50000円、50㎜/1.4付きで、81000円。

12月発売 ATー1
上記、AE−1と同等のボディーに、追針式のマニュアル測光を入れただけのカメラ。
キャッチコピーもなし。
最終的に日本国内で販売されることはなかった。
販売価格、不明。

キヤノンの苦しい公式見解を見ると、一部海外市場では、低価格とは言え、AE−1はやはり高額機種であり、<保守的>なマニュアル指向のユーザーも依然と多かった。このような要請に対して応えるべく、ATー1は開発されたらしい。

おそらく嘘であろう。

キヤノンは最初からATー1を製造していた。(この意見は『キヤノンAシリーズに萌え萌え』というホームページを持っておられるBISON氏から借りている)もし、AE−1という世界初のオートカメラが今までのユーザーから受け入れられなかった場合のことを考慮して、保険というか、じゃんけんの<あとだし>のような感じというか、先発ピッチャーがすぐにKOされたときの、つなぎのような役目というか……。とにかく、国内の写真家達は案外保守的ではなく、AE−1は飛ぶように売れた。それでまあ、せっかく作ったんだから、安いレンズとセットにして外国に出せば、国内的にキヤノンの名前に傷もつかないし、案外ビビってたという本心もばれないだろう、ということで、ATー1は廻り廻って、今僕の手元にある。

ロック史と見る1976年。

1月16日 ボブ・ディラン『欲望』発表。
1月20日 ヤマト運輸『宅急便』発売。初日引き受け個数は2個。
3月    ビーチボーイズ 結成15周年を迎え『偉大なる15年』を発表。
4月23日 ラモーンズ『ラモーンズの激情』でデビュー。
6月26日 アントニオ猪木対モハメド・アリ戦。武道館で行われる。
7月 7日 モントリオール・オリンピック開催。
10月   レッド・ツェッペリン『永遠の詩』ライブ映画上映。
11月   ジャクソン・ブラウン『プリテンダー』発表。
12月8日 イーグルス『ホテル・カリフォルニア』発表。

実は、1976年について、以前ペンタックスMEの項でやっているのです。
ですから、少し違う角度から見た1976年とは。

アメリカの夢の終り。『ホテル・カリフォルニア』(アルバム)

1976年はちょうどアメリカ建国から200年目にあたる。
ドン・ヘンリーもインタビューで答えているように、このアルバムは200年という節目に立って、アメリカ、とりわけ開拓期間から楽園のように思われ、人々を集めてきたカリフォルニアの行き詰まった現実を歌ったコンセプトアルバムである。最も良く知られる、意味深な歌詞で色々な解釈の尽きない、一曲目の『ホテル・カリフォルニア』にもその暗い影は濃く落ちている。

アメリカのフロンティアは東に始まり西へ西へと進んできた。ヨーロッパから大西洋を渡り、あるところで土地を所有し定住した人達もいれば、そこで上手くやっていけずに、広い大陸をより良い場所を求めて、人々が数珠つなぎになって移動してきた。ある人は夢や希望を持ち、ある人は隠れ場所を求めるようにして。もちろんスタインベックの『怒りの葡萄』を読めば解るように、現実は厳しく、楽園なんてなかったのだけれども、その温暖な気候と豊かな土地、ハリウッドに代表される華やかさがいつまでも人々を魅了してきた。美しき罠。甘い蜜。ネオンサイン…ってやっぱり惹かれてしまう。

欲望を満たすためだけの場所が『ホテル』であり、『ホテル』にはたくさんの部屋がある。誰もがようこそと招き入れられ、ある部屋ではドラッグ、ある部屋ではセックス、見えない裏側では暴力が行使されている。全てはマネーであり、トレンドの追求であって、スピリットなどはとうに失われてしまったのだ。気がつけば、そこを短絡に享受していた自分があり、昔を思い出しここから抜け出そうとするが、容易には抜け出せない……。

ジャクソン・ブラウンの『プリテンダー』もそうだけれども、この年のアメリカには心情的に行き場を失った感じと、強大に膨れ上がった資本主義という権力が引っ張り合って悲鳴を上げつつあるような感じがする。

