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			<title>POETOGRAPHY</title>
			<description>35&amp;#13212;フィルムカメラで主にモノクロ写真を撮っています。
今は写真集をアップしていますが、これが済めばカメラの話なんかもできればと思っています。
コメント歓迎します。よろしく。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>POETOGRAPHY</title>
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			<description>35&amp;#13212;フィルムカメラで主にモノクロ写真を撮っています。
今は写真集をアップしていますが、これが済めばカメラの話なんかもできればと思っています。
コメント歓迎します。よろしく。</description>
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			<title>Absence page16</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025954/23/45439223/img_0?1346968231&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_1021_667&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;Bones, sinking like stones,&lt;br /&gt;
All that we fought for,&lt;br /&gt;
Homes, places we&amp;#39;ve grown,&lt;br /&gt;
All of us are done for.&lt;br /&gt;
we live in a beautiful world,&lt;br /&gt;
Yeah we do, yeah we do,&lt;br /&gt;
We live in a beautiful world,&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;Oh, all that I know,&lt;br /&gt;
There&amp;#39;s nothing here to run from,&lt;br /&gt;
everybody here&amp;#39;s got somebody to lean on &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;骨、石のように沈んでゆく&lt;br /&gt;
わたし達が戦ったすべて&lt;br /&gt;
家、育ってきた様々な場所&lt;br /&gt;
わたし達みんなで築いたもの&lt;br /&gt;
わたし達は美しい世界に住んでいる&lt;br /&gt;
本当に　わたし達は&lt;br /&gt;
素晴らしいところに生きている&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;逃げだす理由は&lt;br /&gt;
何もない　ここではみんなが&lt;br /&gt;
誰かに寄りかかっていられるから&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&amp;quot;Don&amp;#39;t Panic&amp;quot;    by Coldplay&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025954/23/45439223/img_1?1346968231&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_1072_712&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/45439223.html</link>
			<pubDate>Sun, 02 Oct 2011 12:10:02 +0900</pubDate>
			<category>詩</category>
		</item>
		<item>
			<title>Last Regrets</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1049789/13/44990813/img_0?1317524706&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_827_520&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;すごく個人的なこと。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;このブログを読んでくれて、僕の無事を案じている限られた人々に対して、この何ヶ月間かブログを更新しなかった理由を説明したいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;２０１１年の2月の終りに僕は仕事を変えた。変えたと言っても、同じ職種で、やっていることは僕のキャリアの延長線上にあるのだけれど、職場がずっと遠くなり、それに勤務時間が長くなったことで、ブログに費やす時間がほとんどなくなってしまった。それが第一の理由。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;その後、引っ越しをした。引っ越しと言っても前の住所から５分の距離だが、これに僕のエネルギーのほとんどすべてを使わなければならなかった。大切なものと、膨大な不要物に直面し、過去と言うものの重さと箱詰めにしたボリュームに圧し潰されそうになりながら、それらを仕分ける作業を追われるようにこなさなければならなかった。４月2日に奇跡の引っ越し。理由その２。それは今も続いている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そして、父が癌になった。４月の中頃に母から電話があり、父が胃癌であることがわかった。発見が遅れたらしく、ほとんどの胃を切り取り、周りに転移している癌も取り除くことになった。父はゴールデンウィーク明けの５月６日に入院。９日に７時間の手術をした。この間、僕は日本に帰ろうと思っていたのだけれど、父が『頑張るから、帰ってくるな』と言って、今も母との電話でしか状況がわからない。手術は一応終わったが、癌進行のレベルは手術後に上がりレベル３。これからも父は癌と共に生き、弱った体で戦っていかなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;生きている時間。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;生活に伴うボリューム。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この期間に、僕はこれだけの体験をした。これがブログを更新しなかった理由である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;でも、僕はブログを諦めずに続けていこうと思う。限られた自由な時間でもできる方法を見つけて、何らかの生きている証を記したいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今後、形体は変わるかもしれないけれど、僕はできることを小さいなりにでもやっていこうと思っている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/he7onLMzD6w&amp;feature=mfu_in_order&amp;list=UL&quot; width=&quot;560&quot; height=&quot;349&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;引き続き、ご愛顧のほどよろしく申し上げます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/44990813.html</link>
