もうひとりの子供

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はじめての子供(4)

はじめての子供を流産で亡くし、お互いの気持ちを理解できず
すれ違ったままの僕達は、見た目には普通の生活をしながらも
心の中のわだかまりが少しずつ大きくなっていくのを感じていた。

僕は街中で小さな子供を見るのも嫌になった。
年賀状の子供の写真を見るのさえ不愉快だった。

妻も義母の看病に忙しい日々が続いており、
その甲斐あって義母の容体は徐々に快方に向かっていった。
生存率5割と言われた危篤状態から、ほとんど後遺症もなく退院を迎える事が出来た。

ある日、妻は知り合いの人から、長年看護師をされている女性の方を紹介されて
流産の話を聞いていただく機会があった。
その人から「たとえ一瞬でも、命が宿ったのよ」と言われた妻は、
その時はじめて自分の中に宿った命を実感する事ができたと語った。
重くふたをしていた心が、少しずつ開かれようとしていた。

その頃からやっと、色々な事を冷静に話し合えるようになった。
普段は自分の気持ちをめったに現さない彼女の口から、少しずつ気持ちがこぼれてきた。


子供がいなくても、2人でいるのが楽しかった事。ふたりぼっちでも充分幸せだった事。

僕が余りにも激しく怒鳴ったりする事で、本当にこの人の子供を生んでもいいのか迷っていた事。

「子供を見るのが辛い」という僕の気持ちを理解しなかったのではなく、
子供を見て「この子達は無事に生まれてきて良かったね」といつも思っていた事。


僕は話し合ううちに、自分が空しさや悔しさを彼女にぶつけていただけだと気付いた。
駄目になった、生まれなかった事だけに囚われて、
僕の方こそ「命が宿った」ことの意味を本当に理解していなかった。
妻が「命が宿ったのよ」と言われた後になって、
ようやく僕もその命を本当に慈しむことができるようになったのです。

その時、はじめて涙が流れました。

妻に「悲しいなら泣けばいいだろ」と思っていながら、それまで僕は自分から涙する事などなかった。
僕が彼女に向けた思いは、身勝手なひとりよがりな慰め方だったのです。


僕達2人は、はじめて純粋に子供が欲しいと思った。
2人の間に生まれてくる子に、たくさんの愛情を与えたい。生まれてくる事をただ祝福したい。
とりわけ僕の心には大きな変化が起こった。
それまで、絶対に欲しくないと思っていた「男の子」を育てたいと思うようになった。
昔の自分や、父との関係を思い出させる恐怖から、絶対いらないと思っていた男の子を、
たまらなく欲しいと思うようになった。

それと同時に、自分の今までの人生を振り返ることが多くなった。
今までの自分の人生にあった出来事、家族との関係、
ずっと忘れ去ったと思って久しかったことを、もう一度見つめたくなった。
不登校に関するブログを検索したりしはじめたのもこの頃からだった。

この子が来てくれるまで、僕はこれほどまで子供について、
自分の人生について真剣に考えた事はなかった。

でも、新しい喜びは、まだしばらく先の話だった。
僕達2人のあいだに、新しい命はなかなか訪れる事はなかった。

はじめての子供(3)

妻が退院してからの僕達は、見た目も内心も、特に落ち込んだりする様子も無く
毎日を過ごしていた。
妻は義母の看病に、僕は転職したばかりの職場で、それぞれ忙しく日々を送っていた。
義母の入院は長引き、年末を迎え新しい年になっても続いた。
妻は義母のいない実家の年越しの準備まで、何かと手伝っていた。

そんな中で、僕の気持ちにある変化が起こった。

妻の妹の子供を見るのが、何故かつらくなってきた。

赤ちゃんを見ていると、何とも言えないやるせなさを覚えるようになっていた。

毎年正月は妻の実家でみんなと過ごしていたが、今年だけは気が進まなかった。
「あまり行きたくないな」それとなく気持ちを漏らしたが
「何言ってるの、いつもみたいにみんなで過ごすんでしょう」
そう言って、僕がまた駄々をこねているとしか思わなかった。

結局、その年の大晦日は、僕は「年賀状を書かなきゃ」と言って1人で家に残り、
ひとりぼっちで年を越した。

妻は、そんな僕の態度を「気難しい」としか見なかった。
憤った僕は、「何でわかってくれないんだ」「お前は何も感じてないのか」と思い
やがてその気持ちをぶつけるようになった。
でも彼女は
「何とも思わないわけない」「今はそれどころじゃない」「言ったってしょうがない」と
頑な態度を崩さなかった。

