地球のしずく

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三冊子

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 京都宇治にある曹洞宗寺院で得度された岩佐晋風さんを思い出します。私は晋風さんに後押しされ、紙パルプ倶楽部俳句会に入りました。二十四歳の時でした。その後、晋風さんは業界紙の記者から生命保険会社に転職して定年を迎え、シベリア抑留中に亡くなった仲間を供養するために僧となるべく修行に励みました。
 晋風さんは私を俳句会に送り込んだ後には会から遠ざかりました。数年の修行を経て僧籍を得ると平成三年に、念願の『虜囚〜一兵士の視点』を自費出版し、捕虜となった軍幹部の横暴ぶりを世に曝しました。その本が私の手元に届いて間もなく、晋風さんは亡くなりました。
 紙パルプ倶楽部には短歌会と俳句会があって、短歌会はアララギ派の大御所で紙塑人形人間国宝の鹿児島寿蔵翁が先生、俳句は大御所富安風生翁が先生でした。私の入会した時は短歌は鹿児島寿蔵翁の弟子利根川保雄先生、俳句は富安風生翁の弟子橋本花風先生に『草茎』主宰の宇田零雨先生が加わっていました。

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 この二つの会は小野青人さんが世話人としてご尽力されていましたが、青人さんに頼まれて短歌も一年余り勉強させていただきました。青人さんは満州で役人をされていた方で、台湾の元商務大臣で実業家の友人である楊さんはハルピン市長でした。後に私は楊さんに台湾で大変にお世話になりました。終戦の時に岸信介、佐藤栄作兄弟をひそかに日本へと逃したのは私です、と訊かされ驚いたものです。
 俳句の会はその後、宇田零雨先生一人になりました。零雨先生は松尾芭蕉研究、連句研究の権威であり、また『草茎式俳諧』の宗匠でもありました。そこで、俳句会では芭蕉の連句、三十六歌仙の勉強会と並行して、さっそく多くの連衆が参加できる「付勝歌仙」が興行されました。

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 芭蕉十哲のひとり服部土芳の『三冊子』に芭蕉の言葉が載っています。
 「たとへば歌仙は三十六句なり。一歩も後へ帰る心なし。行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」
 振り返ることなく先へとすすむべし、は人生訓にも似ています。こうやって、五七五、七七と連句は進みます。
 歌仙を巻くルールは様々な取り決めがあり複雑に見えますが、これを覚えるのもまた楽しい。たとえば、定座(じょうざ)というものがあります。動かせない場です。二花三月(にかさんげつ)といって花の句が二ヶ所、月の句が三ヶ所、三十六句の決められた場所に散りばめられます。
 人生には二度華々しい時がある、また三度は清々しいことがあるであろう、ということなのです。

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 これらのルールは捌き手、すなわち宗匠によって指示されるので、ルールをすべて覚えようとしても無理があります。楽しみながら参加する。背伸びしたところでどうにもなりません。これも人生哲学です。
 そうこうしているうちに俳諧を十年以上楽しませていただきました。三十六句の発句は後に俳句として独立、脇句の五七五は点者(宗匠)河合川柳によって川柳として独立しました。
 三十六句の最後の句を揚げ句といいます。直接的ではありませんが、発句に一脈通じているのを良しとします。二人以上の座で誰も読むことのできない一つの人生を構築する、芭蕉の素晴らしさに乾杯です。
 ちなみに三十六句最後の揚げ句ですが「揚げ句の果て」という言葉は、ここから生まれたのものなです。

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もうブログも終わりですね。沢山の仏像写真など有り難うございました。これからもお元気で探索を続けてください。

2019/8/29(木) 午前 6:17 [ できごと・つぶやき ]

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つぶやきさん、おはよう。
やふーについてはおわりですけど、アメブロに移行しようかとも思っています。まあ、ぎりぎりヤフーは続けますけど。
ボケブラリーを訓練しておかないと。私の周囲の認知症と向き合っていますから、危機感を感じています。
拙い抵抗ですが…。まあ、書き続けます。
つぶやきさんも書き続けていただけることを願っています。移行したら教えてくださいね。

2019/8/29(木) 午前 10:29 [ pok**hino*324 ]

2019/8/29(木) 午後 0:26 [ 乱読おばさん ]


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