だからかどうか、この年の11月2日に行われた大統領選挙では民主党のカーターが初当選しているし、ナイフを突き立てるようにしてロックを革新する、パンク・ミュージックの筆頭ラモーンズが衝撃的なデビューを飾っている。アントニオ猪木がモハメド・アリとがんじがらめのルールであっても、敢えて対戦したように、時代は沸々と、自らを見失いそうになる悪夢のような現状から、打破を求めていたのだ。

(アルバム)『ホテル・カリフォルニア』は、ドン・ヘンリーの歌う『Last Resort』という美しい曲で締めくくられる。これはアメリカのフロンティアという精神の終りと、資本という欲望が当然のように破壊していく環境問題を扱っている、ロックとしては珍しい種類の曲である。自然を破壊して作り上げられる新しい楽園とはいかなるものか、それをドン・ヘンリーが長々と、7分以上もかけて歌うのだが、この『Last Resort』というタイトルがどのような意味を込めて付けられたのかが興味深い。

『Last Resort』は通常『最後の手段』とか『頼みの綱』とか、そういう意味で使われる。この曲を頼みの綱として、環境問題とか、アメリカ人の失ったスピリットの回復に呼びかける意味で付けられたのか、それとも、最後の手段の後に、失われてゆくものを追悼して付けられたのかを考えさせられる。

キヤノンはAEー1によって新たな道を切り拓いた。一大ブームとなったこのオートマティックカメラは400万台を販売した。(アルバム)『ホテル・カリフォルニア』の売り上げ枚数、アメリカ国内だけで1600万枚には到底及ばないけれど、同じ年に大ヒットした(シングル)『およげたいやきくん』が450万枚だから、相当な数だと言っていい。日本はアメリカに比べて平和と言うか、この頃はノーテンキだったんでしょうねえ。ちなみにピンクレディーが『ペッパー警部』でブレイク。都はるみの『北の宿』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』が上半期の芥川賞を受賞。

このようなベストセラーの陰で我がATー1は生まれ、ひとつのメッセージを僕に伝えてくれました。

『Last Resort』

キヤノンがこっそり製造したATー1は、僕の仮説によるとキヤノンの『頼みの綱』であったように思われます。最新の技術を駆使して、今までにないものを発表するのは、かなりの勇気と覚悟が必要だったでしょう。キヤノンは大見得を切るAEー1の、失敗の代償として、ATー1を懐刀のようにしたのです。


【追記】
このカメラ、とてもいいカメラです。僕はAE−1も持っていますが、どちらかと言うとATー1の方が好きです。『連写一眼』なんてコピー、意味もよく解らないし……。慌てずに、ゆっくりマニュアルで露出を合わせるほうが、お米を噛んで食べているような、充実した気持ちになれますよ。FDレンズの写りも◎。個人的には最新のスマートなEFレンズよりも個性があるように思えます。外観もどこかストロングスタイルで、ほら、格好いいではありませんか。

PENTAX 645

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カメラの書庫

今回はずんぐりした、PENTAX645。シャッター速度は1000分の1秒から15秒まで、中央重点測光、自動巻き上げ、そして、最大の特徴(とりえ)はブローニー・フィルムで、6x4.5センチの大きさの写真が撮れること。これは35ミリフィルムに比べて、約3倍のフィルム面積にあたる。つまり、より精細な写真が撮れるというか、まあ、デジタル的に説明するなら画素数、つまり情報量が3倍であると言うことだろうか。1984年発売。

それでは、半年ぶりの(!)ロック史とともに見る1984年。

1月24日  アップル・コンピュータ『マッキントッシュ』発表
       ヴァン・ヘイレン『1984』発表
2月     ボン・ジョヴィ、デビュー
       『Footloose』のサントラ発売。爆発的に売れる。
3月     江崎グリコ社長、何者かに誘拐される(グリコ、森永事件)
       スタイル・カウンシル『Cafe Bleu』発表
4月1日   マーヴィン・ゲイ、父親によって射殺される
6月     プリンス『Purple Rain』発表
       ブルース・スプリングスティーン『Born in the USA』発表
8月     レッド・ホット・チリペッパーズ、デビュー
9月     デビッド・ボウイ『Tonight』発表
10月    ブライアン・アダムス『Reckless』発表
11月29日 バンド・エイド『Do they know it’s Christmas?』発売