僕は悲しいなら、つらいならそれをぶつけて欲しかった。
泣いてくれたなら、慰める事だってできたはずなのに、それもしようとしない彼女に対して
僕はどう接してよいかわからず、いらだちを覚えるようになった。

「本当は子供が欲しかった」「もっと早く作れば良かった」「僕の方が待たされたんだ」
わざと彼女が悲しむような台詞をことあるごとに投げ付けた。
今までと正反対の言葉に、彼女は「まだ欲しくないと言ってくせに」と反発した。
僕達は、何かにつけて言い争うようになっていった。

妻は義母の看病で忙殺されることで、流産のショックから免れていた。
もし義母の病気がなければ、もっと打ちひしがれていたのかもしれない。
見方を変えれば、それは幸運だったのかもしれない。

けれど僕にしてみれば、入院がなければ無事に育ったかもしれない、との思いが拭えなかった。
でもそれは「お母さんのせいでダメになった」という意味と同じで、
彼女にとっては決して許しがたい言葉だった。
義母は入院している間の記憶はすっかり抜け落ちていた。
僕達2人の間に起こった事も、妻は決して話さなかった。今でも義母には話していない。

僕はあまりにもやるせなかった。
彼女の気持ちを思えば、何事もなかったように接してあげるのが一番だったけれど、
それでは自分の気持ちが押さえようがなかった。
ショックを受けているのは夫よりも妻の方だと誰もが思っていたし、
僕の気持ちは誰にも打ち明けようがなかった。
妻に訴えれば訴えるほど、彼女を苦しめることになっていった。(つづく)

はじめての子供(2)

「胎児の発育が見られません。流産の可能性が高いです。」
産婦人科の先生に、妻はそう告げられた。
妊娠初期に起こる「稽留流産」と説明された。

妻の体には何の変化も見られなかった。けれど、
「このまま放っておくと後一週間ぐらいで出血が始まります」
先生にそう言われ、妻は入院し処置の手術をすることとなった。

僕にとっても妻にとっても、あまりの突然の出来事に
悲しむよりも、何が起こっているのか理解が追い付かなかった。
あのころは、特に妻にとってはそれどころではない毎日だった。
図書館の仕事はフルタイム。仕事が終われば義母の病院に通う息つく暇のない毎日が、
流産のショックをかき消してるかのように見えた。
僕も残念だとは思ったが、あまりにも早すぎて
正直、子供を亡くしたという悲しみとは程遠かった。

先生の説明を淡々と僕に話し、彼女は入院の準備を進めた。
入院はたったの一泊。僕は当日の朝に休みを取って付き添った。
手術の朝、付き添う為に病室に着いた僕に対し、彼女は
「朝早くからわざわざ来てくれてありがとうね」と言った。

夫として当然のことなのに、彼女はこんなときまで自分よりも周りに気をつかっていた。

手術は思っていたよりも早く終わった。待合室で待っていて気付かない位だった。
看護師さんに呼ばれて急いで病室に戻った時、彼女は真っ青な顔をしていたが
意識はハッキリしていた。

今まで何度もパニックや貧血ですぐ倒れていたのに、この時だけはそれすらなかった。
手術が終わった直後も、自分の足で病室に戻ったという。

退院のときは義父が病院に迎えにきてくれた。待合室で、3人で入院費の精算を待っていた。
赤ちゃんを抱いた幸せそうなお母さんが、何人も僕らの横を通り過ぎた。

僕は、何て残酷な場所なんだと思った。同じ場所にいるのがたまらなかった。

だけど、この時の妻の方が、僕よりもはるかにいたたまれない気持ちだった。
彼女は自分の事よりも、僕や義父に申し訳ないと、僕ら2人の事をこんなときまで気づかっていた。

あのころの僕には、彼女が内心どんな思いで事実を受け止め、毎日を過ごしているのか、
本当には分かってはいなかった。
それぐらい淡々として、悲しいそぶりを見せようとはしなかった。
張りつめた毎日のなかで、真正面に受け止める余裕など無かったのかも知れない。

そして、退院してから時間が経つにつれて
僕達の2人の間に気持ちのすれ違いと、言い争いが少しづつ増えていった。(つづく)

はじめての子供(1)

実を言うと、今、妻のお腹にいる子は初めての子ではありません。

妻は3年前に流産しました。宿ってから、1ヶ月程しかお腹にいませんでした。

この子については、2人にとって辛い出来事がありました。


3年前、結婚して5年程たっていたころ。
妻は小学校での図書館の仕事も順調で充実しており、パニックの症状も少なくなっていた。
ちょうどそのとき、妻の妹が彼氏とのあいだに子供ができて
突如できちゃった結婚するという一大事が起こった。
あれよあれよという間に妹は出産し、義父母も新しい家族に大喜び。
僕達夫婦も、身近に誕生した赤ちゃんを目の当たりにして
「自分達の子供」のことをぐっと意識するようになってきた。

