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キリスト教の牧師は、主イエスの人格とみ業のまわりに群がるすべての真理を説教すべきであり、また救
い主を必要とするに至った罪の悪を、熱心に、集中して明らかにしなければならない。罪が律法を破るこ
とであること、罪が当然のこととして罰を招いていること、そして、神の怒りが罪に向かって啓示される
ことを示すようにするがよい。罪を、それがささやかなもの、あるいは単なる不幸であるかのごとく、決
して扱ってはならず、それが途方もなく罪深いことであることを示すがよい。ただ表面的に、大ざっぱに
悪を見やるというのではなくて、個々の罪の中に入り込み、詳細にさまざまな罪を指摘し、その時代に広
く行われている罪を、取上げるようにするがよい。たとえば、われわれの国を荒廃に帰せしめている破壊
的な酒酔いのわざわい、人を中傷するという形において至る所で盛んに行われている虚言、また聖なる恥
じらいをもってでしか言及し得ないのであるけれども、やはりそれにも拘らず、容赦なく告発するべき不
品行などである。特に、われわれの群衆がそこに落ち込んでしまっており、あるいは落ち込みかねない悪
を明らかにしなければならない。十戒の説明をなし、「私のためにその罪を示し、ヤコブの家にその罪を
明らかにせよ」との神のご命令に従うようにするがよい。われらの主がなさったように、律法の霊的な内
容を開き示し、それが悪の思い、悪の意図、また悪の創造によってどのように破られてしまったかを示す
がよい。これらの方法によって、多くの罪人はその心を刺されるであろう。
『説教学入門』スポルジョン著 加藤常昭訳
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