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これで最終話となりますので、お時間の許す方は
もう少しだけお付き合いくださいませ。
昨日アップした高低図にしたがって、話を進めていきたいと思います。
深夜0時に153kmのエイドを発ち、
次のCPの172.6kmの白川郷に到着したのは、
昨日書いた通り、5時間後でした。
第4CP 172.6km(白川郷) 22時間48分経過
残り77.4km 残された時間13時間12分
19kmに5時間という、普通では考えらない時間を費やしています。
ハーフマラソンより短い距離に5時間って・・・。
どのような状態だったか、皆さんも容易に想像できるかと思います。
もちろん、この間は睡眠等はとっていません。
1時間に3.8kmほど進んだ計算になりますね・・・(笑)
今まで最遅だったのが、夜叉ヶ池のラスト10kmに2時間。
1時間に5kmという計算なので、それを大きく下回っております。
一体何をやっていたのか?
自分でもよく覚えてないけど、
歩いてしまったら間に合わないと分かっていたので、
ちょっと走ってみては、吐き気でしゃがみこんで・・
の繰り返しだったのだと思います。 そして、このあたりで、ふと時計を見ると、
タイマーが17時間で止まってる〜!
きっと、布団の中でうなされていた時にボタン押しちゃったんだ。
でも、もう経過時間よりも、関門を時間で把握する
(朝5時半とか昼の12時半とか)ようになっていたので、
普通のデジタル時計に戻した。
関門を意識するとなると、その方がずっと分かり易い。
タイムを狙うランナーから、
制限時間ギリギリにゴールすれば良いという
“ハイカー”?に私がなった瞬間です。
いつもいつもレースで気にしてるタイムとの戦いは
このさくら道では17時間で終了しました。
そして、白川郷のCPで少し休んでいると、
スタート直後に、ゆっくりゆっくり走られているところを
ご挨拶して抜かさせていただいたyahooブログでおなじみの
topさんが入ってきたではないですか!
あれだけ、差をつけたはずなのに、
172kmで追いつかれてしまいました・・・。
しかも、私はフラフラなのに、topさんは元気元気!
スタート前にtopさんに
「飛ばしたらあかんよ〜。
ゆっくりゆっくり着実に進んでいけば、
必ずゴール出来るんやから。」
と言われた意味がその時痛いほど分かりました・・・。
こんなところで、こんな姿を見られて恥ずかしい。。
結局、スタートからピョンピョコと調子
に乗ってすっ飛ばしたウサギさんは、
172kmで着実に前に進むtopさんに追い抜かされてしまったとさ。
白川郷を出ると、次に目指すのは、最後のCP212km地点の
南砺(なんと)です。
お昼の12時半までに着けばいい計算です。
5時半に出発したので、あと7時間で40km進めばいい計算。
「フルマラソンより短い距離を7時間でしょ?」
「でも、ホノルルマラソンよりゆっくりじゃダメだ・・」
なんて言い聞かせながら走っていたら、
五箇山というとんでもない山がそびえたっていて、
なんと、ここの40kmに6時間50分もかかってしまった。
第5CP 212km(南砺) 30時間02分経過
残り38km 残された時間5時間58分
足が痛い・・。
膝の後ろが痛くて、立っているのもやっと。
でも、38kmを6時間弱ということは、
いよいよ歩いたら間に合わなくなる。
ここからは、ほとんど歩かなかった。
はたから見たら歩いてるようにしか見えなかったかもしれないけど、
必死に走った。
多分、キロ8くらい。
そして、ここまでの間に、いわゆる“大御所”全てにぬかされた。
前半、軽快に走っていたのを見られていた分だけ恥ずかしい・・。
さすが大御所たち。ペース配分が分かっている。
最初は遥か後方に居たのに、
こうやってキッチリ追い上げてくるのだから。
そして、その大御所たちに着いて行く力はもちろんこの私にはない。
でも、ここまで来たら、絶対にリタイア出来ない。
だって、150kmの時の方が
今よりもずっとずっとツラかったんだもん。
痛い足を引きずりながら、関門もギリギリクリアしてきた。
今、リタイアしたら、150kmの私に申し訳が立たない。
私の7年間のマラソン人生、DNSは何度かしてきたけど、
DNFはまだ1度もない。
250kmだからDNFしていいの?
