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僕が中学生の実習生とか、若い子がやって来るとよくしてあげる話があります。
それが、「”努力”はするな」、という話です。
僕のこれまでを振り返っても、僕はおおよそ、”努力”と言われるものをした覚えはありません。
大学に入ることができ、国家試験にも受かって獣医師になりました。
動物病院を開業しながら、一からプログラミングの勉強をして、20個以上の獣医療アプリを作ったりもしました。
今はマラソンの練習に、月200km以上走っています。
でも、それが”努力”をした結果かと言われれば、僕は「どれも努力などしていない」、と答えます。
例え話をしてみます。
テレビゲームが大好きで毎日何時間もゲームをしている人がいたとして、それに対して「努力をしているね」、と言う人はいません。
それはなぜでしょうか?
それは、本人が楽しくてやっていることだからです。
やりたくて、ただやっているだけのことを趣味とも言いますが、ゲームを楽しんでやっている人が、「すごいね、偉いね、努力をしているね」と言われても、「すごくもないし、偉くもないよ、これは楽しくてしているだけなんだ」と答えると思います。
僕の定義においては、”努力”と言うのは、「辛くても苦しくても、歯を食いしばって、それをやり続ける」という行為のことです。
世の中では、努力というのは、やりたいことを我慢し、自分の心に打ち勝つ強さを持った、偉い行為なのだと見なされています。
でも、本当に本人にとって身につくことというのは、楽しくってしょうがなくて、やりたくて仕方がないから、自分から喜んでやっているということなのだと思います。
努力をしなければいけないものというのは、義務として、やらなければいけないから、歯を食いしばってやるものです。
そうではなく、楽しくて、やりたくてしているということであれば、それは努力ですらありません。
勉強は楽しいものです。
スポーツも楽しいものです。
新しいものを知り、触れ、体験することは、自分の視野を広め、自分の可能性を広げてくれる、とても楽しいことです。
勉強でもスポーツでもそうですが、「やりたくてやっている」人間と、「やらないといけないからやっている」人間では、その学習効果には大きな差が生まれます。
天才というのは、「楽しいから自分からやっているうちに、勝手にどんどん上達してしまう」人間のことだと思います。
“努力”をしている人間が、天才と言われる人間に敵わないのは、「トレーニングを努力とも思わずに、楽しんでどんどんやっている」からなのだと思います。
彼らに「そんなに努力をして偉いですね!」と言ったとしたら、「いや、楽しいからやっているだけなんで、別に偉くはないです」という答えが返ってくると思います。
「努力をして偉い」と思っている人が、「やりたいことを我慢して、辛いことをし続けている人だ」と思い込んでいるだけで、当の本人は、楽しく、やりたいことをしているだけなのです。
やりたいことをしている人にとっては、「ストイック」という言葉は無縁のものなのだと思います。
“努力”をしないと何かをやり遂げられないというのは、結局、その楽しさに気がつかずに、「やりたくてやる」状態ではなく、「やらないといけないからやる」という状態にしかなっていないからだと思います。
「“努力”をするな」という言葉は、言い換えると、「やりたくないことを、歯を食いしばってやり続けるなんて面白くもなんともない。自分が心からやりたいと思えることを見つけて、「楽しくて仕方ないから、やりたくて仕方ないことだからそれをする」、そう言える人間になれ。」
ということです。
親の役目というのは、本人が楽しくないことを「歯を食いしばってやり続けろ」と言うことではなく、本人が心から楽しくて、自分から取り組めるようなものを見つけられるように(あるいは取り組むことの楽しさを分かるようにしてあげられるように)、協力してあげることだと思います。
努力をしないとできないようなことというのは、結局それなりの結果にしかなりません。
本当にものになり、人生を豊かにするのは、自分がやりたいと思い、取り組んでいけるものです。
そして、自分が心からやりたいと思えるものに出会えることは、本当に幸運で幸せなことなのだと思います。
本当に自分がやりたいことを見つけて、自分から取り組んでいける、そんな人間になって行って欲しい、と若い子供たちには願っています。
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こいつはうぜえ
2017/12/30(土) 午後 9:03 [ ファック ]