父と僕

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反面教師の空しさ

前回の記事で、皆さんからいただいたコメントの中に、
父を反面教師にしていけばいいとの励ましが多数ありました。

おっしゃるとおりだと思います。

父は横暴で、母も結果的に僕をかばわず父に従った。
それでも僕は、両親の事を理解しようと努力している所です。

一家が荒れていたのは遠い昔の事ですが、
子供を持ったばかりの僕が、一番家族の中であの頃を思い出しているのかも知れません。

今までさんざんブログで綺麗事を書いてきたけれど、
本当にはまだ許していないのかも知れない。
けど、父にこの先幸せになってもらいたいという気持ちは本当です。
辛かったけれど、もう恨み言は言いたくない。
そんな事を言うような弱い人間にはもうなりたくないのです。

けど、そう思う心の片隅で、
辛かった子供時代を置き去りにしているような気がする。
自尊心を恐怖で叩き潰されてきた子供の頃。
どんなに淋しく、卑屈な思いだったか誰も気付く事はなかった。
知らないうちに辛さや苦しさを溜め込んできたのに、
「弱いからだ」「甘えてる」と白い目で見られた不登校の頃。

その思い出を押し殺して、父を母を理解するのは
僕が余りにも哀れな気がする。

きっとこの先、家族も僕も皆幸せになっても、
僕のこの空しさは死ぬまで消えないのだと思います。


見苦しいのを承知で言います。


僕は、そういう空しさ、やるせなさを抱えたままでも、
必ず両親を、僕を助けてくれなかった人達を理解して
自分の家族を幸せにする。

この覚悟は本当だ。

そういう空しさを抱えたままでいることが、
どんなにやるせないものか誰も理解はしてくれないけど、

今の僕には、父よりも強く正しい人間になっている自負がある。
僕を救ってくれなかった人達への恨みを乗り越える気高さを、
間違いなく手に入れている自信がある。

やるせなさは、死ぬまで僕の側に寄り添っているかも知れなくても、
そいつの囁く言葉なんかに、もう絶対に揺れたりしない。


息子にはもちろん、こんな事とは無縁の人生を送ってもらいたい。
それで父親である僕の苦悩や葛藤を知る事無く育ったとしても
それはしょうがないのかもしれない。
息子は僕の生き方を馬鹿にするかも知れないけど、

それさえも受け止める父親に僕はなりたい。

父の涙(長文です)

今年の正月を少しすぎた最初の連休、僕はもう一度実家へ帰った。
去年の夏以来、こんなに間をおかずに帰ったのは初めてだった。

空港に着くと、父が仕事を抜けて僕を迎えに来てくれていた。
父は「家に送る前に、ちょっと事務所に寄らないといけない」といって、
僕と一緒に現場の事務所へ向かった。
父の仕事は建設会社の現場監督だ。子供の頃はよく父の現場に連れられていった。
子供の頃見た父は、背が高くて作業服姿がとてもかっこよかった。

事務所で見た今の父の姿は、あの頃よりも髪も白くなって背も小さくなったような気がした。

家に着いて、僕は父から近所の飲み屋へ誘われた。
母も「2人でいってらっしゃい」と僕らを見送った。
家から歩いてすぐの馴染みの店で、2人で乾杯してちびちび飲みはじめた。
他愛のない話をしているうちに、父はだんだん僕ら子供達が小さかった頃のことを、
ぽつりぽつりと話しはじめた。


「俺は自分ではあまり思わなかったが、お前と上のお姉ちゃんには
 随分きつく当ってたみたいだな。。じいさんからいつも怒られていた。。」

「だから姉ちゃんは気が強いのかな。」

「母さんもしんどかったんだろうな。お前等を置いて1人で実家へ帰っちまったこともあった。
 お前がまだオムツも取れなかったころで、放ったらかしになって
 お前のお尻がオムツでかぶれて真っ赤になってた。」

「何で親父が替えてくれなかったんだよ(笑)」

「俺は酔っぱらってそれどころじゃなかった(笑)」

「いつだったか母さんが実家へ逃げた時、俺が1人でお前等3人を連れて列車で転勤先から
 帰るハメになったことがあった。。ちょうど年末だったから列車が混んでて動けないぐらいだった。
 その中でお前はトイレを我慢できなくってもらしちまったんだよ!憶えてるか?。。」

「全然憶えてない。」

「泣きそうになってるお前に、隣にいたお兄さんが
『こういう時にオモラシすると気持ちいいんだよねえ、お兄ちゃんも昔やったことあるよ』って
 言ってくれたんだ。。そしたらお前、泣くのをやめてにっこりしてたよ。
 降りてから俺がカバンに座らせてパンツ替えてやったんだ。。」

