羽ばたけコウノトリ!、日本の空に、そしてトキも !!

日本の貴重な自然を一人一人が大切に!、素晴らしい環境に戻そう !!!

読書

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

「峠」読了!

幕末、独立小国を目指して奮闘した長岡藩家老・河井継之助の活躍!!

司馬遼太郎の歴史小説「峠」(上)(中)(下)>;)を読み終えた。

イメージ 1



 峠:

 司馬遼太郎の長編時代小説。(新潮文庫)

それまでほとんど無名に近かった幕末から戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助の名を、一躍世間に広めることとなった歴史小説である。
近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、「藩」や「武士」という束縛から自己を解放するまでには至らず、最後には武士として、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描く。



上巻:
幕末、雪深い越後長岡藩から一人の藩士が江戸に出府した。
藩の持て余し者でもあったこの男、河井継之助は、いくつかの塾に学びながら、詩文、洋学など単なる知識を得るための勉学は一切せず、歴史や世界の動きなど、ものごとの原理を知ろうと努めるのであった。
さらに、江戸の学問にあきたらなくなった河井は、備中松山の藩財政を立て直した山田方谷のもとへ留学するため旅に出る。 
イメージ 2
中巻: 旅から帰った河井継之助は、長岡藩に戻って重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出す。 ちょうどそのとき、京から大政奉還の報せが届いた。家康の幕将だった牧野家の節を守るため上方に参りたいという藩主の意向を汲んだ河井は、そのお供をし、多数の藩士を従えて京へ向う。 風雲急を告げるなか、一藩士だった彼は家老に抜擢されることになった。 下巻: 開明論者であり、封建制度の崩壊を見通しながら、継之助が長岡藩をひきいて官軍と戦ったという矛盾した行動は、長岡藩士として生きなければならないという強烈な自己規律によって武士道に生きたからであった。 西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の蔭にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯を描く力作長編。

朝廷軍とはいえ、恭順を示すことを許されず、最終的に戦わざるを得なくなった長岡藩、その虚しさが伝わってきて気の毒な心情となるストーリー・・・。

イメージ 3







イメージ 4

前回読んだ「胡蝶の夢」、同じく幕府側について会津藩へ行き、戦傷者の治療に励んだ、御典医の主人公 松本 良順 が最終章で登場する。

朝廷軍に乗っ取られた長岡城、それを奪還した後、継之助が負傷してしまい、意に反して会津へと落ち延びようさせられるが、その途中に会津近くまで来たところで、治療にやってきて懐かしい再会となるシーンがあった。
同系列の物語の繋がりをみたことが、悲しい結末にも、ほのかな友情という一筋の明るさが出てきてよかった。

開く コメント(4)

開く トラックバック(0)

「胡蝶の夢」読了!

「胡蝶の夢」幕末から明治にかけて西洋医学の礎に活躍!!

司馬遼太郎の歴史小説「胡蝶の夢」(一)〜(四)>;)を読み終えた。

イメージ 1




イメージ 2


明治,日本医療の基礎を築いた、幕府・御典医(奥医師)を務めた 松本 良順

その生涯を描いた長編歴史小説。

長崎でオランダ人ポンペに西洋医学を学び、維新時には幕府側で漢方でなく蘭方で、

一橋慶喜の主治医医師を努め、戊辰戦争では会津で戦傷者の医療で活躍。

その後、朝廷軍に帰順、初代の陸軍軍医総監となった。


幕末維新志士たちの世直しとは観点が違った、

蘭方医療の視点からの歴史を紐解くという味わい深いものであった。

胡蝶の夢:
 司馬遼太郎 著 文庫

徳川政権の崩壊を、権力者ではなく、蘭学という時代を先取りした学問を学んだ若者たちの眼を通して重層的に映し出した歴史長編。

<第1巻>
 黒船来航で沸き立つ幕末。
それまでの漢方医学一辺倒から、にわかに蘭学が求められるようになった時代を背景に、江戸幕府という巨大組織の中で浮上していった奥御医師の蘭学者、松本良順。
悪魔のような記憶力とひきかえに、生まれついてのはみ出し者として短い一生を閉じるほかなかった彼の弟子、島倉伊之助。変革の時代に、蘭学という鋭いメスで身分社会の掟を覆していった男たち。

