どうぶつ病院診療日記

動物病院の診察風景や、獣医師が日頃思っていることなど

アニマルポリスとオーナーライセン

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アニマルポリスとオーナーライセンスは、日本に必要だと思います。動物取扱業者に対する規制は、法律によりなされるようになりました。あとは、きちんと飼う人にだけ、動物を飼ってもらうよう、飼い主さんの側に求める事だと思います。
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ブルセラ陽性犬119頭が、4/28の早朝、全頭殺処分されました。


かねてより、いつかは処分される日が来るとは想像していましたが、
いざ処分されてみると、やるせなさというか、
虚脱感に似た感情が心を覆ってしまいます。

そして、想像していた通り,いろんな方面からいろんな反響が出ているようです。
行政や獣医師会の方々の労をねぎらう意見、
行政を批判する意見、嘆き悲しむ感想、etc・・。

僕自身は、この件に関してはまるきり無力であり、
何もすることも出来ませんでした。
感想だけ言わせていただけるとすれば、
罪なく殺されることになった犬たちの死を無駄にしないよう、
次につなげていってほしい、ということだけです。

意見の中には、行政や獣医師会を批判する内容もあるようです。
でも、やり方云々を別にすれば、僕としては、
この件に関して、「殺処分を選択し、実行した」という、そのことにおいては、
行政、獣医師会には一切の非はないと思います。

むしろ、いろんな誹謗・中傷の中、犬たちの世話をしつつ、
自分の感情を抑えながら府民のために仕事をした方々に、
心から「お疲れさまでした」と言ってあげたい思いです。

「眉一つ動かさず、粛々と刹処分を執行できる」人間など、そうそうはいません。
「殺したくはないけれど、こうする以外に選択肢がない」、
その思いで、自分の感情と葛藤しながら、
ほとんどの職員さん、獣医師の方が、自分たちの仕事を遂行していったのだと思います。

行政、獣医師会の人たちを、「心ない」とか「無慈悲だ」などと
責める人がいるとしたら、それはお門違いだと思います。

行政、獣医師会は、すでに生じてしまい、
どうしようもなくなってしまっている事態のつけを
”拭わされることになってしまった”立場の人たちです。

そういう人たちに対して、彼らが”尻拭いをしようとしている”行為を見て、
それを非難するのはあまりに筋違いであり、気の毒です。

責められる側は、行政や獣医師会ではありません。
本当に彼らの死に対して責任があるのは、
犬たちを繁殖の道具として扱い、彼らに病気を蔓延させてしまったブリーダーと、
そんなパピーミルたちの跋扈を許してしまっていた、社会全体の側です。
あえて言えば、今回の犬たちを殺さなければいけなくなったのは、
社会に暮らす僕たち一人一人、すべての人間のせいです。
彼らをして犬たちを殺させているのは、僕たち自身なのです。

社会全体が持つ、いびつな病理のつけが、今回のブルセラ問題を通して出てきているのです。

今回は、パピーミルによるいいかげんな繁殖が、問題の根本にある原因です。
そして、そのパピーミルを生み出しているのは、
そんなパピーミルに動物を金づるとして扱うようしむけている、
一人一人の飼い主全員の責任です。

大阪でブルセラが問題となっている間にも、
全国では、いくつかのブリーダーの崩壊が伝えられているようです。

手を打たなければ、今後も引き続き、同じような問題はいくらでも発生します。
「愛護団体」の中には、ブリーダーやパピーミルの責任についてはほとんど触れず、
行政が悪いことにして、一般の人たちを焚き付けようとしているような動きも見受けられます。
でも、問題を根源を見ず、起こった結果、それに対処しようとしている行政
(そういう団体からは、一番槍玉に挙げやすい)を非難して終わろうとしているような団体など、
まるで信頼できるようなものではありません。

今回のような事態が今後起こらないようにするためにはどうすればいいのか、
そちらの方が、よほど大切であり、
掘り起こして考えていかなければいけないことです。
今後のことをまじめに考えている団体であれば、
批判の矛先は行政ではなく、パピーミルの存在と、安易なペットブームのあり方の方に向かうはずです。

僕たちが今後、殺されてしまったブルセラ陽性犬たちに
何か報いることができるとすれば、それは、
今後このような問題を繰り返し起こさず、犬たちが幸せに生まれ、
幸せに人間社会で生きていけるように、問題がおこらないような仕組みづくり
をしていくことしかないと思います。

動物の命をめぐる問題は、人間社会に暮らす一人一人の、
人としてのあり方に関わる問題です。

罪なく殺される動物たちを生み出すのはもう嫌だ


その思いをみんなが抱き、
その思いを活かせるような仕組みを作っていくことが不可欠です。

命をモノ扱いし、金づるとしてしか見ないパピーミル、
「愛護」と称して、金づるを見つけたかのように群がってくる怪しい団体、
そういうもろもろの、闇にうごめく部分を排除し、
動物をめぐる環境を、よりきれいなものにしていかないといけないのだと思います。

