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短くも無い間、お付き合い戴きました事に感謝申し上げます。老爺さん、お付き合い戴きまして有難う御座いました。

現在、世界は混沌の極みにあるやに思われます。

経済大国、米・中の貿易戦争、香港人の虚しい抵抗、流入し続ける外国人への対応をめぐり対立し弱体化する欧州。

我が国も混沌の例外ではなく、国際法と云う言葉すら知らない隣国と、嫌々ながらも付き合って行かねばならない現況です。

その一つ一つは、幾ら言葉を重ねても解決するのが容易ではない。

そんな昨今なのだけれど、「ブログ サービス 終了」の通告があり、これを機にブログ終了の決心を致しました。

今まで、訪れて戴いた全ての方々に謝意を述べさせて頂きます。有難う御座いました。

皆さん、お元気で。

さようなら。




進む 国民の二層化


国民の二層化が進んでいるとの報道に接して、最初は、その理由が分からなかった。
最近 気が付いた事、それは所謂中間層となるべき人達を、国が意識的に下層へと誘導している事実である。例えば育児に関する補助、これにも一定の所得制限の罠が設けられている。保育園が無料なのは一定以下の収入の家庭、或る程度以上の収入がある家庭は、しっかりと有料である。

更なるベースは税の不公平にある。所得税に掛かる税、その高さが、所謂中間層を直撃し、結果として、この国には中間層が少なくなり、二極化が進行する。

実は、この中間層こそが、尤も消費性向が大きい。その層を育てずして国の未来はないだろう。その手法は、税の直間比率の見直しが主なものとなる。

間接税を引き上げ、直接税を引き下げる事である。この国の主体が国民であるのなら、更に、一人一票の政治的平等が保たれるのなら、この国の財政も国民が平等に担うべきものであろう。その平等を明確に担保するものこそが間接税である。

その上で、真に助けを必要とする人がおられるなら、国民の総意で社会保障を考えれば良いのだ。そうする事で、現在の偽装離婚(アパートの二階に元夫、一階に元妻)による生保の申請などは社会が拒否すれば良い。それをせず、末端の行政官に認定の適否の責任を負わせるから、脅しなどの様々な不都合が生ずる。

子供達が国の子なら、親の収入の多寡に関わらずに、一定の年齢までは全て国が責任を持つべきであり、少子化を嘆く以前に、国家・国民にはその覚悟が要求されるだろう。

このようにして、中間層を厚くすれば、消費が増えて、経済も正の回転を始める。現在の状況を放置すれば、経済が何時、負の回転に陥っても不思議はない、私は、そのように観察している。

私は昭和の医師である。今現在も、煙草から離れられないし離れようとも思わない。71歳になろうとする今、これから禁煙したとて、如何ほどの効果が期待出来よう。
婆さん、昔は同じ部屋で暮らしていたのだけれど、加齢と共に、煙草で喉が痛くなると のたまい、現在は一日の殆どを自分の部屋で過ごしている。

そんな次第にて、居間は私専用の部屋として、ダイソンの空気清浄機兼エアコンを用い乍ら、煙草とウイスキーの匂いで満ち満ちている。

三人の子供達、誰も煙草に手を出さない。彼等、各々の連れ合いも煙草とは無縁であり、当然の帰結、孫達も煙草汚染とは無縁である。

そんな孫達が今夏に、我が家に遊びに来ると云うのだ。彼等が我が家に来る際にはホテルを用意しようと考えていたのだけれど、孫の一人が、如何しても我が家に宿泊したいと云う。

