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鳥インフルエンザが騒がれだして久しいですが、 野生動物の救護と言うのは、家庭動物の診察と違った考慮すべき点があるのは実際です。 野生の鳥獣、とくに鳥を保護し、救護するということにおいては、 その意味合いを考えるのもなかなか微妙なところがあるのも実際だと思います。 中でも答えが出ないもののひとつは、冬の鳥などの診察です (鳥インフルエンザは今回は置いておいての話です)。 冬の時期の鳥などの死と言うのは、 自然界においては、貴重な意味を持っています。 それは、 「他の生き物の、貴重な食餌となる」 ということです。 冬は、山の中も食料の少ない厳しい時期となりますが、 そんな中で命を落とした動物の亡きがらは別の命の糧となります。 亡くなった命は、自然の中で無駄とはならず、 他の命の支えとなり、他の命に受け継がれることになります。 自然界においては、命は巡り巡るものであり、 ひとつの命の死は、他の命にとっては大きな意味を持っています。 冬の野生鳥獣の救護に際して考えてしまうひとつのことは、 山の中で死に瀕し、他の命に受け継がれる前にある命を、 人間が人間社会の中に連れ帰るということが、 本当に良いことなのかということです。 自然の中で死んだ場合、その命は他の命の糧となり、 貴重な役割を果たします。 ところが人間社会の中に持ち帰ったものの、 そこで死に、消却処分されてしまうと、 その命は何にも受け継がれないことになり、 本来なら意味のある死であったはずのものが、 とたんに意味のない、「無駄な死」となってしまいます。 怪我をしていたものを人間が治療し、元気になって野に帰るなら、 その命はまた環境の循環に戻ることができるのですが、 中には治療をしても死を回避したとしても野に放せるまでに至らない、 ということもあります。 そうなると、その後その命は、 「自分が活かされないままの命を生かされる」 ということでもあります(それが良いことなのか悪いことなのかは僕には分かりません)。 その一方で、食料として手に入れるはずだったものが取り上げられたとすれば、 「本来ならそれで生かされるはずだったはずの命が、 生をつなげず、終わりを迎えることになる」 ということともなりえます。 春夏の動物の救護においては、幼鳥獣の外傷や事故は、 ほとんどが人間社会が自然の側に影響を与えてしまったことと関係しています。 そのため、この季節の野生鳥獣救護と言うのは、 「人間社会のために傷ついた動物に対して人間が罪滅ぼしをする」という意味があるのだと考えています(個人的な考えですが)。 一方、冬の野鳥などで、車にはねられたなどというわけでもなく、 ただ弱って死につつある、というような場合、 それは自然の成り行きの中でドロップアウトして、 意味のある、自然な死を迎えつつある、という状態なのかもしれません。 意味のある、自然な死に向かおうとしているものを、 人間が人間社会に引き込み、意味のない死に追い込んでしまうとしたら、 それは本当に正しいことなのか、というのはどうにも考えてしまうところです。 「かわいそうと思ったら救えば良い」 と言う意見もあるかと思いますが、 僕はそれが疑いなく正しいことだとも思えません。 あまり意識をすることはないと思いますが、 「命を救う」ということは、「命を殺す」ということの裏返しです。 命を救おうとする時には、その命をつなごうとするために、 他の命を殺し、食料という形で与えなければいけません。 またその死によって本来だったら飢えが解消されるはずだった命がある場合、 間接的にその命へも影響を与えています。 ミルワームや鶏は野生鳥獣よりも命の価値が低いから、 殺して与えても良いのだ、とは僕には思えません。 どの命も、自分の生のために精一杯生きている命です。 だからこそ、人の持つ「命を大切にしたい」という思いを踏みにじらないためにも、 よく考えて行動しないといけないのだと思います。 命を大切にするということは、 死に行く命をかたっぱしから捕まえて死を回避させるということではありません。 その命が持つ精一杯の生を送らせてあげ、 その命を活かし、死を意味のあるものとするということも、 「命を大切にする」ということなのだと思います。 