<第2巻> 
幕末海軍の教師団にポンペという軍医のいることを知った松本良順は、あらゆる圧力を断ち切って長崎に走る。
やがて佐渡から語学の天才である弟子の伊之助を呼びよせた良順は、ポンペを師に迎え、まったく独力で医学伝習所を開講し、あわせて付属病院を建てる。
ひろく庶民に門戸をひらいたこの病院は、身分で閉ざされた社会に、錐でもみ込むように西欧の平等思想を浸透させてゆく。


<第3巻>
ポンペの帰国とともに江戸の医学所の頭取となった松本良順は、緊張した時局の中で不眠に苦しんでいる一橋慶喜の主治医となり、阿片を用いてこれを治す。
一方、語学の天才・伊之助は「七新薬」という蘭方の医書を刊行するまでになったが、その特異な性格が周囲に容れられず、再び佐渡に逼塞する。
また、赤貧のなかでポンペ医学を修めた関寛斎は、請われて阿波蜂須賀家の侍医となる。

<第4巻>
瓦解する幕府の海陸軍軍医総裁となった松本良順は、官軍の来襲とともに江戸を脱出し会津に向かう。
他方、ともにポンペ医学を学んだ関寛斎も、官軍野戦病院長として会津に進軍し良順と対峙する。
そして、激動のなかで何らなすところなく死んでゆく伊之助。


イメージ 3







イメージ 4






イメージ 5


イメージ 6

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)

司馬文学・『「明治」という国家』

『「明治」という国家 』 を(3/5 The.)読了した。

イメージ 1

幕末動乱を経て、明治維新と廃藩置県によって"国民"が創り出された

その後、自由民権運動と相まって明治憲法により立憲国家となり、"法による国家"が成立したと・・・。


「明治」という国家

 司馬遼太郎/著 イメージ 2
 出版者:日本放送出版協会 出版年:1989/9

「明治」は、清廉で透きとおった“公”感覚と道徳的緊張、モラルをもっていた。

明治国家という人類普遍の遺産を語る、日本論であり、卓越した文明論である。

海外取材の成果をもとに、“明治国家”を巨細に捉えなおす! イメージ 3

第1章 ブロードウェイの行進;
第2章 徳川国家からの遺産;
第3章 江戸日本の無形遺産“多様性”;
第4章 “青写真”なしの新国家;
第5章 廃藩置県―第二の革命;
第6章 “文明”の誕生;
第7章 「自助論」の世界;
第8章 東郷の学んだカレッジ―テムズ河畔にて;
第9章 勝海舟とカッテンディーケ“国民”の成立とオランダ;
第10章 サムライの終焉あるいは武士の反乱;
第11章 「自由と憲法」をめぐる話―ネーションからステートへ;
おわりに “モンゴロイド家の人々”など
 




第10章 サムライの終焉あるいは武士の反乱 部分 (書籍よりページ抜粋) イメージ 6


福澤諭吉が後にまとめた本から、

西郷を無理に押し掲げての西南の役、

不平武士たちが国民となるためへの不安定な政府への主張、抗議として是認している内容が頷ける。

イメージ 8


イメージ 9


イメージ 10

{{{
イメージ 11

イメージ 12


イメージ 13

}}}

大久保利通 、西郷 隆盛、木戸 孝允 の三元勲が維新を成し遂げ、国民が創出

10数年経って、後継者たちの活躍で国家の設立がなされたと・・・。


幕末から明治初期にかけて活躍した人達(坂本龍馬や勝海舟、それに福澤諭吉、伊藤博文など)・・・

イメージ 4


イメージ 5



イメージ 7















********************************

併読していた時代小説 「三屋 清左衛門 残日録」も読了した。

藤沢 周平 著 「三屋 清左衛門 残日録」
イメージ 14

開く コメント(4)

開く トラックバック(0)

「菜の花の沖」読了!