久しぶりなので、いつもより多めに書きました。これも情報量の多さ。

ですから今回は、話せば長い物語。

1984年11月25日 午前9時 ロンドン 曇り

この日、エチオピア飢饉のチャリティーとして、ボブ・ゲルドフ(ブームタウン・ラッツ)とミッジ・ユーロ(ウルトラヴォックス)が曲を作り、24時間だけSARMスタジオを無料で借り、当時イギリスで人気のあったミュージシャン達を集め、一枚の記念すべきレコードを作った。このバンド名をバンド・エイドと言い、この時録音した曲が『Do they know it’s Christmas?』である。

報道陣の群がる中に、続々とミュージシャン達がスタジオ入りしていく。デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、ポール・ヤング、(ボーイ・ジョージを除く)カルチャー・クラブ、ジョージ・マイケル(ワム!)、クール&ザ・ギャング(なぜ?)、スティング、ボノとアダム・クレイトン(U2)、フィル・コリンズ、ポール・ウェラー(スタイルカウンシル)、バナナラマ等々、ちなみにこの時、ボーイ・ジョージはニューヨークでまだ眠っており、ボブ・ゲルドフに電話で叩き起こされる。

ミッジとボブは、先ず集まったメンバー全員にコーラス部分を歌わせ、録音し、その後、一人ずつのボーカリストに一曲を通して歌わせている。これは誰がどのソロ・パートを歌うかを決める重要なテストであり、また歌う方にとっては自分の見せ場でもあった。皆が牽制し合う中、最初にマイクの前に立ったのは、スパンダー・バレエのイケメン、トニー・ハードリー(どこか宝塚的な感じのする)であった。この時歌った中で、最もボブに強く意外な印象を与えたのがボノである。まだこの頃のU2は、ポスト・パンクバンドの兄ちゃんくらいにしか認識しかされていなかったのだ。

ボブ・ゲルドフの作詞した『Do they know it’s Christmas?』の歌詞はこのように始まる。


クリスマスには
恐れるものは何もなく
クリスマスには
光が溢れ 影が消える

私達の満ち足りた世界では
喜びの微笑みは広がり
手を取り合い肩を抱きかかえる
年に一度の 特別な日に

しかし 祈ることがあるんだ
私達の知らない人達のために
幸せを楽しんでいる
こんな時に 難しいけれど
窓の向こうに広がる世界には
恐れに震えている人達がいて
そこを流れる水は
ほんの頬をつたう苦い涙だけ
クリスマスの鐘の音さえ
彼らには破滅の響きに聞こえるのだ

そうさ 私達は今夜神に感謝する
それが私達でなく 彼らであったことに


この歌詞の最後の部分。ボブ・ゲルドフがどうしても入れたかった現実感、誰も言いたがらないが、不幸が自分のものでなく、他人であってよかったという本音の部分。ここをボノに歌わせようとボブは決める。一通りセッションの終わった後、それを知らないボノはボブ・ゲルドフに、あの部分だけは歌いたくないと告げる。それは当時まだ硬派な社会批判やロマンティックな宗教観をベースにして、静かに底から震えるようなロックをしていたU2にとっては相反する歌詞であったと思う。しかし。

「あのパートは君に歌ってもらおうと決めた」とボブは言った。「あそこを歌えるのは、君しかいないのだ」と。

結局、ボノはこれを受け入れ、髪型の可愛いスティングと、当時人気のあったサイモン・ル・ボン(デュラン・デュラン)との間に挟まれ、とても真摯に、祈るように歌っている。まさにこの部分が下品にならなかったのは、ボブ・ゲルドフが求めていた、ボノの人間的な深みのためだったと言えるのかもしれない。
 
