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東日本大震災

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三回目の3月11日

こんにちは。
どうしようかと悩みましたが
やはり書かないわけにはいかないと思い
記事にする事にしました。


昨年の3月11日の記事です。
今日もこの記事をそっくりアップしてもいいような気持ちですが

そうはいきません。

我が家のどこかに行ってしまった減災意識。
せめてこの日は取り戻さないと。

頼りになると明言していた首相官邸からのライン。
通知音を消しています。
だって…ね。
イメージ戦略に使われてるような。。。(?_?)


日曜の夜は、大河ドラマを見ています。
今回の軍師官兵衛。我が家ではたいへん好評です。
ドン・シメオン。
この意味を忘れてはならないと思っています。

今日はいろいろな思いを抱いて過ごす日になりそうです。


癒してくれたおさかなちゃんとは
会う機会がぐんと減りました。
あまり通いたくない場所にいるので、これは嬉しいこと。



軍師官兵衛ですが
アルも一緒に見られるのはあと三回です。
なんでもアルに結びついてしまう。
すみません(;_;)

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二回目の3月11日

イメージ 1


ごくごく普通の日だった日が
こんなに特別な意味を持つ日になるなんて
考えてたこともありませんでした。

息子たちは
「とってつけたような震災の特番なんていいよ」
と言います。
私もそう思うことがあります。

絆 とか
頑張ろうニッポン とか
かんばっぺ東北 とか

いろいろなフレーズが溢れ
その裏に見え隠れする
「とりあえずくっ付けておけば応援だろ?」
的な風潮に、嫌気がさしていますが

では私はなにかしているのか
と問われれば、答えはノーです。
いまだに沿岸部に行くことすらできません。

せいぜい仙台で
ビルの上から沿岸の様子を見て
イメージ 2

以前のそれとは全く違う姿にちょっと涙ぐむくらいです。

久しぶりに会った仙台の友人からは
名取市の閖上(ゆりあげ)の様子を聞きました。
「朝市が再開したと言ってもまだまだまだまだだよ。
一度行ったけれど、やっぱりあの場所には行けない」
と。そして
「一緒に遊びに行った臨空公園も、もう無いのよね」
イメージ 3

とつぶやきました。

今年も年賀状が届かなかった友人。
子どもたちの成長の様子を毎年連絡してくれていた
彼女はどうしているのでしょう。

やっぱりあの時に起きた地震のこと
その後に気がついた様々なことは

忘れられない、忘れてはならないものです。


あの日はツイートするようにブログをアップしていた私ですが
その後ツイッターに登録し情報収集に使っています。
フェイスブックは、ブログよりもさらに現実的でダイレクトな
個人的な繋がりを保つことができるように始めました。
ラインからも緊急時には首相官邸から情報が発信されるので
とても心強い情報源となっています。

なによりも
災害の想定をし
家族でその避難場所を予測する機会を得たことは
我が家の減災意識の芽生えとなりました。

その種を蒔いてくれたのは
我が家の大黒柱であり
被災者(ではないと本人は言うけれど)である
ホーでした。
あの日の思い出したくはないであろう混乱の様子などを
少しずつ言葉にしてくれたことは
私の心の中にずっと留まるでしょう。







二回目の夜が明けた 
2011/3/13(日) 午前 8:36

めまいがしているのか、余震で揺れているのか
わからない状態ですが
ホーはもっともっと辛い思いをしながら頑張っています。
エドの17個の段ボールは、昨日の午前中に自宅に届くはずでしたが
もちろん、届かず。いつになるのかわかりません。
もしかしたら新しい生活場所に送ることも
難しいのではないかと考えています。
エドの入社式は仙台で行われることになっています。
そしてそのまま滞在し研修を受けた後
勤務地に赴く事になっていますが、その予定も変わるかもしれません。

友達とはまだ連絡がつきません。

改めて家族が全員無事だった事に本当に感謝しています。
そして、エドの引っ越しを第一週にして良かったと
運の良さにも感謝しています。
今週だったらアルは一人きりでした…。

