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ロゴスミニストリーの明石さんのブログ(http://www.logos-ministries.org/blog/ を見て、ある本を買って読んでみたのですが、皆さんにお伝えすべきだと思ったので、これを書きます。 先日、iPS細胞の発見でノーベル医学・生理学賞を受賞された山中伸弥さんの対談が書かれた本(『「大発見」の思考法』文春新書)を買って読みました。 その中には次のようにあります。 『ところで、山中先生は特に宗教を意識されたことはありませんか。 山中 苦しい時の神頼みはよくします(笑)。研究に行き詰ると、「神様、助けて下さい」って。私、そういうのは節操がないんです(笑)。生物学をやっていると、それこそ、「これは神様にしかできない」と思うことがたくさんありますから。 益川 医学系の先生の中には、ここ二十年ぐらいの間にクリスチャンになっている方が、けっこう多い。子供の頃からクリスチャンというのではなく、五十歳前後になってから洗礼を受けられているんです。』p.183-184 『山中 益川先生がおっしゃるように、科学には神学的な説明がつけられることが多いですね。特に生物学は、歴史的に見て、キリスト教との葛藤という宿命がつきまとっています。 たとえば、アメリカでは今も人口の約半分が、「進化論」を信じていないといわれます。 益川 そういう話を聞くと日本人は、「進化論」を信じないなんて怖いな、と思うかもしれませんが、実は、「進化論」を信じるのも、ある意味では怖いことなんですよね。 山中 はい、なぜなら、「進化論」はまだ誰にも証明されていないからです。なぜか日本人は、人間はみんな猿から進化したと信じていますが、証明はされていない。 益川 ちなみに最近は、「進化論」と言うと怒られちゃう。今やれっきとした学問なのだから、「進化論」ではなく「進化学」と呼ぶべきだ、と。 それはさておき、「ヒトは猿から進化したのか、それとも神が作ったのか」と訊かれれば、日本人はなんとなく「猿から進化した」というほうを信じますが、それは何の根拠もないわけです。 山中 そのうち、ダーウィンの「進化論」は間違いだった、ということになるかもしれません。』p.186-187 ※山名氏、益川氏はどちらも文面を読む限りクリスチャンではありません 日々生命の複雑さと向き合っておられる科学者の方は、創造主の存在を意識しています。 そして科学者の中でクリスチャンになる人も増えています。 「まだ証明されていない進化論」と4500年前に書かれてずっと変わらない聖書の言葉を比べてみませんか。 科学は時と共に移り変わります。ですが神の言葉は変わりません。
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創造論
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NZ_RRさん
僕はダーウィンの進化論を信じているクリスチャンがいても驚きませんよ。それは非聖書的だとはっきりと言えますが。
なぜなら、神はアダムを造った後に「非常に良かった」と言われましたが、漸進的進化論が本当なら、人間が現れる以前に流血や暴力があったことになり、その状況がありながら神が「非常に良かった」と言ったとは考えられないからです。
アダム以前には罪や死はありませんでした。
宇宙に存在する観測可能な恒星などの件は、まだ勉強不足なので即答はできません。
2012/11/9(金) 午後 9:40 [ だいすけ ]
わたしが残念に思うのは、そのようなクリスチャンの姿勢なのです。
ガリレオ時代、聖ドミニコ会のカッチーニ神父は、『幾何学は悪魔の学問である』『数学者は異端だ』と言ったのです。現在では、幾何学も数学も、そのような捉え方はしていませんよね。わたしは、そのような間違いを犯して欲しくないと思っているだけなのです。
だから、進化論はあくまでも学術論文であって、推論の領域を出ていない部分が多いのです。聖書的な正悪で判断するものでもありません。
進化論を用いてキリスト教を弾劾した人たちに問題があると思っているからです。
そもそも、トマス・アクイナスが人間に自律性を与えた時点から、芸術も音楽も、哲学も神学も変わってきました。そこから現代の思考傾向を分析することが大切だと思います。
それから、自由選択という可能性も含めて、アダムに対して良しとしたわけなので、その後、結果的には罪と死が入ってきてから世界は変わり、流血や暴力が発生したと思っています。
2012/11/12(月) 午後 1:20
NZ_RRさん
NZ_RRさんは、そのご意見を聖書から引き出されましたでしょうか。