ちなみに、1984年から20年後の2004年、今度はスーダン救済のために録音されたバンド・エイド20の『Do they know it’s Christmas?』にもボノは参加し、同じパートを歌っている。

ボノ曰く、「あのパートの歌い方は、あれからずっと気になっていた。あそこは本当はシャウトするべきではなかったんじゃないかって。だから今回もあそこを歌って、歌い方を変えようと思った。本当は、ささやくように歌うべきなんだって、わかったからさ」

よかったら、聞いてみてください。

「……」

あまり違わないと思うのですが。

それからも、プロデュースも担当しているミッジ・ユーロによって録音は続けられ、先ず最初のパートは、ポール・(every time you go away)ヤングが歌い、当時のスター達が、それぞれに割り当てられたパートを録音していく。

午後六時。ボブに電話で叩き起こされたボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)がコンコルドでロンドンに到着し、SARMスタジオで録音をすませると、全ての予定が終了。後はボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロでのミックス作業となり、それが終わるのが11月26日の午前8時。ボブ・ゲルドフは最後に声明を録音している。

「このレコードは1984年11月25日に録音された。現在、26日の午前8時。私達は24時間ここにいたことになる。さあ、家に帰ろう」

レコードは大急ぎでプレスされ、ビートルズの『サージェントペパーズ』を手がけたことで有名な、ピーター・ブレイクのジャケットを冠して、1984年11月29日に発売される。この記念すべきレコードは飛ぶように売れ、シングル・チャートでの売り上げ350万枚を記録。翌年のUSA・フォー・アフリカ、世界2大都市同時進行のライブ・エイドに発展し、いわゆるチャリティー・ブーム(そんなブームがあるとして)を巻き起こすことになる。この売り上げ枚数は1997年、ダイアナ妃を追悼したエルトン・ジョンの『Candle in the Wind』の売り上げ、500万枚まで、抜かれることはなかった。

もちろん過去にも、チャリティーの音楽活動はあった。でも一曲にこれだけのスターを一斉に集めて、一緒に歌わせて、映像を記録し編集し、MTVでPVを流して基金を集めたことは今までになかった。この一曲に詰められた情報量の多さ。

ちなみに、この映像はyoutubeで見られる。探していくと、メイキング・オブ的なものもあり興味深く、今回の書庫のネタもそれらを下敷きにしている。現在と比べてみるとよくわかると思うが、あのスタジオで真面目にチャリティーとして参加している人達だけが今でも一線で活躍している。ボノ、スティング、ポール・ウェラー等。それ以外の当時売れていたスター達は、パーティーみたいな感じで集まってきて、遊んでいるように見えてしまう。誰とは言わないが、メディアに対しても自分たちのことしか語らず、エチオピアの飢饉なんてすっかり忘れている。そうして彼らは消えていった。いや、細々と十両くらいで相撲を取っているのかもしれないが、それらはテレビでは映らない。彼らは時に本来の仕事とは関係なく、彼らの起こしたニュースで存在を確認されたりする。ありがちなパターン。いちいち、誰とは言わないが。

だから、何にでも真面目に取り組もうと言う話ではなく、忘れていました、PENTAX645。

このカメラ、ずんぐりして大きいので、今どきこれを首からかけて歩いていたりすると、それは何だと聞かれたりする。一昔前の、いや、もっと前のビデオカメラくらいの大きさはある。変な奴だと思われているのかもしれない。だからかどうか、このカメラを構えた時、一瞬まわりがしんとなる。

「……」

1984年11月26日 午前8時 ロンドン 曇り

さあ、家に帰ろう。

Minolta HI-MATIC 7S

 Minolta HI-MATIC 7S ブラックモデル。
 これは1966年に発売した銀色の7Sを黒く塗装しただけもので、何と発売は1971年。輸出専用機とは言え、その間が5年だなんて、ミノルタはいったい何をしとったんじゃい、と言いたくなる。
 5年だよ。バカにしないでよ。海外だからって、なめられちゃあ黙っていられねえ。だいたい日本のカメラ業界はどうして輸出専用機として、わざわざ機能を省いた安物をつくることが多いのかいつも疑問に思っていた。よく日本のユーザーの目はシビアだからとか何とか言って言い訳しているけど、本当にそうなのか? もちろん海外にそういう需要があってのことだろうが、5年前に発売したものを、色を塗り替えただけで新製品のごとく販売するのは、少々インチキ臭くないか?(そう言いながら、買いました)

