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23年10月20日、富山環水公園の後T君の車で呉羽山にある五百羅漢に向かった。学生時代から呉羽山に五百羅漢がある事は聞いていたがあまり関心は無かった。3年ほど前に箱根仙石原長安寺の五百羅漢を撮影したことから郷里の五百羅漢を写して見たいと思うようになっていたもので、呉羽山で同窓会がある事からこの機会にと思っていたところだった。駅からは遠く、同窓会の会場のホテルからも離れているので足をどうしようかと思っていたところだったのでT君の好意に甘え現地まで車で案内してもらった。呉羽山の五百羅漢は曹洞宗長慶寺の境内にあるもので、江戸時代の富山の米穀商で廻船問屋の黒牧屋善次郎が先祖の供養にと佐渡の石工に作らせ、北前船で松前からの帰途佐渡から運んだとの事。1799年から1849年まで50年間かかって530体が寄進された。 初めて見る呉羽山の五百羅漢は呉羽山の東側急斜面に立山連峰に向かって雛段状に並び石灯籠の間に安置されていた。 160年間風雪にさらされて像はかなり傷みが見られた。 集合時間も迫っていたのですべてを見る事は出来なかったが、今後、機会を作って春夏秋冬、四季折々の写真を撮って見たいと思いつつ五百羅漢を後にし呉羽山山頂の展望台へ向かった。 この日は快晴で山頂の展望台からの眺望は大変素晴しく、富山市内が眼下にひろがりその向こうに北アルプス立山連峰が剣岳を中心に南北にのびている様が一望された。 その後、T君の車ですぐ近くの同窓会会場の富山観光ホテルに行った。ここでT君と別れてホテルのロビーに入ると既に中学時代の同窓生が大勢集まっていた。殆どが50数年ぶりに見る顔であり深い年輪が刻まれ名前と顔が一致しない人が多かったが、懐かしい顔も見られお互い元気に古希を迎えたことを喜び合った。同窓生200名のうち170名ほどが健在との事で、そのうち50名が集まったがみんな元気そのもので宴会にカラオケに大はしゃぎだった。 11時ごろ部屋に引きあげ同室のもので昔話や近況を話し会い深夜2時半に就寝。 翌朝4時半に目覚ましをセットしていたが鳴る寸前に目を覚まし起床。皆が寝ている中をそっと抜け出して呉羽山の展望台に向かった。展望台まで徒歩5分ばかり、来て見ると既に先客が数人カメラを構えて立山連峰を狙っていた。この時期の日の出の位置はP.1で書いた雨晴海岸からは剣岳から未だ少し左側に離れているが、呉羽山展望台からでは剣岳の山頂近く少し右からになり日の出を狙うには絶好の時期になる。山が見えているのかどうか目を凝らして見て見たが、東の方向は未だ暗く雲が懸っているようで稜線が良く見えない。眼下に市内の夜景ばかりが煌々としていた。 先客の人に山が見えているか尋ねると見えているとの事。 10月21日(金)AM5:21 その後、次第に東の空が明るさを増し立山連峰の稜線がはっきりと見えて来た。 AM5:31 AM6:28 稜線から日が昇る時刻になっても東の空に雲が懸っていて太陽の光芒が見えず日の出をはっきり写す事が出来なかった。 立山連峰が見えただけ良しとして終了。明るくなって展望台の様子を見ると昔は無かった銅像が立っていた。立山開山の伝説の少年、佐伯有頼像との事。 この後、呉羽山山頂付近を散策しながらホテルに戻った。
朝食後、9時ごろM君の車でO君と一緒に富山城址公園まで送ってもらい佐藤美術館で展示品を見てO君と別れ昼のほくほく線で東京へ帰った。 |
23年10月20日―21日 富山
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平成23年10月20日 古希の祝いを兼ねた中学校の同窓会に出席のため半年ぶりに富山へ行った。当初、今回の帰省を利用してお天気が良ければ雨晴海岸にも1泊し立山連峰からの日の出を写したいと思っていた。10月18日高岡地区の天気予報を見ると19日から20日にかけては快晴とあり、絶好の機会と思いネットで検索していた雨晴民宿組合のページから雨晴駅に近いところを選んで「19日、1名、1泊したい」と電話してみると、8軒の民宿の内現在営業しているのは2軒程のみ、そこも19日は都合で休み(体よくお断り)の結果だった。電話に出てくれた店は最近廃業したとの事で他の民宿も殆どやめているとの事、4月に泊まった女岩荘は少し離れているのでもう少し近い店を聞くと女岩荘より100Mほど手前の民宿を教えてくれたので電話を架けて見た。応対に出た女将は「団体客ならばOKだが、一人客はお断り」との事だった。 よほど4月に利用した女岩荘に電話しようかと思ったがその前に雨晴海岸で写したいという意欲も冷めてしまい19日は取りやめて20日1泊だけの帰省にした。他の観光地でもシーズンオフの一人客は(シーズン中はなおさら)ノーサンキューの宿は多いと思うが、景勝地と言う触込みの雨晴海岸がメンテのしていないホームページも含めいかがなものかと思った。 10月20日は会場の呉羽山にある富山観光ホテル集合が夕方3時半だったが、この機会に市内を数十年ぶりに歩いて見ようと思い10時15分着のほくほく線で帰った。駅前から城址公園、中心部の総曲輪、中央通を殆ど47年ぶりで歩き、所々でカメラに収めて見た。 富山城は青空をバックに白壁と緑の松が映えて目にまぶしいくらいだった。 お城は4月に桜の写真を撮ったが公園の中には入ってなかったので中に入って見ると芝生の広場は大改造工事中だった。 市内の路面電車(市電)は学生時代良く利用したが、今はセントラムと言う新型車両が走っており、北陸新幹線開通に伴う富山駅高架完成後はその下を通って岩瀬浜までのライトレールと乗り入れになるとの事。市内は新幹線開通に向けてあちこちで再開発が行われていた。市内繁華街の中心にあった西町交差点の角に立っていた大和デパートも総曲輪に移転し建物は解体、再開発されるとの事。 中央通を抜けた街角から剣岳が遠望できた。 富山の薬売りの名の通り昔から営業している「反魂丹」の店は未だ健在だった。 街中の歩道わきの植え込みにシコンノボタンの花が咲いていた。 午後から高校時代の同窓生のT君の家に行き、そこで同じく同窓会出席のため帰省したO君と合流しT君の車で富山駅北口の富山環水公園に行った。環水公園も20数年前に再開発されたもので、蓮町までの富岩運河を公園化したとの事。学生時代には見たことも無かったきれいな公演が出来ていた。 水辺にはススキが風になびいていた。 その後、3人で呉羽山に行き五百羅漢を見てから集合場所の富山観光ホテルに向かうが、それはP.2で記す。
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