ううん、5kmも250kmもつらいのは同じ。
走リ切れる自信がないのであれば、DNSをすればいいのだ。
ゴールをする自信があったからこそ、
私はスタート地点に立ったはず。
私のマラソン人生、どんな時でもDNFだけはしないって
大阪マラソンの時に決めたんだもん。
最後はこの思いだけだったかもしれない。
前半の60kmくらいで、暑さにやられてグッタリしていたところを
私が抜くときに、「頑張りましょう!」と一声掛けたことで
元気を取り戻して、そこから20kmくらい
私に一生懸命ついてきたTくん。
そこから先は、私が飛ばしちゃったから離れちゃったけど、
153kmのエイドで私が布団でグッタリしているのを発見してくれて、
「ずっと先に行ったはずの○○さんがなんでここに!?」
とビックリして声掛けてくれた。
そこからフラフラの私を連れ出してくれて、
お互い、ダメになりそうな時は励ましあいながら前半の天国と
後半の地獄を分かちあったTくん。
そのTくんが私より1分先にゴール!
そして私は・・・
4月20日 17時55分(35時間43分)
女子のビリという最高の栄誉とともに、時間内ゴール!!
苦楽を分かちあったTくんと。
Tくんは、今年はお互い無理だったけど(笑)
来年は是非とも目標だった30時間カット達成してね!!
ということで、精神的にも肉体的にも
深い深い傷跡を残した私の250kmが終了いたしました。
初めから、無謀だと分かり切っていた私の初250kmの挑戦。
マイナスなことばっかりだったけど、
走ったことを決して後悔はしていません。
そもそも、私に250kmは向いていないということが
分かっただけでも大収穫でした。
ただ、その逆に、150kmまでなら勝負できるという、
強い自信を得ることが出来ました。
250kmはスピード勝負だけでなく、
経験と、体力の配分が物を言う競技。
私には、そのどちらもまだまだありません。
もし、次に250kmを走るとするならば・・
フルを安定して3時間5分、
100kmを8時間半前後で走る実力が伴ってから、
改めて、その時はスピードとスタミナで
もう1度250kmの30時間切りに挑戦してみたいと思います。
それまでは、初心に帰って、フル、ハーフ、10km、時々100km
という感じで、やっていきます。
とても長くなりましたが、これで私の初250km参戦記は終了です。
出発前から、皆様にご心配お掛けして、
さらに、最中はたくさのご声援をいただき、
本当にありがとうございました。
もっともっと強くなって、
元気にまた記事をアップしていきたいと思っておりますので、
今後ともよろしくお願いいたします。
※ずっとコメントを閉じさせていただいておりましたが、
最後なので、久しぶりにコメント欄を開かせていただきました。
叱咤激励、なんでもかまいません。
率直なご意見を聞かせていただけたら幸いです。 |
さくら道国際ネイチャーラン
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さて、もうずいぶんと前のことになってしまい、
記憶もかなり薄れてきたけど、忘れないうちに続きを書いておこう。
平成26年4月19日、朝6時12分 名古屋城をスタート
ちなみに、コースmapを。
そして、こちらがコース高低図
こちらの高低図に見づらいかもしれないけど、
その時の状態とCPでの通過タイムを入れてみました。
前半は、キロ5分半くらいで進んでいきます。
信号待ちがかなりあったので、それを含めても
このタイムで通過ってことは、かなり快調。
第1CP 67.2km 6時間40分通過
とっても順調だった。
そして、ここまでの間に、本当にたくさんの人が応援に駆け付けてくれた。
まずは、スタートから40kmくらいまで
車で先回りして応援してくれていてた
岐阜のnobuさん。
たくさん写真も撮ってくださいました。
名古屋城のスタート直後
これは、岐阜に入ってからかな?
nobuさん、次の日はご自身のハーフでお忙しかったのにも関わらず、
本当に本当にありがとうございました♪
そして、お次は・・・
この写真を撮ってくださった方。
突然「ちんちくりんさん、頑張って!」と大声で声援され、
手を振りかえしたのにもかかわらず、
「はて?あれは誰だろうか・・?」
“私のことをちんちくりんと呼ぶのは、yahooブログの方しかいない。
一体誰・・・!?”
と考えながら走っていたら、この方が走って追いかけてきてくれて、
私が誰か分からずにいることを悟ってくれたらしく
「パティオだよ!」と。
「きゃ〜〜!パティオさん!!」と初の対面に私も大喜び!
パティオさんも翌日にとくしまマラソンを控えていらっしゃったのに
お仕事ついでに立ち寄ってくださったとのことで、
本当に本当にお忙しい中どうもありがとうございました♪
そして、まだまだ続きます。
パティオさんのすぐあとに現れたのは、
翌日かすみがうらマラソンのあるにゃんランさん!!
かすみがらって、関東でしょ!?
しかも、あなたも東京の人なのに、なんで〜!?
