榛名神社日記

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兼務社

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岩室神社

鎮座地 沼田市白沢町岩室326
祭神  日本武尊 建御名方命
境内神社 天満宮
設立登記 昭和28年4月10日 創立年月日 昭和24年8月1日

社伝によると、武尊神社として古くから鎮座し、村社に列せられていたが、明治40年白佐波神社に合祀された。昭和廿四年、氏子の熱意によって分祀され、新たに岩室神社と称した。

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鎮座地 利根郡昭和村貝野瀬1132
旧社格 村社
主祭神 倭建命
境内神社 神明宮 稲荷神社
祭儀  4月5日(例大祭)7月25日夏祭 10月1日秋祭 その他、8月末日 風祭  
神社規則承認群規承 昭和27年9月20日 第1168号
宗教法人法による設立登記 昭和28年4月10日

社伝によれば、社殿を慶長年間に再建す。古くより当地方の鎮守として祭祀せられ、もとは祭日は、三月九月の中の未の日であった。

舞殿は、文政3年(1820)の建築といわれ、社殿正面の参道敷石にまたがって建てられた割拝殿ですが、戦後、現在の場所に移されました。
技術的にも優れた回り舞台の仕掛けがあり、それらの諸道具は川龍寺に保存されている。

小高神社

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鎮座地 利根郡昭和村糸井1295
主祭神 倭建命 ほか41柱
旧社格 村社
祭儀  3月15日(例大祭)現在は4月5日 
    7月25日夏祭 10月1日秋祭   その他 8月末日 風祭
境内神社 八幡宮 神明宮
神社規則承認 群規承 昭和27年9月25日第1169号
宗教法人法による設立登記 昭和28年4月10日  

 「日本三代実録(901年刊)」「貞観5年(863)五月九日、上野国正六位小高神社に従五位下を授く」とあるように、平安時代からここに社が建てられ、世々大きな尊崇を受けてきたことがわかります。
また、上野国神名帳には従一位小高明神とみえる。古社なり。
 現在の社は明治16年(1883)に建てかえられたものです。前殿(村指定重要文化財)は、木造、瓦葺で、表の梁には唐草模様の彫り物があります。江戸時代末期の文化・文政年間(1804〜1830)頃の建造と推定されます。(昭和村のあゆみより)

御搗家稲荷神社

鎮座地 沼田市東倉内町

町史より(抜粋)

○御搗家の名称について
  もともと沼田城内にあった米蔵とその米搗き場のことをいった。(現在の沼田女子高校校庭南側あたりの場内にあった)
 その米搗き場の「お搗家」の守護神として祀られていたのがお稲荷様であった。倉稲魂神・大宮女命を祀る。

いつのころから沼田城内において祀られるようになったかは不明。江戸時代の日記等を見ると、この「御搗家」に飼葉、藁、薪等を何束何俵届けたという記事がよく出てくる。御搗家は、食料としてまた経済的にも大きな役割を持っていた米を扱う重要な部署でもあったので、その守り神として稲荷神社が祀られていたのも当然といえる。
 倒幕後、御搗家は消滅したが、稲荷神社はそのまま残存した。が現沼女が建設されることになり、この小祠はソレに伴って、大正八年に同校の校庭の東北隅にある畑の堀に面したところに移設された。この祠の石神様の本体土台石には、「大正八年三月三十一日建之」とある。
 しかしそのわずか四年後、今度は天桂寺前から公園前までまっすぐに延長する道路が開設されることなり、その道路用地として御搗家稲荷神社の土地が接収されることとなった。その祠よりさらに北方の堀に沿った現在地に社殿が新築されて移設されることになった。大正十二年十一月二十二日のことで、当日は榛名神社の金子神官によって招神式が行なわれて引き移った。社地は都丸宇十郎の私有地九十坪が提供された。社殿は、石神様を祀る正面六尺、奥行き八尺五寸の木造トタン葺きの小さなものであった。
 昭和二年社務所が建設され、また機運が高まり奉燈の勧進が行なわれることになった。昭和三年より十六年までの十四年間の長い間献金をおこなってきたことにより、御搗家稲荷神社の氏神としての基盤が確立したとも言える。
 昭和十一年には神楽殿が建設され、奉納神楽、盆踊り、唐傘踊り、など東倉内町民の行事や娯楽センターとしての役割を果たしたが、老朽化し、昭和三十九年撤去された。

 平成十二年十二月十一日、隣家の火事がもとで消失。再建委員会ができ、平成十五年三月竣工。四月十五日に完成式典が行なわれた。

○祭典と信仰

四月十五日と十月十五日が祭典である。戦前派毎月十五日に祭りを行なっていたが、町民全戸が氏子なので、十三地区を春秋の二回にわけ、当番で祭りの世話をした。祭りの日には、奉納稲荷大明神と書かれた青・黄・赤・白・黒の潤の五色の旗が掲げられた。供え物は持ち、油揚げ、ちくわ、煮干で、餅は宮司と当番地区の人たちで分担して備えた。本殿石宮の脇下に直径15センチほどの穴があり、きつねが出入りできるように外に通じている。
 養蚕の神として一体の白狐を借り、蚕が多く取れれば二体にして奉納した。また子供の風疹・できものへのお願生がつたえられており、子の都市の数だけ土の団子を作って供え、病気が回復すれば米の団子を歳の数だけお礼として備えた。参拝は、社を左側から一度回ることによってご利益があるといわれている。(沼田市史民俗調査報告書沼田の民俗)


平成15年10月 鳥居竣工 

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諏訪神社(愛宕神社)
 所在地 沼田市坊新田町
 
 天文年間、沼田顕泰が滝棚の地、坊新田町1066,1067に祈願所を建立、沼田氏の繁栄と庶民の安寧を祈った。
 天正年間(桃山時代)ここに火産霊神を勧請し、愛宕神社となる(遥拝所)毎月23,24日の月例祭には参詣者でにぎわった。
 が、江戸末期から明治にかけて、信仰が希薄となり、明治42年、下之町神明宮に合祀された。
 しかし、昭和になり、坊新田町区民の熱望によって神社再建運動がおき、皇太子殿下ご誕生を記念して、昭和11年現在地に社殿を再建、十月遷御祭を齋行。
 昭和15年、川場村中野の村社諏訪神社を合祀、有資格社となった。しかし氏子は、慣れ親しんだ愛宕神社と呼んでいる。

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