司馬文学・高田屋嘉兵衛の松前船とロシア国交の物語を読み終える、健康本「ふくらはぎをもみなさい」も併読読了


大河ドラマでも上演された「菜の花の沖」>;)

昨年より3ヶ月半かけ、全6巻を読み終えた。

イメージ 1


生まれの淡路島から播磨で船乗りになり、日本の沿海の航路を巧みな航海術で開き、

自前で大船を造って、主に蝦夷の海産物を上方や江戸へ卸す事業を確立させたことには感服させられた。

イメージ 2

最終版ではロシヤ・カムチャッカに虜囚となりながらも、ロシア政府に働きかけ

日本との平和交渉の最初の仲立ちを成し遂げたことにも・・・。

イメージ 3

『菜の花の沖』司馬遼太郎の長編小説。
1979年4月から1982年1月まで『産経新聞』に連載。
1982年5月〜11月に文藝春秋全6巻で刊行。現在は文春文庫全6巻(改版2000年)
作者の回忌の名「菜の花忌」は、この小説に由来する。

 作品は歴史小説の体裁をとりつつも、作者独自の歴史観による解説を折り込んだ構成が特徴。
後期の作品で近世社会の社会経済や和船の設計・航海術をはじめ随所で思弁的に史論を述べつつ、
後半で主人公が当事者となるゴローニン事件へ至る背景事情(日露関係史への知見)と共に、物語が進行する構成となっている。

概要
 江戸時代の廻船商人である高田屋嘉兵衛を主人公とした歴史小説。
主人公は江戸時代後期、淡路の貧しい農家に生まれた嘉兵衛という若者。
その悲惨な境遇から海の男として一水夫から身を起して酒田・松前の航路を開き、ついには当時未開で原住民(アイヌ)が過酷な状況に置かれていた蝦夷<(えぞ)>を拓いた偉大な商人に成長。のち幕府の御用船頭。
しばしば択捉(エトロフ)・国後(クナシリ)に渡って漁場を開き、一八一二年(文化九)露艦に捕えられてカムチャツカに到り、
翌年帰国、ゴロウニン釈放など日露間の折衝に当って、一介の商人でありながら当時一触即発であった日露間を救うという物語。(1769〜1827)

参照⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%9C%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%AE%E6%B2%96 


======================================
**************************************

第二の心臓といわれるふくらはぎ、健康志向にピッタリの本と言えそう。

血行をよくすれば体調もよし。

「ふくらはぎをもみなさい」の本より、実際に寝る前には励行し続けている。

イメージ 4

イメージ 5

開く コメント(4)

開く トラックバック(0)

「豊臣家の人々」読了!

「豊臣家の人々」を読み終える!!

織田信長に仕え、信長が本能寺の変で明智光秀に滅ばされた後、

日本全国を治めた豊臣秀吉が、その政権を確立する過程で、

豊臣に関係した主要な縁戚の人たちそれぞれについて語られている。

興味のあった豊臣家だが、現在は大河ドラマ・軍師黒田官兵衛が放映されており、

その中で多く登場する「豊臣家の人々」>;)を更に興味深いものを知り得た。

「豊臣家の人々」
イメージ 1



豊臣家の人々 著者:司馬遼太郎 角川文庫刊

豊臣秀吉は日本史上、いや世界史上、稀に見る栄達を遂げた人物である。
足軽から関白太政大臣にまで出世を遂げた非凡な彼の平凡な親族達は、
その境遇に戸惑い苦しみ多くの悲・喜劇を生み出していく。
本書はそれら豊臣家の人々を9篇の短編で描いた傑作である。  イメージ 2

第一話 殺生関白
秀吉の姉の子である秀次は自分の力では無い、「秀吉の甥」であるという理由だけで関白のまで出世し、その境遇の変化に精神の箍をはずしてしまう。
辻斬り、荒淫等の悪行は世間に知れ渡り、秀吉のコントロールすら受け付け無くなる。
しかし、嫡子秀頼を得た秀吉にとってもはや、秀次は我が子の前途を脅かす邪魔者でしかなかった・・・・

第二話 金吾中納言
北ノ政所の実家(生家)杉原家の五男であった小早川秀秋は望まれて秀吉の養子となったが長ずるにつれ愚鈍な本性を現し、人々から見放されていく。
彼が為した事は、豊臣家を潰すという事だけだった。