人によって考え方は違うと思うのですが、 「山の中で倒れていて死にかけていました」 という鳥を連れて帰って来て、人間社会の中で死なせてしまうということには、 どうしても心に引っかかるものを感じます (実際、ほとんどはそのまま死にます)。 死んでしまうということはあってはいけないことだから、 山の中をパトロールして、片っ端から弱っている鳥獣を連れて帰って来て、 人間社会で保護しよう、と言っている人がもしいたとしたら、 僕はそういう行為には大反対です。 自然の命の営みにはなるべく干渉しない、 一方で、人間の営みによって傷ついてしまった動物には人間の手によって償いをし、 できるだけ自然のバランスを壊さないように気をつけながら命を元の環境に戻す、 というのが、より問題の少ない接し方なのかなとも思います。 もしかしたら、命を救うことを至上と思わなければいけない立場の人間が、 救うことに疑問を感じること自体おかしいと言われるかもしれませんけれども、 それでいいのか、と考えてしまうところがあるからこそ、 どうにも考えさせられてしまうところです。 結局結論のでない疑問であると思いますし、 僕もどちらにも断定は出来ないのですけれども。 ※「じゃ、ほっておけということなのか」 というコメントがかならず寄せられるでしょうから、 先に僕の答えを書いておきます。 「純粋に山の中で弱って死につつあるのであれば放置すべき」 「明らかに人の活動と関係して怪我をしているのであれば、 人としてなんとかしてあげたい」 (ただし今は鳥インフルエンザの問題があるから困ったものですが) というのが僕なりの答えです。
その境目の症例が多いのが難しいところなのですけれども。 ※傑作、ランキングをクリックしていただけますと、うれしい限りです。 転載、リンクはフリーとさせていただきます。 |
野生動物について
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野生動物について思う事
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先日野鳥救護について少し触れましたが、 野鳥の救護、施設と言うのは、 なかなか難しいというか大変な部分を含んでいるというのもたしかです。 うちの地域でも、ずっと昔から、野生動物救護のセンターを作るという話が出ながら、 なかなか進展せず、今に至っているようです。 なぜ施設を作るのに難儀するかと言えば、 まず来るのが予算の問題です。 傷ついた野生動物がかわいそうだから助けてあげよう、 というのは頭(というよりは心)では分かるのですが、 実際にそれをするとなると、誰がお金を出すか、 という問題になって来ます。 施設と設備を作るとなると、それを作るのは行政ですので、 その資金の源泉は基本的に税金です。 他の施設と違い、野生動物救護の施設は、 社会に対しての恩恵が分かりづらい、という部分がありますので、 税金を投入する上で納税者すべての理解を得るのが大変な部分があります。 道路を造るのであれば、造った道路で経済が活性化され、 納税者に利益が還元される、などと投入の理屈が分かりやすいのですが、 野生動物の救護においては、野生動物を治療する事で、 社会に対して経済的な利益がもたらされるかと言うと、 そういうことは基本的にはないわけで、 基本的には、「なんとかしてあげたい」という、 人の気持ちが基礎にある行為であると思います。 「環境保護と結びつけて、動物も大切な自然の一部だから、 それを保全する事は回り回って人間のためになる」 という考え方も出来なくはないですが、 環境の保護のためであれば、個体保護よりも環境自体へのケアの方が重要ですし、 個体レベルのものであれば、絶滅が心配されているような種でなければ、 偶発的に個体が減ったとしても、開いた資源を埋める形で別の個体が増えますので、 ありふれた動物を助ける事の根拠にはなりにくいと思います。 僕としては、野生動物を救う事の意味と言うのは、 勝手に山に道を造り道路を走らせたり、 透明なガラスのトラップを作ったりして、 本来であれば危害に遭わなくてすんだはずの動物が人間によって害を受けてしまっているのであり、 人間のせいで傷ついた動物に対しての、人間からの少しでもの罪滅ぼしということなのだと解釈しています。 