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遠藤周作「沈黙」

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はっきりいって、僕は読書家ではありません。
この遠藤周作の小説も、高校の教科書に載っていたこともある
有名なものとは全く知りませんでした。(高校中退なもので。。。)

ですが、この本は僕の人生の中で、最も大事な書物のひとつになるでしょう。

ネタバレ前提で解説すると、ストーリーは
隠れキリシタンの時代の日本に、ポルトガルから宣教師がやってきます。
宣教師は純粋に神を信じ、やがて奇跡が人々を救うと信じています。
しかし日本で見た現実は、弾圧によって虫けらのように殺されていく農民の姿。
キリシタンの農民が拷問され殺されていく現実を目の当たりにして
「神は何故現れないのか?」という信仰への疑いを感じます。

これがタイトルにもある神の「沈黙」の意味です。

そして、主人公の宣教師と対をなす、重要な登場人物に
キチジローという日本人の案内役がいます。

このキチジローという男もキリシタンなのですが、
弾圧と拷問が恐くて今まで何度も踏み絵を踏んだ弱い男です。
宣教師を案内していたにもかかわらず、またしても弾圧を恐れて
役人に宣教師を売ってしまいます。

役人に捕まった宣教師と、売ったキチジロー。この後、二人はどうなると思いますか?
宣教師は信仰を貫いて殉教し、キチジローは裏切り者として地獄に落ちるのでしょうか?


この物語は、そんな単純なものではありません。


捕らえられた宣教師は、農民の拷問される声を聞かされながら、
「お前が踏み絵を踏まねば、農民の拷問はやめない」と究極の選択を迫られます。
宣教師にとって踏み絵をふむことは、決して許されないことです。
命にかえても信仰を守る事が、宣教師のあるべき姿だと信じています。

しかし、踏まなければ確実に農民は見殺しになる。


宣教師は悶え苦しみながら、最後はついに踏み絵を踏んでしまう。


そのとき、はじめて宣教師は神の声を聞くのです。



「踏むがいい。神は常にお前と共に苦しんでいる。」



この神の言葉の意味が、お分かりになるでしょうか?
この言葉は、この物語の中でも一番のハイライトになる部分です。

なぜならばこの物語の究極のテーマは、「退転」=信仰を捨てる事についてだからです。
宗教を信じてるものにとって、これは一番恐ろしい事です。
どんな宗教でも、弾圧に耐えて命を棄てる者ほど、殉教者として讃えられます。
宗教のからんだお話は、そのほとんどが信仰を守り抜いた美談です。
もし信仰をすてるようなことがあれば、その末路は悲惨なものだと教えられているのです。

しかし神は「踏んでもいい」と主人公に声をかけた。
本来の神ならば、「地獄へ落ちろ」と言われてもおかしくないのです。

遠藤周作は自身もクリスチャンだそうですが、この神の考え方はかなり異端であるらしく、
カトリック教会からかなりの批判が起こったそうですが、僕はそれも納得だと思います。

遠藤周作にとっての神は、自分でどうにもならない過酷な運命を奇跡をもって救うような存在では無く、
寄り添って共に苦しんでくれる存在であると考えたのです。

そして遠藤周作のこの考え方は、もうひとりの裏切り者、キチジローにも向けられています。
強い人間は信仰を守り抜き死んでいった。
しかしキチジローはあまりにも弱く、何度も信仰を裏切った。

では弱い人間が裏切ってしまうのなら、神は結局、強い人間しか救わないのか?

そして忘れてはいけないのが、キチジローも、裏切るたびに悶え苦しんでいたということ。

宣教師は最後に言います。

「弱い者が強い者よりも苦しまなかったと、誰が言える?」


僕はこのキチジローという人物に、格別な思い入れを感じます。
僕も同じように弱い人間で、信仰を信じ守り抜くことのできない人間だからです。
ですが、キチジローのモデルが、他ならぬクリスチャン遠藤周作自身であることを何かで読んで
なぜかとても胸が熱くなりました。
おそらく遠藤周作自身も、自身の信仰に対し葛藤を抱きながらも、求め続けていた事が伝わってきます。


読んで作者に感謝したい気持ちになった、僕にとってとても貴重な1冊です。

閉じる コメント(25)

