ひきこもりパパの自閉症考察
本物のマイノリティ人生もだいたい半分過ぎた今、このような状況となって思うのは、
今まで頑張ってきた全てのモチベーションは、
常に社会の多数派の一員でありたいと願う気持ちだったと思う。
印象論だけど、不登校・ひきこもりに陥る人間というのは
わりと世俗的な価値観に捉われた人間のほうが多い気がする。
世捨て人のような達観した人なんて、ほとんどいないだろう。
僕の場合は、これまで不登校・ひきこもりなんて普通から外れた道を歩んでいながら、
結婚もして妻子もおり、普通の会社員になって普通の人に囲まれている事に
ものすごい安堵感を感じていたのも事実です。
「ああもう一人じゃないんだー。普通なんだー。」と感じてホッとする感覚。
そしてなおかつ、その感覚に少しづつ違和感を感じてきたのがここ数年。
ニュースなどで「10年以上ひきこもり」なんて話題を見たときに、
「自分はこんなにならなくて良かった」という考え方が
なんかものすごく違うんじゃないか?と感じるようになってきた。
人と話してても、「子供が引きこもりになったら速攻叩き出すよな!ハハハ」といった話題に
「そうですねえ、はははは」と内心冷や汗たらして相づちを打つ。
そんな風に、自分の過去と世間の一般的なものの見方を比べてみたときの違和感が
年々大きくなっていたのがここ最近です。
そして、今回仕事を失ったことで、自分がいかに
世間一般の大多数派に所属しなければ安心できない人間だったかとあらためて思い知った。
それって考えてみたら、すごく弱いって事ですよね。
社会に出られないひきこもりと、多数派の中から出られない社会人。
どっちもひ弱さとしては、同じレベルのような気がする。
僕が今すごく後悔してるのは、まさにこのことです。
人と違う生き方をしてるつもりが、全然はみ出ようとはしていなかった。
心情的には、ひきこもってるのと変わらなかったんじゃないか?
そういう生き方は、遅かれ早かれ、変えなければいけなかったのかもしれない。
そう、変えなければいけない。
僕が感じていた違和感は、大切なものだったんだと今なら信じられる。
僕は本物のマイノリティ(少数派)になったのだから。
自閉症の息子の父親になったのだから。
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