|
終戦記念日:平和の尊さ、語り継ぐ−−元特攻隊員・秋田の佐藤さん /秋田
8月15日11時2分配信 毎日新聞
◇『8・15迎える度、戦争の記憶がよみがえる』
「あのころの空の色は今とは全然違う。もっと真っ青だった」。そう言って佐藤直一郎さん(77)=秋田市=は夏空を見上げた。8月15日を迎える度に、戦争の記憶がよみがえる。特別攻撃隊(特攻隊)を志願し、死と隣り合わせで生きた日々が鮮やかな青い空の記憶とともに、今も消えずに残っている。
戦闘機の操縦士を目指した15歳の「軍国少年」は、敵機を見逃さぬ訓練のために、と青空を見つめ続けた。親に黙って海軍甲種飛行予科練習生、通称「予科練」の試験を受け、合格した。終戦直前の1945年7月、海軍通信学校がある山口県防府へ。
「小さいころから『お国のため』という教育を受け続け、国のために死ぬことに抵抗はなかったし、死への恐怖感は全くなかった」。家を旅立つとき、父は振り向かなかった。母は駅ホームで送り出す人垣の後ろから、そっと見送った。
「貴様ら1人2人死んだってどうってことねえ」。班長の怒声が響き、殴られた。「秋田出身で泳げないとは何事だ」。泳ぎの訓練でしごかれた。ある時、上官が告げた。「特攻隊に志願する者はいないか」と。特攻隊が死を意味すると知っていたが、ためらいはなかった。上官は「一人息子と長男は跡取りがいなくなるから除外する」と言ったが、「弟がいるから何とか入れてください」と食い下がり、参加を認められた。7月末のことだった。
8月15日の玉音放送。「もっと頑張れ」と言われたのかと思った。しかし、分隊長からは「戦争に負けた」と伝えられた。「終わったんだ」。感慨はなかった。翌16日、分隊長に「貴様は秋田だったな。帰る家がないぞ」と、新聞を見せられた。目に「秋田全滅」の文字が飛び込んだ。29日に除隊し、貨物列車に揺られ、秋田へ戻った。家は奇跡的に残っていた。母が家から飛び出して迎えてくれた。
「もう半年、戦争が続いていたら、この世にいなかったな」。今、佐藤さんは振り返る。張り詰めた緊張感はしばらく消えなかったが、時の流れとともに、あの時代の異常さに気付かされた。「特攻隊の映像を見ると、涙が出てくる。自分と重なってね」
「秋田市観光案内人の会」の会長を務める佐藤さんは週に数回、秋田市のポートタワー「セリオン」に立ち、ボランティアガイドを務めている。ガイド説明の中で、土崎空襲や自身の体験談をはさみ、静かに問いかけている。「私も特攻を志願したことがあってね」
佐藤さんは言う。「昔は戦争は駄目と言わなくても良かったが、最近は違う。戦争を知らない世代が、してもいいと考える風潮がある。でも、命は粗末にしてはいけない。二度と戦争をしないように、語り継いでいきます」【百武信幸】
8月15日朝刊
最終更新:8月15日11時2分
|