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宗教こそ違えども思想、イデオロギーは同じだと私は思います。団体の中にいると、欲、見栄のみの競争意識の高くなり、醜くもなります。一個人としては素晴しくとも・・
人間であれば誰でも弱いと思いますよ。だから宗教に頼るところもあるでしょう。弱いからもがき苦しむでしょう。それをしっかり見ていてくださってると思います。私も家族の為になら迷わず踏み絵をします。でも、きっと私の気持ちをわかってくださると思うから。そのためなら、地獄でも落ちましょう。家族のため、大事な人のためなら後悔はないですよ。

2008/2/10(日) 午後 2:21 [ - ]

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宗教の本意は自信が得られないものを人に与えることだと思っています。さびしい人はさびしい人を救いたいと思う、死にたいと思った経験のある人しか死にたい人の気持ちは分からない
遠藤周作が自己を小説に反映させた事は自己の正当性を示したかったのではなく、そのもっと上の境涯(菩薩)の心でそれでも(悩みながらの自分でいいんだよ)と信仰を捉えたのだと思います。
自身の信仰を守ることはある意味で死闘です。

2008/2/11(月) 午前 0:57 [ 正真正銘学会員 ]

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この本、知りませんでした。
今、読ませてもらったあらすじだけですが、深いなあと思いました。
それぞれの人間が、それぞれ背負っているもの。
感想を書くのは難しいですが、今、心の中で、いろいろ考えています。
紹介してくれて、ありがとうございます。

2008/2/11(月) 午前 2:50 ほっほ

私は本を読む余裕がなく映画も見る暇なく来ました。
poriさんの感想と共にこのお話しのあらすじを知る事ができてとてもよくわかりました。ありがとう。

2008/2/11(月) 午前 3:11 [ nonkisan ]

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bobonoblogさん:仰るとおり、宇宙の絶対の法則=神とすれば、万有引力の法則(高いところから落ちれば死ぬ)を崇めるようなもので愚かなことだと思います。ですが「愛」の概念は一体どこから来たのか?そこに興味があります。

2008/2/12(火) 午前 1:10 [ pori313 ]

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フラワーキャットさん:遠藤周作の本は、キャットさんには是非読んでいただきたいです。僕は読んでいて自分の苦しみ、葛藤の正体がいくらか解明しました。「深い川」など他の著作もおすすめです。

2008/2/12(火) 午前 1:14 [ pori313 ]

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こりごりさん:「沈黙」は若い頃に読んでも本当には理解できなかったでしょうね。遠藤周作は僕も10代のころ少し読んだだけで気には止めませんでした。今のこの年だからか身に迫ってきます。「深い川」はほんとうにおすすめです。そのうち感想書きます(^^)

2008/2/12(火) 午前 1:17 [ pori313 ]

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ドジ男さん:「宗教」と考えると遠い話のように思いますが、生きて行く上での信念と言い換えると、身近なものになる気がします。人によっては金だったり、学歴だったり。。。宗教で人が死ぬのも事実ですが、金や学歴をめぐっても悲惨な事が起こってます。その人にとってまぎれもなくそれは「宗教」です。

2008/2/12(火) 午前 1:21 [ pori313 ]

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春乃さん:「家族の為なら地獄でも落ちる」。。。芥川龍之介の「おぎん」という小説のなかに、キリシタンの娘が、入信せずに死んだ父母の元へ死後行きたいといって退転するお話があります。法や教えがどんなに素晴らしくても、人間の行動というのは情愛のほうがはるかに強く、正しいといわれる法が無力なことが、実際にあるのですよね。春乃さんのお気持ち、理解できるつもりです。

2008/2/12(火) 午前 1:32 [ pori313 ]

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正真正銘学会員さん:信仰を守る為に死闘したのは、宣教師、キチジロー、いずれも同じだったのだと思います。遠藤周作のこのまなざしは、「退転者は堕地獄」といわれて育った自分には衝撃でした。正真正銘学会員さんは聖教新聞の遠藤氏と先生の対談を読まれてどう思いましたでしょうか?僕には氏は決して学会を賞賛はしていないなと思いましたが。

2008/2/12(火) 午前 1:38 [ pori313 ]

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ほっほさん:遠藤周作の小説は、馬鹿にされるのを覚悟で弱い人々の苦しみを描き続けていますね。僕も多く読んだわけでは全然ないですが、こんな偉大な作家がいたのかと今さら衝撃です(笑)若いうちから本は読まなきゃいけないですねホントに!