 5年の間にはいろんなことが起こる。
 5年経てば、いろんなことが変わる。
 
 特に1966年から1971年の間はロック界において激動の5年だった。
 
 ジム・モリソン(ドアーズ)、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンらがデビューし(1967年)、その絶頂で死んでいった。(70年から71年にかけて、皆、享年27歳だった)
 これだけでも世界は大きく変わったと言えないだろうか?
 
ロックとともに見る1971年。
 1月    ジャニス・ジョプリン遺作『パール』発表
 4月    ドアーズ『LAウーマン』発表
 4月3日  『仮面ライダー』放映開始
 7月3日  ジム・モリソン、パリのアパートで死亡
 7月20日 マクドナルド日本一号店銀座にオープン
 8月1日  ジョージ・ハリソン主催『バングラディシュ難民救済コンサート』 
 9月    日清『カップヌードル』発売
 10月   ジョン・レノン『イマジン』発表

 4月に『仮面ライダー』が始まってから、日本は変身ブームになったらしい。だから1971年のキーワードは『変身』。こじつけっぽいが、カップヌードルだって一種の変身、マクドナルドはきっと日本の食文化を大きく変えただろう。それに、死とは究極の変身である。

 ジャニス・ジョプリンは1970年10月4日に死亡した。彼女の天才はモンタレー・ポップ・フェスティバルで見いだされるものの、なかなか理想のバンドに巡り会えないまま、ライブをこなしていく日々が続く。ようやく結成したベストバンド、フル・ティルト・ブギーのメンバーと『パール』を録音中に急死。『パール』は遺作として死後に発表され、全米チャートを独走。ロック界初とも言える、本格派女性ロックボーカリスト。もったいないくらいの生粋のロックンローラー。ちなみに『パール』は生前の彼女の愛称だった。惚れたよパール。あんたの歌に。
 
 きっとジャニスはずっと長い間土の中で眠っていたんだと思う。幼虫のように。仲間内で孤立しがちだった彼女は好きだった音楽、フォークやブルースの温かいスピリットの奥に潜って自らを守り、貪ることで自らを成長させていったのだと思う。そしてある時、陽のあたる場所へ出て、上へ登って、なりふり構わずあらゆるものを受け入れた。降り掛かるもの、目の前に塞がるもの、それらすべてを。これがロックなのだ。もちろんそれは、ずっとずっと上へ行くために彼女にとって必要だったから。
 
 『パール」を聴くと、ジャニスは飛び立ったのだという印象を受ける。聴いている間、サナギが蝶になる過程をきわどく目にしているような気分になる。ジャニスの変身。カフカの変身。ミノルタの変身。

 さて、ミノルタの変身は、シャネルズのようにただの黒塗りだけだけど、このカメラ、何が驚いたかと言うと、その大きさ。全然コンパクトではない。僕はハイマチックと言えばコンパクトだと思い込んでいたけれど、届いてびっくり、ペンタックスMEより大きい。オリンパスXAの倍くらい。持ってまたびっくり、重さにしてXAの3倍以上。


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 クリスマスなのでほんの少しカラーにしました。全部カラーの方がきれいなのですが、なにぶんモノクロをメインとしていますので、ここまで、すんどめ。
ちなみに上に映っているのはオリンパスXA。こちらはてらっと飾りみたくツリーにぶら下げています。ハイマチック7Sでは、ぶら下げるなんてとても無理です。(ハイマチックはこの数字機種だけが大きいようで、ハイマチック7、9、11はどれも大柄)

 大きさを気にしていないせいか、このカメラとてもよく写ります。もちろんレンズも明るくて大きい。まあ、それも当たり前と言えばそれまでですが、レンズの交換ができない、スプリットイメージのみの一眼レフ、と言えばわかりやすいかも。僕ならそれを聴いて、『ほー。でも、それって、どっこも取り柄になってないやん』って……

 悪口ではないんですが。

 1971年マクドナルドが銀座にオープンした日。ハンバーガー1個80円。1万人以上の客が訪れた。ビール140円。かけそば100円。
 同年9月に販売開始した、日清カップヌードルは100円でした。


 So, this is Christmas.
 では、皆さん、Happy Xmas.....


