地球のしずく

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薬師堂 桃雲寺跡
 
登録文化財の建物から少し歩いた右手の道に入り坂道を登り始めると右手に二つの碑の立つ薬師堂がありました。
 
「大田区文化財 桃雲寺再興記念碑」 案内板
 
この地(新井宿村と場五眼村の一部)の領主であった旗本木原氏の五代義永(後に重弘と改名)が、寛文四年(1664)、この石碑を造立した。撰文は儒学者林春斎(林羅山の三男)、書は高麗春沢(舘林藩医・藩主徳川綱吉の将軍就任に伴い幕府奥医師となった)である。碑文には、木原姓の由来や領内の古寺再興命名の次第、近郊の様子などが刻まれる。『新編武蔵風土記稿』にも桃雲寺は「もと滝泉寺と号」したものを初代吉次の号を用いて「今の号」に改め、境内背後の山上にこの「桃雲寺碑」があると記されている。
 
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万福寺 大田区南馬込
 
(案内板)
桃雲寺は、明治十三年(1880)馬込の万福寺に合併されて廃寺となり、現在は若干の境内地と薬師堂(戦後再建)がわずかに残されている。
昭和四十九年二月二日指定 大田区教育委員会
 
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桃雲寺再興記念碑 十九行・全五百八十六文字
 
武州荒藺崎桃雲寺碑銘 弘文院学士林子撰

武州荏原郡荒藺崎者木原氏累世之采邑初鈴木氏吉次在遠州領木原邑奉仕東照大神君…
 
旧新井宿村領主の初代木原吉次は徳川家康の江戸入府に随行した旗本で幕府の大工棟梁として江戸城修築に貢献し、その功績により新井宿村全域を知行地として与えられ、以後木原氏は幕府の大工棟梁として世襲されました。寛文四年(1664)、四代目となる木原義久は新井宿村にあった古寺を再興して、初代・吉次の雅号「桃雲」から桃雲寺と命名しました。五代目の義永はこれを後世に伝えるために「桃雲寺再興記念碑」を建立されました。碑文には、木原氏五代の幕府における功績や新井宿や周辺の様相、薬師信仰の功徳などが刻まれています。 江戸初期の記念碑としては様式が珍しく、 また当時の新井宿近郷の様子や旗本の領地支配の実態を知るための資料とされ、大田区の文化財に指定されました。
 
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富士講碑
 
「大区指定文化財 富士講碑」 案内板   

天保三年(1832)新井宿村の富士講中(富士山の信仰集団)が、同講の中興の祖といわれる食行身禄(伊藤伊兵衛・1671〜1733)の没後百年を記念し、村内安全を祈願して造立したものである。碑の正面の「仙元大菩薩」は、富士山の尊称であり、そのほか日月と雲を配した富士などを刻す。富士信仰は享保期における食行身禄らの活躍によって普及し、江戸とその周辺諸国に多くの富士講が成立した。
昭和四十九年二月二日指定 大田区教育委員会 
 
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富士講碑左側面 奉行 青嶋左兵衛 三明
 
武州荒藺崎桃雲寺碑の碑文の内容を紹介します。武蔵国荏原郡荒藺崎は代々木原氏が治めています。初代・木原吉次は元は鈴木氏といい遠州木原村で徳川家康に仕えていましたが、木原村にいたので木原と姓を改めました。天下統一して江戸に入る家康に随行し、幕府の棟梁に抜擢され荒藺崎を知行地として賜りました。吉次は隠居すると「桃雲」と号しました。子の重次、そして孫が棟梁を世襲しますが、ともに早世しました。四代目・木原義久が幼くして家督を相続し棟梁として永く徳川家に仕え、三代将軍徳川家光によって禄が増加されました。 
 
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仙元大菩薩(富士山) 富士講碑 亀神・玄武の耳
 
村には古寺があり、鎌倉伝来の薬師如来が安置されていました。木原義久は八景坂にあった古寺を自邸に移設しました。義久が没し、その子・義永が棟梁の家督を継ぐとこの地の東にお堂を新築、初代から四代義久までの墓を整備して「桃雲寺」と命名しました。
 
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富士講碑 行者姿の猿
 
この地は江戸城の南三里にあり、品川からの街道には馬や輿が盛んに往来し、正面には東西に実り豊かな田畑が広がり、領民の優れた労力によって採取された作物で、どの蔵もいつも満ち溢れています。南には安房の海が果てしなく広がり、空と海の境には帆船が白く輝いています。鈴ヶ森の社、軒を連ねる不入斗や大森の民家を望みます。
  
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薬師堂
 
南南東には六郷橋や矢口の渡しがあり、南西を斜に多摩川が悠々と水を湛えています。西には池上の塔頭や山々が連なり、北西には高い丘が打ち重なり、「荒藺崎の磯の松」と歌に詠まれた古い松の立つ丘があります。北には江戸の空を覆う建造物、遠く冠雪の山を背景に筑波山の影絵が美しい。それらの壮観さや美しさは言葉では言い表せません。それもこれも祖先の御霊がなせる技なのです。
 
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薬師堂
 
有り難く感謝にたえません。日々勉励中の五代目木原氏・義永は祖先の名によって家を継ぎ、墓碑と共に一族の繁栄と孝心の証しとしてこの碑を立てます。領地の繁栄に感動し、また繁栄の根源に立って、木原氏の血統の護持を願いつつ、ここにこれを記します。
 
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大田区山王会館
 
山王会館への道しるべにそって坂を登りました。
 
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大田区山王会館
 
山王会館には文士の写真や紹介などがありました。ここからの道は下りです。初めての道を感だけを頼りに歩きました。
 
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ポレポレ通りから溝口駅の裏商店街を通ります。
 
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派手な表より私は裏の方が好きです。焼鳥屋、果物屋、和菓子屋、古本屋がひしめいています。
 
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旧大山街道に出て踏切を渡ります。
 
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昨日は一駅、三十分ほど歩いて診療所へ、血圧を測り、薬をもらってくるのです。月参りの墓参のようなものです。
 
一日に感謝します。合掌。
 
私たちは忘れない 次代に繋げます  三浦半島活断層調査会
 
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         3月11日 東北地方太平洋冲大地震 3年目
         9月 1日 関東大震災 91年目
 

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おはよー☀
ポレポレ通りってあるんですね
山王も今度行ってみよう


ぽちりん☆(*^_^*)

2014/11/1(土) 午前 6:45 yuyunekota

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おは、ゆゆさん。
つい先日の日曜日、ポレポレ大道芸が催されました。
山王は山坂が多いので、たいへ〜ん。
それを避けて、歩く方法があったのに。

2014/11/1(土) 午前 10:13 [ pok**hino*324 ]

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{霜月・神楽月.到来!〜今月もよろしくお願いします!
御訪問 感謝致します 今後とも何卒宜しく 御願い致します

2014/11/1(土) 午後 0:26 Lucky PAL!

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PALさん、こんばんわ。
秋を越えて冬です。
寒くなりますが…頑張りましょう。

2014/11/1(土) 午後 8:08 [ pok**hino*324 ]


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