最後に、ブルセラ陽性犬119頭の冥福を、心からお祈りします。

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愛護が愛誤になるとき

今、世の中では、しばしば動物愛護の大切さが叫ばれるようになってきています。
でも、それが「愛護団体」についての話となると、しばしば、
"過激な団体"だとか、"愛誤団体"などと、
色眼鏡を通したような目で見られ、語られるようになります。

愛護団体についての話をするとき、彼らの主張を聞く前に、
その団体が、"まともな"団体か、それとも"まともでない"団体か、
ということが問われたりする事もしばしばあるようです。

愛護団体である限り、その目的が「愛護を名乗った募金詐欺」でないならば、
その活動は「動物を大切にしたい」という思いから始まっているはずです。
でも、しばしば、その主張が社会にとって
受け入れられないようなものとなっていたり、
そんな主張を繰り返すことによって、
愛護テロのような目で見られたりしていることもあります。

先の記事で、動物愛護はすなわち「人のために」行われるべきものだ、
と書きました。

「動物愛護は誰のために」
http://blogs.yahoo.co.jp/ponpoko6691535/9127535.html

「動物のために」活動をしようとする時、
そこでは必ず、人間社会の利害との間に対立が起き、
受け入れられない主張と見なされる可能性が出て来ます。
時に、人間社会と愛護とは、相容れない、
対立する概念である様なとらえられ方をする事もあります。

でも、そもそも動物愛護が誰のためのものかと考えるなら、
それは、人間自身のためのものです。
動物愛護とは、自分たちの人間性・良心を大切にするために、
動物を大切にしようとする行為です。

動物を大切にする事は、「動物を大切にしたい」と願う、
自分たちの願いを叶えるための行為です。
動物愛護問題は、実は人間自身の心の問題であり、
人間社会自身の問題です。
動物を対象にしてはいますが、大切にしようとするのは自分たちの内部にあるものです。

動物愛護団体と愛誤団体の決定的な違いは、

「何を一番大切にしようとしているか」

ということであると思います。

まともな動物愛護団体は、自分たちの活動を社会活動の一環として考え、
社会のための活動として、
焦点を「人間と人間社会」に当てて考えようとします。
自分たちの活動は、あくまでも、

自分たちの社会を良くしようとするための活動です。


でも、"愛誤を行っている"とされる団体は、

焦点をあくまでも動物の側に当て、

「動物のために」ということが、最優先になってしまっています。


そこでは、動物が大切にされる事こそがなによりも大切で、
社会に暮らす人の生命や財産は、
時にその目的のために迷惑を被ったとしても、それは致し方ない、
という主張が時にされることになります。

動物が大切に扱われる事こそが何よりも大切で、
それ以上に優先されるべき事はないという、
いわば、「愛護原理主義」に陥っています。
動物の側を向いてはいても、人間社会とそこに暮らす人たちの事は、
しばしばなおざりになってしまっています。

"動物のために"、社会の側は迷惑を甘んじて受け入れろ、
という主張は、しばしばはた迷惑で、受け入れがたいものと見なされます。
でも、社会に受け入れられ、社会を変えようとするならば、
それなりに、社会に暮らす人たちが、
納得して受け入れられる様な主張でなければいけません。

でも、社会の多くの人が受け入れられない様な主張をしていながら、
その主張がなぜ受け入れられないかを考えようともせず、
自分たちの主張が通る事こそが何より大切、
と考えてしまうからこそ、"おかしな団体"と見なされてしまうのです。

"動物のために"行動しているつもりでも、突き詰めて言えば、
それは、

「動物の事を大切に思っている、自分の心を大切にするため」

の行動に他なりません。

それなのに、視野を狭めたまま、
一方的に自分の言いたい事だけを主張し、
自分の要求を通し、欲求を満たそうとしているように見えるからこそ、
しばしば「自己満足だ」という批判を受けてしまうのです。

動物愛護が人間社会に取って受け入れられるものとなるには、

「動物を大切にしようとする事自体が、人間社会を良くする事につながる」

となっていなければだめだと思います。

焦点を合わせるべきは、常に人間と人間社会の方であると思います。
人間社会を、自分たちの理想を妨げる、敵の様な存在と思ってしまうのは、
それ自体に問題があると思います。
社会と対立する立場になってしまうとしたら、やはりその行動には、
おかしな、反省すべき点があるのだと思います。

動物を大切にする事は、人間のためであり、人間社会のためそのものです。
そう考えて行き、受け入れられる様な主張をして行かなければ、
世の多数の人に受け入れられる事は難しいと思います。

