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すでに京都で一人暮らしを始め大学生となってもバイク熱は冷めず。むしろ通学など
京都市内を移動するには必需品となったバイク。
高校時代の終わりに出会った一件のバイク屋、いつしかそこでバイトしていた。
その店は一般的な軒先に新車を並べて売るような店じゃなく、たまに来る客と言えば
パンクした自転車をガタガタ押して来るジジイ。パンク修理くらいでした
中はまるでどす汚い工房のようでしたが、そこにはいつも何台かの125レーサーが
置いてあった。毎日その様子を飽きもせず見ていた僕は、時々ネジを緩めたり
オイル交換を命ぜられた。半年後にオーナーがボロボロのバイクをタダでくれた。
1970年式ホンダベンリィSL90
便利だからベンリィなのだ、上のクラスはドリーム号と言います。 バイト代の代わりだそうだ。古臭いバイクであまりうれしくなかった
遅いし・・ ところがこのエンジンは化けるんや!オーナーが言った。
毎日エンジンをばらし何かしてるオーナーが羨ましくあった僕は、改造に目覚めたのだ。
エンジンを90から125へボアアップ、キャブも変えた。中でも驚きの変化を
見せたのが軽量クランクだった。
上の絵の上部にピストンが付くのですが、下の大きな丸い部分クランク 通常は真円で下部にフリクションを発生させるおもりがついています。
こいつをそぎ落とします。
こんな感じだったりします。
これにより狂ったようなカーブを描く回転数を出せる。もちろんその分アイドリングはしない。つまりアクセルを戻すとエンストする。これが同じバイクとは思えないほど刺激的だった。 しかしそんな浮かれ気分が吹き飛んだ出来事が起きる。友人とツーリング
和歌山へ向かう途中確かみさき公園近くの国道26号線、車道を走っていたじじいの
自転車に後ろから追突した。コケたじじい・・鎖骨骨折・・やばい・・限りなく
この事件で1年は少なくともバイクから離れることとなる(免停)
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俺の愛車変歴(バイク編)
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クルマとバイクがまだ半々くらいの時代。そこには印象に残る原付たちがあった。
犬のダックスフントをイメージしたDAX50は、その筆頭だった。
ガソリンタンクを抱えこまないスタイルが斬新でした。後ろはゴリラ
クルマ(ホンダシティ)に積める!おかしな形のモトコンポ 50・75・90・125・200色んな排気量があったバルーンタイヤの スズキバンバン!実に妙な形だった。(写真は90)
ロードパル。
小さくて可愛かった初代のモンキーも人気でデブの兄ちゃんが乗るとサマになっていました。 そして昭和のヤンキー姉ちゃんに絶大な人気を誇ったパッソル。 リミッターなどない時代、ノーマルでも時速70キロをオーバーしたスクーターの 革命児。 JOG
やがてハイパースクーター全盛期になると、スクーターレースが流行りだします。 チャンプRS
そんな中で穏健派にバカ売れしたのが、ベスパをモデルにした スズキのジェンマ50
この中で昭和時代NO1の原付を選ぶならやはり「パッソル」!ヤンキー=パッソル でしたね。
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狭いパワーバンドとピーキーな性格を持つ2スト(2ストローク又は2サイクル)車が
大好きだった。でも排気量が大きくなるにつれ扱い難さも併せ持つ。
バイクには2ストと4ストと言う2つの異なるエンジンタイプがあった。
性行為に例えると、恋人とラブホに入ってピストン運動2回で果てるのが2スト、
頑張って4回のピストンで果てるのが4ストです。一見2ストは早漏野郎ですが、
その分回復力と突き?!は鋭い(笑) 4ストはダラダラいつまでもやってるタイプね
オンナは言うのです。早漏だけどアタシ激しいのが好き2スト君がいいわ♪
白煙も素敵よ〜
紳士づらしてた4スト君はそこで、DOHCエンジンを開発する。
何それ?という方へ
性行為に例える←なんでそこやねん!
今まではひとつだった体内にある性エナジーをD(ダブルに)してガンガン
ピストンを動かす回転力を身に着けたのだ。
DHCサプリメントじゃないよ、ダブルオーバーヘッドカムシャフト(DOHC) それまではOHC,OHVというのが主流でした。
これの前に乗ってたGT125とは、もはや別次元の破壊力で大排気バイクとは すげ〜もんだと思いました。 こちら入手の経緯が、ツレの親戚の納屋にあったから
お前に売ったるわ〜でした。ん?怪しいけど買うわ〜でした。
2気筒であった点も非常に味わい深いバイクとして印象に残る。
そして1970年頃から一台ブームを巻き起こすナナハン(750)がバイクの黄金期を
告げます。 ↓の2台は借りて乗った程度でしたが、これに乗ってしびれないヤツは
おらんやろ〜でした。
ホンダCB750FOUR 国産初のナナハン4本出しマフラーが美しい カワサキ750RS(Z2) 僕らの時代を象徴するナナハンと言えばコレだった。 次回予告: バイク屋でバイト〜レースへの憧れ編
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スピード狂の俺は、どうにも原付の制限速度30キロは、耐えがたかった。
自転車じゃないんだからね〜。でも原動機付自転車か・・自転車じゃね〜しバイクだし
そこで当時まだ大型二輪は、教習所で取得出来たので通い免許を手にした。
しかし当時の大型バイクは高価なもので、簡単には買えない。まずは125から
スズキGT125です。
原付二種と言うカテゴリーながら、50CC原付とは雲泥の差である。 約6馬力の原付に対し16馬力を発する。ラムエアーシステムと言うスズキ独特の
発想やアルミシリンダーが魅力的でした。
2ストの125CCは、一番面白い。だからプロダクションレースでも125は熱かったのもうなずける。これ20万円くらいしたんですが、どうやってそのお金を工面できたのかがどうしても思い出せない。
高速道路が整備されていく。だが125では高速は走れない・・・たまる鬱憤。
そんなこともあり案外このバイクは短命で手放すことになる。 つづく
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免停が明けてからも俺は、六甲、甲山を走りまわっていた。
特に↓にある蓬莱狭に入ってはダートで遊んでいたのです。
そこに行くまでの舗装路コーナを曲がる楽しさを覚えてMR50を手放し乗り換える。 ヤマハFX50。そのままレースに出れそうなスタイルに一目ぼれした。 エンジンは先のMR50と同じだが0.3馬力だけUPしていた。生産年数わずか2年だった
ために今では伝説のマシンとなっています。
その後に出たのが前輪にディスクブレーキを装着したシリーズ化されてくRD50
即座にこちらへ乗り換えた。
最大のウリである前輪ディスクブレーキとタンクのストライプ以外はFX50と変わらない。ところがこのディスクブレーキと言うのが滅法雨に弱くて全然聞かず 何度も怖い思いをしたもんです。
親にあれほど怒られたのに何故また乗れてるかと言いますと、前回で書いた
保護観察期間は、保護詞の元へ日々学校のテスト結果や宿題などを見せねばならなかったのですが、生まれた時から神童と呼ばれてたので、学業の成績だけは誰にも
文句言わせね〜高校3年間オール5が、保護司を親をバイク黙認させていました。
次回50CCを卒業、大型二輪取得へつづく
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