ただ、こうなるとこれは個人の解釈でしかないですので、 それを万人に押し付けられるかと言うとそれも出来ませんし、 それを根拠にして税金を投入する事にすべての人が賛同できるかと言えば、 俺は賛同できないよと声をあげる人も、少なからず出て来るかと思います。 だからこそ、万人を説得するための言葉として「環境保護」という言葉が出て来るのですが、 僕としては環境保護という言葉がぴったり当てはまるかと言うと、 ぴったりとは当てはまらないと思います。 倒れている動物を見かけて、それをなんとかしてあげたいと思うのは、 人が人としての心で、そういう思いを抱くからです。 学生の頃は野生動物救護に興味を示す人も少なくありませんでしたが、 卒業する頃に、救護で飯を食べて行くのは大変、 という話を聞くと、別の進路を選ぶ人も多いようです。 ただ、救護を必要とする野生動物が多数出て来ると、 施設を作ってなんとかしないと、ボランティアではどうにもならない、 という「せっぱつまった感」が出て来ると、 「ないと困る」という意見が税金投入論をはねのけて、 予算の獲得に繋がるのかもしれません。 あとは、景気が悪いと予算の使い方もシビアになりますので、 こんな時代だとなおさら、大した経済効果も期待できない救護には、 投入が慎重になってしまうのだと思います。 また、施設が出来ても、それで順風満帆というわけではないようです。 去年、近隣の県の野生動物救護の施設に研修会でいく機会があったのですが、 施設と設備は作ったものの、常駐する獣医師の職員が確保できず、 結局近隣の獣医師が不定期に来て診察に当たっているという事で、 せっかく作った施設を100%活かす事は出来ていないという事でした。 僕の地域でも、地域の動物病院が一次診療にあたり、 動物園が二次診療施設として収容する、 という形になっていますが、そうすると、 ウイルスや寄生虫の持ち込み(野生動物はダニを普通に持っています)、 スタッフの時間と労力(メインの仕事は園内の動物の世話です)、 収容力の問題(放獣・放鳥不可の場合は頭の痛い問題です)など、 救護施設でないことによる問題が多々あります。 社会にあふれるほど資源が豊富にあり、 納税者が予算割りにとても理解を示してくれる、 というのであれば、施設と設備もどんどん充実して行くのでしょうけれども、 現実はそうではありません。 そうは言っても、傷ついた動物が人間社会の中で保護されると言う機会は、 今もこれからもあるわけで、 自然と向き合う人として、自然の中で生きる人間として、 なんとかしてあげたいと思うのは多くの人がそうであると思います。 先日政治家が動物愛護の話し合いのために会合を持っていたと言うニュースを見ましたが、 野生動物の救護の問題は、それと比べても注目されていない分野だと思います。 ペットは社会の中の動物ですが、野生動物は社会の外の動物であり、 社会の外の存在に対して、なぜ社会の資金を振り分けるのか、 という疑問はずっとぶつけられて来るのだと思います。 そうは言っても、野生動物が人間社会と関わりを持つ事で、 傷ついたり保護されたりする機会はこれからもあるわけで、 少しずつでも野生動物を救護するための体制が充実して行ってくれればと願います。 ※動物と飼い主さんの設定と描写には、修正を加えています。
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春になり、鳥インフルエンザの心配も減ってきました 冬場は野鳥の診察は断っていたのですが、 温かくなって来ましたので、今はもう野生の鳥の診察を解禁しています。 解禁していきなりの仕事は、トビの断羽でした。 道路の横にいたという事で、おそらく交通事故だと思うのですが、 肘のところの関節のところで羽がポッキリと折れ、 骨が飛び出てしまっていました。 鳥は飛ぶことが生命線ですので、 できれば羽をつなげてまた飛べるようになるのが一番なのですが、 今回の鳥は、飛び出た骨も変色して、血行も悪くなっていて、 とても整復手術をして元の状態に戻せる状態ではありませんでした。 そのため、やむなく断羽を行う事になりました。 手術自体は、麻酔を静脈注射してガス麻酔で維持しながら、 切って縫って終わりという、比較的簡単な手術ではあったのですが、 気分的にはあまり良くない手術ではありました (収まらない部分の骨をぎこぎこと切るのは、とても嫌なものです)。 