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『ゼデキヤ王は人をやって彼を召し寄せた。王は自分の家でひそかに彼に尋ねて言った。「主から、みことばがあったか。」エレミヤは、「ありました」と言った。そして「あなたはバビロンの王の手に渡されます」と言った。』エレミヤ37:17 退廃したイスラエル人、ユダに向かって 「バビロンがやって来て、あなたを攻める」 「降伏しなさい」 と主からの言葉を伝えていたエレミヤは投獄されました。 この時に言った言葉が上のものです。 王:「主から、みことばがあったか」 エレミヤ:「ありました」 エレミヤ:「あなたはバビロンの王の手に渡されます」 なんと大胆なのでしょう!!! そして私たち日本のクリスチャンが抱く、クリスチャンの理想像とどんなに違うことでしょう。 事を荒立てないのが僕たち日本人の特徴ですが、神さまはクリスチャンにご自分の基準を知ってほしいと確実に思っています。 エレミヤはイエスの象徴でした。 事実、イエスはエレミヤと同一視されていました。 『さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」 』マタイ16:13−14 私たちはイエスさまのようになるべきです。 そしてイエスさまがエレミヤのようであったように、 エレミヤのようになるべきです。 未信者の人:「聖書は私について何か書いていますか」 僕たち:「はい、書いてあります」 僕たち:「悔い改めないと滅びると書いています」 そして、どのように神さまを信じない人は、神さまに逆らっているかを説明すべきではないでしょうか。 ちょうど僕たちが以前そうであったように。 嘘、不品行、ギャンブル、酒に酔うこと、神さまを知らない人生、陰口、怒り、そしり、見せかけだけの人生、経済力だけに頼る人生、滅びゆく人にだけ頼る人生… 退廃した世に啓示されている神さまの言葉は 「私のところに返りなさい」 です。 そして天から御怒りが啓示されています。
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日記
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こんばんは。初めて書き込み致します。いつも拝読させて頂いております。
「信じない人は滅びる」とは、聖書のどういう箇所から読み取っておられるのでしょうか?
福音を、聞いたことが無いまま死んだ人は、全員地獄に行くと思われますか?
よろしければ、お答え頂ければ幸いに思います。
2010/7/22(木) 午後 11:34 [ - ]
『…キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。』ヘブル6:1−2
apparekunさん、
「信じない人は滅びる」ことは聖書の大前提ですよ。参考箇所はマルコ16:16、ルカ13:3、ピリピ3:18−19、2テサロニケ1:8−9、マタイ25:46、ヨハネ3:36など沢山あります。
神さまは全世界を創った方で、その人の生きる時代、住まいの境界を定めました。それゆえ、神さまは遠くにはいずにいつも人に真実を信じるよう促しています。
なので地球どの場所にいても、神さまの手が届かない場所はありません。僕は「信じない者は滅びる」ことを聖書から信じています。
2010/7/23(金) 午前 0:41 [ だいすけ ]
またよく、「ジャングルの奥地にいて福音を聞く機会の無い人たちはどうなるんだ」と想定して聞く人たちがいますが、
最も大切なことは、今福音を知っているその人自身が神のことばを信じて、福音を信じることです。なぜなら神さまはその人に反応を求めているのですから。
多く与えられた者は多く要求され、少なく与えられた者は要求されるものも少ない、これが確実に僕が言えることです。
世界中の言語に聖書は翻訳され、世界中で福音が伝えられています。聖書の福音が証明できる真実であるために、信じない人、見ようとしない人、敵対する人は、僕たち人間が生まれつき罪深いためにさばかれます。
2010/7/23(金) 午前 0:46 [ だいすけ ]
ご返信ありがとうございます。
だいすけさんは、「自分は絶対に天国に行ける」という確信を持っておられるようですね。
もう少し質問をさせて頂いてよろしいでしょうか。
?だいすけさんは「聖霊のバプテスマ」についていかがお考えでしょうか?
?ブログを書く前に、聖霊の導きを求めて祈っていらっしゃいますか?
?イエス・キリストはだいすけさんの救い主ですか?
