どうぶつ病院診療日記

動物病院の診察風景や、獣医師が日頃思っていることなど

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SFTSの対応、どうするか

先日記事にしたSFTSですが、現在獣医師の中でもどう対応したものか悩みの種です。
というのは、レプトスピラなど一部の病気を除けば、それほど危険な人畜共通感染症というのはこれまでなかったからです。
そのため、獣医師はマスクや手袋などもなしに診察したり、採血した場所の止血を(アル綿で消毒した)指で押さえたりという行為を平気でしたりしていました。

SFTSはマダニの刺傷もしくは動物を通じて人間に感染する新興感染症ですが、人間に感染した時の死亡率は約20%(中国では約30%)と報告されています。
犬に感染した時は不顕性感染〜軽度の症状が多く、ウイルス量も少ないのですが、より危険なのは猫に感染した場合です。

猫に感染すると重症化し、野良猫でも動けなくなります。
感染した猫の死亡率は50%以上と言われ、排出するウイルスが桁違いに多いのが特徴です。
室内飼いの猫は外に行かなければ感染するリスクはないのですが、外に行く猫、もしくは野良猫は、ウイルスに感染しているマダニに刺されると感染します。

飼育猫は外に出さない、もしくはマダニの駆除薬を使う(完全なウイルス感染予防ではないですがリスクは減らせます)ということで対処ができるのですが、一番の問題は野良猫です。

普段は人間に触られるのを許容しない野良猫でも、SFTSウイルスに感染するとぐったりして動けなくなるため、触れるようになります。
そうすると人間に保護されたり、動物病院に連れてこられる可能性が出てきます。

ウイルスは唾液、尿、便、血液などの体液全てに含まれており、体液に触れると人間にも容易に感染します。
感染した場合はほぼ発症するとされており、発症した場合の死亡率は約20%です。

保護した人は素手で触れば濃厚接触者となりますので、感染する可能性がかなり高くなり、実際に保護の際に噛まれ死亡した人や、保護した小学生が感染し発症した事例が報告されています。

まだSFTSに対しての知識、認識が低いため、見つけた人が何の疑いもなく素手で触って普通に保護したり、動物病院に連れて行くというのが大きな問題です。

動物病院でも、治療にあたる獣医師、動物看護士に容易に感染します。
うちでも、入院の必要が出た時にどう預かろうかとシミュレーションしてみたのですが、一般犬舎・猫舎と通路に置いたICUしかないため、どう考えても入院は不可能そうです。
一般犬舎・猫舎で健康な動物と隣り合わせに入れるなんてありえませんし、通路に置いてあるICUも、とても院内感染のリスクなしに預かれるものではありません。

他の入院患者に感染を移すことは絶対に許されませんし、スタッフや獣医師自身が感染するわけにもいきません。
実際、SFTSの発生が知られるようになってから、動物を通じて獣医師、動物看護士が感染したという事例が何件も報告されています。
相手が感染力の高いウイルスだと分かっていて、防御に努めていたのに、それでも感染しています。

動物を感染させない、ということが最重要なのですが、一番難しいのは「倒れている野良猫を見つけたらどうするか」ということです。
これまでの経緯の分からない猫がいきなり倒れていたと動物病院に連れて来られるシチュエーションというのは、時折あることだからです。
ただ、これはもうすでに公衆衛生的な問題であり、個々の動物病院でどうにかできるレベルの問題ではないと思います。

倒れている野良猫を見つけた時、考えられる選択肢としては、
「保護して動物病院に連れて行く」
「触らず、行政に連絡をする」
ということのどちらかしかないですが、保護して動物病院に連れて行った場合は、保護した人と獣医療関係者のリスクが大きすぎるというのが問題です。

もうすでに死者も出ている以上、今後は、ぐったりしている野生の猫には「触ってはいけない」ということが常識となるよう、国レベルで周知して行く必要があると思います。
すでに「(特に冬場の)倒れている鳥は、鳥インフルエンザウイルスを持っている可能性があるため触らない」というのは常識となっていると思いますが、野良猫のSFTSウイルスも、それと同じ扱いになって行くものと考えます。
行政も、鳥インフルエンザの連絡に準じた形で、倒れている野良猫の連絡があった時に対応できるよう、準備を整えておかないといけないと思います。