 

PENTAX PC35 AF

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PENTAX PC35 AF

どこか具合の悪い僕のオートロンである。どこが悪いのかわからない。悪くないときもある。ネガを横にして見た時、いくつかのフレームで、左から3分の1辺りで露出が変わっている。そこを境目にはっきりと露出が一段、もしくはそれ以上異なっている。横位置の風景ならさほど目立たないが、縦位置のポートレートなんかだと、眉毛の上と下できっちり線を引いたように露出がズレている。まあ、これはちょっと笑える。でも、幕切れというようなシャッター幕など、このカメラにないのに、どうしてこうなるの?
誰かわかる人いますか?

1982年発売。

ニックネームは先述した通り『オートロン』。もちろん僕がつけたわけでなく、ペンタックスがこんな愛称を付けて世に送り出した。これは初代だから、初代ウルトラマン、じゃなくて初代オートロン。同じ年にキヤノンが発売した完全自動化カメラの最初の名前がキヤノン・スナッピイ50。はい、オートロン対スナッピイ。どっちが勝つのか、ゴジラ対ガメラ。

いつものように、ロック史とともに見る1982年…
なんだけど、この年は月日のはっきりしていないものが多い。ごめんね。

 4月 1日 500円硬貨発行
 5月    ロキシー・ミュージック『アヴァロン』発表
       ブルース・スプリングスティーン『ネブラスカ』発表
 9月    ザ・フー解散
       イーグルス解散
       ドゥービー・ブラザーズ解散
10月 1日 ソニーが世界初のCDプレーヤーを発売
10月 4日 『笑っていいとも』放送開始
       NECがPC9801を発売
12月 1日 マイケル・ジャクソン『スリラー』発表

この年は大物バンドの解散が続き、ロックとは言い切れないようなポップスが主流となった。カルチャー・クラブのデビュー。TOTO IV 『聖なる剣』のグラミー6部門。クインシー・ジョーンズ、それに故マイケル・ジャクソン。

初代オートロンには4つの特徴がある。
1:コンパクト、2:オートフォーカス、3:オートストロボ、4:ワンタッチオープン。それで、広告のキャッチフレーズが『カタテ、カンタン、キモチイイ』いやいや、どうも、キモチイイってのがねえ…片手でナニをしてるのを見られたようで、恥ずかしいんだけどさーって。この広告の写真がまた凄いんだよ。

体操選手のような体格をした若いブロンドの白人男性が、白のパンツ一丁でオートロンのシャッターに指を掛け、片手腕立て伏せをしている写真。

カタテ、カンタン、キモチイイ

ということで、1982年のキーワードはカタテ(片手)。

ポケットからひょいとだせる500円玉もそうだけど、CD(コンパクトディスク)はそれ以前の音楽の方向(時間の流れ)をがらっと変えてしまった。それまでのレコード時代、僕達はレコード屋でLPレコードを買って、家で聴くだけではもの足らず、外にカセットとして持ち出せるように46分か54分のカセットテープを買って、A面からスプレーをかけて埃を拭って、ターンテーブルにうやうやしく載せて、耳を澄ませ、心を鎮めてゆっくりと、針を回転するレコードの溝の上にのせるのが儀式であったのだ。

なのにCDプレーヤーは、ワンタッチでトレーがオープンし、オートローディング、片手でカンタンに、聴くところまでこなすことができる。それにA面もB面もなく74分まで一気に鑑賞できる。まさに、エッチ、スケッチ、ワンタッチなのだ。

