神様カンパニーpart2

「神の愛の神学」研究所から題名を変更いたしました。より親しみをもって読んで頂けるブログにしていくための最初の試みです。

私の説教

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「いと小さき者と共なるイエス」

2016年9月25日(日)
「いと小さき者と共なるイエス」
≪イントロダクション≫
 皆さん、おはようございます。宣教のご用にあたるのは、実に、6年ぶりのことですので、大変、緊張しております。
 よく、司式者の方や献金のお祈りをされる方が、「今日、すべてを整えられて、この礼拝につどうことができましたことを感謝します!」と祈られることがありますが、本当にアーメンだなあと思って聞いております。来週、この荒木教会に来て、礼拝に参加出来ることは決して当たり前のことではないな、と思うからであります。
 
Ⅰ.躁うつ病25周年の歩みから!
 さて、今年は、私にとりまして、あることにデビューしてから25周年目の年となるのであります。とは言いましても、決して誇らしいことではなく、精神科のクライアント(患者)となって25年目ということなのであります。31歳の12月に、「躁うつ病」という病気になりましたから、今年の12月で、まる25年目ということになります。
仮に、私が75歳まで生きるとしまして、その三分の一以上の年数をこの「躁うつ病」という病気と付き合っていかなくてはならないということになります。そう考えますと、この25周年を振り返って、マイナスのことばかりの連続だったという自己認識をしておりますと、大変もったいない、という思いで一杯になります。ですから、苦しく、辛いことの多い年つきだったけれども、プラスの面もあったのではないかと考え、今日は、この精神科クライアント・デビュー25周年を記念して、はじめに、二つの私を支えてくれた聖句をご紹介させていただきたいと思います。
 
  1. 「明日のことを思い煩うなかれ」(マタイ6:34)
最初は、マタイによる福音書6章の34節で、「だから、明日のことまで思い悩むな。明
日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」というみ言葉です。
 このみ言葉は、本当に病状がひどい時に、私を支えてくれた聖句で、私の魂のより所であるといっても言い過ぎではないと思っています。
 躁うつ病のうつ状態がひどい時には、普通の人が39度〜40度くらいの熱が出ているような体感になりまして、身体がぐったりとして動くこともままならず、ただアナフラニールという抗うつ剤の点滴を受けて、そのうつ状態が回復するのを寝ながら待つ、という感じでした。ですから、最初の頃は、点滴が終わって、ベッドから立ち上がっても、5分くらいテレビをみたら、再びベッドに戻って寝ているという状態が続きまして、その時は、約1年半程、入院しておりました。もちろん、うつ状態からそう状態に病状が変わって、今度はエネルギーを発散しまくって、周りの患者さんに迷惑をかけていたことも含めてです。
 そのような今日一日のこともわからない状態の時に、まして、一か月先のこと、一年先のことなど全然予想も出来ないときに、「明日のことを思い煩うなかれ。」というみ言葉は、私の慰めであり、励ましであり、救いとなる聖句でした。
 
  1. 「求めなさい。そうすれば与えらえる。」(マタイ7:7)
 次に私を励まし、押し出してくれた聖句は、マタイによる福音書7章7節で、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」です。
 このみ言葉が力を与えてくれたのは、私の病状が回復してきて、今の主治医(K・H氏)から、退院許可がおりた時のことであります。今から20年位前で、私が35歳ぐらいの時でした。退院許可がおりたと言いましたが、一つ条件がありました。それは、「自分でアパートを探して来ること」でありました。今から20年前といいますと、精神病患者に対する偏見はかなり強く、不動産屋に行っても、門前払いをくらう時代でした。かく言う私も、自分で不動産屋に行って、3〜4回断られました。その度に、主治医に文句を言い、どうして僕ら(精神病患者)は部屋を貸してもらえないんだ、と噛みついていました。でも、アパートを見つけなければ退院ができません。その時、「求めなさい。そうすれば、与えられる。」というみ言葉が、めげる私の気持ちを奮い立たせてくれて、とうとうここで最後という不動産屋さんで、部屋を貸してもらえることが出来たのです。そして、私は退院し、次のステップへと進みました。あれから20年経った今、不動産屋の方から、今通っている精神科の病院に入居者を探しに来ている現実があります。少しは差別・偏見が取れたのでしょうか?
 私の体験談はこの辺にして、今日のテーマに移りましょう。
 
