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この頃、朝に妻と行っている聖書の学びの時間で、ヨブ記に入りました。 その中でぜひ分かち合いたい箇所を今日は載せます。 ヨブの三人の友人が黙った後、一番若かったエリフ(=彼はわが神)が口を開きました。 ●『もし彼のそばに、ひとりの御使い、すなわち千人にひとりの代言者(luts)がおり、それが人に代わってその正しさを告げてくれるなら、神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、よみの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を得た。」彼の肉は幼子のように、まるまる太り、彼は青年のころに返る。彼が神に祈ると、彼は受け入れられる。彼は喜びをもって御顔を見、神はその人に彼の義を報いてくださる。彼は人々を見つめて言う。「私は罪を犯し、正しい事を曲げた。しかし、神は私のようではなかった。神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私のいのちは光を見る」と。見よ。神はこれらすべてのことを、二度も三度も人に行なわれ、人のたましいをよみの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。』ヨブ33:23-30 ヨブ記にはイエスについての箇所がいくつか登場します。 これもそのひとつです。この代言者という言葉は他の訳で「仲保者」とも訳されていて、仲介者のことです。 イエスこそ千人にひとりの代言者です。私たちの代言者は僕たちを弁護してくれます。 ●『神は唯一です。また、神と人との間の仲介者(ギ…mesites)も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。』1テモテ2:5-6 イエスさまが私たちに代わって正しさを告げてくれると、僕たちはよみに行くことがありません。 またよみがえります。 ですが、それだけではありません。その代言者というヘブライ語「luts」が他の聖書箇所で訳されているのを見ると非常に興味深いのです。(僕たちは特定の原語が他の箇所でどう使われているかを見る必要があります) その単語の登場する箇所は創世記の42章です。 その背景は、エジプトでヨセフが宰相となった後、全域に大規模な飢饉があり、 ヤコブの子ら、ヨセフの兄弟たちが知らずにエジプトに穀物を買いに来るというシーンです。 そして、ヨセフは兄弟のひとり(シメオン)を監禁所に監禁しておくことに決めました。 そこで兄弟たちは次のように言いました。 ●『彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」ルベンが彼らに答えて言った。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのにあなたがたは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けるのだ。」らは、ヨセフが聞いていたとは知らなかった。彼と彼らの間には通訳者(luts)がいたからである。ヨセフは彼らから離れて、泣いた。』創世記42:21-24a これはミドラッシュ、同じ単語を用いた文脈で繰り返されるテーマです。 とても分かりやすい描写じゃないでしょうか。 兄弟たちはヨセフをエジプト人に売ったからこういうことが起きたと悔い、 そう話している内容を「通訳者(luts=仲介者)」が告げたのです! そうです、僕たちと神の間には僕たちに代わって正しさを告げてくれる、仲介者イエスがいます。 僕たちと神は直接顔を合わせ、自分を弁護することすらできません。 それは僕たちが汚れていて、罪深く、高慢だからです。 僕たちがしゃべっても日本語を理解しない外国人のように、通じることもありません。 『イスラエルの望みである方、苦難の時の救い主よ。なぜあなたは、この国にいる在留異国人のように、また、一夜を過ごすため立ち寄った旅人のように、すげなくされるのですか。』――エレミヤ14:8 私たちと神との間に、罪が入り込んでいるからです。 『見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。』――イザヤ59:1−2 ですが、自分たちの悪い行いを認めるとき、そこには通訳者であるイエスさまがいて、 「〜はこう言っているんですが、赦してやってはどうですか?」 「だいすけは確かに悪い行い、陰口を言い、口ばかりで実行せず、よく誘惑に流され、人を傷つけてきたのですが、わたしの血と十字架のために赦してやってはどうですか?」 このように僕たちのために神に代言してくれています。 僕は日曜日よく通訳をしますが、やはり欧米と日本の文化が違うため、すんなり訳せずつまることが多々あります。 通訳する人の理想は、日本にも住み、欧米にも住んだことがある人なのでしょう。 (僕は欧米に住んだ経験がありません) 両側を理解できるからです。 それと同じで、人としてのキリスト・イエスが僕たちの仲介者だと書かれていることは勇気づけられませんか? イエスはどちらにも「住んだ」のでどちらの側も理解されます。 イエスさまにより頼みましょう。イエスこそ私たちのいのちです。 イエスさまの仲介のわざ、その代価、十字架こそが他の宗教と大きく違う点です。 補足:ヘブライ語の「luts」は他にも「あざける」と訳される単語です。今十分に理解していないので説明できませんが、何か意味があるのかもしれません
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悪い意味で笑ったのではないですよ^^
だいすけさんのブログはおもしろいです。応援します^^
2012/5/23(水) 午後 6:09 [ こひつじメー ]
以前のコメント、失礼しました。
他の批判的な人だとつい思ってしまい、すみませんでした。
2012/5/23(水) 午後 9:06 [ だいすけ ]
感謝します!聖書啓示優先クリスチャン生活を目指しています。【復活の主イエスは代言者 】聖書啓示は素晴らしいですね。復活の主イエス・最後のアダムは神の命与える霊となって1コリント15:22,45; 私たち人の霊に入ってくださいます!1コリント 3:16Dewa-@notihodo!
2012/5/30(水) 午前 7:05 [ ベレヤ ]