この頃、正直言って僕はCDに反対だった。いずれレコードの時代に戻るなんて本当に信じていた。こんなものを今までのミュージシャンが許すだろうか。LPレコードは短編小説のように時間に沿って流れるもので、尊敬するミュージシャンに対しては決して飛ばしてはならず、そのストーリーを順番に追っていくのが正しい聞き方なのだ。『ベガーズ・バンケット』のB面はストリート・ファイティングマンから始まらなければならないし、『ジョンの魂』のA面の最後の曲は孤独(アイソレーション)でなければならない。だが、テクノロジーの進歩とレコード会社はいつでも殊勝なミュージシャン達よりずっと強い。今どき音楽は曲ごとのダウンロードだもの。レコード大賞なんて言葉も死後。その場だけ、ぱあっと売れりゃあいいんだよって、なんやと、コラ、アホかおまえら。

怒っていても、僕は話を戻す。

僕は以前の記事で、マイケル・ジャクソンはロックではないと書いた。その考えは基本的に今も同じだ。これは僕の性格のねじれかもしれない。黒人音楽に関して、僕はロックだと思っている。オーティス・レディングだってジョン・リー・フッカーだって僕はロックの歴史を支えてきた人達だと思い慕っている。彼らはリアルだ。そういう意味では、レゲエのボブ・マーリィーだって、ジョー・ストラマーみたいにロックである。言わばここに一つの指針がある。ロック=ライフ。音は人間が弾くもの。だからそれがショーであればあるほどロックから遠ざかってしまう。

ならMJはどうか。

今になって、彼の死後にこんなことを言うと、とても後ろめたい気がするが、彼が死んでいろいろなことで取り上げられるたびに、想い出したり気づいたりしたことがたくさんあった。それを一つ一つ書くのはとても時間がかかるし難しい。ただ、二点だけこの場で取り上げるなら、一つは僕がバイブルのようにしている一冊の本がある。それは僕が高校生の頃、親友がくれたもので、ロックの名盤がアーティストごとにコメント付きで書かれている。僕は本当にこの本から多くを学んだ。そして、ここにはマイケル・ジャクソンの欄が堂々とある。編集長は知る人ぞ知る鳥井賀句氏。

もう一つは彼の書いた『ビリー・ジーン』がまぎれもない名曲であるということ。これは『スリラー』のB面の2曲め。A面は主題曲でもある『スリラー』で終り、B面はロックギターのノリのいい『ビート・イット』で始まる。もちろんこの構成は正しい。それにして見事なのはこの後に続くのが『ビリー・ジーン』だということだ。B面の2曲めはアルバムの重要な位置を占めることが多い。例を挙げれば『ジョンの魂』のラヴ、『イマジン』のオー・マイ・ラヴ、『アビイ・ロード』のビコーズ。

以上を持って、マイケルをこの度晴れてロックの仲間に入れようと思う。

おのおのがた、異存はあるまいな?

ちなみに皆さんの記憶にもあると思いますが、マイケルはその頃から片手(カタテ)にだけ白いピカピカの手袋をはめるようになりました。いろいろと憶測はあるものの、なぜなのかは今でも不明です。もちろんどこか具合の悪い僕のオートロンとマイケルの関係も。
ちなみに『ビリー・ジーン』は今やロックのカリスマとなりつつあるクリス・コーネルもカバーしています。このバージョンがまた素晴らしい。一度聴いてみる価値あり。

オートロン。ヤフーで検索すると、必ず『オートローン』ではありませんか?とでてきますが、なかなかシャープに写ります。35mm F2.8。小さなレンズですが5群5枚。ペンタックス特有の紫のコーティングが本当に美しい、今となっては安いカメラです。カタテ、カンタン、キモチイイ、はわかりますが、あの広告はどうなんでしょう。状況を説明するのに片手腕立て伏せ? 
僕にはカメラの凄さより、片手で腕立てをしながら写真を撮るお兄さんの方が凄く思えたりします。