Ⅱ.いと小さき者と共なるイエス
 今日の宣教題を「いと小さき者と共なるイエス」としましたが、今日の聖書の箇所で中心的な働きをした「重い皮膚病を患う者」たちは、当時のいと小さき者の代表でした。旧約聖書のレビ記13章45〜46節を見ますと、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」と書いてあります。しかし、この「汚れた者」と呼ばれていた重い皮膚病にかかった者たちを用いて、その預言を成就させるというのが、私たちが信じているイエス・キリストの父なる神なのであります。
 カール・バルトという20世紀最大の神学者がおられましたが、その人が次のようなことを言っています。
「イエスは確かに、『取税人、罪人』に反対してではなく、味方して、    世の人々、総じて不敬虔な者たちに味方して、神の側に立ち給う。」
つまりどういうことかと言いますと、イエス様は、当時、社会的に疎まれていた人々、それを代表して、バルトは「取税人や罪人」という言葉を用いているわけですが、それ以外にもまた、中風の者、重い皮膚病の者、悪霊につかれている者、遊女、また社会的底辺に追いやられている者と共におられ、そして、まさに彼らと一緒に神の側にいたと言っているのであります。そのため、律法学者やパリサイ人はそのイエス様の生き様を理解でずに、自分たちが理解していた律法主義でイエスを裁き、十字架刑へと追いやって行ったのであります。
 今日の聖書箇所に出てくる「重い皮膚病」という言葉は、口語訳聖書では、「らい病」となっております。らい病(ハンセン氏病)が発見されましたのは、19世紀に入ってからですので、実際には聖書に書かれている「重い皮膚病」が「らい病」と同じものであったかどうかは疑問であると言われているそうですが、その差別のされ方、社会からの疎外のされ方を考えると、「らい病」と訳するのも間違いではないだろうと荒井献という新約聖書学者は言っています。
日本でも、1931年に「癩(らい)予防法」(1907/M40:らい予防に関スル件・1953年/S28:らい予防法)という法律が出来て、1996年にその法律が廃止されるまで、らい患者に対する「徹底的な隔離政策」、「隔離施設内での結婚は許されても子孫を残すことは許さないための断種政策」といった過酷な現実があり、「らい病は感染性が弱く、完治させる治療薬がある」とわかった現在においても、尚、「らい患者」への差別と偏見はなくっていない現実があります。しかし、彼らと共にこそイエス様は共におられると聖書は語っていると私は思います。

Ⅲ.「批判」について
 ところで、ちょっと話は横道にそれますが、皆さんは、西南学院の神学校ではじめに強調して習うことは何だと思われますか?もっとも、これは、私が神学校に通った25年くらい前の話ですが…!
 「ギリシャ語?」、「ヘブライ語?」、それとも、「神は愛である」、「汝の隣人を愛しなさい」などなど…!
 確かに、そうしたことも学ぶのですけども、私に一番強く響いたのは、「批判しなさい」という教えでした。はじめてその教えを聞いた時は「えっ、どうして?」という感じだったのですが、「批判する」という言葉の根本的な意味を習うと、「なるほど!」と思えて来ました。「批判する」とは、もともと、ギリシャ語の「クリノー」という言葉から来ている言葉で、「区別すること、良いことと悪いことを聴き分けること」という意味があるそうです。
ですから、不完全な人間が語ることを聞くとき、その語られたことの内容を吟味して、区別することが大切だ、という教えなわけです。
 しかしながら、この教えを実践するのはなかなか難しく、長い間、私は、人の揚げ足取りをしたり、非難的になったりして、神学生とぶつかったりしたこともありました。でも、ある時、神学部の先生が、「肯定的な批判も大切にして下さいね」ということを教えて下さった時に、私は目からうろこが落ちて、本来の意味の「批判的な姿勢」を感じ取ることが出来たと思う時がありました。そこに至るまで、実に、10年近くかかりましたが…!
 なぜ、私が「批判的な姿勢」を今ここでお話しているかといいますと、今日、私が話していることには、多くの私の人間的な誤りの部分も含まれている訳です。それと同時に、このつたない私の宣教の中に、少しは神の言葉が語られていると思うのです。ですから、皆さんの肯定的な批判の協力によって、私の今日の宣教の中から神の言葉を聴きとって頂きたいと願うからです。A教会の伝統の一つである「応答と分かち合いの時」も、おそらく、この肯定的批判作業をするための時間ではないかと私は思っています。
 
