不登校のその後

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

社会での人の価値

不登校・ひきこもりを経験して今では普通に社会生活をしている自分だけど、
振り返ってみると、社会人になって長い間、
「世間並み」でいることをものすごく気にしていたなと思い知った。

不登校・ひきこもりの話題を耳にしても
何というか、「俺だってまともにやってんだからこいつらしっかりしろ」
「社会人までこんなになったらオシマイだよな」といったふうに
嫌なものを目にするような気持ちが少なからずあった。


そういう考え方に変化が現れたのは、ここ何年かの間です。


最近、ある人のブログで見たある一言について、ずっと頭から離れません。



「もし社会で役立つことが人の生きる価値だとしたら、

 僕には生きる資格も価値も無い」



この言葉は、ある人のブログで知った
筋ジストロフィーで寝たきりの障害を持った青年の言葉だそうです。

この言葉を知ったときには、本気で頭を殴られたような気がした。


そんなことは絶対に無いと思いながらも、


どこかで肯定しそうな自分がいたから。


断りますが、不登校ひきこもりと、障害者の方の問題を
同じにしているわけではありません。

だけど、僕個人の考え方をつきつめると、

もしひきこもりを否定的に叩く考えを持ち続けていたら

いつか必ず障害を持った人や、働けない人、社会的に立場の弱い人にも

そういう目線を向けてしまうのではないか?と、

「社会で役に立たない」ものを、すべて排除するように考えてしまうのでは?と、


そんな風に思ったのです。


今の僕は少なくとも、人間の価値はそんなことじゃない、
社会に有用であることだけを重視するのは間違ってる、ということだけは
心において生きていこうと思っています。
それは、「不登校・ひきこもり」という
いまの世の中で一番同情されない経験をしてきた僕のひとつの結論です。

ひきこもりバッシング

前の記事に関連して少し思ったことがあり
あまり深く考えず文章にしますが。。。

思うに、不登校とかひきこもりって、
必要以上にバッシングされすぎてるような気がしないでもない。

まさに「同情の余地など一片も無い」ぐらいの勢いで。


グレてヤンキーになったほうがよっぽど周囲も理解があるような。
(これは僕の偏見かもしれないが^^)
だって元ヤンキーは下手するといい思い出話になることはあっても、
元ひきこもりって、正直かなり言うのに勇気要ります。


これは、不登校やひきこもりって、

世の中の常識を根底から拒否する行動だからなのだ、と思うわけです。

社会すべての常識を拒否するぐらい、激しいもののような気がしてくる。

コレに比べたら、不良がバイクを乗り回すなんて完全に世の中の想像の範囲内だ。



人って、理解しがたいものには過剰な反応を示すのだと思います。
だからこそ、同情の余地無く切り捨てるのではないか?



そう考えると、これってひきこもりだけの問題じゃない。
自分よりも弱者の存在を、常識を守らないという理由だけで排除するようになる。

「この世界で生産的なことを拒否する奴らは、許さない」という空気。

今の世の中、そういう空気が充満しているような気がします。

世の中との「戦い」

またまた放置してしまいましたが、唐突に更新。

息子のこぽりはさらに大きくなってもう2歳^^

ものすごお〜くやんちゃで元気で、言う事全く聞きません(笑)
家族みんなで圧倒されてます。。。

元気なのはなによりですが、この間こんなことがありました。

義父と僕ら家族で出かけていたときの何気ない会話。
こぽりのやんちゃぶりに「こりゃ大変だ」とみんなで話していたとき、
義父が一言、



「元気がありあまってるぐらいがいい。
 弱くって、登校拒否にでもなったら困りものだ」




。。。。僕の人生、さらりと全否定です。



唐突に言われると未だにショックはあります。
でもわかってます。世の中はどこまでいってもそういう風に見るって事。
ここでムキになるような年齢でもありませんし。

けれど、この年齢になっても、正直心のどこかでは

「世の中はお前みたいな奴はいらない」って

ずっと言われ続けてるような気は常にしてる。


ひるがえって、これからの子供への接し方を考えるとき、
どう伝えるのが一番いいんだろう?と正直思う。

「つまづいても諦めなければ大丈夫」なのか、
そもそも、「そんなつまづくような人生歩むな」と教えたほうがやっぱりいいのか。

「パパみたいになるな」「パパみたいな人生は避けて通れ」と言うほうが
世の中的には正しいんだろうな。


仕事のほうは、こんなご時勢だから会社は大変だけど、
僕の仕事自体は順調です。
自身の企画で、ヒット商品も出しました。

だけど、仕事でどんなに頑張って、どんなに評価されても
いつまでたっても僕と世の中との折り合いはつかないような気がします。

何というか、生きていて世の中の何かとずっと戦ってるような気がする。

自分の辿って来た人生を、少しでも意味あるものにするために。



僕が子供に見せられるのは、結局そういう姿だけだと思う。

前の記事で、僕が「一人で生きてきた」といった内容を書いたところ、
一人で生きてきたなんて傲慢じゃないか、という辛辣なコメントをいただきました。
確かに前の記事は言葉が足りない部分があり、あまり納得行く内容ではなかったので
もう少しだけ思ってることを綴りたいと思います。

