|
ある人が結婚・恋愛について書いていました。
読み進めていくと、良いこと書いてあるなと思ったんですが、
最後のほうにこう書いてありました。
『そして誰か一人の異性のことが気にかかり始め、どうしてもその人から目を離せなくなったり、寝ても覚めてもその人のことが思われるようになったなら、まずはそのことを喜びましょう。自分と異なる性を持つ一人の人のことを、手放しで「すてきだ」と思えるようになることは、成長したしるしです。その人が仮にノンクリスチャンだとしても、罪意識を持つ必要はないのです。異性に「ときめく」までに、神さまが心も体も成長させてくださったことを喜ぶのです。』
いのちのことば社のホームページより
http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/db/kiji_t.cgi?keys23=「二人」を生きる関係
『その人が仮にノンクリスチャンだとしても、罪意識を持つ必要はないのです。』
この言葉にびっくりしました。
ノンクリスチャンを手放しですてきだと思っていいんでしょうか??
僕はいのちのことば社が好きだからこそ、きちんと聖書に立った意見を書いてほしいなと
思ってこういうことを言うのですが、、
クリスチャンがノンクリスチャンと付き合い、結婚することほど、不幸なことはないと思います。
聖書も、「不信者とつりあわぬくびきをかけてはならない」と2コリントに書かれているのに
あの書き方なら、そのようなことを許容しているような感じを抱きかねません。
「いろんな信仰があるんでしょう」
と言う人もいそうですが、聖書から出ていないことは信仰ではないのです。
永遠のいのちを持った者と永遠の地獄に定められている者
罪を悔い改めた者と罪を愛す者
その二人が一緒にいて「愛してるよ」と言えるのでしょうか。
ちょっと気になったので問題提起をしてみました。
|
いつも面白楽しく拝見させて頂いております。
今回初コメです。
これからのご活躍も楽しみに、もちろん拝読させていただきますよっ!頑張ってくださいね。
2008/6/3(火) 午後 4:46 [ はるか ]
この方の記事の表現の仕方に問題はあるかもしれませんね。
記事の方は「若い、これから結婚していく人たちが、自分の両親の結婚のあり方を見て、深いところで傷つき、憧れを抱けないほど失望し、神さまへの信仰は告白できても、その神が自分にふさわしい伴侶を与え祝福してくださろうとしているとは信じられず、異性に心を充分に開けないままに過ごしている人が少なくないというのも事実でしょう。」という方に対して恋愛を過度に恐れてはいけないよ、ということを言うためにそのような表現を使ったのでしょうね。
もし未信者を好きになったら、私はこの著者の方の言われるようにまず素直に喜んでいいと思います。しかし同時にその好きになった方が救われるように願うのがクリスチャンとして自然な感情じゃないでしょうか。
相手が信じないまま結婚するとなればそれこそだいすけさんが引用したような「釣り合わぬくびき」となるでしょう。でも好きになって伝道して相手が救われて結婚した例も多々あります。どうでしょうか。
2008/6/6(金) 午前 1:25
ほんとうですね。以前の文脈を見ていたらそう書いてありますね。
ちょっと話が飛躍しすぎた感がありますね。ごめんなさい。
僕の疑問に感じた点は、未信者のどういうところが好きになっているかということだったんですよ〜
信者と未信者の違いってそんなに軽薄なものなのか
ただ、そういう呼び方の違いで、恋愛に関しては普通の人と同じなのだろうかということを思ったからです。
人を愛することは理由無しで出来ることだけど、
人を好きになるのは理由がある場合に言うんじゃないですかね??
どうですか?
(僕の日本語の使い方が間違ってる可能性はあるかもしれませんが)
でも、気になった異性にはすぐに福音を伝えることが大切ですね!
わだけんさんご意見ありがとうございます☆
2008/6/6(金) 午前 9:55 [ だいすけ ]
ノンクリスチャンでも素敵な人はいますよ。惹かれることだってあります。
ノンクリスチャンでも立派な人はいますよ。尊敬に値する人はたくさんいます。
それでも命の救いとは無関係なんです。十字架による罪の赦し以外に救いをもたらすことはありません。
相手がどうあれ無条件で愛し続ける。これが神の愛。
利用できるから、または気に入っているから愛する。これは自己中心の愛。
相手しか見えなくて周りがわからなくなるのは恋。いつかさめます。
またこうとも言えます。
恋は感情。愛は意志。
2008/6/10(火) 午前 0:13
そうですね〜「恋は感情。愛は意志。」ですね。
確かにノンクリスチャンでも素敵で立派な人はいますね。
でも、僕の意見としては新生したクリスチャンは、生まれつきのままの人とは違うんじゃないかということです。(会話、態度、好みなど)
聖書でもしばしば、「それではあなたはふつうの人ではないですか」という箇所があります。信者は多くの点において、未信者と違っているべきだと思います。
2008/6/10(火) 午前 9:51 [ だいすけ ]