2010/7/23(金) 午前 3:36 [ - ]
はい、僕はapparekunさんの言われる通り、天国に行けるという確信を持っています。
それは罪深い僕のために完全で、聖いキリストが十字架で死んでくださったと信じているからです。僕が罪深いことと、キリストの十字架が完全なことははっきり知っています。キリストは罪人を救うために来られましたから。
聖霊のバプテスマは使徒の働きにあるように、大胆に神の奉仕を行わせる聖霊の降り注ぎだと考えています。ですが、それが無いときも僕たちのうちにはいつも聖霊が宿っていると思います。
>?ブログを書く前に、聖霊の導きを求めて
祈るときもあり、祈りを怠ってしまうこともありますね。気付かせてくれてありがとうございます。祈ることは大切ですね。
そうです!イエス・キリストは僕の救い主です!
2010/7/23(金) 午前 7:57 [ だいすけ ]
お答え頂いてありがとうございます。
だいすけさんは豊富な知識を持っていらっしゃいますから、
その賜物を聖霊に満たされて用いたとき、
さらに素晴らしいことがなされていくのではないかと思います。
主を恐れることは大切ですよね。
しかし、私たちは
「もうキリストに赦されたのだ」
という喜びも持っていたいと思うのです。
イエスさまは、私を含める、
全ての人の罪を負ってくださいましたから。
長々と申し訳ありません。ただ、だいすけのさんのメッセージの内には、脅迫しているように受けとれる部分があって、
そういう点が勿体無いなあと思って、書かせて頂きました。
恐怖感で迫る方法を、だいすけさんが正しいと思うのであれば、余計なお世話をしてすいません。
でも、自分は福音については喜びと共に伝えたい人間なので…。
キリストにある喜びと平和を、いつも持っていたいですね。
では、さようなら。
2010/7/23(金) 午前 9:08 [ - ]
apparekunさん、アドバイスをありがとうございます。
僕はまだまだ未熟ですが、ひとつ心がけていることがあります。
それは神さまの言葉をそのまま語るということです。
僕は神さまの言葉を優しく変えてしまうこともできなくはないですが、神さまが今と同じ状況、罪に対してはっきり「悔い改めなさい」と言われているなら、そのままを伝えたいんです。
正直個人的には僕も人と争わないことが好きです。ですが、神さまの言葉が最善で、その語られている状況が聖書と同じなら(まさに今の世はバビロン捕囚の前のユダのようだと思っていますが)、ただ神さまの語った論調のまま伝えるべきじゃないでしょうか。
もちろん、人によって福音の伝え方は様々あると思いますが、僕は基本に忠実にいきたいと思っています。
僕は、神さまが恐怖感で迫っているなら、それをそっくりそのまま伝えていきたいです。なぜなら神さまとそのみことばは完全だからです。
apparekunさんご指摘ありがとうございます。
2010/7/25(日) 午前 8:53 [ だいすけ ]
「だいすけさんのメッセージの内には、脅迫しているように受けとれる部分があって」・・・真実をはっきり伝えると、聞いている方はこのように感じることが多いみたいですね。
私もだいすけさんと同じように、主のみことばをそのまま語るようにしています。路傍伝道でも、罪を指摘し、悔い改めの必要、また信じない者への神の裁き(永遠の地獄)を告げます(もちろんキリストの十字架の愛と救い、天国についても当然語りますが)。それは自分がそれを言いたいからではなく、聖書を読んで、イエス様、弟子たちがそれを人々に伝えていたので、まねをしているだけなのです。しかし、そのようなストレートな伝道アプローチをすると、反論や文句を言って(私から)離れ去っていった牧師・兄弟姉妹が何人もいました。彼らは人聞きの良い、耳障りの良いことばを語って欲しかったようです。しかし、聖書を読めば、律法は福音の養育係として必要であると書かれているし、信じない者への警告もくり返し出てくるので、聞き心地の良いことだけを語る訳にはいきません。私の(聖書に基づく)感覚では、それは偽善だと思うからです。
2012/10/30(火) 午前 11:08 [ エパタくん ]
(つづき)弟子たちは人々に「神様はあなたを愛しています。あなたは愛されるために生まれました」とか「教会に来てください」とか「一緒にゴスペルの歌を歌いましょう」などとは言わなかったのです。人に喜ばれるより、神様に喜ばれる者になりたいですね。
2012/10/30(火) 午前 11:12 [ エパタくん ]
エパタくん
どうもありがとうございます。
またどのように路傍伝道されているのかも聞きたいものです。
2012/10/30(火) 午後 7:46 [ だいすけ ]