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久し振りのFBC演奏会でした。
前回は、モーツァルトでお邪魔しました。
パンフを見ると2008年でした。 時間が経つのは早いなぁ‥。
当時私は、交響曲とピアノ協奏曲くらいしか聴いていなかったのではなかったかなぁ‥。
それが合唱ものに関心を示すきっかけになったのがFBCであり、福島さんでした。
今年はFBCの創設10周年という記念イヤー。
ましてや、FBCにとっても2年間訓練を積み重ねてきた『ヨハネ』。
いやがおうにも期待は膨らみます。 到着しチケットを受け取ると、急いでホール内1Fのカフェで軽い昼食。
慌てて戻ると開場20分以上前でしたが、ご覧の通りこの行列。
はっと気付いて振り返ると、後ろは、それ以上の列でした。 そんなこんなで会場に入り、座席位置は中央辺りかと、Taoさんと狙いをつけ、シートに座りました。
程なく合唱団が入場。
メモリアルイヤー+難曲+長い訓練期間という背景から、嫌な予感が‥。
あちゃー‥。 皆さん、緊張しています。 心配が当たらねば良いが‥と願うばかり。
このホールは響きが良いという記憶がありましたが、演奏が始まると、えええ!
確かに響きは素晴しいです。しかし、音が、前に来ません。
座席位置は22列目です。後方ではありません。
天井が非常に高いので、全部上方に上がっているということなんでしょうか。
しかし天井が高いが故に、波長の長い低音楽器のコントラバスとチェロは綺麗に出ます。
本数は少なくても低域がしっかりしていると、オケの陰影感は出ます。
しかもコントラバスは倍音も綺麗に出ているので表情が良く出ています。 美しい。
全然聴こえないのVnでした。 あ痛〜!
肝心の合唱は弱いものの、まだ聴こえます。しかし弱い。音が来ない。
演奏は、緊張のせいか中々エンジンがかかりません。 ハラハラしました。
一部と二部の間に、座席移動を決意。 11列目にワープ。
はい。聴こえました。 でもVnはやはり駄目です。 木管も聴こえなくなりました。
二部では、さすがエンジン快調!(えっ!座席の問題だってぇ!?)
非常に密度感の高い演奏です。
合唱も、非常に熱っぽく、心を捉えて離しません。
曲自体が、マタイの様な劇仕立て感が少ないので、さらっと書かれているような印象がつきまといますが、
どうしてどうして非常に難しい曲とお見受けしました。(素人故完全に門外漢で、真相は判りません。)
劇仕立てで無いので、逆に演奏する側にとっては非常に難しいと感じました。
細部を丁寧にきちんと積み重ねないと全体が作れないのではないでしょうか。
たった2年で良く此処まで仕上げられたと驚嘆します。
非常にキツイ練習が続いたのではないでしょうか。
ましてや、お仕事やその他いろいろ本業のご苦労もおありでしょうに‥。
そんなご苦労がバネになたのでしょう、非常に求心的で凝縮感の高い、熱い演奏でした。
私も、終わるといつものようにぐったりです。
聴く側は、その思いを逃げずに受け止めねばなりません。
非常に充実したひと時でした。 やはりバッハは素晴しい。
益々、声楽や合唱が好きになりました。 次は、『クリスマスオラトリオ』でしょうか。
次のマイルストーンを目指して下さい。 大いに期待しております。
最後に、ソリストの皆様有難う御座いました。素晴しかったです。 特に、青木様・篠部様、素敵でした。
福島さん、お疲れ様でした。 神奈川も期待しております。
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音楽
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福島さん指揮の演奏会が、10月と11月にあります。
10月は、富士ベートーベンコーラスです。
11月は、東京ジングフェラインです。
演目は共にバッハ「ヨハネ受難曲」です。
10月23日(日)富士市文化会館13:30開演
11月23日(水)神奈川県立音楽堂14:00開演
小生は、両方とも参ります。
皆様も是非聴いて下さい。
宜しくお願いします。
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少し前からなのですが、これで良いのだろうかと思うことがあります。
「マタイ受難曲」のイエスの歌唱の良し悪しを考える際、最後の晩餐での歌唱で決めてしまうことなのです。
その基準が、『苦難に立ち向かって行くイエスであること。強い決意を表していること。』ということなのです。
これは理屈でそう決めている訳ではなく、得られた感動深さを慮ると、どうもそのようなのです。
過去の記事でも、そういう意味のことをお話ししたかと思います。
故にクレンペラー盤のディースカウと、小澤盤(CDは未所有で、ビデオです)のクヴァストホフに痺れています。
そのディースカウですが、リヒターの旧盤ではバスのアリア担当ですが、新盤ではイエスを歌っています。
その新盤の出来栄えですが、嘆きと諦念を感じますので、クレペラー盤と比べると、心が響き方が小さいです。
また、それ以外にも立派な演奏を聴かせてくれるデイスクは幾つもありますが、イエスに限って言うと、食い足りなさを感じています。
で、最近感じているのが、こんな聴き方で良いのだろうかということです。
非常に偏狭な見方で断じてしまって、各々の良さを感じ損ねているのでは?と思っています。 本来は、心で歌唱そのものを味わうべきところ、イエス像という概念を追いかけ、頭で聴いているのでは?と思ってしまいます。
そうであれば非常に勿体ないことです。
と、頭では判っていても、心が反応しないので仕方がありません。
時間が解決してくれ、もっと幅広い楽しみ方が出来るよう自分の心に期待しています。
残り時間は少ないのが気がかりではありますが。
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激しいバッハでした。厳しいバッハでした。
なまっちょろい生き方をしている私の肩を激しく揺すり、生き方を諭されているような、そんな心持でした。
そっと寄り添ってくれるなんて甘ちゃんの自分を恥じ入るのみです。
バッハの平均律は、辛く苦い音楽でした。
哀しみや苦悩、絶望すら垣間見えます。 小沢さちさんは、モーツァルトの時と変わらず、虚飾を捨て、ひたすら音楽に立ち向かいます。 左手は時に暗黒の闇を見せ、右手の強い打鍵は幸せを希求する強い思いを表しているかのようです。 それは果たして、懊悩の果ての絶叫だったのでしょうか。 マタイやその他の宗教曲に内包されているものと同じテーマが、平均律にも込められているのですね。 ピアノ1台で表現する分、それらよりも遥かに高い密度でもって表われます。
休憩が1回あるとはいえ、性格の異なる24曲を弾き通された小沢さんには脱帽です。
その集中力、求心力には驚かされます。
穏やかな雰囲気をされている方なのに。
お陰様で、昨日は、バッハの多面的でありながら、求心的な音楽の奥深さを堪能致しました。
rentzさん、ご紹介戴き有難う御座いました。
今後とも宜しくお願いします。
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今日は、福島章恭指揮のモーツァルトピアノ協奏曲20番で独奏をされた小沢さちさんの演奏会があります。
演目は、バッハの「平均律第一集」です。
モーツァルト同様、素晴しい演奏になると確信しています。
演奏者の色を極限まで廃し、ひたすらモーツァルトを追い求める姿は、深い感動をもたらしました。
残されたディスクは、私の宝物の一つです。
今日は、朝からリヒテルの「平均律第一集」を聴いています。
明るすぎない光は希望をもたらしてくれます。
心の襞に沁みるような深い陰は、慰めを与えてくれます。
バッハの音楽は、捻じ曲がっているかも知れない私の心にもそっと寄り添ってくれます。
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