関東甲信越 古バスの思ひ出

次の廃バス見聞録はとうぶん先です。

首都圏の古バス

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小田急のBXD

うちの店でジープを買ってくれた小田急のベテラン氏が新人の頃、まだボンネット経験者が何名もおられたそうです。そのとき先輩からこんな話を聞いたそうで、ちょっとご紹介しましょう。
 
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当時、同じ地域(町田・多摩界隈)を走るバス会社はとっくにリヤエンジン化が済んでいて、ボンネットなんて使っていたのは小田急だけになっていたそうです。それで駅前で待機していると、他社の新しいバスが出入りしている中、自分だけボンネットだと情けなくて恥ずかしい気分になったんだとか。
東急や神奈中、あるいは京王あたりの4RやMR、B8の運転手さんが「小田急はまだボンネットなんか使ってるぜ」となったんでしょうか。
 
後年、ボンネットバスが町おこしや観光のネタに使われ、マイクロを改造したような偽ボンネットまで出回るというのに、現役末期には「単なるポンコツ」だったのでしょうね。
 
ということで、小田急のベテラン氏のエピソードと、古バス写真の板橋氏の記録の合わせワザ・・・つまり他人のフンドシ作戦です。
 
イメージ 1
方向幕は「経堂-希望が丘団地」となっています。
後続車、千歳船橋行きのBAと思しきナナメも気になる・・・。
 
 
イメージ 2
ここはどこだろう・・・・?
昭和48年6月撮影だそうです。
 
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イメージ 3
私は小田急というと、このくらいの写真しか撮っていません。
エピソードを聞かせてくださったベテラン氏が初めて新車の担当をされたのは、
この時期のLV314Lだったそうです。
 
 
イメージ 4
枠付き角テールの富士5E、しずてつで見たような後姿・・・。
平成元年撮影、初めての自家現像でした。

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近所でのターゲットはMR410でした。だから昭和52年車以降から、ガクッと撮影枚数は減るのです。
脳味噌のハードディスクには白根通りを飽き飽きするほど走っていた、視野拡大型のデカイ曲面ガラスと、MP系独特のウーウィーという滑らかなサウンドがしっかり記録されているのですがね。通学でも散々乗りました。
 
イメージ 1
 
まだMR系も残っていた時期ですが、なんとなく撮ったMPの写真。デジカメ時代なら、夜でももっときれいに撮れるんでしょう。
 
横浜ナンバーの25-98・・・ 横浜市営の25-0XはまだMR410でしたから、この相鉄MPはかなり初期のロット。社番1751または1754と読めます。相鉄最初のMP117Mの一群ですね。最後部側窓が上下ハメ殺しタイプなのは、確かこの代まで。屋根のマーカーランプもこの代か次の代まで。右フォグランプが切れているのはこの車限定ということで。
 
市営や東急とは違う床油の芳香、変な音のウインカー、裏側に灰色のカバーのついた前折り戸、思い出します。

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二昔半

バス趣味を復活して・・・と言っても中学生の頃のような熱心さはありませんが・・・3年くらい経ちました。
 
メーカーすら分からない車種ばかりで竜宮城帰りの浦島サンみたいな気分だった復活直後からしたら、エルガもブルーリボンシティも新型エアロスターも違和感がなくなり、関東地方で西工を見ても驚かなくなり、日産ディーゼルも富士重工もバスから撤退したこともジェイバスの存在も脳味噌が受け入れましたが、この辺の写真を見ても「懐かしい」とは思えないんだよなぁ。
 
イメージ 1
1987年撮影の最新鋭。背後のRE101(121?)もMP118Mも大して古い存在ではなかったあの頃。
 
 
イメージ 2
室内に新車スメル漂うエアロスター。
今では 「P代だ!! 丸フォグだ!!」 と騒ぎになる存在か・・・。
いや、呉羽というだけで価値があるのか・・・。
 
 
イメージ 4
平成元年撮影、この辺がBU05Dや4R95を置き換えていった訳ですが、とっくに過去の車両です。
千曲バスの路線車としては、ツーマン時代以来の何十年ぶりかの日野車でした。
 
 
イメージ 5
今でも近所でこんなバスが現役なんですから、懐かしいと思えなくて当然です。
横浜にいる頃より、古バス環境としては恵まれているのでしょうが・・・。
 
 
イメージ 3
去年の春だったかな?国道246号御殿場市内で撮ったもの。
7Eが廃車回送される時代になりました。
これを見てまだ 「おお、U33Lかな?」 と思ったりしていましたが、次の型番のようで。
 
