兵庫戦国トリップ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]

内山寺跡

生野の歴史を大別すると、
古代から中世までを第一期、
織豊期以後、明治維新までを第二期、
維新から、昭和48年の廃坑までを第三期、
以降、現在までを第四期、に分けられると聞いた。

第一期の主役は、鉱脈を求めて深い山を分け入った、役行者たち。
第二期の主役は、戦国の世の覇者たち。
第三期は、国家の一大プロジェクト。

内山寺の創建は、その第一期に当たる。法道仙人が開いたと伝わる、生野の古刹である。
法道仙人の伝説は兵庫各地にあるようで、兵庫限定らしいのがおもしろい。
 
イメージ 1
 
大用禅寺横の道から山道に入る。
大用禅寺は生野出身の作家、立松和平ゆかりの寺。

イメージ 2
 
立松和平『恩寵の谷』の舞台であった。
 
イメージ 3
 
古城山ほど険しくはない山道を登る。
尾根伝いに古城山に通じる「金掘りの道」標。
イメージ 4
 
石塀の跡。かつて熊野神社へ続く道。

イメージ 5
 
目的地までの距離を記した「町石」

イメージ 6
 
内山寺跡
代官所役人の歌碑がある。
かつては景勝の地であったのだろう。
廃寺となったのは昭和29年と聞く。
そのおよそ20年後、昭和48年に生野銀山が閉山となった。

今回は、生野の地に重層する歴史の時間を旅した。
今、第四期を迎えた生野では、さまざまな試みがなされているようである。
今の生野に生きる人々にエールを送ります。
 

この記事に

開く コメント(4)

みくまり

イメージ 1
 
生野、古城山に登った。
ここは、応永34年(1427)、播磨守護、赤松満祐が、
時の将軍足利義持に対して挙兵したことを受けて、
その討伐を命じられた、但馬の山名時煕が築いたと言われる、生野城跡がある。
イメージ 2
 
寺町、来迎寺の裏手を行くと「琵琶の丸健康公園」に出る。
ここからスタート。
地元の達人に道案内していただいたのだが、不慣れな山道、
夏場はヒルが出ると聞かされてもいたし、おっかなびっくりの登山となった。

イメージ 3
 
登り始めてすぐさま、ガサガサと木々を揺する音。
な、何・・?!
大きな、体長30センチくらいありそうな、リスだった。
残念ながら撮影失敗。
これはリスがいた木。
イメージ 4
 
戦国時代初期の古い坑道、間歩(まぶ)がある。

イメージ 5
 
けっこう登ったぞ。眼下の生野の町。
しかしだんだんと、道が狭くて急になり、ちょっと自信がない。
頂上まで行くと、土塁や曲輪が見られるのだが・・
断念して下山。
 
イメージ 6

古城山は、みくまりの山である。
みくまり、とは、分水嶺のこと。
私は、み熊野、み吉野と同じ、美称であるのかと、はじめ思っていた。
水配り、水別り、と書く。
響きの美しい言葉である。
山から湧き出た水が尾根を伝い、やがて二手に分かれる。
ひとつは北(但馬)に向かって流れ落ちる円山川になり、
もうひとつは南(播磨)に向かう市川となる。
いつか頂上まで登ってみたい、幻のみくまりの山。
 
 
         「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ」のブロガーに選ばれました。
         これは兵庫県に招待された旅です。

この記事に

開く コメント(10)

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]


.


みんなの更新記事