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新しい説教が翻訳・掲載されました。 です。 僕は改革派のクリスチャンの方々を尊敬していて、 クリスチャンの中で一番勉強する人たちだと思っています(原典研究など)。 でも「救われたら無条件で滅びない、失われない」という教えは偽りです。 なぜ失われないなら第一コリント10章、またヘブル人への手紙などに「堕落しないように」と警告があるのでしょうか。 僕たちは救われても古い性質があって、堕落する傾向をいつも持っています。 ですが悔い改めることを日々選び、十字架、自分の損になることでも神のために選んでいけば堕落することはありません。 また過激なカルヴァン主義(穏健なカルヴァン主義でなく)は社会的不公平を生んできたという事実も注目に値するものです。 『つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ』マタイ18章7節 『確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです』マタイ26章24節 イエスさまはすでに定められていること(予定、予知された将来)、と自由意思をふたつとも受け入れていました。その態度を見ると、ある人は救われるように始めから定められていて、ある人は地獄に行くように定められているという教えが間違いだと分かります。 教会に来ている僕の友達は最近、職場で知り合いになった人を教会に連れてきました。 友達は「自分がクリスチャンであることから話し始めた」と言いました。 自分がクリスチャンであること、主の御名を誇りにしていることを皆の人に知らせましょう! |

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こんばんは
「救われる」ということは過程だと理解しています。
だいすけさんも同じようにお考えですか?
2012/10/1(月) 午後 10:58 [ ANGEL ]
上記URL、読んでみましたが、難しい言葉が多くて全部は視理解できませんでした+0+
うちの教会でも救いは失うとか失わないとか意見が分かれていますが、本当のところはどうなんでしょう(;・・)私はワカリマセン。。。
2012/10/2(火) 午後 4:51 [ こひつじメー ]
あ、あと、私は幼児期からなんとなく親の信仰を刷り込まれてきたので、自分では救われたという実感がなく、よく分かりません。周囲では確信される方も多いので、長年のコンプレックスでもあります。
2012/10/2(火) 午後 4:52 [ こひつじメー ]
ANGELさん
救いは三つの側面を持っています。
僕たちは過去に救われ、今も救われ続けており、将来救いが完成します。
それは霊、たましい、体に当てはめると、
僕たちが罪を悔い改め、救われると霊が即座に生まれ変わります。そしてたましいは時間をかけてゆっくりと変えられていきます。最後に体は復活の時に完全に新しくされます。
なので僕たちは救われている過程にあるとも言えますね。
2012/10/2(火) 午後 10:04 [ だいすけ ]
こひつじメーさん
僕が訳したんですが、読みにくかったみたいですね。すみません。
救いは失われ得ますよ。聖書からそれを立証できます。
聖書の中で、クリスチャンホームで育った人を象徴しているものは多くあります。そのひとつが出エジプト後に荒野で生まれたイスラエル人たちです。彼らは偉大な出エジプトを経験せず、神を信じる文化の中で育ちました。でも彼らも約束の地に入る時に(悔い改めの象徴である)割礼を受ける必要がありました。
悔い改めは何か一度のことではなく、日々行っていくことであって、そうすることによってキリストに従うことができますよ。救われているかより、罪から悔い改めているか、または御霊の実を日々目にしているかに注目した方が良いのかなと思います。
クリスチャンホームで育った人はユダヤ人のようであり、ノンクリスチャンホームで育った人はギリシア人のようでもあります。
2012/10/2(火) 午後 10:34 [ だいすけ ]
なるほど!非常に分かりやすかったです。
長年のもやもやが晴れました!忘れないようにたびたび見に来ます
ありがとうございました