 
イメージ 6
LEDの行先表示は1/125秒以下のシャッターで撮るというのも、最近知ったことです。
方向幕とか系統板と違って、ムズカシイ。
 
 
イメージ 7
あー、もうUDの4RとかMRの3面ルーバーなんて贅沢言わないから、
せめてこのあたりの年式にもう一回乗るチャンスはないもんだろうか・・・。
切なる願いでありますなぁ。
 
 
 
 
 

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ちょっと訳あって、古い写真の再発掘作業を進めておりましたら、こんな写真が出てきました。
昭和62年ごろに八王子駅で撮ったものです。
写真の左半分だけがぼやけています。右手を軸にして左手がブレたのでしょうかね?変な失敗です。
 
イメージ 1
 これって後年に川中島バスへ売却されたBU10Kの一群かとも思いましたが、
ネットで色々と他人様の情報を覗いてみると標準型のBU10もあったみたいです。
この「092」に近い「094」という個体は八王子所属の標準型となっていましたから、
やっぱり標準型なのかな?
 
小田急の町田にも新車の注文流れ車が入ったと記憶していますが、あれもBU10Kだったはずです。
ウチの店で車をお買い上げくださったベテラン氏も「運転したことがある」とおっしゃっていました。
なんでも、赤塗装の下に違う塗り分けが見えているんだそうで・・・
 
 
 
 
イメージ 2
こちらは昭和63年、初めてのリバーサルフィルムでの試し撮り。
「やっぱ駄目だぁ」とネガのISO200で撮り続けることにしました。
 
 
 
時代は遡って昭和57年の池上交差点・・・
イメージ 3
四駆の本にもバス関係にも使えない、この手の古写真。
百数十枚出てきましたから、あのご本に寄稿させていただきましょう。
 
それにしても背景には系統板つきのMR410が!
なんでバスを撮らなかったんだろう。まだ4R110も生きていたのに。ああ4R4R4R…
 
 
 
 
 これは昭和59年ごろかな?
イメージ 4
近所の下水清掃にやってきたジェットクリーナー、つまりマンホールの高圧洗浄車。
給水車とバキュームダンパーもセットでやってきたので、私は一日中追いかけていました。
本当にアニメとかゲームとか興味なかったんです(今でもそうです)。
 
 
まあ、興味の対象は決まっていたようで・・・
イメージ 5
これは地下構内などに対応した、荷箱の屋根が低いタイプ。
 
 
 

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中学生の頃、近所の相鉄バスで一番多く乗ったのが、富士重3EのCJM500か、呉羽のMP117/118だったんじゃないかと思います。5Eやらエアロスターも大増殖中でしたが、まだまだモノコック全盛期だったんですねぇ。
相鉄バスのおネタとなると、いつもMR410とかBU04Dになってしまうので、少し新し目なヤツをご披露いたします。
 
イメージ 1
お馴染み、旧鶴ヶ峰バスターミナルにて。
ドブ河の横っちょにあって、乗り場の灰皿から消し損ないの煙が漂う・・・四半世紀前のほうが環境はキタナかったと思います。今のバスターミナルは、昔は大きな有料駐車場だったような覚えがありますが、地形そのものも随分変わってしまったような気もします。辺りには小ギレイなマンションなんぞが建ったりして「横浜の田舎」の景色も変わりました。でも相変わらず「ミナト横浜」のイメージとは無縁の旭区です。
 
鶴ヶ峰からのバスは半分以上が「ひかりが丘団地」行き。系統番号が付いたのは、この数年後だったかな?
ひかりが丘といえば、つい先週だったか、近所に住む爺サンがバスジャックして、駆けつけた息子に説得されているうちに運転士サンに取り押さえられ御用となる事件がありました。この爺サン、バスを乗っ取って何がしたかったのでしょう。物騒な世の中です。
 
 
 
 
イメージ 2
二俣川で撮ったのかな? よく覚えていませんが、CJMに代わる直前の昭和54年式BU10です。あとちょっとで通しガラスにできそうな感じの前ドアガラスが過渡期ちっくですが、この年式なら通しガラスで導入していたバス会社も沢山ありました。松電の北村いすゞだって、この年式は通しガラスです。
 
ワイパーの生える位置が3E登場時代と変わらぬ内寄りなところが、写真1枚目のCJMより車幅を狭く見せています。もちろん標準幅なのですがね。
 
 

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