第三話 宇喜田秀家
秀吉の養子は多かったが、彼のみが秀吉の期待に応え豊臣家の藩屏として、戦い、そして宇喜田家は地上から消えた。

第四話 北ノ政所
秀吉と共に豊臣家を作り上げた彼女は文官達に陥れられる武将達の庇護者であり、秀吉の死後、彼等を動かし、徳川家康をして天下をとらしめる。

第五話 大和大納言
篤実で温和な性格から、多くの人々から慕われた豊臣家の大黒柱、豊臣秀長、彼が臨終の床で、脳裏に思い浮かべたのは兄が故郷に錦を飾ったあの日の尾張中村の青い空だった。
彼の死後、豊臣家の崩壊がはじまる。

第六話 駿河御前
旭姫にとって兄の栄達は不幸の始まりであった。ただ兄の都合により、結婚と離婚を繰り返すしかなかった彼女の悲劇。

第七話 結城秀康
優れた資質を持ちながら、彼はそれを生かす事が出来なかった、秀頼と秀忠、二人の弟の兄で在りながら、その才能は不要とされ、それがあればあるほど彼の存在は浮いていく。

第八話 八条宮
秀吉の縁者・養子達は賢者は賢者なりに、愚者は愚者なりに安息とは無縁の日々を送らねばならなかった。
しかし、一人だけ例外がいた八条宮智仁親王である。
彼だけが常に冷静にして平静であり、この時代を堪能することができた。

第九話 淀殿・その子
二人の悲劇は自分の意志という物が無く、他人に動かされ続けたという事かもしれない。
かくて、豊臣家はその歴史を閉じた。

この作品は豊臣家の歴史を綴ったものである。
作者の司馬遼太郎氏は彼等豊臣家の人々を歯に衣着せる事無く、個性豊かに描いている。
秀吉とその時代を知る一冊。

参照→ http://ume.sakura.ne.jp/~edo/review2.html 


司馬遼太郎作「ひとびとの跫音」>;)を、先月上旬読み終えたあと、

中旬より、約一ヶ月かけて読み終えた。

この先の大河ドラマへの興味が増えたと言える。

参考:
「ひとびとの跫音」 著者司馬遼太郎  1981年 中央公論社 イメージ 3 

「正岡忠三郎と西山タカジ」の物語り。

司馬遼太郎は
 何故それほど「子規」が好きなのだろう、と思うのと同じようにこの作品を書いたのかも不思議。

― 忘れ得ぬ二人の男 ―
 二人の男とは正岡子規の養子である「正岡忠三郎」と、二高時代の友人の共産党員であり詩人でもあった「西沢隆二(ぬやま・ひろし)」(共に昭和51年の秋に亡くなっている)
 
 正岡忠三郎氏は
実母、養母(律・子規の妹)に反抗して東京を離れて二高を受験し入学する。
大学はまた東京を避けて京都大学へ、就職も二人の母親を避けて阪急(大阪)へ。
 西沢隆二は「坂の上の雲」を読んで「子規の事を話したい」と言って司馬さんのところへ突然現れる。
 司馬さんが、二人の其々の夫人が、共通して人間的に魅力ある女性だった事にある。
 あや子夫人は「あのボヘミアンの忠三郎が、私と子供の為に働いていてくれたって事を今になって感動するのよ」という。 
 西沢夫人の摩耶子さんは画家の徳田耕一氏の娘、共産党員の夫との結婚生活十八年の内僅か四年余しか同じ屋根の下での生活がなかったという苦闘の中で童心を失わぬ幼女の様に生きる。

 この二人の生き方に感動してこれを書いたのかもしれない、という。

― 透明感強い生きざま ―
 これを書き終わった時に司馬さんは、歴史小説な どと違って主人公立ちは、ついさっきまで生きて市井をあるいていただからファクトがある、だから読めば気楽に読めるが、一点一画もおろそかにしてはいけない気持ちで執筆したから連載中は一回分書くごとにげっそりやつれ、毎月健康を害しているという心境だったと言う。
 
 「正岡さんは志を持つことを自分に禁じた無名の知識人、西沢さんは志を遂げなかった一人の政治運動家」だという。そして二人とも生まれつき、倫理的に厳密に自分を拘束して、他人に 迷惑をかけなかった。それを書くということは今にして思えば私(司馬氏)にとって、人生と人間についての透明感を描きたかったんだろうと言う気がしますと、と回顧している。(1982年)

参照→ http://www.eonet.ne.jp/~kumonoue/sikiasioto.htm

開く コメント(4)

開く トラックバック(0)

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事