プレインズのブログ

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117クーペ めげた

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レストアを終えた117クーペは絶好調のはずだった

レストア後まったく夜に乗る事もなかったのだが
ある日夜になりヘッドライトを点灯して走ってると急にライトが消えた

ー ん? この感じはヒューズでも飛んだか?

次の日ヒューズをチェックしてみると、やはりヒューズが飛んでいた
で、ヒューズを交換すると無事ライトも点灯、事なきを得たと思っていた

それから暫くしてトンネル内でライトを点けたら
点灯した次の瞬間にまたしてもライトが消えた

ー またしてもヒューズ切れじゃ、こりゃ配線がショートしようるんじゃろうか?


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と、いう事で仲間の修理工場で診てもらったのだが
どうやら原因はレストア時に交換したシビエのヘッドライトだった

回転数を上げ電圧を計ると何と17Vまで上がっている
純正の東芝のシールドビームに比べシビエは明るいから電量が必要になる

要は家で電量を使い過ぎるとブレーカーが落ちるという要領だ

対策としてヘッドライトにリレーを取り付け電流が流れ過ぎないように制御
電圧をチェックすると規定電圧内に納まるようになった


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これから夏場に向けてクーラーの季節になるので
ついでにクーラーのチェックもお願いした

すると何とクーラーベルトを回すテンショナーブリーのベアリングが
焼き付いて固着しベルトが回らないようになっていた

ベアリングの部品の有無が心配されたが何とか探してもらった
で、ベアリングを変えると無事クーラーも作動

と、いう事で取り敢えずは一件落着と相成った


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ウチのクーペは年式に対しては程度は上々だと言われる
昨年秋に手に入れたクーペは取り敢えず気になる部分は全て手を入れた

しかし何と言っても車両は46年前に生産された旧車だから
やはり全てが完璧で何も心配はいらないという事ではない

こうやって時をかけて、一つ一つ膿出しを行いながらの維持になる
しかし致命的な故障じゃなく、部品も手に入ったのはラッキーだった!

ジャンジャン!!


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PRAINS美容室

呉市本通り2−3−4(四ツ道路バス停前) 
(0823−23−7540)

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PRAINSホットペッパービューティー  http://beauty.hotpepper.jp/slnH000288765/?cstt

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久々の白煙ツーリング

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5月19日日曜日 天気 晴れのち雨

いつの頃だったか呉の2ストトリプル乗りで呉白煙会なるチームを作った

まあ実際には存在自体が怪しいチームだったが
一応チームのオリジナルステッカーを制作したりもした

その頃年に1回は呉白煙会ツーリングを催していたが
音信不通になる奴が出たり車両を手放したりする奴が出たりと
ほぼ自然消滅のような形で活動停止状態になっていた


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しかし、先日仲間の一人がSS500KAを購入したという事で
久々に集まってみますかという事になった


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当日集まったカワサキ トリプルは、SS750H2、SS500KA,、SS500H1E、KH500
それに、ホンダCB400FOURを加えた5台で呉を出発


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で、途中で広島在住の中国マッハ団 団長と合流
団長の愛車はブルーレインボーのSS750H2改


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行先は呉白煙会特攻隊長のH1E乗りのナオキにお任せ
と、いう事で彼の先導で三次を抜けて高田町まで足を延ばした


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で、高田町のファーマーズマーケットという店でステーキ定食をいただいた
肉はニュージーランド産という事だったが、とても柔らかくて美味かったですよ


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当日は夕方には雨が降るという予報だったので
さっさと帰宅の途に就く僕たち


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しかしまあ、これだけの2ストが一緒に走るとご覧のように煙で真っ白け
昨今ではエコが叫ばれてますが本当に時代錯誤ですよね〜

でも、オイルが焼ける臭いと、この白煙がTHE70年代なんですよね〜 (笑)


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途中でパラパラ雨が降って来ましたが雨雲から逃げるように帰路を急ぎ
何とか最後の休息場所の福富の道の駅に到着

その後何とか雨に濡れずに無事帰還しました
本日の走行距離320Km

当日ご参加の皆さんお疲れ様でした
次があるのかどうかもわかりませんが(笑)また行きましょう!

ジャンジャン!!