思い出の場所はもう殆ど形を留めていないようです。

今日も祈るように過ごします。

福島も、大変気になります。




消息
2011/3/13(日) 午後 5:32

おかけになった電話番号は
お客様の通信機器が接続されていないか
電源が入っていない、もしくは
一部設備の故障のため
お繋ぎできません。

友達の自宅電話にかけると流れるメッセージ。
メールを出しても返事が来ないし
どうしているんだろう…。



震災被害
2011/3/14(月) 午後 3:33

先週のこと。
上司は仙台空港に車を置いて、飛行機で名古屋へ出かけました。
 そこで震災の知らせを受け、レンタカーで何時間もかけ仙台空港へ。
しかし、目の前に広がっていたのは泥の海。
 
車は流されていて、探しても無駄だと
瞬時に思うような景色だったそうです。
 レンタカーの事務所も無くなっていたのでその車で帰宅し、
こちらで返還したそうです。
  
仙台空港は、思い出がたくさん詰まった場所です。
 昨日、仙台時代に毎日のように子どもを連れて
一緒に遊んでいたママ友と連絡を取りました。
彼女は現在、青森に住んでいます。
お互いの家族の無事を確認した後
 遊びに行っていた仙台空港や新港がなくなり
住んでいた付近も津波でやられてしまったかもしれないという現実は
大きな大きな衝撃だけれど
命があり、住む場所があるのだから
お互いに頑張ろうね
という話をしました。
 
 個人的には
エドはどうやって家に帰ってくるのか
エドの残りの荷物は届くのか
入社の日程はどうなるのか
ホーは、いつ、どのタイミングで帰宅できるのか
 など、いろいろな不安や心配なことはありますが
 まだまだ恵まれているということを肝に銘じて
ひとつひとつクリアしていきたいと思います。



以上、震災後にアップした記事の中から抜粋しました。


ほんのひととき、癒してくれるおさかな。
コイツのとぼけた顔が好き。
イメージ 4
こんにちは。
 
昨日は十五夜でした。
夕方から曇ってきたぽっぷ地方でしたが
空に厚い雲に覆われることはなく
なんとか写真を撮ることができました。
やった!!
イメージ 1
 
イメージ 2
 
三脚は使っていなのでぶれていますが
ご勘弁を。。。
 
 
 
 
さて
テレビ等でも特集が多く組まれるようですが
間も無く 3月11日がやって来ます。
 
私はこの一年
なにも出来ないまま
泣き顔のまま
過ごしてしまいました。
 
決して忘れることは無い「あの日」。
 
いろいろな事に腹立たしさを覚えます。
無力な自分にも…。
(ほんと、情けない。。。)
 
そんな今の私にできる事は
祈ること。
そう思っています。
 
 
ぽっぷ地方からは少し離れていますが
岩手県一関市で一斉黙とうが行われます。
 
この日、沿岸部で黙とうする方も多数いらっしゃるそうですが
足を運べない方もいる訳で…。
なんらかの形で追悼しようと立ち上がったのが
 
 
です。
 
3月11日
 
午後2時30分
点灯式

午後2時46分
全国一斉黙祷
 
場所 : 一関市役所噴水前広場
 
イメージ 4

内容 : 黙祷、メッセージ・記帳、義援金

 
当日は被災地支援商品の販売による
被災地支援もあるそうです。
そこでは陸前高田の松関連のグッズや
高田の松のUSBメモリーが販売されるとのこと。
イメージ 3
高田の松のUSBメモリーとは
高田松原のマツを外装に使ったUSBメモリー。陸前高田の震災当時からこれまでの歩みを編集した映像を内蔵している。
 
特徴 : 夢灯りの点灯

神戸から”希望の灯り”を分灯いただき夢灯りに点灯いたします。
灯りの思いを感じ手を合わせていただければ幸いです。
 
 
”神戸希望の灯り”とは
「やさしさ」と「思いやり」、そして「生きている証」としての灯りを灯したいとのご提案があり、これを受けて「1.17希望の灯り」が誕生しました。被災10市10町を巡って運んだ種火と47都道府県から寄せられた種火を一つにした灯りが灯されています。
この灯りは被災した市民のみなさんの精神的なよりどころとなり、毎月17日には、ボランティアのみなさんが自主的に清掃などを行っています。そして、毎年1月17日には、ここから被災10市10町のみならず遠方の都市まで、震災や灯りが結ぶ絆に関連した行事に分灯され続けています。
 
 
決して、お祭りではありません。
これだけ!?と思われるくらい
厳かに行われます。
 
 
あの日を
あの風景を
あの笑顔を
忘れないために
こんにちは。
 
今朝、見つけたツララ
イメージ 2
頭の上にあったので
とってもデンジャラス
落としたいけれど
手が届かないよ。
 
 
イメージ 1
一昨日の夜
信号待ちで撮った写真。
白く光る雪が見えるかな?
 