一大事である、嘗て子供達が使っていた部屋で遊ばせるしか方法は無い。居間は煙草の匂いが染み付いているだろうし、無理に明け渡せば、私がくつろぐ処が無くなる。

孫達が居る間、我が家は室内禁煙になりそうな雲行きである。私は百円のポータブル灰皿を抱え庭での喫煙になるのだろう。けれどもウイスキーは如何したものだろう。

居間で、横に寝そべって、ウイスキーを飲みながら煙草をくゆらす。私にとって極々当たり前の至福のひと時が脅かされようとしているのだ。

認知症の母を見舞う

今年も、年一度のペット健診を受ける為に、仙台市へ行った。
遠方からの受診者と云う事で、いつも朝一番で検査して戴いている。今年で十五回目の健診であった。

そんな訳で、健診前日には仙台市へ行っていた。そして、その前日を利用して、施設に入所している母を見舞う事が、常であった。

今年も、例年通りに、母に会いに行ったのだけれど。

昨年の母は、私の事を記憶していて、健康で過ごしているかなどと尋ねて呉れたものであった。

今年、母の部屋をノックし入室すると、母は笑顔で迎えて呉れた。どうやら私の顔は記憶にあるらしく、穏やかな笑顔。私も安心して部屋の椅子に腰かけた。

処が、暫く他愛ない会話をしていると、真剣な表情で母は尋ねて来た「あなたは、私の息子なのか」。

(数か月前に兄から聞いていた、母ちゃんは・・(私の名前)さんの名前も顔も忘れてしまったかも知れないと)。

だから、私は母の問いに答えた。はい、あなたの二番目の息子の・・です。すると母は、「ふぅん息子、処であなたは今何処で暮しているの」と問うて来る。私は「・・・県で開業医をやっています」と答える。「あら、あなた、お医者さんなの」と母。「はい、内科医です」と私。95歳の母と70歳の息子との会話である。

この施設には、母と叔母(91歳の母の妹)が入所している。叔母の部屋に顔を出すと、自分も母の部屋へ行くと云う。

母と叔母の会話、私が幼児だった頃の話や他界した弟の話になると、母も或る程度の記憶があるらしく妙な盛り上がりをみせる。

その場で私は思った、これなら‘死の恐怖‘など無いのだろうと。更に、認知症とは神仏が与えて呉れた贈り物かも知れないと。介護に抵抗する・俳諧を繰り返すなど、認知症の周辺症状は兎も角、全てを忘れる事は、死の恐怖から心を開放して呉れる。穏やかな日々を過ごし静かに眠り眠るように死ぬ。最高に幸せな死ではあるまいか。

そんな事を思いながら、それでも、やはり 寂しかった。私の母は、既にこの世に居なくなったのか。

暑い一日

小学校の学童健診から帰院
最近では父母から「子供達の上半身を裸にしないで欲しい」旨の希望があると聞く。そんな時、医師はシャツや下着の上から聴診器を当てたり、下着の隙間から聴診器を滑り込ませて聴診するのだと云う。

世の中、変わったものである。私なら、そのような状況に置かれたなら、学校医を即辞す。私は、健診に際し、男女は分けるよう学校側に依頼している。後は衝立を設け、我が診療所から同行している看護師が、子供一人ひとりを呼び込み、下着をまくり上げて聴診するようにしている。

所見の見落としが怖い。小学生が学校で突然死した事実を、私は知っている。事故が生じた際に「健診」時の異常指摘の有無が問われる可能性は少なくはない。まして私は、心臓病のスペシャリストとして四十有余年、医療の世界で生きて来た。そのプライドも、少なからずは持っている。

心雑音、過剰心音の病的意義の指摘に落ち度は許されないと考えている。換言するなら、外科や、産科の学校医と私とでは、求められる事が違うと信じてやっているのである。それが単なる自己満足だとしても、そうである。

病的な心音は漫然と聴いたのでは捉えられない、余程大きな心雑音でない限り。可能性がある疾病を考え乍ら、その音を拾いに行く姿勢が求められる。そのような健診を、私は心掛けている。

さて、本日はこれから、友人の歯科医院受診予定である。一年以上前に総入れ歯にしたのだけれど、最近、嚙み合わせが狂って来た。友人に話したところ、それは当然の事だと云う。義歯も磨り減るから嚙み合わせは違って当然なのだとの説明を聞く。

歯科を受診すると凡そ一時間かかる。写真を撮ったり嚙み合わせを調べたりと、一時間前後の間、歯科の椅子に腰かけていると流石に疲れる。

今夜は、ザ・グレンリベット25 が 二本 届く事になっている。パソコンで調べた処、ウイスキーは既に当市郊外に保管されている。現在、ダブル一杯程しか無くなったウイスキーの補給である。今夜もテニスを見ながらウイスキーの一夜を過ごそう。

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