			<pubDate>Sun, 29 May 2011 18:22:54 +0900</pubDate>
			<category>写真</category>
		</item>
		<item>
			<title>Canon AT-1</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025953/95/44512495/img_0?1306665502&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_933_637&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は、キヤノンATー１。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１９７６年１２月。キヤノンのATー１は、海外だけで販売を開始された。この年の４月５日、ちょうど８ヶ月ほど前に、同社はたちまちベストセラーになり、ブームを巻き起こしたAＥ－１を発売している。この双子のようなカメラは、常に一緒に語らねばならない。ややこしくなりそうなので箇条書きで説明したい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;４月発売　AＥ－１&lt;br /&gt;
世界で初めてCPUを搭載した35&amp;#13212;一眼レフ。シャッター速度優先オート。&lt;br /&gt;
設計の根本から、５つの大きなユニットと２５の小さなユニットに分け、それをマイクロコンピュータが中央集中制御する方針を採用。電子化により部品点数を従来機より３００点減、また生産にも自動化を大幅に取り入れ、高機能、低価格を実現した。&lt;br /&gt;
キャッチコピーは、『連写一眼』&lt;br /&gt;
これが世界中で絶賛され、オートマティックカメラの先駆けとなった。&lt;br /&gt;
ボディーのみで、５００００円、５０&amp;#13212;／１．４付きで、８１０００円。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１２月発売　ATー１&lt;br /&gt;
上記、AＥ－１と同等のボディーに、追針式のマニュアル測光を入れただけのカメラ。&lt;br /&gt;
キャッチコピーもなし。&lt;br /&gt;
最終的に日本国内で販売されることはなかった。&lt;br /&gt;
販売価格、不明。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;キヤノンの苦しい公式見解を見ると、一部海外市場では、低価格とは言え、AＥ－１はやはり高額機種であり、＜保守的＞なマニュアル指向のユーザーも依然と多かった。このような要請に対して応えるべく、ATー１は開発されたらしい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;おそらく嘘であろう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;キヤノンは最初からATー１を製造していた。（この意見は『キヤノンAシリーズに萌え萌え』というホームページを持っておられるBISON氏から借りている）もし、AＥ－１という世界初のオートカメラが今までのユーザーから受け入れられなかった場合のことを考慮して、保険というか、じゃんけんの＜あとだし＞のような感じというか、先発ピッチャーがすぐにKOされたときの、つなぎのような役目というか……。とにかく、国内の写真家達は案外保守的ではなく、AＥ－１は飛ぶように売れた。それでまあ、せっかく作ったんだから、安いレンズとセットにして外国に出せば、国内的にキヤノンの名前に傷もつかないし、案外ビビってたという本心もばれないだろう、ということで、ATー１は廻り廻って、今僕の手元にある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ロック史と見る１９７６年。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１月１６日　ボブ・ディラン『欲望』発表。&lt;br /&gt;
１月２０日　ヤマト運輸『宅急便』発売。初日引き受け個数は2個。&lt;br /&gt;
３月　　　　ビーチボーイズ　結成１５周年を迎え『偉大なる１５年』を発表。&lt;br /&gt;
４月２３日　ラモーンズ『ラモーンズの激情』でデビュー。&lt;br /&gt;
６月２６日　アントニオ猪木対モハメド・アリ戦。武道館で行われる。&lt;br /&gt;
７月　７日　モントリオール・オリンピック開催。&lt;br /&gt;
１０月　　　レッド・ツェッペリン『永遠の詩』ライブ映画上映。&lt;br /&gt;
１１月　　　ジャクソン・ブラウン『プリテンダー』発表。&lt;br /&gt;
１２月８日　イーグルス『ホテル・カリフォルニア』発表。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;実は、１９７６年について、以前ペンタックスＭＥの項でやっているのです。&lt;br /&gt;
ですから、少し違う角度から見た１９７６年とは。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アメリカの夢の終り。『ホテル・カリフォルニア』（アルバム）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１９７６年はちょうどアメリカ建国から２００年目にあたる。&lt;br /&gt;
ドン・ヘンリーもインタビューで答えているように、このアルバムは２００年という節目に立って、アメリカ、とりわけ開拓期間から楽園のように思われ、人々を集めてきたカリフォルニアの行き詰まった現実を歌ったコンセプトアルバムである。最も良く知られる、意味深な歌詞で色々な解釈の尽きない、一曲目の『ホテル・カリフォルニア』にもその暗い影は濃く落ちている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アメリカのフロンティアは東に始まり西へ西へと進んできた。ヨーロッパから大西洋を渡り、あるところで土地を所有し定住した人達もいれば、そこで上手くやっていけずに、広い大陸をより良い場所を求めて、人々が数珠つなぎになって移動してきた。ある人は夢や希望を持ち、ある人は隠れ場所を求めるようにして。もちろんスタインベックの『怒りの葡萄』を読めば解るように、現実は厳しく、楽園なんてなかったのだけれども、その温暖な気候と豊かな土地、ハリウッドに代表される華やかさがいつまでも人々を魅了してきた。美しき罠。甘い蜜。ネオンサイン…ってやっぱり惹かれてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;欲望を満たすためだけの場所が『ホテル』であり、『ホテル』にはたくさんの部屋がある。誰もがようこそと招き入れられ、ある部屋ではドラッグ、ある部屋ではセックス、見えない裏側では暴力が行使されている。全てはマネーであり、トレンドの追求であって、スピリットなどはとうに失われてしまったのだ。気がつけば、そこを短絡に享受していた自分があり、昔を思い出しここから抜け出そうとするが、容易には抜け出せない……。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ジャクソン・ブラウンの『プリテンダー』もそうだけれども、この年のアメリカには心情的に行き場を失った感じと、強大に膨れ上がった資本主義という権力が引っ張り合って悲鳴を上げつつあるような感じがする。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;だからかどうか、この年の１１月2日に行われた大統領選挙では民主党のカーターが初当選しているし、ナイフを突き立てるようにしてロックを革新する、パンク・ミュージックの筆頭ラモーンズが衝撃的なデビューを飾っている。