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趣味で日本の古代史を勉強しています。
本を20冊くらい読んだ所で、おぼろげながら自分なりの古代史が浮かんできましたので、
こちらにも書いて行きます。
日本古代史は、少々本を読んだから分かる、というものではないです。
分かっていることをつなぎ合わせて、ストーリーを考える、という作業が必要です。
おおざっぱな古代の流れは、
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・縄文時代(約1万6,500年前〜約3,000年前)
縄文人が日本大陸に移り住む。
狩猟採集生活。
・弥生時代(300 BC頃–250 AD頃)
弥生人が主に九州から移りすむ。
稲作が大陸から伝播
北九州、吉備、出雲などの勢力圏が勃興。
・古墳時代(250頃–600末頃)
ヤマト王権が王権を確立
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という流れです(ざっくりしすぎですが)。
これをさらに細かく書くと、
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BC2
銅鐸文化始まる
BC1
AD1
57奴国、後漢に金印を授かる
AD2
107倭国王(北九州?)帥升、後漢王に謁見
後半 倭国大乱
AD3
248頃卑弥呼没する、以後倭国の乱
265魏滅亡
280呉滅亡
前半〜 纒向遺跡建設
中頃 箸墓古墳作られる、前方後円墳の確立
? 銅鐸文化の終焉
AD4
316西晋滅亡
391倭、高句麗・新羅を破る
AD5
413倭王讃による朝貢
463吉備の反乱
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です。
問題は、各勢力圏勃興からヤマト王権の確立の流れが不明だということです。
250年頃が邪馬台国の記事があり、それから好太王碑文の391年の記載まで飛んでいます。
気がつくと王権ができていた?という感じであり、謎の4世紀と言われる物です。
この中で、一番のキーワードは纒向遺跡の建設ということだと思います(前方後円墳と銅鐸も、実は大きなできごとです)。
纒向は、3世紀に突如現れた、政治と宗教に特化しており、計画的に、人工的に作られた町だということです。
通常の勢力圏のように、農業人口が増え、王ができた、というのではなく、最初から政治のためだけの町ができるということの意味は、勢力圏同士が結びつき、いわば「ヤマト・ネットワーク」のコントロールセンターとしての町を作った、ということです。
その後、北九州もそのネットワークに参加し、日本が統一に向かって行った、というのが一番考えられる筋道だと思います。
と、そうなるとここで疑問がいくつかです。
・邪馬台国はどこにあった?
・倭国ってどこを指しているの?
・なぜヤマト・ネットワークは作られた?
・大王は誰がなった?
・神武の東征とは何?
・出雲の国ゆずりとは何?
・神武、崇神、応神とは誰?
答えのでない疑問も多いのですが、考えられることを書いて行こうと思います。
興味のある方限定の投稿ですが。
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