全返信表示
あの世とこの世の違いは?
科学で扱える・扱ない区別
[ tjr*ds*32*3 ]
2010/11/6(土) 午後 8:27
あの世とこの世の違いは?
科学で扱える・扱ない区別
[ tjr*ds*32*3 ]
2010/11/6(土) 午後 8:19
14.「脳と心」の奇妙な関係・・・もっと簡単に・・・(2009.10.7)
科学で解けない世界の例
[ gami ]
2009/11/19(木) 午後 8:38
分かりにくい表現をしてしまったので、補足。「波が存在している」という表現はおかしいですよね?「波が起こっている」という表現はしっくり来ますけど。これは「存在」という言葉が時間軸を考えないところに成り立つ言葉だからで、時間と共にある「現象」を表現するのには不適切だからでしょう。「私が存在する」と言った場合の私とは、物質的(肉体的)な私で、精神活動まで含めた私を指していない。「私の喜びが存在している」という表現に違和感を感じるのはそのため。「我思う、ゆえに我あり」という文章を考えてみます。「我思う」は時間軸を含めた現象を指している。「我あり」は時間軸を含めない存在を指します。この二つは実は別次元のことを言っているので「我思う、ゆえに我あり」は成り立たないのでは?「我思う、ゆえに我あり」を逆転させて「我あり、ゆえに我思う」だと不自然なのはこの「我思う」と「我あり」の二つが=で結ばれるものではないからでは?「我思う、ゆえに我あり」は次元が格下げされている。我あり、ゆえに我思う」は次元が格上げされている。デカルトは常に起こっている私から時間という次元を引いて物体にまで格下げしたのでは?
14.「脳と心」の奇妙な関係・・・もっと簡単に・・・(2009.10.7)
科学で解けない世界の例
[ gami ]
2009/11/18(水) 午後 7:55
<私>は「もの」ではなく、今起こっている「現象」だと思います。
水面の波のようなものでしょうか。
波を形作っているH2Oは存在している「もの」だけど、波は存在している「もの」ではない。起こっている「現象」ですね。
波の研究をする時にH2Oの組成やら、H2Oの特性をいくら研究しても波という「現象」は説明できない。波は確かにH2Oですけど、H2Oだから波を作り出すわけではない(他の液体でも波はできるし、H2Oであることが波が起こる直接的原因ではない、静止いていれば波は起こらない。)ので。
そういう意味で永井さんが「<私>が私であったのは、体や記憶などとは無関係で、それは奇跡なんだ。そもそも生まれて来なくても良かったのではないか?」という話は、波の一瞬だけを捉えて「あの波の形は、ああいう形でなくとも良かったし、そもそも波立たなくても良かったのでは?」と言っているのと同じだと思うんですが、いかがでしょう?
何かあれですね、光が粒子であり波でもある、というのと似ているような、、、。
14.「脳と心」の奇妙な関係・・・もっと簡単に・・・(2009.10.7)
科学で解けない世界の例
[ Popula ]
2009/11/18(水) 午前 9:45
14.「脳と心」の奇妙な関係・・・もっと簡単に・・・(2009.10.7)
科学で解けない世界の例
[ gami ]
2009/11/17(火) 午後 11:51
コミュニティーは退会しました。
僕はどうも唯物論的な考えが強いようなので(というか、あのコミュの人たちが観念論的すぎる)対立してしまいます。
対立することで何か発展があれば良いですけど、ずっと平行線のままだと思ったので止めました。
止めてからも永井さんの本は読んでいて少しは理解が深まったかもしれませんけど、共感することはできません。
仏陀の唱えた無我論には共感できますけども。
仏陀ならおそらく「<私>など幻で、存在しない。」と言うと思います。
ポピュラさんの「科学に解明できないことはどのような方法を用いても解明できない」という発言にはハッとさせられました。
クオリア問題も永遠に解明できないでしょう。
そもそもクオリアなどは解明できない以上、問題として考えることがナンセンスなのかもしれませんね。
クオリアは哲学者が問う問題などでなく、芸術家によって実践されるものだと思います。
14.「脳と心」の奇妙な関係・・・もっと簡単に・・・(2009.10.7)
科学で解けない世界の例
[ Popula ]
2009/11/17(火) 午後 10:48
14.「脳と心」の奇妙な関係・・・もっと簡単に・・・(2009.10.7)
科学で解けない世界の例
[ gami ]
2009/11/13(金) 午後 9:20
がみです。ミクシィで書き込んでいた者です。<私>はポピュラさんのおっしゃるようにブラックホールのようなものですね。永遠に分からない問題なんでしょうし。ミクシィでは科学の話を持ち出すと「科学の出る幕はない」と散々言われましたが、僕は哲学よりも科学の方に期待を寄せています。最近京都の研究チームが、脳が見ている像をMRIで再現することに成功し、いずれは夢も再現できると言われていますね。それが本当なら、人が考えていることも読み取ることができるようになるかもしれません。しかし僕の脳と他人の脳を何らかの方法で結合させて、クオリアを共有させることは恐らく不可能ですね。もし脳同士を結合させることが技術的に可能だとしても、相手の脳から僕の脳に情報が伝達された時点で、クオリアが変換されているかもしれないので。そう考えるとやはり科学のでる幕はないのかと思いますけど、哲学に解決できるものでもない。僕はやっぱり永井さんの言う「<私>が私であったのは奇跡」というのは言いすぎ(もし脳が<私>を生み出しているなら、、、個別性の中に独在性が宿るなら)だと思います。