※動物と飼い主さんの設定と描写には、修正を加えています。
 傑作、ランキングをクリックしていただけますと、うれしい限りです。
 この文章は、多くの人に読んでいただきたいですので、
 転載、リンクはフリーとさせていただきます。

2005年6月に動物愛護法が改正され、動物虐待を防ごうという意識が高くなってきております。
しかし、法律の実効性がまだ低いことから、きちんと飼育せず、動物虐待につながってしまっているケースは、今でもしばしばおこっています。
現在の法律では、動物虐待を疑うケースにおいて、強制力をなかなか行使できない、ということが、取り締まることのできない根幹となっています。

また、繁殖場においても、密集した犬舍での不衛生な繁殖を行い、結果、大阪のブルセラ症発生のような、悲惨な状況になってしまうケースもしばしば見られます。

そんな状況の中、「日本にアニマルポリスを誕生させよう!」では、動物を大切に飼育し、虐待行為を防ぐための制度化を求めて、署名活動を行うことになりました。

制度がありさえすれば、虐待によって命を落とさずにすんだ動物も、多くいます。
また、きちんとしたブリーディングをさせるためのルール作りがされていれば、遺伝性疾患や感染症などで苦しまなくてすんだ動物も、多くいます。

動物を大切に扱い、虐待を防ぐためのルール作りをしていくために、ぜひ皆さんの署名をお願いします。


イメージ 1

署名のための特設サイトです。こちらから署名用紙をダウンロードできますので、ご覧ください。↓
http://www.animalpolice.net/aigohou/aigohou2007/index.html

この度の署名活動は、地球生物会議ALIVEさんと共同で行います。
「動物愛護管理法の実効性を求める署名・実行委員会」↓
http://hogohou.net/index.html

イメージ 2

僕も、微力ながら、サポーターとして参加させていただいています。
日本にアニマルポリスを設立し、よりよい動物飼育がなされるようにしていきましょう。
http://www.animalpolice.net/

※ぜひ、読んだ方にも転載をしていただけますよう、お願いします。

動物愛護は誰のために

今、世間では、「動物愛護団体」と聞くと、
いぶかしいものを見るかのように反応してしまう人も、
少なからずいると思います。

動物愛護と言うと、それはもちろん大切にしないといけないことですが、
時に、愛護精神が行き過ぎてしまったり、変な方向に向かってしまうと、
世間の人の多数の理解を得られない状態になり、
時に不信の目で見られる事になってしまいます。

愛護が行き過ぎて、愛誤となってしまうのはどうしてなのか、
というテーマは次回にまわすとして、
ここでは、動物愛護というのは、
何のために行うのか、ということを考えてみたいと思います。

動物愛護というのは、読んで字のごとく、
「動物を愛護する」ということです。
広辞苑によれば、"愛護"とは、「かわいがり保護すること」とあります。

動物愛護活動、という言葉に持って行くとき、
これでは分かりにくいので、僕の言葉で言い直せば、「動物愛護」とは、

動物を大切に感じ、大切に扱う

事だと思います。

動物飼育において言うなら、愛護精神を持った飼育とは、
動物に不要な苦痛を与えず、幸せに暮らせるように配慮する、
ということです。

動物愛護というものについて考えるとき、
つい忘れそうで、でも忘れてはならないのは、

「なぜ、動物を大切に扱わなければいけないのか」

ということです。

こう書くと、たぶん、「そんなこと当たり前の事じゃないか」
という人がいると思います。
でも、その、"当たり前"と思ってしまいそうな事をどうとらえているかによって、
それがまともな活動と思われるか、それとも"愛誤"だと見なされるか、
ということが分かれてくると思います。

ある人にとっては、その行為がが当たり前でも、
違う人にとっては、その行為は当たり前ではないかもしれません。
正しい事だと思ってその行為に従うよう主張したとしても、
誰もが納得して従えるものでなければ、
社会に暮らす誰しもに、すんなりと受け入れられるわけではありません。

賛同を得られず、むしろ反発を招く様な主張であったりすれば、
本来まっとうな事を言っていたとしても、いつの間にか、
怪しい目で見られるようになってしまいかねません。

動物愛護という行為においてもその通りです。
活動をしている人が、当たり前の事だと思い、確信を持っていたとしても、
「動物のために」大切にしましょう、というだけでは、
全ての人にすんなりとは受け入れられるとは限りません。

僕としては、社会の中で、多くの人の賛同を得ていき、
反発を招かないようにするには、「動物のため」としてではなく、
「人間のため」として、愛護活動を説いて行った方が良いと思います。

