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先日、院内にトンボ(ハグロトンボ?)が迷い込んで来ました。 院外に逃すべく捕まえた後、しばし観察してそのデザインの秀逸さに驚嘆しました。 トンボは飛びながら虫を捕まえる動物ですが、虫を捕まえやすくするために、 後ろ足の方が若干長く、バスケットのようになる構造になっていて、 ご丁寧に足の全長に細い毛が網のように生えているようです。 自然の中に生きる命と言うのは、すべからく、 そうあるべくしてそうなって来ているのだと思います。 ただ間違ってはいけないのは、 目的があってそれのためにデザインがされているのではなく、 最初は何か別のために備わっていたものが、 それがそうなることが生存に有利だから、 選択によって、しだいにそうなっていったのだということです。 足の毛においても、この毛は、 「虫を捕まえるため」 についているのではなく、 ここの毛がこうなっていることによって、 「より虫を使えるのが有利」 であり、長い年月の末にこうなって来ているということなのだと思います。 バッタでもトンボでも、種によって少しずつ形は違いますが、 それぞれのデザインは、それぞれの種が生きる環境、 補食する対象、天敵の種類、といった要因によって、 すべからく、そうあるのが最も最適であるように出来ているのだと思います。 トンボを見ながらそんなことを考えつつ、
改めて、生命のすごさに触れた思いです。 |
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度々お邪魔します。私は解剖オタクなんですが、本当に生き物の体は無駄なものがありませんよね…。そしてため息が出るほど美しいです。本当に「機能は形態を伴い、その逆はない」と感じます。
2011/9/9(金) 午後 9:12 [ とん子 ]
すっちーです。そうなのですよネ〜!!私は足も手も五体満足に着いているのに、最近余りその部分を使わなくなって来ています。あ、ぁ〜!!もっと若かったら・・・!!うちのワンちゃんももう9歳で、私と同じでいつもダラダラ・・・!!飼い主に似てしまったのだか・・・?
2011/9/22(木) 午前 10:48 [ - ]
とん子さん、こんにちは。
一方で面白いのは、生物(特に有性動物)には「ロマンティックな無駄」があるということです。
それがあると適応に有利なことに結びついているということから始まったと思われるメスによるえり好みが、適応の再適性からずれていく(ように見える)のは面白いことだと思います。
クジャクの羽やシカ類の角など、そんなに立派でなくても良いだろうと思ってしまうものもありますね。
2011/9/27(火) 午後 2:48
すっちーさん、生活の中では、後になってからもったいないことをしたと思ってしまうことも多々ありますね。
僕はわくわくできることに向き合っていたいとは、日々思っています。
2011/9/27(火) 午後 2:50