手術して、元通り元気になってくれて、というのであれば、 術者としても手術のしがいがあるというものですが、 鳥で片方の羽をとってしまうと、 その後はもう飛べなくなってしまうので、 鳥としてのアイデンティティを奪ってしまう事になります。 キツネなどであれば、たとえ三本足になっても、 そのまま野生で暮らして行く事もできるのですが、 鳥だとそう言うわけにもいきません。 飛べないとなると、敵が来た時に逃げる事もできませんし、 自分でご飯を探したりする事にも支障を来すようになってしまいます。 野生動物の治療のときは、二次施設に送り、 そこで元気になった事を確認して放鳥、 ということになるのですが、 放鳥できるまで至らない場合はどうするのか難しいところだと思います。 動物病院は一時施設ですので、 必要な手術をしたら、あとは二次施設に送って、 その後どうなるかは二次施設にお任せするという事になります。 一度切った羽はもう生えて来たりはしないだけに、 決断と処置をするのはなかなかに切ないです。 切るのは簡単ですが、それは鳥にとっては一生の問題になります。 とは言っても、血行も悪くなって、 化膿して命を脅かしそうな場合は、 断羽するのもやむなしの事もあるのがしょうがないところではあります。 鳥の活動が活発になって来ると、
車にはねられたりしてやって来る鳥も増えるだけに、 これからまた怪我をしてやって来る野鳥が増えないかどうか心配ですね。 |
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動物病院には野生の鳥が連れてこられる事もたびたびあるのですが、 その中には、その"保護"ってどうなの? と言いたくなる様な場合も含まれていたりします。 中でも昔、「それどうなの?」と言いたくなったのが、 「タカにおそわれていた鳥を"保護"して連れて来た」 という症例です。 話を聞いてみると、車で通りがかったところ、 おそわれている鳥と同じくらいの大きさのタカが、 ハトを襲っていたという事で、 車を降りてあわてて駆け寄ってみると、 タカはビックリして逃げて行ったとのことです (近くに避難して様子をうかがっていたかもしれないですが)。 残された鳥を見ると、どうやら怪我をしているので (タカにおそわれたので当たり前ですが)、 かわいそうということで動物病院に連れて来たという事でした。 人間は怪我をしていてかわいそうと思ったかもしれませんが、 タカの側から見れば、完全な「獲物の横取り」です。 タカが獲物を捕まえて食べようとしていたのであれば、 そのまま放っておいてあげて下さいよと言いたいところですが、 それにしてもかわいそうなのは、いきなりやって来た人間に、 横から獲物をさらわれてしまったタカの方です。 体と頭にざっくり大きな傷がありましたので、 手当をしても助からず、そのまま亡くなってしまいました。 冬場の辛い時にせっかくやっとの思いで捕まえた獲物なのに、 それを取り上げられると言うのは、タカにとってはずいぶんひどい事です。 食物連鎖の中で自然に起こっている事については、 人間は手を出さない、というのが一番だと思います。 猛禽類におそわれている動物を見つけるたびに、 捕食を妨害して、おそわれている動物を助ける事が正しい事かと言えば、 言うまでもなく、自然の摂理を無視している正しくない行為です。 もちろん、人間が車ではねてしまったなどというのであれば、 人間社会にとっての罪滅ぼしのためにも積極的に保護をするべきだと思いますが、 そうでない場合は、なるべく介入するべきではないと思います。 おそわれているからかわいそう、と言って獲物を取り上げてしまうと、 タカにたいしては、そちらの方がかわいそうです。 タカにやられておそわれている場合、 爪で握られていれば、それでもう致命傷をもらっている場合が多いですし、 それを取り上げる事により、今度は逆にタカが餓死してしまう可能性もあります。 また、獲物を取り上げられたために、 タカが今度は別の鳥を捕まえて食べるということになれば、 死ななくてすんでいた別の鳥が捕らえられて死んでしまう、 ということを意味しています。 明らかにおそって食べていたのを横取りする、というのは論外ですが、 僕としては、基本的には、 冬、野外で弱っている動物がいたとしても、 交通事故などでなく自然に弱っているのであれば、 そのまま自然に任せておく方が好ましいのだと思います。 