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1979年12月に発売になった「暴走列島’80」という写真集
70年代が終わりから80年代初頭の日本は暴走族がピークを迎えた時代だった

70年代の暴走族に人気を博したキャロルやクールスにそろそろ陰りが見え始め
アフロヘアーをポマードで撫で付け白いドカンを履いた横浜銀蠅率いる銀蠅一家が
ブラウン管に映し出され激しいビートでツッパリR&Rを奏でていた

ホイールスピンが唸りを上げ爆音を奏でる地を這うようなシャコタンからは
海を渡ってきた洋楽ディスコソングが大音量で流れていた

そんな時代に発売された「暴走列島’80」は当時呉でもちょっと話題になった


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見開きに掲載された写真の場所は現・呉市音戸町(当時は安芸郡)早瀬と
現・江田島市東能美島(当時は佐伯郡)に架かる早瀬大橋

そう、今現在僕が例年釣りに訪れてる早瀬大橋なのだ(笑)

僕は高校1年だった1979年の夏休みにツレと家出をして
約1ケ月、江田島周辺や広島市内を放浪した

その時知り合った江田島や大柿のツレや先輩たちが暴走列島’80に出たのだ
写真のハコスカはモノクロ写真だが実際はピンク色で大柿のM君所有

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僕は家出中に江田島のツレの家に厄介になってた時期があったが
その時、岸根(がんね)ムーンビーチにキャンプに来てる広島のヤンチャ連中と
喧嘩するから助っ人に来いと乗せられたのが、このピンクのハコスカだった

ハコスカの車内にキャロルが流れていた事を今でもよく覚えている

当時江田島・大柿の連中は「紫蝶(パピヨン)」という暴走族を結成していた
本を紛失して今現在手元にないのだが彼らは「島を走る暴走族」
という事で紹介されたような覚えがある

誰か本書をお持ちの方、本文の写真・記事を見せていただけたら幸いです(笑)

まあ今思えば島を走るって、ちょっとダサく微笑ましい話(笑)だが
その特殊性が編集部の琴線に触れ取材されたという事だと思う

ジャンジャン!!


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神のお告げ(笑)

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永ちゃんが、EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2019
「ROCK MUST GO ON」のスケジュールを発表した

が、しかし何と言う事だ、今年古希を迎える記念の年に
永ちゃんの生まれ故郷の広島講演が予定されてないじゃないか

広島では展示会もやらなかったし今年の広島は完全無視だね〜(笑)


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そんな永ちゃんが令和を迎えた5月1日付のスポニチで激白した

(以下 新聞より抜粋)

令和、僕ね、らりるれろが苦手で、言いにくいのよ
何でも最初はそうじゃない?気がついたらなじむ、平成だってそうだった

そんなもんですよ、全て時間が解決してくれる
ただ、人生は必ずしもそうとは限らない

例えば「昭和」、絶対に上に行かないと
俺の未来はないと思わせた、分かりやすい時代

一獲千金で一気に行けるのは音楽だと教えてくれたのはビートルズだった
だから広島から夜汽車に乗ったし、昭和はドラマチックだった


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「平成」は食べられるようになってたから、これでいいんだろうか
自分はどうなるんだろうか、幸せになれるんだろうかと自問自答の時代

僕は家族を顧みなかったから
それがこんな自分でも振り返ると家族がいた

嫁さんに本当に感謝です


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令和元年、ヤザワ、9月には70歳になります
はっきりしていることは「現役」です、スティル・ロックシンガーです
5月1日に今年のツアーを発表します

現役70歳で街から街へロックンロールするヤツ、一人くらい日本にいないと
そのうち現役でやれなくなる時が来る、そしたら僕は引っ込むから
後は周りで“ヤザワ頑張ったよ”と言ってくれればいい

ロックンロールとは、心の持ち方、生き方です
反骨とは社会に言っているんじゃなくて自分自身に言っているんですよ

だから平成は、どう年を取ってどういう歌をどんなスタイルで歌えるのか
もっと人間らしくなれるのかと、そっちで自分をあおった


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そこで「令和」、リアルに確実に矢沢は老いていきます

でも俺の魂はスティル・ロックシンガー、だけど70歳
ケツ振れるかな、とか言っても現場に行くんですよ

来ているお客のチケットの重さ、これハンパじゃないのよ
だからヤザワ、令和に対して言いたい

70歳で1万人の観客をぶっ飛ばす!
これが70歳になるリアリティー、ロックンロール・アゲインだよ


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指紋だけでコーヒー飲める時代、便利な世の中になった
だからこそ「令和」は人間感が大事になってくる
例えばアーティストならMC、歌だけじゃない、一言一言が大事になってくる

確かに便利にはなった、コンビニはあるし
地下鉄は張り巡らされ若いヤツらは車買わなくなった

女を飲みに連れていっても割り勘とか
でも若いヤツらに言いたい、この女との初めてのデート
全財産つぎ込んでもエスコートして、明日はオー・マイ・ガーッ!

