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運輸業界の闇カルテルを内部告発したとして、報復人事で約30年間、閑職に追いやられたトナミ運輸社員串岡弘昭さん(60)が20日定年退職した。
串岡さんは支援者らに「本当は好きな営業の仕事がしたかった。過去の辛かったことも、乗り越えてみればいい思い出になるかもしれない」と話した。串岡さんは普段と同じ午後5時30分に退社。職場の外で待っていた支援者から「お疲れ様でした」と迎えられ、花束を手渡された。最後の1日は自分の席で長かった窓際族の生活を振り返ったという串岡さん同社の経営陣からは何の言葉もなかったが、若い社員からは拍手で見送られたという。「寂しい思いもあるがやるべきことはやった。明日からは少しのんびりします」と笑顔を見せた。

串岡弘昭氏は1946年、富山県に生まれ明治学院大学法学部を70年に卒業。トナミ運輸に入社した。
大学時代は読売新聞の奨学生として働きながら学び、そこで木元錦哉教授の独禁法と出会っている。
大卒の幹部候補生としてトナミ運輸に入社した串岡氏は横浜営業所、桶川営業所、岐阜営業所と転勤し、業務を憶えていく。そして1974年岐阜営業所時代に串岡氏は内部告発に踏み切る。そして現在に至るまでの30年もの壮絶な会社との闘いが始まるのである。

当時、運輸会社は運輸省が定める許可運賃で営業することになっていた。しかし各社は過当競争を避けるために談合し、違法な割増運賃を取っていた。この状況を守る為、談合では「荷主移動の禁止」を取り決めていた。要するに、他社から勝手に顧客を奪わないという取り決めである。違反者には業者間会議で制裁処置を決め、科していた。いわゆる闇カルテルである。

正義感に燃える串岡氏は、この状況に不満を持ちまず幹部に訴える。幹部は業界の利益を守る事は当然という立場で耳を貸さない。そこで最高幹部が岐阜営業所を訪ねて来た時、直訴に及ぶ。しかし最高幹部は
「役員会で決めたことだ」と取り合わない。串岡氏はこの状態に我慢ならなかった。闇カルテルは明らかに違法である。それを平然として会社が容認している。

串岡氏は読売新聞名古屋支局を訪ね、業界のカルテル体質、会社の実態を詳しく話す。そして新聞に「50社ヤミ協定か、東海道路線トラック」という見出しが躍る。当然会社は大騒ぎとなった。
2日後自らやましいことはないと信じる串岡氏は、上司に自分が内部告発者であることを告げる。
串岡氏はこの件について「理解してもらえると思った。」あわよくば『おれも業界の正常化のために一肌脱ごう』位のことは言ってもらえると思った」と述べている。
上司は当然、さらに上に報告する。本社から重役が飛んできて事情聴取が始まる。身を守る為に外部の労働組合に申し入れるやいなや、東京本部に呼び出され毎日のように幹部から罵倒された。
そして転勤命令が下る。罰としての配転と見て間違いなかろう。

串岡氏の告発後もカルテル解消の動きは鈍かった。これを不満とする串岡氏は、今度は公正取引委員会にも申し入れる。会社は又騒然となった。東京本部に呼び出され再び罵倒が始まった。しかし串岡氏は全くひるまず地検の捜査にも協力する。一ヵ月後、人事部長代理から呼び出しがかかった。「一週間ほど研修所に行ってみないか」串岡氏は言う「この一週間というのがくせものだった」一週間という約束は反故にされ、それ以降現在までの研修所勤務が始まる。「研修所勤務の会社の狙いはまず隔離、そして辞表を書くように仕向けるためだった」

3畳ほどの部屋をあてがわれ、たまの仕事は草むしりやストーブの給油、雪下ろし、布団の整理など。
串岡氏は屈辱感に襲われる、それだけではない。自宅に怪電話がひっきりなしにかかる、尾行され常に監視されているという脅迫観念を抱く。暴力団員が自宅に押し寄せていった「会社を辞めないと組の若いもんを使って交通事故を装ってあんたをひき殺すことだって出来るんだよ。飲酒運転で自宅へダンプをつっこますることだって簡単なんだ」と・・・・・

会社の退職強要は兄、母親、義兄にまで及んだという。脅迫にもめげず「最後まで弟を守る」と断言した兄に串岡氏は感謝している。同時に説得に失敗して退職に追い込まれた重役には「サラリーマンの悲哀を感じる」と同情までしている。しかし内部告発の代償は脅迫やいじめだけでなく、日々の生活を過酷なものとした。55歳になっても手取りは新入社員並みの18万円、昇給することは30年間なかった。それで子供二人を大学にまで進ませている。串岡氏は「我が心に恥じるものなし」と言い切る。

串岡さんは2001年1月、損害賠償と謝罪を求め裁判を起こした。裁判を通じて会社側は「嫌がらせや報復はなかった」と主張。裁判所の2度にわたる和解勧告を串岡さんは拒否した。
「こういう処遇をしたら会社自身も信用を失うんだという形を世の中の人に見てもらおうということですね。そうしないと企業は反省しないんじゃないか」そして2005年2月23日。判決の朝、たった一着しかないスーツを着て裁判所に向かった。判決は会社側に約1360万円の支払いを命じた。
富山地裁は、内部告発は正当な行為で法的保護に値するとして、会社側の人事で報復があったことを認定した。

串岡氏の30年間は、言葉で言い表せないほど苦難の道のりだったに違いない。
大学を出て幹部候補生として将来を嘱望され、何事もなく会社に勤めていたならば、出世コースを歩んでいただろうに・・・・
組織の中で一人の人間が正しい行動をしたとしても、組織の利益に反する行為は抹殺されてしまう。
今でこそ内部告発に関して結構ニュースで取り上げられているが、当時は告発すること自体が白い目で見られてしまうそんな時代であった。
会社組織の中で串岡氏のような信念に基づいた行動を取れるサラリーマンがどれほどいるだろうか?
会社の嫌がらせでほとんどの人間は挫折し、会社を辞めていってしまうだろう。
そんな中30年間も屈辱に耐え、信念を貫いた行動は立派だった。今は「ご苦労様でした」という言葉しか見つからない。

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本当の勇気とは粘り強く信念貫くことなのですよね。拍手。

2009/12/20(日) 午前 0:33 [ りんご ] 返信する

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私は公務員です。上司だった課長の倫理・綱紀上の問題を組織の上部に通告しようとしたところ、逆に口封じのための脅しを受けました。危険性を感じ甘んじてしまいましたが、さらに勤続表彰除外、14年間昇級・昇格無しの仕打ちで定年を迎えます。この名誉毀損に対し闘う勇気を得ました。

2010/3/29(月) 午前 0:09 [ toshikun ] 返信する

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