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今日は、昭和村糸井の風祭。 |
兼務社
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午前十時 生品の武尊神社 春祭り |
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神明宮
所在地 沼田市下之町827 創建時代 諸説あり 天文元年(1532)とする説もある(蔵内城に移城) ご祭神 大日霎命 火産霊命 市杵島姫命 日本武尊 稲荷社 加茂社 櫛間智社 琴平社 菅原社 由緒 (沼田市史資料編より) 往古より沼田城内にありしを真田信之本城修繕のとき現今の地へ遷座し奉る その後、宝永2年本多遠江守再建す 慶応3年土岐和泉守より寄付の品数種あり 明治40年厳島神社を合祀 (沼田下之町誌より) 神明宮は古い昔からあって城内に鎮座していたが、真田氏の第二お城の普請がなされ、そのとき にお馬出町に移った。その後時代の流れでたびたび遷座した。宝永二年には現在地に拝殿が建立さ れ、宝永年間には、殿様の仰せで町名を荒町から伊勢町に改めた。 明治40年の厳島神社の合祀により、42年には新社殿が建設された。これにともない。境内にあっ た大燈篭も滝坂より神明宮に移築された。この大燈篭はその昔、三国街道への道しるべとして献灯 されたもので、一名 弁天燈篭とも呼ばれ、多くの旅人に親しまれてきたものである。 神明宮の社宝 獅子頭 (1個約210キロ) 常夜灯 (大燈篭) その他 手水石 天保2年 土岐頼旨(溜池様)奉献 (初代沼田城主土岐頼稔様の弟の家系) 敗戦後、荒廃状態から徐々に立ち直りつつあった日本だったが、下之町神明宮は荒廃したままにおかれていたが、やがて、世論の高まりによって改修工事が実現化するに至った。 昭和34年8月から社木の伐採が始まったが、同年9月の伊勢湾台風によって神木の樅の大木が境内末社の厳島神社に倒れ掛かり、御宮をおしつぶしてしまったり、石の鳥居、灯籠、本殿や拝殿の屋根も大破してしまい、弁財天宮の被害はなはだしく、御神璽を神明宮本殿に遷し、社殿は取り片付けられた。 伊勢湾台風により壊滅的被害を受け、神社の修改築整備は緊急を要し、大改修が決まった。現社殿は昭和39年5月竣工した。 坊新田の愛宕神社が合祀された 明治41年 明治政府の神社合併策に基き、合併。 愛宕神社のご祭神 火産霊命 倭建命 昭和11年、坊新田愛宕神社社殿 再建 遷座 昭和38年8月 社殿を坊新田の愛宕神社へ移築 大日霎命(おおひるめのみこと) ひるめは「日の女」霎は巫女。 太陽神の巫女から太陽神の女神そのものとなる。 天照大神の別名 火産霊神 火之迦具土神 岐・美二神の神生みにおいて生まれた火の神。 市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ) 天照大神とスサノオノミコトの誓約の際に生じた宗像三女神の一。弁財天に付会。 日本武尊 景行天皇の第ニ子。熊襲鎮定の際、女装して誅し、その武力を称えて武尊の名を奉った。ついで、蝦夷反乱の為に東征。途中、伊勢の神宮を拝して叔母の倭姫命から叢雲の剣を授かる。その劍で草を薙ぎ火難を避けたことから草薙剣とよばれた。走水の海では、妃弟橘姫の犠牲によって難を逃れた。平定を終えての帰路、伊勢の能褒野で崩じた。白鳥がとびたったという。 |

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