アントニオ猪木がモハメド・アリとがんじがらめのルールであっても、敢えて対戦したように、時代は沸々と、自らを見失いそうになる悪夢のような現状から、打破を求めていたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;（アルバム）『ホテル・カリフォルニア』は、ドン・ヘンリーの歌う『Last Resort』という美しい曲で締めくくられる。これはアメリカのフロンティアという精神の終りと、資本という欲望が当然のように破壊していく環境問題を扱っている、ロックとしては珍しい種類の曲である。自然を破壊して作り上げられる新しい楽園とはいかなるものか、それをドン・ヘンリーが長々と、７分以上もかけて歌うのだが、この『Last Resort』というタイトルがどのような意味を込めて付けられたのかが興味深い。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『Last Resort』は通常『最後の手段』とか『頼みの綱』とか、そういう意味で使われる。この曲を頼みの綱として、環境問題とか、アメリカ人の失ったスピリットの回復に呼びかける意味で付けられたのか、それとも、最後の手段の後に、失われてゆくものを追悼して付けられたのかを考えさせられる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;キヤノンはAＥー１によって新たな道を切り拓いた。一大ブームとなったこのオートマティックカメラは４００万台を販売した。（アルバム）『ホテル・カリフォルニア』の売り上げ枚数、アメリカ国内だけで１６００万枚には到底及ばないけれど、同じ年に大ヒットした（シングル）『およげたいやきくん』が４５０万枚だから、相当な数だと言っていい。日本はアメリカに比べて平和と言うか、この頃はノーテンキだったんでしょうねえ。ちなみにピンクレディーが『ペッパー警部』でブレイク。都はるみの『北の宿』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』が上半期の芥川賞を受賞。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;このようなベストセラーの陰で我がATー１は生まれ、ひとつのメッセージを僕に伝えてくれました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『Last Resort』&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;キヤノンがこっそり製造したATー１は、僕の仮説によるとキヤノンの『頼みの綱』であったように思われます。最新の技術を駆使して、今までにないものを発表するのは、かなりの勇気と覚悟が必要だったでしょう。キヤノンは大見得を切るAＥー１の、失敗の代償として、ATー１を懐刀のようにしたのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【追記】&lt;br /&gt;
このカメラ、とてもいいカメラです。僕はAＥ－１も持っていますが、どちらかと言うとATー１の方が好きです。『連写一眼』なんてコピー、意味もよく解らないし……。慌てずに、ゆっくりマニュアルで露出を合わせるほうが、お米を噛んで食べているような、充実した気持ちになれますよ。FDレンズの写りも◎。個人的には最新のスマートなＥFレンズよりも個性があるように思えます。外観もどこかストロングスタイルで、ほら、格好いいではありませんか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/44512495.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Jan 2011 17:08:42 +0900</pubDate>
			<category>洋楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>Absence page 15</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025954/44/44281644/img_0?1295336995&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_967_631&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;STONE PIECE&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;Find a stone that is your size or weight.&lt;br /&gt;
Crack it until it becomes fine powder.&lt;br /&gt;
Dispose of it in the river. (a)&lt;br /&gt;
Send small amounts to your friends. (b)&lt;br /&gt;
Do not tell anybody what you did.&lt;br /&gt;
Do not explain about the powder to the&lt;br /&gt;
friends to whom you send.&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1963 winter&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
Yoko Ono “grapefruit”&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
石の作品&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;あなたのサイズか同じ重さの石を一つ見つけること。&lt;br /&gt;
そして、それがさらさらの粉になるまで砕くこと。&lt;br /&gt;
川にその粉を流しなさい。(a)&lt;br /&gt;
小さく分けてあなたの友人達に送りなさい。(b)&lt;br /&gt;
あなたのしたことを決して誰にも言わないこと。&lt;br /&gt;
届けた人達に対して、その粉が何であるのか、&lt;br /&gt;
いっさい説明しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１９６３年　冬&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
ヨーコ・オノ『グレープフルーツ』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025954/44/44281644/img_1?1295336995&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_981_642&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/44281644.html</link>
			<pubDate>Sat, 27 Nov 2010 10:30:36 +0900</pubDate>
			<category>詩</category>
		</item>
		<item>