「倒れている野良猫」の治療は、町の個々の動物病院の手に負える問題ではないですし、感染、死亡のリスクを個人が負うべきものでもないと思います。
「その猫をどう助けるか」よりも、「そこから感染して死ぬ人を防ぐ」という公衆衛生の問題だと思うからです。

※転載、リンクはご自由にどうぞ

SFTSの発生について

先日、当院にてSFTSの症例が出ました。
ぐったりしている野良猫を保護したということで来院されたのですが、症状と血液検査の結果からSFTSを疑いました。
発熱、白血球減少、血小板減少、高ビリルビン血症など、典型的な初見でした。
国立感染研究所に検体を送ったところ、SFTSと判明しました。

SFTSは野生動物が保菌しており、マダニによって媒介される病気で、近年野外でマダニに噛まれて発症する人が多い他、感染した犬猫を通じて人が感染する事例も報告されています。
九州・四国・中国地方を中心とした西日本全体に感染が見られています。
2013年に国内初の感染者が出て以来、人で400名以上が感染し、60名以上が死亡しています。

感染するとほぼ発症するとされており、人での死亡率は約20%と高い病気です。
様々な野生動物に感染しますが、犬猫にも感染し、特に猫では重篤な症状を起こすと言われています。
感染動物の唾液、尿、便、血液にウイルスが排出されるため、感染動物との接触は危険を伴います。
動物病院の獣医師・看護師も感染した例が複数出ている他、野良猫を保護した人が猫に噛まれて死亡した事例も報告されています。

・マダニからの刺傷を避ける(猫は極力外に出さない)
・定期的なマダニ駆除を行う(完全な感染予防はできませんが、リスクは下げられます)
・野生動物、野良猫との安易な接触を避ける(ぐったりしている動物は特に要注意)

ということに気をつける必要があると思います。
特に5-8月の、ダニが増える時期は要注意です。

診察する獣医療者側にとっても、診療行為自体が命の危険を伴うものとなりますので、疑わしい症例ではガウン・フェイスマスク・手袋等の防備をしないといけないものとなります(完全な防備をしていても感染する可能性はあります)。

これまでは、動物を診療した時に獣医師にとって危険な病気というのは、レプトスピラやオウム病など限られたものくらいしかありませんでした。
人間の死亡率20%というのは突出した危険性ですので、今後は野外に行っている犬猫、ぐったりしている野良猫の診察などの際は特に細心の注意を払わないといけないものになりそうです。

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I.総論 〜社会とバリア〜

 社会には、健常者には気づかれないものの、ハンデキャップを持つ人にとっては壁となって現れる、バリアというものがあります。
 バリアには、「物理的バリア」「制度的バリア」「文化・情報的バリア」「精神的バリア」の4つがあります。
 これらのバリアは、時に見える壁として、時に見えない壁として、ハンデキャップを持っている人の前に立ちふさがります。

 1.物理的バリア
 建物の入り口に階段の段差があって入りにくい、廊下が狭い、部屋と部屋の間に段差がある、路上に放置自転車があり通行の妨げになっている、などの物理的な障壁です。
 このバリアは、目で見て見えるもので、分かりやすいため、バリアフリー化という話の時にまず指摘され、考えられるものです。

2.制度的バリア
 希望の学校・大学に入れなかったり、それに伴い資格を得られなくなったり、就労の機会が得られない、犬を伴ってレストランやデパートへの入店を断られたりなど、機会均等への障壁です。
 健常者はその仕組みを当然だと思っていたり、自分は制限されることがなかったりすることによって、バリアの存在に気づかないことが多々あります。

3.文化・情報的バリア
 テレビやラジオなど、健常者を対象にしている媒体からの情報(視覚的・聴覚的)を得ることが困難だったり、信号やタッチパネル、避難警報や車内アナウンスなどの健常者の使用を想定した仕組みがハンデキャップのために使うことができず、情報取得への障壁となるものです。
 与えられている情報を当然受け取れるという前提があるために、無意識にバリアが作り出されます。