2008/2/12(火) 午前 1:42 [ pori313 ]

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のんきさん:本を読んでいると、自分の悩みなどとうの昔に誰かが悩み抜いていたのだな、と思い知る瞬間が少なからずあります(^^)子供には勉強はともかく本は読め、と教えたいですね。

2008/2/12(火) 午前 1:45 [ pori313 ]

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「愛の概念」はDNAから来ているものと思います。「愛」は人間だけにあるものではありません。昆虫にいたるまで観察をすれば愛情をもっていることがわかります。
ではその愛はどこから来たのかというと、本来地球上の生物はたった一つの細胞が分裂をしたことにより発生してきたとされています。
そしてそのDNAは(37億年とされていますが、)ずっとどの生物にもひきつがれています。つまり「基は一つ」だったから、他の人「動物」にも、一体感「愛情」を感じるのだとおもいます。

2008/2/12(火) 午前 7:07 [ bobo ]

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bobonoblogさん:愛のDNAという考え方は、法華経でいう全てのものに仏性が備わっているという「一念三千」に通じるものがあるように思います。興味深いお話、ありがとうございます。

2008/2/12(火) 午後 11:30 [ pori313 ]

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仕事が忙しく返信が送れてしまいました。申し訳ございません。
今は休憩中です。
遠藤氏は学会を賛美するために対談したのではないく、むしろ日本一の会員数を誇る学会の役割に注文をしたかったのだと思います。また日本人として仏法を無視した生き方が出来ないことは文化人として、キリスト教徒として一番の関心事ではなかったかと思います。
触発とは仲良しのみ、自分にとってやさしい意見の人のみを集める事ではないですよね。外部からの指摘による気づきを大切にするよう師匠の深い思いであったかと思います。色んな方と対談されますがあまりにもかみ合ってない時もありますね「先生はどうしてこんな言われ方をされているのに話を楽観的にプラスに受け対談されるのか」と不思議な時もあります。境涯の違いでしょうか、ともかく良書は心の栄養ですね。しかし、栄養ばかり取りすぎると肥満するように、取り込んだ栄養は実践に生かし消費すると新たな知恵を生むと思います。

2008/2/13(水) 午後 9:53 [ 正真正銘学会員 ]

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正真正銘学会員さん:お返事ありがとうございます。「学会の役割に注文をしたかった」仰るとおり僕もそうだったと思います。あの「さぞしんどいでしょうね」という言葉に続くのは、「それでは弱い者はついていけない」と言いたかったのではないでしょうか。遠藤氏の著作を読むにつけ、弱虫の宗教に誇りと確信を持っていることが判ります。「強虫の宗教」の不寛容さを受け入れることは今も難しいです。

2008/2/13(水) 午後 10:25 [ pori313 ]

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内緒さん:教えて下さった聖書の一説、非常に感銘を受けました。真実に人を愛することは確かに難しい事と思います。やはりそれは人生の苦悩と苦難に真剣に向き合った者だけが可能なのだと思います。僕は葛藤のない信仰は決して本物では無いと信じています。

2008/3/2(日) 午前 1:04 [ pori313 ]

物凄く心を打ちました。
理屈ではないです。
転びながら生きていて、その罪を知りながら
それでも人は生きている
そこを否定してしまうなら宗教など必要有りません。
弱くても転んでも、強くて強情を張っても
生きる事こそ素晴らしい。
ありがとうございます。読んで見ます。

2008/6/9(月) 午後 6:39 がーでん

高校の頃に読みました。死海のほとりなど連作になっていたと思いますが、沈黙以上はないと思います。でもあまりに神が大きすぎて、最後は仏教のような神になった気がしました。
本を読んで40年、最高傑作だと思っています。

2008/12/5(金) 午後 9:16 [ れいん ]

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はじめまして、「沈黙」繋がりでTBさせて頂きました(^^)
今後ともよろしくお願いいたします<(_ _)>

2009/5/15(金) 午後 6:42 小笹山荘

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