			<title>miniature vancouver page 13</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回のミニチュア・バンクーバーは、以前に紹介したリッチモンド市の《新市街編》である。前回の《旧市街編》で取り上げた、スティーブストンの記事の日付が２００８年１０月となっているので、ちょうど2年が過ぎたことになる。2年前か……。時間的には北京五輪が終わって、みんな一息ついた頃だったろう。ずっと前のことのようにも、つい最近のことのようでもある。僕は今と同じ格好で、ブログを書いていたと思うけれど、上野さんだったっけ、あの五輪のソフトボールが凄かったんだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;リッチモンド市は、一番大きなルル島、バンクーバー国際空港のある海島（Sea Islandという名前)を含む、１３の小さい島々で構成されている。フレーザー川の堆積土でできた陸地だけに、海抜が０から１２メートルくらいしかなく、島の周囲にはダイクと呼ばれる土を盛った堤防が築かれている。これらの条件のため、地下のある家屋は少なく、また空港が近いことから、ビルの高さも１５０フィート（４６m）までに規制され、どことなく、だだっ広い印象を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ヤオハン・スーパーマーケット(今は中国企業が経営）の裏側&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025952/06/44138106/img_2?1290822292&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_831_578&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;PENTAX６４５で撮影。Ilford Delta100使用。 D76 1:1にて現像。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;BC州で４番目に人口が多い市で、海外からの移民の人口が全人口の５９％（カナダで最高）、そしてそのほとんどが１９９０年以降に来た、香港、台湾、中国本土からの移民である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;わりと中国。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;漢民族の大移動。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この大移動は１９８４年の英中共同声明により、香港返還が１９９７年の７月１日に決まったことに起因する。それ以降、英連邦であるカナダに香港系の華人の移民が多くなり、１９８９年に起こった天安門事件の翌年には６万２千人が移民、バンクーバーは（くだらないけれど）ホンクーバーとまで揶揄されるようになる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;その後はリッチモンド市の（今やメインストリートである）No.３ロード沿いに中国系スーパーマーケットやショッピングモールが乱立され、中国語のみで書かれた商品や、多数の中国語新聞が発行され、売る方も買う方も中国語を喋ると言う状態で、まったく英語を理解しないでも生活できるというような街ができた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;けっこう中国。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;前回の《旧市街編》で、リッチモンド市を大阪ベイエリア（住之江区）になぞらえたことをふまえて、この《新市街》を当てはめるならば、その最も適した場所は何を隠そう、大阪市此花区となる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;大阪市此花区も昔は漁業と農業で栄え、その後阪神工業地帯の中心となる巨大工場が田畑の後に建設されたが、１９８０年以降重工業が振るわなくなり、将来を模索していた。その後の動きとして２００１年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開業、２００８年のオリンピック誘致のため（失敗）人工島である舞洲にスポーツアイランドを造成し、あげくの果てに、巨大でセンスのないラブホテルかと思わせる、下水処理場とゴミ処理場まで建ててしまった。フンデルトヴァッサーという人の建築らしいが、莫大な税金がつぎ込まれたことは言うまでもない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;もちろん此花区は悪くない。すべては大阪府、大阪市に責任がある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それで、此花区とリッチモンド市の新市街のどこが似ているのかと言う話だが、どちらもデルタ地帯で海抜が低いこと。二つの大きな川に挟まれていること。どちらもオリンピックに関係していること。バンクーバー五輪の会場になったリッチモンド市。大阪が負けて、２００８年にオリンピックを開催したのが中国の北京であったこと。北京で起きた天安門事件とリッチモンド市の中国人移民の関係。オリンピックが北京に決まったのが２００１年、同年に此花区にUSJがオープン。これだけ観ても、どこか因縁のある奇妙な三角関係に思えないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それに、リッチモンド市と大阪市此花区にはどちらも海底トンネルがある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;此花区のそれは、安治川トンネルと呼ばれ１９４４年に竣工。日本初の沈埋工法（潜函工法）によるトンネルであるらしい。両岸には（此花区と西区）エレベーターがあり、歩行者、自転車が、地下１５メートルまで降りて約８０メートルの通路を横断するという仕組みで、もちろん今でも現役である。（僕も昔、自動車教習所に通うのによく利用させてもらいました。）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;対して、リッチモンド市のトンネルは、フレーザー川の対岸にあるデルタ市とを結ぶ４車線の自動車用のトンネルで、ジョージ・マッシー・トンネルと呼ばれている。１９５９年竣工。建設にはプレキャストコンクリートで作った６つのトンネルを浮かべておき、繋いで沈める（沈めてから繋ぐ？）北米で初めての方法が用いられたらしい。最深部が２５メートル。全長は６２９メートル。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;建設方法や規模、利用客のタイプは違えども、この海底トンネルはリッチモンド市と大阪市此花区をしっかりと結んでいるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ちなみに、もっと古い中国系移民はバンクーバー市に多く、チャイナタウンを形成している。これは世界の大きな都市だとどこでもそうだけれど、メトロ・バンクーバーでは５人に１人が中国人。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;かなり中国。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アバディーン・センターのフード・コートから&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025952/06/44138106/img_3?1290822292&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_831_597&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;PENTAX６４５で撮影。Ilford Delta100使用。 D76 1:1にて現像。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アバディーン・センターは今一番人気のあるアジア（中国）系ショッピング・モールで、中には日本からのダイソーもあります。値段は１００円ではなく一律、2ドル。円とカナダドルの為替でしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それでは、この項、終了。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/44138106.html</link>
			<pubDate>Thu, 28 Oct 2010 11:49:33 +0900</pubDate>
			<category>北アメリカ</category>
		</item>
		<item>