「・・・・・・。」

「母さんは俺達が実家に帰ったのを聞き付けて、家の近所までやってきて
 物陰からずうっとこっちを見てるんだ。。母親だから、そりゃあ気になるんだろうな。
 でも、こっちも意地があるからずっと無視してた。謝ってこなけりゃ家には入れないってな。。」

「どっちもどっちだよ(笑)」

「まあ、2人とも若かったからな。。」

「・・・・・・。」

「考えてみたら、こんな風に話すのは今までで初めてじゃないか?」

「・・そうかもしれない。」

「家族の中で、お前が一番、俺に逆らってたからな。。。」

「・・・・・・。」

「そろそろ帰るか。」「うん。」



家に帰ると、母は近所へ出かけていた。姉妹もまだ仕事から帰っておらず、2人きりだった。
戻ると父はすぐビールを2本出して、2人でソファに並んで座った。



「このまま子供ができなかったら、今年から不妊治療に入ろうと思ってる。」

「音沙汰無しか。」「うん。」

「最近、街中で小さい子供を見ると、すごく切なくなるんだ。。。
 もし生まれていたら、このくらいになってたんだろうなって。。歩いてたりしたんだろうなって。。」

「ああ、そうか。。。」それまでで一番気持ちのこもった返事だった。


「だから今、2人で祈ってるんだ。。。もう一度来てくれるようにって。。。」


「そうか。」



「だから、親父も祈ってくれないか?。。。子供ができるように。。。。」

僕はこらえきれずに泣き出した。




「わかった。」父は言った。「父さんに、任せとけ。」




僕は父にすがりついて泣いた。
小さい子供みたいに、もう何もしゃべれないくらい、泣きじゃくった。



「もう泣くな。」父は、僕の肩に手を回しぎゅっと抱き寄せた。

しゃくりあげながら、僕はかろうじてずっと言いたかった気持ちを言葉にした。




「小さい頃から、父さんのことが好きだったよ。。。
 かっこよくて、自慢の父さんだった。。。本当は大好きだったんだよ。。。」




顔を上げると、父の目にも涙が浮かんでいた。


父は「このことは母さんには内緒だぞ。。2人だけの約束だ」と言った。
返事もできないまま、僕は何度もうなずいた。

夜、床についた父に、帰ってきた母が屈託なく「2人で何を話してたの?」と訪ねた。
父は布団にもぐったまま「俺を尊敬してる、と言ってくれた。。」とだけ答えた。
母は「よっぽど嬉しかったんだよ。。父さん泣いてたよ。」と僕に嬉しそうに話した。





上に書いたやりとりも出来事も、すべて本当のことです。
父は僕の気持ちを受け止め、泣いてくれました。
父は謝ってもいないし、反省を口にすることもありませんでした。
けれど、僕の心の中からは、恨みはもう消えてしまった。
後に残ったのは、父に優しくしたいという気持ちだけです。
この不思議な経験は、生まれなかったあの子が来てくれたからに違い無いと僕は信じています。
僕ら父子を仲直りさせるために、たった1ヶ月だけこの世に降りてきた。
そうとしか思えません。
ひょっとすると、僕の不登校も、幼い頃からの葛藤も、すべてこの日の為に必要だったのかもしれない。
あの辛い、切ない経験があったからこそ、
世界中探しても、誰もが経験できないような和解を果たす事ができたのかもしれません。

そして、奇跡はこれだけで終わらなかった。
東京に戻ってすぐ、僕達2人の間に、新しい命が訪れたのです!。。。

奇跡

東京に戻った後も、僕の頭の中から父の生い立ちの話がずっと頭から離れなかった。
仕事をしていても、ふとしたはずみで思い出す事が多くなった。

僕は妻に父の生い立ちを聞かせ、そして父と自分にこれまであった出来事を
2人でことあるごとに話し合うようになった。
それまで「あいつはろくでもない親父だ」としか彼女には言ってこなかったけれど、
父の生い立ちを真剣に聞いてくれた彼女の態度が、僕を冷静にさせてくれた。
話し合ううちに、恨みや憎しみだけでなく静かに過去を見つめる事ができるようになった。