4.精神的バリア
 偏見・好奇心・嫌悪感といった視線で相手を見たり、逆に哀れみや同情という視線で見ることも、精神的バリアの一つです。
 誰の心の中にも、知らず知らずのうちに持っている、「自分と異なるもの」への心の壁から作られるもので、人間がもともと持っている感情を基礎にしているため、最も根が深いものです。

 4つのバリアに共通するのは、同じ人間だと意識の欠如、自分とは違う人間だという意識、異なる境遇の人への無知・無理解・無関心です。
 突き詰めて言えば、「意識と想像力の欠如」です。
 自分と同じ存在だという意識、相手がどう感じるかということを想像力、それが抜け落ちてしまうということから起こります。

 「障害」というのは、社会自体が知らない間にハンデキャップを持っている人の前に作り上げてしまっている壁のことであって、障害を作っているのは社会自身です。
 障害者を障害者にしているのは、壁を作り出している社会自身です。
 「障害」という言葉を、「障がい」という言葉に言い換えようという動きがありますが、「害」というのは、本人の問題ではなく、壁を作っている社会の側の問題です。

 世の中の仕組みや設備、製品は、多数の人間に使われることを想定してできています。
 例えば、テレビは多くの人が視覚・聴覚があるということを前提に作られていますし、階段は多くの人が自力で歩いて登れるということを前提にしています。またハサミなども多くの人は右利きであり右手で使用するということを前提とされています。
 Mr. Averageというのは、平均的な身長・体重・能力・身体的特徴を持っていると仮定されている仮定の人のことですが、実際には、全ての点において平均的な範囲内に収まり、仮定に当てはまる人というのは、ごく少数だと言われています。

 世の中で想定されている「多数の人」に当てはまっている場合は、その仕組み・設備・製品は使い勝手がそれなりのものとなりますが、一旦「多数の人」の想定から外れてしまった場合、それは途端に使いづらくなったり、もしくは使えなくなってしまったりします。
 「多数でない人」の使用は想定されていないからです。
 テレビは視覚・聴覚がないと情報が視聴できませんし、階段は足に不具合があると使用が困難となります。ハサミも左利きの人が右利き用のハサミを使おうとすると、とても使いづらいものとなってしまいます。

 多数の人が使えるということの裏返しは、少数の人は使えないということです。
 そのため、最近は、誰もが使える施設・設備・製品にして行こう、ということで、バリアフリーやユニバーサルデザインといった概念が、大切なものだと考えられるようになってきています。
 ユニバーサルデザインというのは、誰が使っても使いやすいように配慮された製品のことです。
 配慮がされているものは、ハンデキャップを持っている人だけでなく、誰にとってもみんなに使いやすいものとなります。

 バリアフリーという概念は最近では大切なものだと考えられるようになってきていますが、裏返して言えば、それまで社会が知らず知らずのうちに、健常者以外に対して作り上げてきた障壁に、ようやく気づき始め、それを無くして行こうと考え始めたということです。
 ただ、「障壁を壊すこと」自体が究極の目標なのではありません。

 ハンデキャップを持っている人たちに、特別扱いをするということは、それも差別の一つです。同情や哀れみといった視線も、それ自体が精神的バリアそのものです。
 大切なことは、その人たちを特別に扱うことではなくて、普通の存在として受け止めて、普通に接することです。
 その人が、いて当たり前の存在になって、普通に、当たり前に、共に過ごせる社会になる、それこそがバリアフリーの先にある目標であり、かつ当たり前の状態です。
 すべての背景を持った人が、それぞれ普通に過ごせる、それこそが「ノーマライゼーション(ノーマル=普通)」です。

 障害のせいで社会に参加できなくなっている場合、社会がその人に対して参加への障壁を作っていると言えます。すなわち社会がその人を障害者にしているのです。
 障壁をなくし、すべての人が当たり前に参加できる社会になれば、その障害は障害ではなくなります。
 それがただの特徴となり、ハンデではなくなるというのが、社会の目指すべき地点だと思います。

II.動物病院とバリア

 動物病院というのは、言わずもがな、飼い主が動物を連れて来て、動物に診察・治療を受けさせる施設です。
 飼い主自身が直接のサービスを受けるわけではない、というのが人間の病院との大きな違いです。
 病院であれば、診察を受ける患者自身の来院に対してのバリアがないかということになりますが、動物病院では、動物の飼い主の来院に対してのバリアがないか、というのがバリアフリー化において考える点になります。