と私もしばしのパニック・・(笑)
でも、このにゃんランさん、とっても律儀な方で、
ご自身の小江戸大江戸202kmの時に、応援に来てもらった人、
一人ずつの大会を回っていらっしゃるよう・・・。
・・にしても、わざわざ名古屋に来なくてもいいのに〜〜っ!
ほら、6月に私はあなたのホームコースの喜多を走るわけだから
その時に応援してくれれば充分よ(笑)
そして、お次に現れたのは、
スラっとした若くて可愛いお友達を連れて現れたマヨさん。
初めてお会いしたマヨさんのお友達のSちゃん。
色が白くてスラっとしてて、本当にかわいかった〜♪
この写真の私のちんちく具合が際立つこと・・・(笑)
そして、楽しかった時はあっという間に過ぎ
孤独な戦いが始まります。
一人になると、ついつい速い男性集団に着いていきます。
このあたりで一緒に走っていた男性たちは
皆、30時間切ってゴールしてました。
フルマラソンも安定して3時間を切っている方々。
この方たちと走っていること自体が分不相応ったのね・・。
そして、80〜90km地点。
このあたりで、前を走っていた女性1位のオランダの方が
突然歩き始め、リタイアされたので、
私が1位になります。
ようやく女子の1位になったのだから、守らなければ・・
と後ろを振りかえりながら前を急ぎ始めます。
ただ、ここでおかしかったのが、
まだ足は全然元気だったのにかかわらず、
この10kmの間に6回も転んだこと。
普段ならなんてこともない段差で。
しかも、必ず右足がつまづくので、左ひざを地面に強打し、
履いていたスパッツには穴が空き、膝は打ち身と出血で酷いことに。
今思い返せば、このあたりから、
何か崩れ出していたのかもしれません。
第2CP 106.9km 11時間10分通過
そして、この日は晴れていてとっても暑く、
150kmで倒れるまで、思い返せば、固形物は一切とらず、
ほとんどのエイドで、コーラをグビグビと飲んでいただけ。
これが、150km以降の吐き気に繋がったことは
火を見るより明らかでしょう。
それに気づいたのが、
コース最標高地点から少し降り始めた143kmの荘川桜のエイド。
ホットレモンを飲もうと口に含んだら、突然吐き気が。
すでに酸味を受け付けない身体になっていました。
第3CP 143km地点 16時間02分通過
完全に遅れ始めています。
そして、このあたりから、下りなのに全く進めなくなります。
少し進んでは、気持ち悪くて吐きそうになるので、
しゃがみこみ・・の繰り返し。
今まで頑張って離した人にも、次から次へと抜かれ始めます。
そして、何とか意識を保ちながらフラフラの中、
辿りついた153kmのエイド。
あまりにも、私の顔に血の気がなく、
真っ青な顔をしていたらしく、
スグに奥の専属のマッサージの先生のいるところに連れていかれました。
それでも、休んだら時間がないと抵抗したことは覚えているのですが、
100kmのところでも、6回も転んでおかしいということで
診てくれたマッサージの先生がそこにいて、
この状態で走るのは危険だと判断したらしく
半ば強制的に布団に横にさせられました。
とにかく気持ち悪いのと、全身が痛くてしょうがないのとで、
寝ているような意識があるような、
うなされながら1時間ほど横になりました。
そして、フラフラの状態で夜中の0時にこのエイドを発ちます。
どう見ても、普通の状態ではない私に、
この場所でのリタイアを強くは勧めなかった
マッサージの先生に心から感謝です。
もし、ここでリタイアの言葉を耳にしていたら、
迷わずにリタイアしていたと思うから・・・。 そして、歩くのもやっとの状態で、次のCP172kmの白川郷に向かいます。
白川郷の関門は、朝の5時半。
余裕で着くかと思ったら、実は、ギリギリの到着だったのです。
この間、19kmに5時間かかった計算です。
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一気に書き進めようと思ったけど、
まだ自分の中で整理がついていないようなので、
当たり障りなく、平和だった前日からスタートまで。
前日の食事は、名古屋駅でうなぎのひつまぶし。
“ひょっとすると、これが最後の食事になるかもしれない”から奮発!
脂が乗っていて、美味しかった〜♪
そして、有名なナナちゃん人形にも、ちょっと足を伸ばして行ってみた。
と、まぁ、次の日に待ち受けてる地獄なんて想像だにせず、
とっても朗らかに過ごしておりました。
250kmという距離は、全くイメージ湧かなかったけど、
自分なら、どうにかなるのではないかっていう根拠のない自信があった。
そして、朝の6時に名古屋城からスタート。
ウェーブスタートの5組目だったので、私は6時12分スタート。
したがって、36時間の時間制限だったので、日曜日の18時12分までに
金沢の兼六園に辿り着けばいいということになる。
でも、30時間を切ることが目標だったから、
日曜日の夕方6時までにゴール?