動物を大切にする行為そのものが、人間のためであり、
人間社会を良くする事につながる
そう言って行かないと、
社会の中でのルールとして行くためには受けいられがたいと思います。

「なぜ動物を大切にしないといけないのですか?」
と聞かれ、「動物の命は大切だからです」と答えたとしても、
もちろん、それが間違いとは言いません。
でも、その主張が、全ての人に、すんなりとルールとして、
心から受け入れられるとは限りません。

動物愛護をして行くにあたっては、人間の利益と相反する事もしばしばです。
そんなとき、「動物のため」として強制すると、
必ずそれに反発する動きが出て来ます。

動物を大切にする事の意味は、それすなわち人間自身のためであると思います。
「なぜ動物を大切にするの?」と聞かれたなら、僕の今の答えとしては、
1.自分たちの、命を大切に思う気持ち、すなわち良心と人間性を大切にする
2.それにより、社会のモラルが引き上げられる事は、社会の安定に役立つ
ということになります。

間接的ではありますが、それによって、
社会に暮らす人たちの生命や財産が守られるための、
基礎の部分を形成するのに役立つ、ということです。

個々人の高い倫理観、モラルは、自由社会において、
社会の根底を支える基盤となるものです。

今ほど、「命の大切さ」や生命倫理について見直されている時代はありません。
動物の存在を通じて、自分たちの命への向き合い方を考え直す事は、
自分たちの生き方と自分たちの社会のあり方を、
そのまま問い直す事につながると思います。

動物のことを大切に考え、扱う事は、
動物にとっての問題ではなく、人間自身にとっての問題です。

「大切にしないといけないから大切にする」のではなく、
「大切にしたいと思い、大切にする」
という姿勢でなければいけないと思います。
そう思い、大切にすることができる人こそが、
「命の大切さ」を心に持っている人なのだと思います。

※傑作、ランキングをクリックしていただけますと、うれしい限りです。
 この文章は、多くの人に読んでいただきたいですので、
 転載、リンクはフリーとさせていただきます。

アニマルポリスとオーナーライセンスは、
動物飼育をよりよくして行くために、
お互いに補完しあう車の両輪の様なものだと思います。

僕なりに解釈すると、アニマルポリスは、
「飼ってはいけない人が動物を飼っているとき、
 それを暴き、虐待行為をやめさせる」
ためのものです。

そして、オーナーライセンスは、
「飼ってはいけない人が、動物を飼えないようにするため、
 そして、飼ってはいけない人だと分かったときに、
 また飼育し始めるのを防止する」
ためのものです。

そう考えると、アニマルポリスとオーナーライセンスは、
お互いの足りない部分を補いあっていて、
二つ合わせて、初めて不適切な動物飼育を防止できるようになることが分かります。

つまり、明らかに飼えないだろうという人に、最初の段階で、
「あなたにこの動物は無理ですので、
 別の動物にしておいた方が良いのではないですか。」
と告げることができたなら、
虐待されたり不幸せになる動物を、少しでも減らす事ができます。
飼い主も、無理な行為に手を出さなければ、最初から嫌な思いをせず、
また、法律違反を犯さなくてすむ事になります。

しかし、虐待行為を行うことを予想できず、
不幸にも動物飼育をしてしまうようになっているなら、
虐待され、不幸せな状態を強いられている動物を救助し、
また、そんな行為をしている飼い主に、
強制的にそんな行為をやめさせるための処置が必要になります。

そして、動物を飼育するのが無理な人だと分かったなら、
その人にはもう飼育を許可しない、
とする事になれば、それ以後の不幸せな動物が出るのを防止する事ができます。

最初の部分と最後の部分が、
「ペットオーナーライセンス」の担当する部分であり、
真ん中の部分が「アニマルポリス」が担当する部分です。

明らかに、無理な飼育をしようとしているなら、
生活環境や家族構成を聞けば、
それはある程度見分ける事ができると思います。

でも、最初の時点で、不適切な飼育をする人を見分けようとしても、
その人がきちんと飼えるかどうかなんて、
実際問題、飼ってみないとそれは分かりません。

だから、真ん中の部分は、虐待行為と不適切な飼育を摘発するための
アニマルポリスが、絶対に必要です。
ライセンス制度だけでは、虐待行為禁止の抑制力には不十分です。

最後の飼育禁止の部分は、摘発され、刑事告訴となった場合は、
裁判において飼育禁止の判決を申し渡される場合もあるかと思いますが、
オーナーライセンスの再発行禁止、という選択肢ができれば、
不幸せな動物が生み出されるのを防止する助けにはなると思います。

何とか、ふたつそろって日本で制度が導入されて欲しいと願います。
心から願うと同時に、微力ながら知恵を絞って行きたいと思います。

※転載、リンクはフリーとさせていただきます。

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