2012/10/3(水) 午後 0:44 [ こひつじメー ]
「一度信じたら、ずっと救われている(救いを失うことはない)」という教えは、(統計をとったわけではありませんが)日本の教会の大部分が支持しているような気がします。「“一度”信じる」という言い方自体おかしいと思います(信仰は継続するものでしょう)が、きっとそれは「一度信仰告白したら」という意味なのでしょうが、ひどいのになると、よく分からずに人のあとについて(心の中では信じていないけれど)口先で告白しただけでも、「聖霊によらなければ誰もイエスは主だということはできない」と書いてあるから、その人は救われている、と言います。昔あった「刈り取り伝道」の類です。しかし、聖書を普通に読めば、新生した人でさえ救いを失うことがある、と理解できると思います。やはり、へブル書がもっともそれを支持していると思いますが、「一度信じたら〜」を主張する人は、その箇所を“単なる警告”と考えているようです。しかし、旧約の「祝福とのろい」の箇所を読むと、神に背いたイスラエルに(単なる警告ではなく)実際にのろいがもたらされていることがわかります。
2012/10/16(火) 午前 6:53 [ エパタくん ]
(つづき)神様は単なる“脅し”として告げたのではなく、現実を告げたわけですから、へブル書も文字通り受け取る方が正しいと思いました。恐ろしいことに、「一度信じたら、その後自殺しようが、悪魔に魂を売り渡そうが、その人は天国にいけるんだ」と言っている牧師もいるのです。結局、人にすり寄った結果、そのようなこと(「あなたは信仰告白しているんだから間違いなく天国に行けるよ」)を言うのだと思われますが、エレミヤ書にあるように、「彼らは、わたしの民の傷(罪)を手軽にいやし(赦し)、平安がないのに(救いが完成していないのに)、『平安だ、平安だ(大丈夫、大丈夫、あなたは絶対に天国に行ける)。』と言っている。」という感じです。確かに神様は信じた人を見捨てることはないけれど、信じた“人間のほうが”神を捨てるなら、天国には行けないですよね。旧約では「“イスラエルが”わたし(主)を捨てて(偶像を拝んだ)」という言い方が何度も出てきています。
2012/10/16(火) 午前 6:56 [ エパタくん ]
エパタくん
その通りですね。僕たちは聖書をまず文字通りに取るべきですね。
そして人間のほうが神を捨てることは旧約聖書、また新約聖書で何度も書かれていることですね。
エパタくんとは意見が一致することが多いようですね。近い場所にお住まいなら直接お会いしたいものです。
2012/10/16(火) 午前 10:17 [ だいすけ ]
私もだいすけさんの「聖書信仰」に励まされています。(まだ目を通していない記事もたくさんあるので、引き続き勉強させていただきたいと思っています。)
私は住まいは神奈川県です。「モリエル」の集会が東京で開かれる時があるようなので、その時参加させていただきたいと思っています。
2012/10/19(金) 午前 1:36 [ エパタくん ]
はじめましてだいすけさん
アーノルド・フルクテンバウム博士とかハーベストタイムの
考えとはちょっと違いますよね
「救われたら滅びない」自分もこの立場です
ただ自由意志を否定してないです
動物のいけにえは罪を覆うものだったので罪を犯すたびに
何回も悔い改めしいけにえを捧げる必要があった。
イエス・キリストの十字架刑は神である(人でもある)業。神ゆえに欠点がない。
動物や単なる人は被造物で壊れるもので永遠ではない。神は
天地創造の前から永遠に存在している方だから、そのその神の業に応答した人は
永遠に滅びないっていう解釈だったと思う
救われても罪は犯す。しかし神との契約により滅びない。仮に罪を犯し続けると、試練のオンパレードになる。 でも、罪の告白をし祈り、選択に
気をつけ、聖霊に変えられてゆくことを待てば最終的に完成される
ことを学んだ気がします。
*参考
http://goo.gl/VeKI5
ローマ人への手紙(29)―聖化の力(聖霊)(3)
2012/12/6(木) 午後 11:08 [ - ]
amomosさん
はじめまして。
少々、お返事お待ちくださいね。
中川さんのメッセージも聞いてみます。
2012/12/8(土) 午後 7:45 [ だいすけ ]