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『私はこのように自分の邪悪を見、感じ、恐れて、悩み苦しみ悶えたが、それでもなおかく見、かく感じた
事を心から消え去らせたくはないと思った。なぜならば、良心の自責が、正しい方法、即ちキリストの血
によって取り去られるのでなければ、たとえ人間は心の悩みを無くしたからとて、良くはならず、かえっ
て悪くなるのを私は知ったからである。そこで私は心のうちに自責の念がきびしく起こると、キリストの
血がそれを取り除いてくれますようにと叫び求めた。キリストの血によらないで、それが消えそうになる
と(なぜならば罪に対する意識は時によると自然に衰えて全く消滅するからである)、私はそれをしっか
りと抱きしめて、地獄の業火に焼かれる罪の罰を私の魂の上に浴びせようとさえして、叫んだ。主よ、も
しも正しい方法、即ちキリストの血によるのでなければ、どうぞ私の心からそれを取除かないで下さい
と、と。「血を流すこと無くば、赦さるることなし」(ヘブル書九・二二)という聖句が強く私の心に記
憶されていたからである。しかも私を一層恐れさせたのは何かといえば、私は次のような人々を知ってい
るからである。即ち、良心の痛手に苦しむ人たちが叫び求める場合でも、罪の赦しを求めないで、一時だ
け悩みから逃れる事を祈り、自責の念を取除く方法には意を用いないで、ともかくも悩みが取除かれさえ
すればそれでよいとしている。そのため彼等は誤った方法で自責の念を取除いて貰っても、本當には 潔
められてはいない。それどころか、悩みを取除いて貰った後でも、彼らはますますかたくなになり、盲目
になり、
邪悪になっていった。この事が私を怖れさせ、私もそうならないようにと、ますます強く神に祈った。』
恩寵溢るる(1666年)ジョン・バニヤン著
第九章 人間たるを苦しむ P.58-59
天路暦程という本を書いたことで有名なジョン・バニヤンの言葉です。
私たちは良心が叫んでいるとき、なんと巧みな方法で、その声をかき消してしまうことでしょうか。
罪の本質に向き合おうとせず、しばしばこの世のものをもってして、良心の声を聞こえないようにします。
それは、音楽を聴いたり、テレビを見て笑ったり、または勉強や仕事に忙しくしたり
することによって、そうしていることが多いのです。
バニヤンは『血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。』(ヘブル9:22)という聖句を
用いてこのことの解決を見出しています。
罪は、イエス・キリストの血によってのみ赦されます。
神さまが望んでいることは、良心の咎めを感じたり、責めを感じるときには祈りによってすぐ御前に行って、その関係をただすことです。パウロはいつもそうしていました。
私たちは罪を犯しますが、それを放っておいてはいけません!
私たちもパウロのようになりたいものです!
「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」 使徒23:1
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