 患者自身が身体障害者である病院と違って、動物病院は身体障害者の方は自身で来る機会が少ないと思われるかもしれませんが、忘れてならないことに「補助犬」という存在があります。
 補助犬を通じて、動物病院というのは、実は身体障害者と接点のある施設です。

 補助犬には、
1.「盲導犬」:視覚障害者のサポートを行う。全国で950頭。
2.「聴導犬」:聴覚障害者のサポートを行う。全国で68頭。
3.「介助犬」:車いすなど肢体不自由な人のサポートを行う。全国で71頭。
の3種類があります。

 補助犬はそれぞれ犬であり生き物です。普段から健康チェックをしたり、病気になった場合は治療も必要です。地域の動物病院が受け入れの対応をしてくれるかどうかというのは、おそらく導入を検討している人にとって、切実な問題になると考えられます。
 「うちにはそういう人は来ない」と言っていると、知らない間に動物病院自体が、補助犬の導入・普及に対して、バリアとなって、妨げになってしまっている可能性があります。
 そのことにも留意しておく必要があると思います。

 具体的にバリアフリーのポイントを考えるときには、物理的なポイントと、コミュニケーション的なポイントを考える必要があります。
 物理的なポイントとして考えられるのは、病院入口の段差、部屋間の段差、トイレ、駐車スペース、点字ブロック、などです。

 中でも、病院入口の段差は、大きな物理的バリアとなります。
 車いすの通行の障害となるのはもちろん、お年寄りやカートで来院された方にとっても、段差があることによって、そもそも建物に入ること自体が困難なことになってしまいます。
 段差を解消するためには、スロープや昇降機などが用いられます。
 スロープは傾斜の角度によって1/(数字)と表記されます。
 1/8の傾斜では、車いすの自力通行は不可能ですが、介助下なら上り下りは可能です(下りで車いすを前向きに下ろすのは危険)。
 1/12の傾斜では、車いすの自力通行はなんとか可能(ややきつめ)。介助下で下りの前向きも可能です。
 屋外などで、楽な移動のための勾配には1/15以下が望ましいとされています。
 病院前にスロープがあれば、車いすの方以外にも、お年寄りやカート利用者、医療機器の搬入やガスボンベの搬入にも重宝しますので、あると便利です。

 入口や部屋間の段差も、車いす、視覚障害者にとっては物理的バリアとなります。
 部屋と部屋の間を段差のないフルフラットの状態にしておけば、医療機器やガスボンベの搬入にも便利です。

 バリアフリーにおいては、トイレも配慮の大きなポイントになります。
 特に配慮が必要なのは車いすの方の利用ですが、手すりなどがあればお年寄りなどの使用にも支えとなります。
 トイレの部屋の大きさは、理想は2×2mです。これは公共施設やデパートの多目的トイレはこの大きさになっています。
 多目的トイレでは、車いすの利用者の他多様な方の使用を想定しているため、オストメイトやオムツ替え台、ベビーチェアなどが備わっていることが多いです。
 部屋の幅が1.6mあれば、車いすと介助者が入って使用してもらうことが可能です。
 幅が1mの場合は、側方に開口部を設けており、開口幅が90cm以上あれば、車いすから便座に乗り移って使用することが可能です。自宅ではこれでいいのですが、車いすがドアからはみ出ている形になるため、便座から乗り移ったあと、外から車いすを出してドアを閉めて、使用後にドアを開けて車いすを中に移動させる、という補助が必要になります。

 駐車場で考慮することは、車いす専用の駐車スペースです。
 県によっては車いす専用の駐車スペースが必須とされています。車いすの昇降場所には枠内に斜線の白線を描いたスペースを設け、駐車スペースと昇降場所を合わせて幅3.5mが必要です。
 あと、全国の31都道府県で実施されているのが、「パーキングパミット制度」というものです。
 これは、歩行困難な身体障害者、疾病による歩行困難者、妊産婦、高齢者、難病患者、を対象に利用証を発行し、利用証の保有者専用の駐車スペースを設けるものです。
 車いす専用スペースでは、対象が車いすのみのため、利用率が減る可能性がありますが、パーキングパーミットでは対象者がより広くなるため、利用率がより高くなります。
 逆に、車いす以外の人も停めるため、車いすの人が利用しようとしたときに使用されているという可能性があります。
 パーキングパーミットも、斜線スペースを合わせて、幅3.5mが必要です。