そういう男はいないのかと
令和はそういう時代に返った方がいい

便利は“トリック”でもあるんだ、忘れるな
大きなブラックホールが開いて待っている

「便利」が素敵な世の中だと思っていたらガッツリ落ちるから


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敵は“自分の中”にいる
便利というのは背中合わせで落とし穴かもしれない

平成の「近道・イズ・グレート」を満喫した時代から
令和になったらもう一度ロックンロールに戻ればいいんだよ
痛い目に遭えばいい、そしてシャウトすればいい

大学も出ていない、親もいない、そんな俺が闘えたのは
近道をせず、苦労をしたからだ

「近道したら近道にやられる」それが分かる世の中
そういう令和になったらいいんじゃないかな

「進むべき道があれば寂しさを緩和できる」僕らの世代は令和をどう生きるのか
何が大事かというと、自分に進むべき道があるのかどうか
向かうべき所があるのかどうか、そこに尽きる、特に男はね

寂しさみたいなものがちょっと緩和できるかもしれない
人生は寂しいから、年を取ると、男は個になり女は群れるっていうよね

だから人生は寂しいんだよ、その当たり前の寂しさがある中で
進むべき道があったらちょっとはホッとするよね

そうやってある時、やめなきゃいけない時が来る
そしたら気持ちよくやめようよ、だから僕は、歌える限りはやめたくないんだ


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更に、1日付の読売新聞と日本経済新聞の朝刊には全面広告を展開

ビジュアルは「昭和時代のヤザワ」と「平成時代のヤザワ」が
令和初日に“夢の共演”を果たした写真構成

全国の地区毎に全5パターンが展開された
そこには、「神」矢沢永吉からのお告げが・・・

「アイム・ハッピー!」

新しい日本おめでとう
おれはいま とても幸せだね
だって70歳を迎えるこの年に
まだまだ歌えるから

先のことは分からなくても
自分の責任で、自分の命を張って
挑戦できる限り走り続ける
それがハッピーだと思っている

お前はどうだい?
立ち止まってはいないかい?

令和元年5月1日
STILL ROCK SINGER 矢沢永吉

P.S 今年もツアーやるから、ヨロシク


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やはり神はいい事言いますね〜
特に共感した部分

「便利は“トリック”でもあるんだ、忘れるな
大きなブラックホールが開いて待っている

便利が素敵な世の中だと思っていたらガッツリ落ちるから
便利というのは背中合わせで落とし穴かもしれない

大学も出ていない、親もいない、そんな俺が闘えたのは
近道をせず、苦労をしたからだ

近道したら近道にやられる、それが分かる世の中・・・」

個人的には平成と言う時代はコンピューターの時代だったと思う
当初コンピューターは人間が操っていたが次第に人がコンピューターに操られるようになり
現代では人はコンピューターに依存しなければ生きられない時代になった

コンピューターは便利なツールだという事はよくわかる
今の時代、コンピューターを上手く使いこなせば武器にもなるが
コンピューターには人の温もりや感情がない

人は感情がある生き物なのだ
その辺りを、よ〜く考えて僕も肝に銘じたいと思います

ジャンジャン!!


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黎紅堂

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まだ一般的にはCDなどなくレコード・カセットテープだった時代
カセットテープレコーダーでレコードを録音するというのが主流だった

そんな時代に合わせ世に登場したのがレンタルレコードショップだった

呉で最初のレンタルレコードショップがどこだったのかはハッキリ覚えてないが
呉で大きく展開したレンタルレコードショップの一つが「黎紅堂」だった


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先日、10数年間ロックされたままの開かずの金庫を開けてみると
中から黎紅堂のメンバーズカードが出てきた

が、イマイチ場所をハッキリ覚えてなかったんですが
現マクドナルドの裏手のポポロの勝手口前辺りだった事が判明した

1988年(昭和63年)のデーターだが当時LP盤のレンタルが
翌日返却で300円、EP盤のレンタルが130円だったようだ

この頃CDがようやく世に出て来た時代だったようで
CDのレンタルが翌日返却で300円、CDシングルが150円だったようだ

ジャンジャン!!


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