そんなの自分には全く関係ないと思っていた。
今思えば、私のマラソン人生最大の失敗レースは、
この根拠のない過信が引き起こしたのかもしれない。
2014年4月19日6時12分
名古屋城をたくさんの応援の方
(私の応援じゃないよ)に見送られ、スタート!
36時間に及んだ私の長い長い闘いの幕開けです。
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大変ご無沙汰しております。
皆様のブログにもなかなか訪問できない失礼をお許しください。
250kmからなんとか生還してからというもの、
身体と精神の方のダメージが酷く、日常生活をこなすのがやっとの状態でした。
身体のダメージはというと、
膝の裏の筋を両方痛めていて、曲げ伸ばしするのも痛い
(これは、150kmくらいから痛くてしょうがなかったもの)
それと、走っている最中から、かかとが痛くてしょうがないと思っていたら、
走り終わったら真っ赤に腫れ上がっていました。
こちらが、走り終わった直後に撮影したかかと。
きっと、シューズが何度も何度も当たるのが繰り返されて、
こうなっちゃったんだろうな・・。
この部分の痛みがひくのに1週間かかりました。
それと、両足の人差し指の爪。
こちらは、水膨れとともに、両方とも爪が剥がれていました。
靴下と一緒にポロっといきそうだったので、慌てて戻したら、
どうやら、そのまま、そこに収まっていてくれているようなので、
あとは、自然に落ちるのを待とうと思っています。
それと、吐き気と頭痛かな・・。
吐き気は、終わってからも3日ほど続いてました。
頭痛に関しては未だに酷く、鎮痛剤が手放せない状態です。
身体のダメージはこのくらい。
でも、身体のダメージよりもひどかったのが、精神的なダメージ。
ビリとは言え、完走したんでしょ?
なんで?!
って思うかもしれないけど、夜中から見た地獄(距離にして150km〜)
が、あまりにも強烈だったのかもしれない。
あんなに全身が痛くて痛くて、
私の中の“リトルちんちく”が「お願いだからもう止めて〜!」
と泣き叫んでいるのに、
走り(歩き)続けなければいけない恐怖・・・。
しかも、時間に追われながら・・・。
人生で初めて味わった恐怖だったのかもしれない。
その地獄から、この10日間、抜け出せずにいました。
でも、昨日あたりから、私の中で止まっていた時間が
少しずつ動き始めた気がします。
ここで、立ち止まっていちゃいけないって
ようやく思えるようになってきました。
そして、この10日間、250キロなんていう、私には分不相応な距離に
挑戦してしまったことに後悔の思いばかりだったけど、
失ったものばかりでなく、得たものもきっとあったのだと、
ようやく思えるようになった気がします。
思い出すのもまだツラいところがあるけど、
30代最後の思い出に走って、最後まで闘った私の250kmを、
明日から少しずつ、こちらにアップしていこうと思っています。
お時間のある方、おつきあいよろしくお願いしますね。
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私が250km初参戦するにあたり、色々ご心配おかけいたしました。
そして、本当にたくさんの方にご声援いただきまして、
そちらにも、まだしっかりとお応え出来ていない状況で、本当にごめんなさい。
無事に(無事じゃないけど)とりあえず、生きて帰って来ています。
“逝ってきます”の記事通り、本当に死んじゃいそうになっちゃいました。
110kmくらいで、まだまだ走れてる時に、
自分の身体に異変が起こりつつあることを感じ、
走りながらポケットから取り出したのが携帯電話。
“最後”に娘の声が聞きたくなって・・・。
“これからどうなっちゃうか分からないけど、
○○(娘)と、○○(息子)と、シキマル(犬2匹)のこと、
お母さん、ずーっとずーっと愛してるからね”と涙声で伝えました。
そして、130くらいから、身体が全くいうことを聞いてくれなくなり、
それでも、コース最標高地点までは走って上ることが出来、
女子の1位を守ることも出来ていました。
でも、107kmしか走ったことない私には、150kmが身体の限界でした。
そこからの意識がハッキリしていません。
生死の狭間ってこれなのかな・・・?
その時に、三途の川がうっすらと見えた気がします。
詳細は、元気になったら書こうと思っていますが、
今は、皆様のブログにもなかなか訪問出来ないような状態です。
皆様の記事に元気よくコメントを残したいのですが、
心身ともに、今はまだそのゆとりがありません・・・。
ブログの方も少しずつ再開していきたいと思います。
取り急ぎ、ちんちくは生きています!
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