 点字ブロックは、今では全国に普及していますが、元は岡山県の民間人の三宅精一氏が、自費で開発・普及に取り組んだものです(開発話は必読)。
 誘導ブロック:4本線の形で「進行」の意味
 警告ブロック:たくさんの点が配置されたもので、「止まれ」の意味
という2種類となっています。
 視覚障害者が、白杖で確認しながら歩行時に使用するものですので、ブロックの上に物を置いてはいけません。
 一方、点字ブロックも、一般通行者・歩行困難者にとっては歩行の妨げになり、バリアとなる可能性がありますので、設置する際は、その点も留意して置く必要があります。

 動物病院において、バリアフリーを考える際にもう一つ注意しておかなければいけないのは、身体障害者とのコミュニケーションという問題です。

 通常、視覚障害者と肢体不自由者においては、会話が可能ですので(聴覚に問題がない限り)、言葉によるコミュニケーションが可能です。
 一方、聴覚障害者は聴覚に問題があるため、「聞く」と「話す」ということができないため言葉によるコミュニケーションができません。

 視覚障害者への配慮において考えなければいけないことは、視覚に問題があるということです。
 視覚に問題があるため、読み書きは不可であり、プリントは読めません。介助者がいれば、介助者にプリントを渡しておいてあとでもう一度説明しておいてもらうということも可能です。
 聴覚に問題がなければ、言葉によるコミュニケーションは可能ですので、言葉で説明を行うことができます。
 また、移動にも配慮が必要であり、特に建物の出入りの際は、補助を行うなど、配慮が必要です。

 聴覚障害者は、見た目から分かる障害ではないため、外見からは身体障害者と判断がつきません。
 視覚には問題はありませんので、プリントを渡して読んでもらうことが可能です。
 一方、聴覚の問題から、「聞く」と「話す」ができないため、会話によるコミュニケーションが困難です。そのため、獣医師もしくはスタッフが、基本的な手話を知っていることが理想と考えられます。
 建物の移動には、特に問題はないと思われます。

 肢体不自由者への配慮として一番大きな点は、車椅子での来院があるということです。
 視覚・聴覚に問題がなければ、プリントを読んでもらったり、会話でコミュニケーションを行うことが可能ですので、コミュニケーション上の問題はあまりないと思われます。
 車いすの場合は、特に建物の出入り、部屋間の移動、トイレの使用といったところに配慮が必要です。
 スロープを用いて建物の出入りをしやすくしたり、ドアの開口幅に余裕を持たせる(車いすの幅は70cm以下ですので、ドア幅はできれば90-95cm以上)ことが必要です。
 肢体不自由の箇所・度合いは、人によりそれぞれですので、それぞれの人に応じた配慮が必要です。

 最後にまとめですが、バリアフリーにするということは、身体障害者に対してだけでなく、健常者の高齢者や妊婦さん、その他の方に対しても、来院しやすい施設になるということです。
 バリアがない施設は、誰にとっても来院しやすい施設となります。

 動物病院は、身体障害者と関わりが少ないというわけではなく、補助犬を通じて身体障害者と接点のある施設です。
 「来る人は少ないから配慮をしない」では、補助犬を連れた人が来ようと思っても来れない場所となってしまっている可能性もあります。
 それでは、補助犬の導入を検討している方に対して、動物病院自身がバリアとなり、導入に対しての妨げとなってしまっている可能性があります。
 「来ようと思ったら来られる」ようにしておき、少なくとも補助犬導入に対してのバリアとならないということがとても重要です。