人は誰でも、学校なり社会なり、集団に所属して生きている。
「人はひとりじゃ生きて行けない」という言葉は、
誰もが一度は必ず言われた言葉だと思う。

だけど、

「人はひとりじゃ生きて行けない」「仲間が大切」っていうのは、

僕は正直、そんなに大切なことじゃないと思う。


なぜならば、



そんなことは、誰だってわかっていることだから。



そして、「人はひとりじゃ生きて行けない」「仲間が大切」ということを

最も切実に肌で感じているのは、


まぎれもなく、


不登校やひきこもりになってしまうような種類の人間だと個人的に思う。



僕個人の経験や、かつての思いを振り返ったなら、
あのときの学校へ行けなかった苦しみは、

「人はひとりじゃ生きて行けない」ことを知っていたからこそ、

「ひとりになってしまった今、どうやって生きて行けばいいのか?」という
苦しみ以外の何者でもなかったと思う。


僕は正直、学校へ行かない事や引きこもっている事に葛藤や苦しみを抱えていない人間は
はっきりいって問題はないと思う。
むしろ「俺は一人で生きて行く」などといった達観した意志を持った人間は希有だ。


不登校やひきこもりになってしまうような人間は、決して一匹狼なタイプではなく
驚くほど常識的だ。
そして、「仲間」を得られず「一人」になってしまった事に
焦りと絶望を少なからず感じ続けている。
「仲間」や「集団」が大切だと言う事を、本人自身が骨身にしみて感じているからだ。


同列には語れないけれど、秋葉原の通り魔だって近い心境だったに違いない。
あの犯人が、仲間や友人など必要ないといった孤高の人間だったなら、
あんな事件は絶対に起こさなかった。
あの犯人は、「仲間」や自分が帰属できる「集団」を、狂おしい程に求めていたと思う。


人はひとりでは生きて行けないし、生きて行く上で仲間が大切なのは
まぎれもなくその通りだ。

だけど、人は生きていてどうしようもなく独りになってしまうことがままにある。

僕は自分の経験からはっきり思う。


世の中には、「仲間が大切」という人は数多くいるけれど、

その仲間を失って「たった独り」になったとき、どうやって立ち上がればいいのかを

はっきりと教えてくれる人というのは、そんなに多くはいないと思う。


今の世の中は、どこかの「仲間」「集団」に所属している事が、

最も安心で、確実な生き方だと誰もが信じているから。


それを失った時の生き方というのは、実は誰も考えたくないんじゃないか?


僕は「仲間が大切」と訴えるだけでは足りないと思う。

「独り」になったとき、どうやって人生を立ち上がるかを考え、伝える方が、

今の世の中に求められている事だと感じる。

巷はオリンピックで大盛り上がりですね。

話題にしといて何ですが、

昔から僕は、

オリンピックとか、スポーツ大会には殆ど興味無いんです。。。


もっと言うと、スポーツ自体に興味が無い。

今やってる高校野球も昔から見ないし(高校中退だしあまりにも真逆の人生だし)

プロ野球もひいきのチームも子供の頃からないですね。。。



まあ元々やるのは下手くそだったのですが、

「やるのは苦手でも見るのは好き」という人は多いですから、一概にそれが原因でもない気がする。


でも、昔からとにかく嫌だったのが、

「男の子だったら、スポーツ好きじゃなくてどうする!」という空気が、、、、

「あんまり興味ないんだけど」と大っぴらに言えない空気がありましたね。


「同じクラスだから応援しろ」とか、

「同じ学校だから応援しろ」とか、

「同じ国だから応援しろ」とか、

同じようにしないといけないといった同調圧力みたいなものが凄く嫌だった。


で、そういう態度だと結局、今でいう「空気読めないやつ」みたいに思われて。。。


20年以上前から僕は、いわゆる『KY』な奴扱いでしたね(先取りしすぎ)



とにかく昔から、あまり仲間意識というのが無かったのです。

いじめとか身近にあって、そんなもの子供の頃から信じてなかった。



少し前にテレビで流行った小学生の「30人31脚」という企画がありましたね。

ああいうのは、クラスを一丸とさせる効果もあるかもしれませんが、

間違い無くその影で、いじめや不登校のきっかけを生む大きな原因を孕んでます。

僕が今、小学生に戻ったとしても絶対にやりたくないです。


ただ愚痴ってるだけのように見えますが、

言いたいのは、

「集団の中には、興味のない人間を排除する傾向が確実に存在する」ということです。

一丸となってやることに異論は無いが、賛同しない人間をスポイルしていい道理なんかない。

こう思うのは僕が

「みんなで力をあわせて」なんて経験ではなく「たった一人で」困難を乗り越えてきた人間だから、

集団を信じないで少し偏ってるのかもしれないけど、どうなんだろう。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
pori313
pori313
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事