ふーっ。今回もやっと、終わった……長くなりました……
ありがとう。

Konica Auto S3

時々こんなことがある。
深夜、ワインを飲みながらebayを覗いていると、ずっと前から心の隅でほんのりと気になっていた彼女、いや、カメラが目の前をふっと通り過ぎる。どうせ高嶺の花だとか、とんでもなく遠い所の話だと諦めながらも、追いかけてよく見ると、それがわりと近所で、まだ誰にも声をかけられていなかったりする。ずっと昔の美少女……憧れの朝倉南。どうせ自分には縁がないと思っていた彼女、いや、カメラが、そんな夜には自分の声に振り向いてくれそうな気がして、僕は叫ぶ。先の見えない暗闇に向かって、消え入りそうな自分の存在を確認するかのように、僕はキーボードを叩く。極めてebay的に、あさくらみなみをebay標準語のUSドルに変換する。

明け方、傷ついたKonica Auto S3は僕のもとにやってきた。
(Konica Auto S3、日本での名は、Konica C35 FD)
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1973年。
1月    ブルース・スプリングステーンが『アズベリーパークからの挨拶』でデビュー。
3月    ピンク・フロイド『狂気』発表。
      レッド・ツェッペリン『聖なる館』発表
5月    マイク・オールドフィールド『チューブラー・ベルズ』発表
7月13日 クイーンが『戦慄の王女』でデビュー
10月6日 第四次中東戦争勃発。
      オイルショックでトイレットペーパーや洗剤の買い占めが起こる
11月   ウィングス『バンド・オン・ザ・ラン』発表。
      ザ・フー『四重人格』発表。

コニカという会社はカメラに愛称を付けるのが好きらしい。コニカC35シリーズは基本的に『じゃ〜に〜コニカ』初心者向けが『気楽なじゃ〜に〜』、これに内蔵ストロボのついたのが『ぴっかりコニカ』時代が進んでオートフォーカス機能がつくと『じゃすぴんコニカ』

中でも、C35シリーズの最高機種である、かつての美少女、永遠の姫である僕のAuto S3嬢は、その性能の高さを誇り『すご腕じゃ〜に〜』と呼ばれている。

シャッター速度優先EE。バルブ、1/8秒から1/500秒。距離計連動。フラッシュマチック機構。当時としては画期的な日中シンクロ機構。レンズはヘキサノン38㎜1.8。絞り羽だって一眼レフなみの六角形。当時の最先端を凝縮した、まさにコンパクトカメラの女王。

クイーン。

デビュー当時、クイーンはあまりいい評価をされなかった。フレディー・マーキュリー曰く、録音は一年前に済ませてあり、レコード会社が発表した時点ではすでに時代遅れになっていた、と言う。それで、クイーン?鵺に続きブレイクするわけだが、当時、本国で酷評されたデビューアルバムだって、今聴いてもそんなに古臭い感じを僕は受けない。当時の最先端の詰め合わせと言えば、悪く聞こえるかも知れないが、いかにもブリティッシュロックという気品を随所に見せる、若くても懐の深さを予感させる好アルバムである。

ピンク・フロイド的なプログレッシグ・ロックの色。
レッド・ツェッペリンのハードロックなグルーブ。
ザ・フーのロック・オペラの要素。
ウィングスのメドレー形式と英国的な格調あるハーモニー。
オールドフィールドのオカルトのサントラにどこか通じるステージ・パフォーマンス。

1973年にクイーンは生まれ、1991年11月24日、世界的なカリスマ・ボーカリストであるフレディー・マーキュリーはこの世を去った。

以後もクイーンは解散することなく、ブライアン・メイとロジャー・テイラーがクイーン名義で活動を続けている。

God save the Queen

傷だらけのローラ、いや、Konica Auto S3は今、僕の鞄の中でぐっすり眠っている。僕は彼女を、いや、カメラを、そっとしている。できるだけ、がさごそしないよう気をつけて、充分の休養が取れるように案じている。それがかつての女王に対する、最低限の礼儀だと僕は思っている。もちろん、来たるべき時には写真を撮ってもらう。それまで、僕はじっと想像している。僕は傷口にそっと触れる。気づかれないよう、傷口にほんの軽くキスをする。そして、かつての美しかった姿を想い出そうとしている。

時々こんなことがある。

じゃ〜に〜。

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