 社会の中のバリアとしては、施設や設備といったハード的なもの以外に、制度的なものや精神的なものなど、目に見えないものがあります。
 中でも、精神的なバリアは、身体障害者と接する前から誰でも心の中に持っています。それ自体は「自分と異なるもの」に対する防衛本能として、持っていること自体はおかしいことではありません。
 社会で一緒に暮らす同じ人、として、「誰にでも普通に接する」ことがまず大切です。
 「守るべき対象」ではなく、同じ社会に暮らす人です。

 私たちは、心の中に、しばしば「普通」の線引きをしてしまっています。
 心の中に、「普通の人」と「普通でない人」という線引きを作り、かつ自分は普通の人の側だ、と思っています。
 でも、「普通の人」などいません。
 同じ人などどこにもおらず、誰もが違っていて、それぞれの異なった部分を持っています。
 身長も、体重も、考え方も、趣味・嗜好もそれぞれです。
 すべての事柄において平均の中に入るMr. Averageの人など、この世には一人もいはしません。

 みんな違っていて当たり前で、違うものを持った人同士が集まっていて、それで同じ社会で暮らしています。
 お互い、同じ社会に暮らす人として、みんなが普通に、当たり前に暮らせる社会になることが大切です。

 動物病院として補助犬の健康をサポートすることは、動物病院ならではの、動物病院として社会に貢献できる領域です。
 動物病院として、補助犬の普及への協力も可能です。

 繰り返しになりますが、最後に大切なことを3つ。
1.バリアフリーを心がけることは、誰もが来院しやすい施設となります
2.補助犬の普及に貢献は大切ですが、少なくとも導入を思いとどまらせる要因になってはいけません
3.動物病院に手話をできる人がいることが望ましい

 僕自身、お恥ずかしいことに、しばらく前までは、バリアフリーということには深く考えたことはありませんでした。
 今回病院を移転するにあたり、新しく設計を考えることになって、改めて深く考えることになりました。
 手話を勉強し始めたのも、こういう経緯があってのことです。

 個人の力ではできることは限られているのですが、みんなで配慮をしあって、より良い社会にしていけたらと、切に願います。
 補助犬の普及にも、何かできることがあればと考えます。

「"努力"はするな」

僕が中学生の実習生とか、若い子がやって来るとよくしてあげる話があります。
それが、「”努力”はするな」、という話です。

僕のこれまでを振り返っても、僕はおおよそ、”努力”と言われるものをした覚えはありません。
大学に入ることができ、国家試験にも受かって獣医師になりました。
動物病院を開業しながら、一からプログラミングの勉強をして、20個以上の獣医療アプリを作ったりもしました。
今はマラソンの練習に、月200km以上走っています。

でも、それが”努力”をした結果かと言われれば、僕は「どれも努力などしていない」、と答えます。

例え話をしてみます。
テレビゲームが大好きで毎日何時間もゲームをしている人がいたとして、それに対して「努力をしているね」、と言う人はいません。

それはなぜでしょうか?

それは、本人が楽しくてやっていることだからです。
やりたくて、ただやっているだけのことを趣味とも言いますが、ゲームを楽しんでやっている人が、「すごいね、偉いね、努力をしているね」と言われても、「すごくもないし、偉くもないよ、これは楽しくてしているだけなんだ」と答えると思います。

僕の定義においては、”努力”と言うのは、「辛くても苦しくても、歯を食いしばって、それをやり続ける」という行為のことです。

世の中では、努力というのは、やりたいことを我慢し、自分の心に打ち勝つ強さを持った、偉い行為なのだと見なされています。

でも、本当に本人にとって身につくことというのは、楽しくってしょうがなくて、やりたくて仕方がないから、自分から喜んでやっているということなのだと思います。

努力をしなければいけないものというのは、義務として、やらなければいけないから、歯を食いしばってやるものです。

そうではなく、楽しくて、やりたくてしているということであれば、それは努力ですらありません。

勉強は楽しいものです。
スポーツも楽しいものです。
新しいものを知り、触れ、体験することは、自分の視野を広め、自分の可能性を広げてくれる、とても楽しいことです。

勉強でもスポーツでもそうですが、「やりたくてやっている」人間と、「やらないといけないからやっている」人間では、その学習効果には大きな差が生まれます。

天才というのは、「楽しいから自分からやっているうちに、勝手にどんどん上達してしまう」人間のことだと思います。
“努力”をしている人間が、天才と言われる人間に敵わないのは、「トレーニングを努力とも思わずに、楽しんでどんどんやっている」からなのだと思います。
彼らに「そんなに努力をして偉いですね!」と言ったとしたら、「いや、楽しいからやっているだけなんで、別に偉くはないです」という答えが返ってくると思います。

