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致死ウイルスの足音
2012.2.1 msn産経ニュース 長辻象平「寒蛙と六鼠」 「H5N1」という名前のウイルスがある。強毒性の鳥インフルエンザのウイルスだ。本来は鳥類のウイルスなのだが、鳥から人間への感染例もある。これにかかると半数以上の人が助からない。 このH5N1が強毒性を維持したまま、人から人にうつる能力を獲得すると大変なことになる。千万人単位の死者をだす世界的な大流行・パンデミックの発生だ。 じつは、このウイルスは研究者の手で人工合成されている。それだけでなく、遺伝子のどの部分が変化すると哺乳類が空気感染しやすくなるかも突き止められている。 パンデミックの予防に役立つ成果として昨年、2編の論文が米科学誌のサイエンスと英科学誌のネイチャーに投稿されたのだが、バイオセキュリティーに関する米政府の委員会が、研究論文の一部削除を求めて待ったをかけた。テロに悪用される可能性があるという理由だ。 それに対して今年1月20日、世界の科学者39人が、H5N1にかかわる研究を、60日間停止するという声明を発表する事態となっている。 テロへの警戒と、人での大流行を防ぐ研究のバランスをどう取るかについて、世界的な議論の高まりを待つ形だ。東京大医科学研究所の河岡義裕教授も名を連ねている。 じつは、河岡さんはインフルエンザウイルス合成の先駆者なのだ。米国で研究中の1999年に、河岡さんのグループが実現させている。 ウイルスは、タンパク質のカプセル内に少量のRNA、もしくはDNAが入っているだけのシンプルな構造で、無生物と生物の中間に位置づけられている。 RNAとタンパク質を作る各遺伝子を、細胞内に入れるという操作によって、インフルエンザウイルスが合成できるようになったのだ。 この研究に対しては、米中央情報局(CIA)が、99年の論文発表直後から鋭く反応したという経緯があるという。もちろんバイオテロへの悪用を警戒しての注目だった。 ウイルスは「半生物」といえる存在だ。生きた細胞に感染すれば増殖力を獲得する。このように生命体に近い働きをする自然界のウイルスが10年以上前から、人間の手で合成できるまでになっていることに驚きを感じる人も少なくないだろう。 話のついでに紹介しておくと、2002年には、米国の研究グループが、小児まひを起こすポリオウイルスの人工合成に成功している。 遺伝情報のゲノムさえ解読されていれば、地上から撲滅された後も、そのウイルスを再生させられることを示す研究として議論を呼んだ。 論文を発表して真理を究めるべきか、それともテロを防止するために自主規制を課すべきなのか。 同じジレンマの構図が原子力研究にも存在する。ウラン燃料の製造過程で重要な遠心分離方式による濃縮装置の開発分野では、論文発表が控えられている。核兵器製造への悪用防止への対応であるという。 ウイルスに話を戻すと、世界はこの10年近く、H5N1の人間界での流行の悪夢におびえている。 その中で日本は悠長だ。新型インフルエンザをはじめとする危険度の高い病原性ウイルスを扱うための研究施設が事実上存在していない。住民から嫌われるからである。原発の使用済み燃料の処分地に関する議論が進まないのと同根の精神風土があるのだろうか。(論説委員) 参考 「寒蛙と六鼠」とは、寒蛙(かんがえる)と六鼠(むちゅう)のこと。 長辻象平のプロフィール:ながつじしょうへい。1973年京都大学農学部(魚類生態専攻)卒業。同大理学部研修員を経て産経新聞社入社。シンクタンク主任研究員、平凡社「アニマ」編集部員を経て産経新聞社に復社。現在、同社論説委員、科学ジャーナリスト、釣魚史研究家 |
高病原性鳥インフルエンザ
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