			<title>PENTAX 645</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025953/81/43975481/img_0?1288071036&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_1001_664&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;カメラの書庫&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回はずんぐりした、PENTAX645。シャッター速度は１０００分の１秒から１５秒まで、中央重点測光、自動巻き上げ、そして、最大の特徴（とりえ）はブローニー・フィルムで、6x4.5センチの大きさの写真が撮れること。これは35ミリフィルムに比べて、約３倍のフィルム面積にあたる。つまり、より精細な写真が撮れるというか、まあ、デジタル的に説明するなら画素数、つまり情報量が３倍であると言うことだろうか。１９８４年発売。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それでは、半年ぶりの（！）ロック史とともに見る１９８４年。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１月２４日　　アップル・コンピュータ『マッキントッシュ』発表&lt;br /&gt;
　　　　　　　ヴァン・ヘイレン『１９８４』発表&lt;br /&gt;
２月　　　　　ボン・ジョヴィ、デビュー&lt;br /&gt;
　　　　　　　『Footloose』のサントラ発売。爆発的に売れる。&lt;br /&gt;
３月　　　　　江崎グリコ社長、何者かに誘拐される（グリコ、森永事件）&lt;br /&gt;
　　　　　　　スタイル・カウンシル『Cafe Bleu』発表&lt;br /&gt;
４月１日　　　マーヴィン・ゲイ、父親によって射殺される&lt;br /&gt;
６月　　　　　プリンス『Purple  Rain』発表&lt;br /&gt;
　　　　　　　ブルース・スプリングスティーン『Born in the USA』発表&lt;br /&gt;
８月　　　　　レッド・ホット・チリペッパーズ、デビュー&lt;br /&gt;
９月　　　　　デビッド・ボウイ『Tonight』発表&lt;br /&gt;
１０月　　　　ブライアン・アダムス『Reckless』発表&lt;br /&gt;
１１月２９日　バンド・エイド『Do they know it’s Christmas？』発売&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;久しぶりなので、いつもより多めに書きました。これも情報量の多さ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ですから今回は、話せば長い物語。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１９８４年１１月２５日　午前９時　ロンドン　曇り&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この日、エチオピア飢饉のチャリティーとして、ボブ・ゲルドフ（ブームタウン・ラッツ）とミッジ・ユーロ（ウルトラヴォックス）が曲を作り、２４時間だけSARMスタジオを無料で借り、当時イギリスで人気のあったミュージシャン達を集め、一枚の記念すべきレコードを作った。このバンド名をバンド・エイドと言い、この時録音した曲が『Do they know it’s Christmas？』である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;報道陣の群がる中に、続々とミュージシャン達がスタジオ入りしていく。デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、ポール・ヤング、（ボーイ・ジョージを除く）カルチャー・クラブ、ジョージ・マイケル（ワム！）、クール＆ザ・ギャング（なぜ？）、スティング、ボノとアダム・クレイトン（U２）、フィル・コリンズ、ポール・ウェラー（スタイルカウンシル）、バナナラマ等々、ちなみにこの時、ボーイ・ジョージはニューヨークでまだ眠っており、ボブ・ゲルドフに電話で叩き起こされる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ミッジとボブは、先ず集まったメンバー全員にコーラス部分を歌わせ、録音し、その後、一人ずつのボーカリストに一曲を通して歌わせている。これは誰がどのソロ・パートを歌うかを決める重要なテストであり、また歌う方にとっては自分の見せ場でもあった。皆が牽制し合う中、最初にマイクの前に立ったのは、スパンダー・バレエのイケメン、トニー・ハードリー（どこか宝塚的な感じのする）であった。この時歌った中で、最もボブに強く意外な印象を与えたのがボノである。まだこの頃のU２は、ポスト・パンクバンドの兄ちゃんくらいにしか認識しかされていなかったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ボブ・ゲルドフの作詞した『Do they know it’s Christmas？』の歌詞はこのように始まる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;クリスマスには&lt;br /&gt;
恐れるものは何もなく&lt;br /&gt;
クリスマスには&lt;br /&gt;
光が溢れ　影が消える&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;私達の満ち足りた世界では&lt;br /&gt;
喜びの微笑みは広がり&lt;br /&gt;
手を取り合い肩を抱きかかえる&lt;br /&gt;
年に一度の　特別な日に&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし　祈ることがあるんだ&lt;br /&gt;
私達の知らない人達のために&lt;br /&gt;
幸せを楽しんでいる&lt;br /&gt;
こんな時に　難しいけれど&lt;br /&gt;
窓の向こうに広がる世界には&lt;br /&gt;
恐れに震えている人達がいて&lt;br /&gt;
そこを流れる水は&lt;br /&gt;
ほんの頬をつたう苦い涙だけ&lt;br /&gt;
クリスマスの鐘の音さえ&lt;br /&gt;
彼らには破滅の響きに聞こえるのだ&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そうさ　私達は今夜神に感謝する&lt;br /&gt;
それが私達でなく　彼らであったことに&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この歌詞の最後の部分。ボブ・ゲルドフがどうしても入れたかった現実感、誰も言いたがらないが、不幸が自分のものでなく、他人であってよかったという本音の部分。ここをボノに歌わせようとボブは決める。一通りセッションの終わった後、それを知らないボノはボブ・ゲルドフに、あの部分だけは歌いたくないと告げる。それは当時まだ硬派な社会批判やロマンティックな宗教観をベースにして、静かに底から震えるようなロックをしていたU２にとっては相反する歌詞であったと思う。しかし。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「あのパートは君に歌ってもらおうと決めた」とボブは言った。「あそこを歌えるのは、君しかいないのだ」と。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;結局、ボノはこれを受け入れ、髪型の可愛いスティングと、当時人気のあったサイモン・ル・ボン（デュラン・デュラン）との間に挟まれ、とても真摯に、祈るように歌っている。まさにこの部分が下品にならなかったのは、ボブ・ゲルドフが求めていた、ボノの人間的な深みのためだったと言えるのかもしれない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