「努力をして偉い」と思っている人が、「やりたいことを我慢して、辛いことをし続けている人だ」と思い込んでいるだけで、当の本人は、楽しく、やりたいことをしているだけなのです。
やりたいことをしている人にとっては、「ストイック」という言葉は無縁のものなのだと思います。

“努力”をしないと何かをやり遂げられないというのは、結局、その楽しさに気がつかずに、「やりたくてやる」状態ではなく、「やらないといけないからやる」という状態にしかなっていないからだと思います。

「“努力”をするな」という言葉は、言い換えると、「やりたくないことを、歯を食いしばってやり続けるなんて面白くもなんともない。自分が心からやりたいと思えることを見つけて、「楽しくて仕方ないから、やりたくて仕方ないことだからそれをする」、そう言える人間になれ。」
ということです。

親の役目というのは、本人が楽しくないことを「歯を食いしばってやり続けろ」と言うことではなく、本人が心から楽しくて、自分から取り組めるようなものを見つけられるように(あるいは取り組むことの楽しさを分かるようにしてあげられるように)、協力してあげることだと思います。

努力をしないとできないようなことというのは、結局それなりの結果にしかなりません。
本当にものになり、人生を豊かにするのは、自分がやりたいと思い、取り組んでいけるものです。
そして、自分が心からやりたいと思えるものに出会えることは、本当に幸運で幸せなことなのだと思います。

本当に自分がやりたいことを見つけて、自分から取り組んでいける、そんな人間になって行って欲しい、と若い子供たちには願っています。

※転載、リンクはご自由にどうぞ

「もう少し早く連れて来てもらっていれば」
という言葉を言うか言わないかは、獣医師によって違うでしょうし、シチュエーションによっても違うと思います。

僕は基本的にはなるべく使わないですが、
「病態がこんがらがって悪くなって、ややこしくなって来た場合」
に限っては、もうちょっと早ければ早く治ったんだろうけど、時間が経っているので状態が悪くなって病態が複雑になっている、と正直に伝えています。

「言わない」理由としては、「飼い主さんが自分を責めてしまう」ということがあります。
もうちょっと早く連れて来てもらえれば何とかできたのに、早く連れてこなかったのが悪い、というニュアンスになると、飼い主さんは「自分のせいで動物が死んでしまった」と考えてしまう可能性があるからです。

そういう理由から、「もうちょっと早ければねぇ」と言わない、という獣医師もいます。
飼い主さんを気遣っての行為ではありますが、一方でその時のリスクとして一番心配なのは、飼い主さんが「獣医師のせいで動物が死んだ」と獣医師に恨みの気持ちを持つようになってしまう可能性がある、ということです。

分かりやすいところで言うと、子宮蓄膿症で時間が経って、腎不全や肝不全まで起こした状態になってから連れて来てもらっても、その時の死亡率は、子宮蓄膿症になったばかりの初期の状態に比べて、はるかに高いものになってしまいます。

そういう時は、きちんと「時間が早い状態で治療をすれば予後が概ね良い病気なのだけれども、時間が経って状態が悪化してからだと、死亡率が高くなってしまう」と言うことを伝える必要があります。
実際、初期だと救命率が高いけれども、病気が進んで重篤になると途端に死亡率が高くなってしまう病気というのはゴロゴロあります。

極力、「もう少し早ければねぇ」という言葉は使わないようにしていますが、恨まれたり、訴訟になったりすることのある職業ですので、時には使わざるを得ない(きちんと言っておかないとまずい)状況はあるのだと思います。

きちんと状況を説明しつつ、必要以上に相手を責めない、ということは大切だと思いますが、一方でそう言いたくなってしまう状況というのは、実は結構あったりします。
「1か月前から調子が悪かったけど、様子を見てました」
ということのないよう、早め早めに診せてほしいものだと、獣医師としては願います。

※転載、リンクはご自由にどうぞ

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