話を聞いた彼女は「poriがお父さんの事を話してるのを聞いてると、
子供を見て切なくなる今の気持ちが何となく解かった気がする。。」と語った。

子供の方は相変わらず音沙汰なし、だった。

僕は祈るしかなかった。
父が死にかけた時と同じように、祈ることしかできることはなかった。

「どうか、僕達に愛すべき存在を与えて下さい。」

祈るうちに、切ない気持ちだけではない思いがわきあがってきた。
父の生い立ちに触れたことで、僕の人生でこれまであったことがより一層甦ってきた。


どうして父は幼い頃の僕にひどい仕打ちをしたのか。

どうして学校へ行けなくなって、不登校になり高校を辞めたのか。

そして、どうして子供は生まれてこなかったのか。

母が言っていたように、すべて僕の宿命だったのか。
そんなもの認めたくなかった。何故僕だけがこんな目に?僕が一体何をした?
祈りながらずっと考えていた。

あの出来事は不幸だったけど、あの子が来てくれなければ
僕はこれほどまで自分の子供について考える事はなかった。。
もし、何事も無く生まれていたら、父とのわだかまりを持ったままの僕は
はたして子供とまともに向き合えただろうか?
もしかすると、かつての父と同じような事をしてしまったかもしれない。
そうなれば、きっと子供は父親を憎むだろう。僕と同じように。。。


そのときに、僕はごまかしようのない事実にあらためて気付いた。

「僕は父さんが憎かった。父は、実の息子から憎まれていたんだ。」

僕はぞっとした。実の息子から憎まれる程、悲しい宿命はこの世に無いのではないか、と。

そしてすぐ、僕は父の生い立ちを思い出した。

顔もわからないうちに、実の父親と別れた父。僕は愕然とした。




こんな可哀想な人はいない。




実の父親からも捨てられ、実の息子からも憎まれるなんて、あまりにも、あまりにも可哀想だ。





その瞬間、僕の中にずっとあった父へのわだかまりが、どこかへ消し飛んでしまったのです。

ずっと謝って欲しいと思っていた気持ちが、嘘のように消えてしまった!



気付いた時、思わず涙があふれた。

「お父さんごめんね。ずっと気付かなくて。。。」


僕は、父に優しくしたいと心から思うようになった。

それは許す許さないといった感情を通り越して、純粋に1人の人間を愛おしく感じる思いだった。

僕をずっと縛っていたわだかまりが消えたこと、まさに奇跡としか言いようがなかった。


僕はすぐに、妻にこの気持ちを話した。
そして、どうにかこの気持ちを父に伝えたい。と思うようになった。
「僕達の子供ができるように、親父も祈ってくれるかな。。。」
「素直には聞いてくれないかもしれないけど。。きっと気持ちは伝わると思うよ。」
「poriのお父さんは、気持ちの優しい人だよ。会ったときから思ってたよ。。」
妻は父のことをそう言ってくれた。


僕は年末の飛行機の切符をすぐに予約した。

父にもう一度会って、大切な事を伝えようと、心に決めた。

突然の入院と帰省

流産から2年あまりすぎた去年の6月、
僕達のあいだに新しい命は今だ訪れなかった。
不妊治療に踏み切ろうかとはずっと考えていたが、
妻があれ以来病院へいくのを怖がり、自然に授かるのを待ち続けた。

そんなある日、仕事をしていて僕は背中に筋肉痛のような痛みを憶えた。
特に気にせずにいたら、その痛みは徐々に広がって行き、寝返りも打てないぐらいになった。
かかりつけの医院で、エコーなどの検査をしても異常は見つからない。。
すぐに国立の大病院を紹介してもらったら、1週間ほどの検査入院が決定した。

血管造影剤を入れてのCTスキャンでもはっきりした原因がわからないまま、
入院した夜から高熱にうなされるようになった。

検査入院のあいだはもちろん絶食。4日間の食事抜きで5kg近く体重が減った。
すい臓か腎臓に菌が感染したらしいが、経路も不明で点滴で炎症を押さえるしかなかった。

病気の事等一切気にした事のなかった僕は、このいきなりの入院に呆然とした。
結局退院まで原因はわからず、不思議な気持ちで病院を出た。


「心配かけたのだから、実家に帰ってきたら?」妻や義父母から言われ
退院してすぐ、僕は久しぶりに実家へ帰省した。
父が死にかけた事故からろくに帰っていなかったので、ゆっくり帰省するのは6年ぶり位だった。
大して長いとも思わなかったが、久しぶりに僕の顔を見た母はなぜか子供の頃の話ばかりしていた。

父はあの事故以来、単身赴任を終えてそれまでの慣れた部署から
知り合いのいない新しい部署での勤務になっていた。
改めて見る父は、頭も白くなってずいぶんくたびれたように見えた。

東京へ戻る日、飛行機の出発まで母と2人で話す時間があった。
2人きりで話すなんて随分久しぶりだった。話の内容は父の生い立ちにおよんだ。
1歳にもならないうちに両親が別れ、ほんとうの父親の顔も知らない事、
「父なし子」といっていじめられたこと、
再婚しどうやって成長してきたか、そしてどうやって母と出会ったか。。

父の生い立ち自体は、母から子供の頃から何度も聞かされていた。
けれど、こんなにも詳細に聞いたのははじめてだった。
子供の頃から父は不憫だとは思っていたが、
たとえかわいそうな生い立ちだったとしても、僕に行ったひどい仕打ちは
とうてい許す気にはなれなかった。

