|
今日の教会において大きな問題がエキュメニカル(教会合同)運動である。
ある方は、そんなの別に良いじゃないかと思われるかもしれない。
しかし、その偽りの「一致」・御言葉を無視した「一致」によって
多くの教会が福音から遠く離れてしまっています。
クリスチャンじゃなかった頃は、教会といったらどれも変らないと
思っていましたが、それは間違いでした。
中世に富と権力を持って、民の支配層となったカトリック教会、
それも聖書の「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、
みなに仕える者となりなさい。」(マルコ9:35)という言葉をないがしろにしたために
そうなったのです。そして、その腐敗したカトリック教会からプロテスタントが分かれ出ました。
いつでも教会が世と妥協し、政治的な力を握ってしまうと
それは聖書のいう教会ではなくなります。
有名な「Purpose Driven Life」という本を書いたリック・ウォレンが推進している
この地上に今天の御国を建てあげようとする運動は
決して聖書的ではありません。(2コリント4:4→黙示録11:15)
イエスは『わたしの国はこの世のものではありません。』(ヨハネ18:36)
と言い、さらに
『もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。』
とも言いました。
今日は『教会とは何か?』という本を紹介します。D・M・ロイドジョンズ著・鞭木由行訳
教理か交わりか
『では何のために彼ら(初代の信徒たち)は集まったのか。
答えは聖書の中にある。彼らは、使徒たちの教理を堅く守り続け、
そして交わりをし、パンを裂き、祈るために集まったのである(二章四二節)。
ここに、もちろん、私たちが強調しなければならないことがある。
ここで非常に重大なことは、これらの事柄が並べられている順序である。
最初に述べられているのは、「教理、教え」であって、
「交わり」ではないことに気づくだろう。なぜ私は、
このことを強調するのか、その理由を説明する必要があるのは確かである。
実は、エキュメニカル(教会合同)運動全体の基盤は
「まず第一に交わりを持とう」という考えであった。』
『「教理」は「交わり」に先行する。
そして私たちの交わりが教理に基づいていたものでないならば、
それはクリスチャンの交わりではない。それはこの世の交わりであり、
人間的交わりである。』(p.22-23)
私たちが救われたのは人間を通してですが、聖書の教理によってです!
教理を大切にしましょう!それは神さまの言葉を大切にすることです!
|
だいすけさん
『教会とは何か』という著作は、読む経験として衝撃的でした。記事で言われておられるように、神の言葉の教え=教理が交わりに先行するという聖書的断言は、勇気を与えます。一冊しか買わなかったことを、今でも後悔しています(-.-;)
2012/1/19(木) 午後 7:12