 
今年もいよいよ。。。ではなく
とうとう残り3日になってしまいました。
 
激動の2011年。
 
水漏れ事件があったり
肋軟骨を骨折したり
頭をケガしたり
 
ここには書けなかったケガもあったり(爆)
 
あ…ちなみに頭の裂傷は
いまだに完治していないため
ヘアカラーはもちろん
パーマをかけようという密かなもくろみも達成できないまま
年を越そうとしています
(病院で縫ってもらうべきだったと今頃後悔。。。)
 
それでもなんとか
クリスマスを過ごし
イメージ 3
 
家族全員が揃って年を越せそうなことに
感謝…です
 
 
年末が近いこともあり
特番でも「あの日」の映像が
時系列で映し出されることが何度かあります。
 
先日、家族でその映像を見て
話題は「その時 ぽっぷ家は」に。
 
エド
「寝ていた」
アル
「家の鍵を忘れたのでさまよっていた」
ぽっぷ
「渋滞だったけれど家へ帰ろうとしていた」
そして、被災地のホー。
 
彼は何も言いませんでした。
でも
光のページェントを見に行った時に歩いた細ーい路地。
 
 どうしてこんな道を知っているの?
 震災の時、支援物資を探して歩いたから。
 
きっと私たちには言えない…
言葉にはできないような思いをしたのだと
その時に思いました。
 
テレビに映し出された
閖上(ゆりあげ)の現在。
閖上が思い出の地だというオペラ歌手の某さんが
現在の閖上を見て涙を流していました。
「泣かないって決めてたのに」
と彼女は言いました。
 
ホーが言いました。
「あの寿司屋も、もう無いんだな…」
閖上の大きな橋の近くにあった、いけすのあるお寿司屋さん。
今まですっかり忘れていたお寿司屋さんの店内が鮮やかに蘇ってきました。
 
イメージ 4
 
私がとても親しくしている友人は
元気にしています。幸せなことです。
 
が、年賀状の時期になり、いろいろな思いが交錯し始めました。
 
被災地、と言われる地域に住んでいる人たちの
現在を少しでも知ろうと
ネットの地図で自宅の「有無」を確認しました。
まさかこんなことに地図を使う事になるなんて…
と思いながら調べていると
自然に溢れてくる涙。
 
こんな思いをして年賀状を書いたのは初めてです。
年に一度だけ近況報告をしている友人たちから
いつものように年賀状は届くのでしょうか…。
 
しかし
泣いてばかりはいられません。
苦しいことの多かった一年でしたが
 
アドレス帳に追加された数件の住所。
この一年私を支えてくれたお友達。
新たな出会いに感謝、です。
たくさんの笑顔と楽しみをありがとう。
 
そして
今まで経験したことがない壁が目の前に現れたことにより
家族の大きさを知ることができました。
頼りない私を支えてくれてありがとう。
 
私が生きてきた中で、とても心が不安定な一年でした。
「大丈夫」という言葉は「大丈夫」」ではない時に口から出てくる言葉なのだと
実感させてくれた一年でした。
 
が、来る年は
 
個人的に
画竜点睛を欠くことなく
国内においては
雲は竜に従い虎は風に従う
ことを願っています。
 
 
本年は大変お世話になりました。
来年も
どうぞよろしく
お願いいたします。
イメージ 5
 
 
 
 
 
 

デンキメール

今朝
「デンキメール」の登録をした。
毎朝
「電気予報」が送られてくるらしい。
 
さらに
登録した地域の電力使用量が多くなると
臨時メールでお知らせ(警告?)してくれるものだ。
 
室内に風が入らなくなってきて
室温も上がってきたので
エアコンのスイッチを入れようかと思ったその時
メールが届いた。
 
 
 
ぽっぷ県ぽっぷ市
【最大供給ライン:ギリギリ】

11時現在、電気使用量が≪90%≫を超えました。
本日の最大供給量に対し、比較的厳しい状況です。
エアコンの設定温度を28℃にして扇風機と併用するなど
可能な限り節電を心がけたいですね。
 
 
 
エアコンのスイッチはまだ入れていません。
 
真面目で気が弱いので
持っていたリモコンをそーっと置きました・・・。
 

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