なぜなら、自然状態では、その動物はたとえ死に至ったとしても、 その死は無駄になる事はないからです。 死んだあと、そこに残された亡きがらは、 他の鳥やキツネ、タヌキなどの食料となります。 冬場は、どの動物にとっても、食料を見つけるという事は大変な時期です。 そのまま放置されていれば、貴重な冬場の食料として、 他の動物達の命をつなげるための命の糧となります。 それをそこから持ち去ってしまうと、 それを食べる事により救われたはずの別の命が失われる、 ということにもなり得ます。 もちろん状況により、動物の種類により、一概に言える事ではありませんが、 野外で野生鳥獣を見つけた場合は、 その鳥獣を保護するということによりどうなるのか、 保護しなかった場合はどうなるのか、 ということをよく考えてから、保護した方が良いのだと思います。 ※動物と飼い主さんの設定と描写には、修正を加えています。
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初夏は、しばしば野生動物が保護されてくる時期です。 春に生まれたヒナが成長して来て、巣立ちする前で、 巣から離れた時に人間に見つかり、保護されてくることがよくあります。 たいがいの動物病院は、野生動物の一次救護施設になっていますので、 動物病院には、この時期、野生動物がよく連れてこられます。 動物病院で預かった動物は、怪我や病気がないかを調べた後、 二次救護施設に搬送される事になります。 病院によっては、そのまま成長するまで、 自分の病院で面倒を見るところもあるかと思います。 連れてこられる動物はいろいろですが、ほとんどは鳥、 それもスズメやツバメ、ヒヨドリあたりと言ったところです。 鳥を連れてこられれば預かるのも仕事(ボランティアです)ですので、 そのまま預かるのですが、中には、 正直、連れてこられて"わっ、来たか!"と思ってしまう動物もあります。 中でも、ハトは正直、あまり連れて来て欲しくない動物です。 なぜなら、ハトは、「クリプトコッカス」という、 人間に感染する病気を持っているからです。 クリプトコッカスというのは真菌の仲間ですが、 中でもハトの糞中に、とくに高い確率で含まれています。 ハトの糞が乾燥し、微量な粒子の状態となり、 空気中に巻き上げられると、 肺の中に吸い込まれる事によって人間に感染します。 クリプトコッカスは、ハトにおいては特に症状を起こす事はありません。 ところが、人間に感染すると、肺炎や髄膜炎を起こすと言われています。 やっかいなのは、 ハトは健康そうでもクリプトコッカスを持っているという事と、 クリプトコッカスは目には見えないという事です。 傷ついたハトに元気になってもらいたいのはやまやまですが、 そうは言っても、獣医師やスタッフが クリプトコッカスに感染して入院するという事態は、 起こさないように気をつけないといけません。 預かったハトをどこに置くかということは、なかなかに頭を悩まされます。 犬舍のケージに入れると、掃除しようとした時にばたばたともがき、 羽根をばたつかせる事によって、 クリプトコッカスが空気中にまい上げられる可能性があります。 また、猫に感染して、皮膚、特に鼻の横に膿瘍をつくる事もありますので、 できれば、入院中の動物がいる時には、 他の動物とは一緒にはしたくないところです。 となると、隔離犬舍に置くのが無難です。 スタッフのいるところに置くと、スタッフの感染の可能性が出て来ます。 ハトを触る時は、極力マスクをするようにしていますが、 それでも、とても気を使います。 気がかりなのは、ハトのクリプトコッカスの話を、 一般の人があまりに知らない事です。 もちろん、公園でハトと戯れるくらいであれば、 濃密な暴露とはならず、感染する可能性は高くないとおもいますが、 糞との濃密な接触をすれば、 感染リスクが高くなりますので気をつけないといけないところです。 あまりに神経質になる事はないと思いますが、 ハトのケージを、まちがっても扇風機やクーラーなどの 手前に置くのだけはやめておいた方がいいと思います。 糞中のクリプトコッカスが、風に乗って舞い散る可能性があるからです。 ※動物と飼い主さんの設定と描写には、修正を加えています。 傑作、ランキングをクリックしていただけますと、うれしい限りです。 転載、リンクはフリーとさせていただきます。 |