ちなみに、１９８４年から２０年後の２００４年、今度はスーダン救済のために録音されたバンド・エイド２０の『Do they know it’s Christmas？』にもボノは参加し、同じパートを歌っている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ボノ曰く、「あのパートの歌い方は、あれからずっと気になっていた。あそこは本当はシャウトするべきではなかったんじゃないかって。だから今回もあそこを歌って、歌い方を変えようと思った。本当は、ささやくように歌うべきなんだって、わかったからさ」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;よかったら、聞いてみてください。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「……」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;あまり違わないと思うのですが。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それからも、プロデュースも担当しているミッジ・ユーロによって録音は続けられ、先ず最初のパートは、ポール・（every time you go away)ヤングが歌い、当時のスター達が、それぞれに割り当てられたパートを録音していく。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;午後六時。ボブに電話で叩き起こされたボーイ・ジョージ（カルチャー・クラブ）がコンコルドでロンドンに到着し、SARMスタジオで録音をすませると、全ての予定が終了。後はボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロでのミックス作業となり、それが終わるのが１１月２６日の午前８時。ボブ・ゲルドフは最後に声明を録音している。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「このレコードは１９８４年１１月２５日に録音された。現在、２６日の午前８時。私達は２４時間ここにいたことになる。さあ、家に帰ろう」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;レコードは大急ぎでプレスされ、ビートルズの『サージェントペパーズ』を手がけたことで有名な、ピーター・ブレイクのジャケットを冠して、１９８４年１１月２９日に発売される。この記念すべきレコードは飛ぶように売れ、シングル・チャートでの売り上げ３５０万枚を記録。翌年のUSA・フォー・アフリカ、世界2大都市同時進行のライブ・エイドに発展し、いわゆるチャリティー・ブーム（そんなブームがあるとして）を巻き起こすことになる。この売り上げ枚数は１９９７年、ダイアナ妃を追悼したエルトン・ジョンの『Candle in the Wind』の売り上げ、５００万枚まで、抜かれることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;もちろん過去にも、チャリティーの音楽活動はあった。でも一曲にこれだけのスターを一斉に集めて、一緒に歌わせて、映像を記録し編集し、MTVでPVを流して基金を集めたことは今までになかった。この一曲に詰められた情報量の多さ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ちなみに、この映像はyoutubeで見られる。探していくと、メイキング・オブ的なものもあり興味深く、今回の書庫のネタもそれらを下敷きにしている。現在と比べてみるとよくわかると思うが、あのスタジオで真面目にチャリティーとして参加している人達だけが今でも一線で活躍している。ボノ、スティング、ポール・ウェラー等。それ以外の当時売れていたスター達は、パーティーみたいな感じで集まってきて、遊んでいるように見えてしまう。誰とは言わないが、メディアに対しても自分たちのことしか語らず、エチオピアの飢饉なんてすっかり忘れている。そうして彼らは消えていった。いや、細々と十両くらいで相撲を取っているのかもしれないが、それらはテレビでは映らない。彼らは時に本来の仕事とは関係なく、彼らの起こしたニュースで存在を確認されたりする。ありがちなパターン。いちいち、誰とは言わないが。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;だから、何にでも真面目に取り組もうと言う話ではなく、忘れていました、PENTAX645。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;このカメラ、ずんぐりして大きいので、今どきこれを首からかけて歩いていたりすると、それは何だと聞かれたりする。一昔前の、いや、もっと前のビデオカメラくらいの大きさはある。変な奴だと思われているのかもしれない。だからかどうか、このカメラを構えた時、一瞬まわりがしんとなる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「……」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１９８４年１１月２６日　午前８時　ロンドン　曇り&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;さあ、家に帰ろう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/43975481.html</link>
			<pubDate>Sun, 26 Sep 2010 04:05:01 +0900</pubDate>
			<category>その他趣味</category>
		</item>
		<item>
			<title>Absence page14</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025954/93/43770693/img_0?1285441640&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_681_491&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
Mangaを読んでいたり&lt;br /&gt;
テレビのTalk Showを観て&lt;br /&gt;
笑っている彼女に触れて　&lt;br /&gt;
僕は　生きている感覚を取り戻す&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;何がおもしろいのか&lt;br /&gt;
そんなことはどうでもよくて&lt;br /&gt;
笑っている彼女に触れて&lt;br /&gt;
僕は　生きている感覚を取り戻す&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;頭のてっぺんから&lt;br /&gt;
手の指や　足の先まで　笑って&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;あたりまえのようだけれど&lt;br /&gt;
生きているとは不思議なことだ&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;おもしろさを　想像する　&lt;br /&gt;
彼女が笑って　僕が笑う&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そうすると急に&lt;br /&gt;
Ramenが食べたくなったり&lt;br /&gt;
朝までDriveしたくなったり&lt;br /&gt;
Stonesが聞きたくなったりする&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;２０１０年の夏　長過ぎる午後　&lt;br /&gt;
背が伸びた彼女がMangaを読んで笑い&lt;br /&gt;
老いた僕がミック・ジャガーのように&lt;br /&gt;
悪魔を憐れみ　Danceする&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025954/93/43770693/img_1?1285441640&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_397_622&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/43770693.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Aug 2010 17:33:16 +0900</pubDate>