Ⅳ.まとめ(「病気と死に伴うイエス」)
  1. エリシャの奇跡物語
エリシャの物語では、神様による奇跡が多く語られています。先週のナアマン将軍など、
その典型ではなかったでしょうか?「重い皮膚病がヨルダン川に七度身を浸せば癒される。」現代に生きる私たちもこのような奇跡物語を信じていきたいものです。しかし、実際の私たちの現実は、エリシャの奇跡物語のようにはいかないことがたくさんあります。個人のレベル、地域のレベル、国家レベル、国際的レベル、様々なレベルで、これでいいのかなあと立ち止まってしまいたくなることがあります。それでも、尚、神の奇跡を信じ続ける信仰を持ち続けたいとは思いますが、そうなるためには、神様からの助け主なる聖霊の力によらなければ難しいでしょう。
 
  1. イエスの「死」と「十字架」
 青野太潮という新約聖書学の先生がおられます。かつては、西南大学の神学部で教鞭をとっておられて、現在は同大学の名誉教授で、日本新約聖書学会の会長をしておられる方です。この先生が、1988年に、「十字架の神学の成立」という本を書かれたのですが、その中で、「新約聖書において、イエスの「死」と「十字架」という言葉は、区別されて使われていることに注意して聖書を読まなければいけない。」ということを言っておられます。どういうことかと言いますと、「イエスの死は私たちの罪の贖いのため」とか、「イエスは、私たちの罪のために死んで下さった」という表現は、新約聖書の中にあるけれども、「イエスの十字架は私たちの罪のためだった」という表現は一度も出てこないという指摘をされています。「死」も「十字架」もどちらでもいいじゃないか、と長い間、私も気にかけてこなかったのですが、今回、この宣教を準備する時に、青野先生の書いたものを読み直して気がついたことがありました。つまり、「イエス様は、私たちのために死なれた」という表現によって、イエス様が、私たちの人生の最後の最後まで共なって死んで下さる。「死」という人間の最大の恐れの時も共にいて下さる、という徹底的な同伴者としてのイエス様の姿に気づかせて頂いたのです。「死ぬのは怖くない」という方もいらっしゃるようですが、私は、正直なところ、「死は、怖いのであります。」でも、誰もが一人で越えなければならない最後の瞬間も、イエス様は共にいて下さると聖書は語っていると信じたいのです。
 
  1. 奇跡とは思えない「イエスの十字架の死の奇跡」
 最後に、マルコによる福音書15章の39節に心を止めて、私の宣教を閉じたいと思います。「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
 マルコによる福音書に描かれているイエス様の最後の姿は、全くの無力と絶望としか思えないような死に方でした。しかし、その死に様をまじかにした百人隊長が、「本当に、この人は神の子だった」というキリスト告白をしています。ここには、奇跡とは思えない奇跡があると思います。無力で、絶望としか思えないイエス様の死に様に、希望があると語っているかのようです。
 イエス様は、生涯、いと小さき者と共に生きられました。最後は、十字架刑の犯罪人たちにも伴われました。私たちが病におかされた時、大変な出来事の前にぐちゃぐちゃになりそうな時、もうこれ以上前には進めないと思う時、そのように、私たちが苦しく、弱さを噛みしめなければならない時にこそ、イエス様は私たちのすぐ近くに共にいて下さるのです。イエス様を信じさせて頂いている恵みを感謝して、日々の私たちの闘いの生活に臨んでいきたいものです。
 
お祈りします!
 
 
≪祈り≫
 愛するイエスキリストの父なる神さま!
 今日、このように、A教会の兄弟姉妹と礼拝を守ることが許されましたこと、ありがとうございました。私たちの日々の暮らしの中で、様々な苦難があります。また、私たち自身にではなくても、このAの地で、T地方で、九州地区で、東日本で、また、日本の様々な地域で、さらに日本以外の国々で、多くの苦難や悲しい出来事があります。それぞれの地に、イエス様、あなたの助け主なる聖霊を送って下さり、必要な援助や解決方法をお示しください。私たちに出来ることがありましたら、どうか、ここにつどっている一人一人にあなたのご意志をお示し下さり、また、それを成し遂げる力を与えて下さい。
「人には出来ないが神には出来る」とあなたはみ言葉によって、約束して下さっています。どうか、病んでいるものに癒しを、飢えているものに食べ物を、心がかわいているものにあなたの愛を与えて下さい。また、そのご用のために私たちをお用いください。
 
主イエス様のみ名によって祈ります!

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