結婚してすぐに欲しいとは僕も妻も思わなかった。
しばらく2人での生活を楽しもう、ということで作らなかったのだけれど
僕の内心では子供を作ること自体があまり気が進まなかった。
自分の生い立ちや育った家庭環境を思い出すと、いい父親になる自信もなかったし
子供を育てることで、学校等の今まで自分がさんざん嫌な思いしてきた事柄に
再度向き合う事になるのがうんざりだった。

それに妻の職場の小学校は、子供ができたら続けられないのが条件だった。
楽しいからできるだけ長く仕事を続けたい、と言う妻の意志を尊重して僕達は2人の生活を続けていた。

そんなわけで、結婚してからあっという間に5年の月日が流れた。

自分達の子供を意識したのはそんな頃だった。
妹の赤ちゃんは見れば見る程とてもかわいかった。
それに妻から毎日小学校の子供達との楽しい話を聞かされて、
だんだんと「子供を持つのも悪く無いかも」という思いに変わってきた。
妻自身も、学校での毎日と妹の赤ちゃんのおかげで、子供に対する考え方が随分変わってきていた。

初めて2人で真剣に欲しいと思った。


そして、それから数カ月して、妻は初めて妊娠した。
妻に言われた最初は全く実感は無かったけれど、とにかくめでたい事だと2人で喜んだ。

でも、それから数週間後、今度は大変な事が起こった。


妻の母が、突如クモ膜下出血で倒れたのです。


初めて産婦人科に行き妊娠が判明してから一週間程しての出来事だった。
義母が倒れた時、そばにいたのは妻だけで、妻は様子のおかしい義母をたった独りで
脳外科まで連れて行き、そこで一大事であることが判明しすぐに国立の大病院へ移送された。
手術は10時間に及び、集中治療室での状態は全く予断を許さなかった。
集まった親戚の前でも、妻はとても気丈にふるまっていた。

それからは妻は毎日義母の為に病院通いの日々が続いた。
妹は赤ちゃんが一番大変な時期。妻は動けるのは自分だけと気を張り過ぎていたように見えた。
タイミングの悪い事にそのころの僕は、仕事先を転職したばかり。
慌ただしい毎日にお互いを気づかう余裕もなかった。

看病の合間に、産婦人科に2回目の検診に出かけた妻は
そこで先生からこう言われた。



「何かおかしいですね。」(つづく)

先生になった奥さん

以前の記事から時間がたってしまいましたが、今日は妻がパニックになってからのお話です。

帰省する途中で倒れて以来、遠出ができなくなった妻は、
病院や薬を嫌がった為、普段の生活の中で気長に治るのを待つようになりました。
その他の事は普通にできていたので、
そのうち妻は、近所でできる仕事を何かしたいと思いはじめました。

そんな時、知り合いの方から紹介されたのが、私立の小学校の図書館での司書の仕事でした。
妻は僕と知り合った頃、大学の図書館で働いており、
その方はそれを知っていて声をかけてくださったのです。

学校までは車で10分ほど、これなら通えるということで面接を受け、晴れて採用。
妻はなんとその小学校の図書館で、いきなり「先生」と呼ばれるようになったのです。

小学校ですから、当然子供相手の仕事。
でも、うちの妻はそれまで子供がそれ程得意ではありませんでした。

確かに、僕から見ても、あんまり「やさしい先生」というには程遠い強気キャラ。。。

「大丈夫なの?」という一抹の不安を持っていたのですが、
人懐っこい子供達に慕われていくうち、段々楽しくなってきたようです。

それ以来、家に帰る度に、今日あった出来事を楽しそうに話してくれました。
「今日は○○ちゃんが本を選んでって甘えてきてね。。。」
「みんなの前で、絵本の読み聞かせをしたよ。」

僕もその話を聞くのが、毎日の愉しみになりました。
妻の子供を見る目がどんどん変わっていき、
パニックの症状も、だんだんと落ち着いて行くのが感じられました。


ある日、2人で市立図書館に行った時、絵本にすっかり詳しくなっていた妻から、
「これ読んでみなよ、すごくいいから」と一冊の絵本を勧められました。

タイトルは「百万回生きたねこ」。

有名なものですが当時の僕は全く知らず、「ホントにいいの?」と思いながら
パラパラめくっていたのですが。。。。



僕はラストで 号 泣 してしまいました゚・(ノД`)・゚・(もちろん図書館の中で、です。。。)


妻はびっくりするやら、ニヤニヤ笑うやら。。。
今でもあの時のことを思い出して、僕をからかっています。

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