			<category>詩</category>
		</item>
		<item>
			<title>poetography 動画</title>
			<description>..............&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.youtube.com/watch?v=pllDtYWV3OQ&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;poetography&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;font class=&quot;Apple-style-span&quot; color=&quot;#54466F&quot;&gt;（以前に作った『poetgraphy』の動画をトップページに貼付けました。ここからyoutubeに設けてある　thekeieichi　のチャンネルに行くと『home:』の動画も見ることができます）&lt;/font&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-family:Times;line-height:normal;font-size:16px;&quot;&gt;
&lt;div class=&quot;wiki&quot; style=&quot;position:relative;font-size:0.75em;line-height:1.4;word-break:break-all;word-wrap:break-word;overflow-x:hidden;overflow-y:hidden;&quot;&gt;写真を撮り始めてしばらくすると、自分の表現方法らしきものがわずかに見えたような気がした。&lt;br&gt;
一枚の写真（プリントの完成度）だけで勝負できる写真家もいるけれど、どうも僕はそういうタイプではないようだった。たどり着いたのが写真集。言葉と写真で、伝えたいものが、よりうまく伝えられるか。言い忘れていたが、もともとは詩を書いていたのだ。コンテスト応募のために、『POETOGRAPHY』（２００６年）、『home:』（２００７年）の二作を作った。どちらも出版にはいたらず、それぞれこの世で一冊だけしかない。しかし、このまま埋もれさせるのももったいなく思え、この場を借りて発表することにした。できれば、温かく見守ってあげてくれますように。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br&gt;
&lt;div class=&quot;wiki&quot; style=&quot;position:relative;font-size:0.75em;line-height:1.4;word-break:break-all;word-wrap:break-word;overflow-x:hidden;overflow-y:hidden;&quot;&gt;２００８年３月　螢　映池&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br&gt;
&lt;div class=&quot;wiki&quot; style=&quot;position:relative;font-size:0.75em;line-height:1.4;word-break:break-all;word-wrap:break-word;overflow-x:hidden;overflow-y:hidden;&quot;&gt;追記：　写真集のUPがとりあえず終わり、新たに書庫を３つ増設しました。&lt;br&gt;
『Absence』（仮称）は未完の第三写真集。&lt;br&gt;
『mini van』と 『Camera』は趣の少し異なる書庫です。&lt;br&gt;
今後ともよろしく。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br&gt;
&lt;div class=&quot;wiki&quot; style=&quot;position:relative;font-size:0.75em;line-height:1.4;word-break:break-all;word-wrap:break-word;overflow-x:hidden;overflow-y:hidden;&quot;&gt;２００８年５月　螢　映池&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/43673965.html</link>
			<pubDate>Mon, 26 Jul 2010 14:30:37 +0900</pubDate>
			<category>写真</category>
		</item>
		<item>
			<title>miniature vancouver page 12</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;久しぶりのミニチュア・バンクーバー。&lt;br /&gt;
今回の場所は、ホワイト・ロックと言う名前の小さな市。以前に書いた広大なサーレー市の一部をひっそりと間借りしているようにも見えるのだが、ここが喉元というか、サーレーの下顎というか何というか……また、例のゾウの横顔マップを見て頂きたい。（赤い部分です）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025952/85/43503885/img_0?1279964684&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_795_600&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ホワイト・ロックは、バンクーバー島との入り海であるジョージア海峡に面し、その遠浅の美しく広い砂浜で有名である。１９１３年にBC州のバンクーバーからアメリカのワシントン州シアトルまで続く鉄道の駅が、ホワイト・ロックに設けられると、その砂浜を目当てにバンクーバーやニュー・ウエストミンスターから多くの避暑客が訪れるようになった。同時期に開業し始めた複数の製材所の影響もあり、街はにわかに賑わいを見せるようになっていく。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１９５０年代になり、サーレー市の都市計画から孤立させられていると感じるようになったホワイト・ロック地区（この頃はサーレー市の一部）は、州政府から特別な補償を受け、５７年に正式に市として発足する。そのようないきさつで、この喉元というか、気をつけないと二重顎になりかねない微妙な場所に、ホワイト・ロックと言う名前の小さな市が誕生したのである。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;書いていて思い出したのだが、昔、僕の友人が『豚晴』で豚カツを食べて、衣の固さに『上顎をやられた』と言っていたが。これは余談……しかも下顎……&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;４５０メートルある、ホワイト・ロックの桟橋。ちなみにビーチの長さは２．５キロもある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025952/85/43503885/img_1?1279964684&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_1045_661&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