父に接する態度だって、あくまでも大人の対応だった。
そのころの父は慣れない部署での仕事に嫌気がさし、しょっちゅう母に
「もう仕事を辞めたい」と愚痴をもらしていると聞いた。
そんな話を聞いた僕は「ざまあみろ」と思った。
「俺が学校へ行かなくなった時、さんざん罵った癖に、いい年してヌルいこと言ってんじゃねえ。」

わだかまりは確実に残っていた。

僕は、父が一言でも謝ってくれなければ、絶対に許す事などできないと思っていた。

けれど、父の生い立ちの話は、何故かずっと僕の頭から離れなかった。

父なし子

昨日の父の日、僕達夫婦は実家の父にお酒をプレゼントしました。
(なんと八海山の一升瓶!)
「安酒呑んで酔っぱらってないで、高い酒をちびちび飲め」という思いを込めたつもりです(笑)
父の日にちなんで、今日は父にまつわる話をひとつ。

父は幼い頃に両親が離婚しています。
僕の祖母は兄が3人いましたが皆早逝したため、夫には家に入ってもらいました。
それが父の実父、ぼくのほんとうの祖父にあたる人です。
ところが、その実父と姑(僕の曾祖母)が折り合いが悪く、
実父は父が生まれて1歳にもならないくらいに出て行ったそうです。
子供への未練はあったそうですが、どうしても祖母の家に戻る事は我慢ならず、
祖母のほうも親を置いて出て行く事ができずに結局別れてしまったそうです。

だから父は、自分の実父の顔も憶えていません。
離婚がまだ珍しい時代だったせいでしょう。幼い頃の父は、周りから
「父なし子」と呼ばれていじめられたそうです。

そして父が小学生ぐらいの時に、祖母は再婚し、現在の祖父のところに父を連れて嫁ぎました。

僕と祖父は名字が違います。普通、父方の祖父母は同じ姓のはずですが、
祖母は再婚する時、父に対して「お前は母方の家を継がなければいけない」と言ったため、
父だけは再婚しても旧姓のままでした。
やがて、年の離れた弟達(僕の叔父)が生まれましたが、叔父達は祖父の姓を名乗っています。

父は家族の中で、たった1人だけ違う名前を名乗らなければいけなかった。

その寂しさと疎外感は、僕が想像する以上のものだったでしょう。

案の定、十代の頃の父は荒れていたようです。
弟達が遠慮なく親にものをねだるのを横目に、欲しいものもなかなか言えなかった。
髪をセットするドライヤーですら、買ってくれとは言えなかったそうです。
祖父とも衝突をくり返し、高校を卒業した父はすぐに家を出て、
曾祖父母のいる実家にひとりで戻ってきました。
そこで母と出会い、20歳ですぐに結婚して僕らが生まれたという次第です。

父は家族の愛情に飢えていたのでしょう。早い結婚から容易に想像できます。
本当は子煩悩で、自分の子供が大好きだったに違いありません。

けれど、若い頃の父は子供への接し方で曾祖父母からさんざん怒られていたそうです。
酒に酔っては荒れて、母や僕ら子供達にはすぐに怒鳴り散らす父は、いつも
「お前はそれでも父親か」と怒られていたようです。
母もそこまで酒癖の悪い男とは思ってなかったらしく、何度か僕ら子供を置いて
1人で実家に逃げ帰ることもあった。

何が切っかけで怒るかわからない父に、僕はいつもビクビクしていた。
父はそんな僕を苦々しく思って
「男のくせに」
「情けない」
「女の腐ったやつ」
と何かにつけて罵っていた。
僕は罵られる度に「自分は期待はずれの子なんだ」と自分を責めた。
よその家の子ばかり愛想良くかわいがり、僕には冷たい言葉ばかりかけていた父を見るたび、
一層強くそう思った。

今わかるのは、父も僕も父親の愛情を感じられなかった人間だったということです。
本当はわが子が大好きなのに、うまく愛情を伝えられなかった。
それでなつかない子供と自分に対して苛立っていたのかもしれない。
子供である僕は、父の愛情が得られない事をコンプレックスに成長してきたけれど、
後年、父は「俺はろくな父親じゃない」「俺なんか家にいない方がいいんだろう」と
母によくこぼしていた。
そう考えると、僕を苦しめていたものと、父を苦しめていたものは同じものだったのかも知れない。

このブログを書きはじめたきっかけは、どうしてもこの負の連鎖を断ち切りたいという思いからです。
もう僕や父のような不幸な子供は、決してあってはならない。
ここで、必ず不幸な宿命を乗り越えたいのです。

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