Minolta HI-MATIC 7Sにて撮影。 Ilford Delta 100使用。 D76 1:1で現像。 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;さて、ホワイト・ロックという名前。原住民の言い伝えによると、昔々、若い海の神がバンクーバー島のカウチン族の姫と恋に堕ち、結婚を誓ったが許されず、失意と怒りのなかで、この海の向こうで姫と新しい部族を作ろうと白い岩をジョージア海峡の向こうに投げたと伝えられている。海の神が希望を託して投げた、白い岩のたどり着いた場所がこのホワイト・ロックという浜辺らしい。ここで海の神とカウチン族の姫は新しい生活を始める予定だった。証拠に、その白い巨岩は実在する。高さ４メートル、重さ４８８トンの白い岩は今でもホワイト・ロックの砂浜にあって、記念写真を撮られたり、鳥に糞を落とされたり、卑猥なラクガキをされたりしている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;（地理学的に言うと、氷河期の終りに沿岸の山から運ばれてきて、氷が溶けビーチに残ったと説明されている。実際、白い花崗岩であると言われているが、今はラクガキを消すために定期的に白いペンキを塗られており、みょーに白い。）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;南海電車に乗り、サーレー市ではなく、堺市に向かうと石津川という川にあたる。ここはまだ堺市西区だが、それは些細なこと。古代の神々の話から、現在の行政区画に従い、定規で線が引けるものであろうか。過去のホワイト・ロックがサーレーに含まれていたように、多少の含みを許して頂きたい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;さて、ホワイト・ロック市は南海本線石津川駅より南に、諏訪ノ森駅、浜寺公園駅、羽衣駅、高石駅の周辺にあたり、ビーチは、夏目漱石の『行人』にも出てくる有名な浜寺公園とする。古くから白砂青松の景勝地として和歌に詠まれ、多くの貴人歌人達が遊覧に訪れた浜寺は、大久保利通の下手な歌の助けを借りて、明治６年に日本最古の公園と指定され、それ以降も関西の避暑客を集めている。ここらはさして珍しくもない。さて、では白い岩の符合はいかに？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ここで僕達は高石駅から引き返して石津川駅に戻る。（ちなみにこの間にある諏訪ノ森駅と浜寺公園駅の駅舎は登録有形文化財に登録されている。どちらも阪神間モダニズムの雰囲気を残しており、特に浜寺公園駅は日本銀行とか大阪市中央公会堂とかを手がけた辰野金吾と言う人が設計したものらしい）この石津川駅のやや南、石津川のすぐ北側に石津太神社がある。この辺りは昔浜であったらしく、イザナギ、イザナミの生んだヒルコが流れ着いた場所とされる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ヒルコとは『古事記』にある国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神である。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。漂着したヒルコは携えていた五色の神石を、今の石津太神社の鳥居の前あたりに置いたと言われる。五色の石を置いた場所を『石津』といい、五色の石は埋められて、封をするように大きな石（岩）が今でも置かれている。ちなみに石津太神社は戎宮であり、ヒルコ→蛭子→エビス→戎を祀っている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;五色の石の色が何色であったのかは知らない。封をしてある岩は写真で見る限り、（行ったことはございません）神社にある普通の石の色（グレー）であるが、カナダの神が投げた岩と、日本の神の流した石が辿り着いた場所の符合（この場合ホワイト・ロック市と石津ー高石間）は何と興味深いではないか？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;晴れて、ホワイト・ロックは大阪の地図の上に重なり合う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;よし。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;下が、証拠の白い岩。家族が記念撮影をしています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1025952/85/43503885/img_2?1279964684&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 3&quot; class=&quot;popup_img_1042_673&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
Minolta HI-MATIC 7Sにて撮影。 Ilford Delta 100使用。 D76 1:1で現像。 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『豚晴』の関係者の方、僕の友人の昔の発言に気を悪くされたらすいません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『やめとけ。上顎やられるぞ』とも、よっぽど腹が立ったのか、彼は顔をしかめて僕に余計な世話までやいてくれましたが……。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/43503885.html</link>
			<pubDate>Thu, 24 Jun 2010 13:25:05 +0900</pubDate>
			<category>写真</category>
		</item>
		<item>
			<title>２０１０年　５月</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-64-c3/poetography35/folder/1047473/12/43503812/img_0?1277352509&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_858_570&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
４月１日から２週間、日本に子供と二人で帰った。前に帰った時から３年半ぶりになる。２７で日本を出てかれこれ１５年になるが、今回の帰省がなぜか一番思い出深い。もちろん歳を取ったせいもあるだろう。僕も両親も子供も友人も、世界がまんべんなく歳を取ったせいで、物事の見え方はずいぶん変わってくる。新しくなった部分、変わっていない部分がどれも新鮮で、忘れていたことをたくさん思い出させてもらえた。上手く説明できないけれど、今回は《しみじみ》いいなと思った。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;カナダに戻って、僕は愛用するギターの弦を張り替えた。１８の時に買ったフェンダーのテレキャスター。２１の時に買ったタカミネのエレアコ。この１５年間一度も張り替えていなかった弦を新調し、ハモニカホルダーも、カポタストも、新しいピックも３つ揃えた。これが現在の僕の心境。《しみじみ》が、何度か転がっていくうちにこうなったのだろう。Like a Rolling Stone。よし、これから毎月このブログに『目標』を掲げてみようか。写真集ブログだけれど、いいじゃないか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;５月の目標は『唄』を一曲作る。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;２０１０年　５月&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/poetography35/43503812.html</link>
			<pubDate>Thu, 24 Jun 2010 13:08:29 +0900</pubDate>
			<category>邦楽</category>
		</item>
		</channel>
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