聖書の前提
●『初めに、神が天と地を創造した』創世記1:1
●『愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている』詩編14:1
●『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる』詩編19:1
とあり、神はいない、宇宙系また生態系が偶然に勝手に進化したとする「進化論」は聖書と正反対です。
また日本人の大半が進化論を信じている限り、それは聖書を信じる障害になっているのは確かで、学術論文の域を越え、人々の日常生活にまで作用しています。
進化論が本当ならば社会進化論まで適用していけるわけで、優れた人種を残すために600万人を虐殺したヒトラーが正当化されます。また生きる目的がDNAを残すためだけならば強姦も正当化されます。そして人々は今もこのような言い訳をして、罪を繰り返しています。
2012/11/12(月) 午後 9:20 [ だいすけ ]
聖書をまっすぐに信じるならば、進化論を可能性としても信じていて良いという考えは残念ながら出てきません。
終わりの時代の福音は神の創造が強調されています。『また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。」』黙示録14:6−7
また終わりの日に神の裁きを否定し、斉一論を信じる者が出てくることが聖書には書かれています。
『まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」』2ペテロ3:3−4
ヨブが神の偉大さを知ったのも、38章から神が創造の素晴らしさ、複雑さを示したからでした。ヨブ記38章からは進化論に真向から反対していないでしょうか?
2012/11/12(月) 午後 9:36 [ だいすけ ]
最後に、僕は救われる以前、進化論を真実だと信じていたために神がいないと考え、色々な不品行に陥りました。
そこから救ってくれたのは聖書の神、創造主である神です。
僕たちは動物(獣)ではなく、霊をもった人間です。
そして、偶然にできたのではなく神が目的を持って造られました。そして私たちの心に神の律法を書きこまれました。
どんな形の進化論(有神進化論さえ)でも否定することなしに、聖書をまっすぐに信じることはできません。それは創世記1章1節がはじめに神が天と地を創造したと言って始まっているからです。
2012/11/12(月) 午後 9:40 [ だいすけ ]
ポイントがずれてきたようなので整理します。まず、ブログ記事に書かれていることに反対はしません。クリスチャンであろうが、なかろうが、そういう視点はポピュラーになってきているからです。今回コメント欄に書かれていた若い地球説が気になったのでコメントしました。これでは、物理・化学・宇宙論・地質学・天文学・生物学といった科学分野を否定してしまうことになります。観測事実から実証されたものをです。ですから、基本的な質問をしました。1万光年先から届く光の説明はどうなのかなと…。科学の基礎知識(一般的な知識)である光の速度は、秒速30万キロです。若い地球説で説明すると、光の速度も矛盾ししていることになります。創造科学では、このような一般的で、素朴な質問に対して解答がないのは何故なのでしょう…。まだ証明されていない進化論と書かれているように、若い地球創造論も証明されていないということになります。
2012/11/14(水) 午前 4:48
そもそも、無神論が一般的になった原因をつくったのは、フランス王室と教会指導者の圧政的な権威に対する反抗でした。フランス革命は、偽善的で冷徹で厚かましい教会組織と王室に対しての革命だったのです。その後、無神論的視点をフロイトが増幅させ、さらにダーウィンの進化論に神はいないとう味付けを利用し、当時の宗教的世界観に対する無神論者の強力な対抗手段となったわけです。
また、ヒトラーの政策に賛同したのは、だいすけんさんが説明しているような社会進化論者だけではなく、当時支配的だったドイツのプロテスタント教会の指導者たちもナチスの政策を支持し、ユダヤ人虐殺を正当化たことは事実です。そして、キリスト教も同じように過ちを繰り返しています。だから、進化論だけが悪物ではないということです。一方的な視点で説明するのなら、目的論的証明と同じ傾向になります。これでは、ヘッケルの胚やミラーの実験と同じアプローチではないでしょうか。ですから、双方が相手の悪いところだけを並べた論法で議論しても、解決策は見えないでしょう。
2012/11/14(水) 午前 4:49
これから書くことは、だいすけさんの証を否定しているわけではありませんが、不品行に陥るというのは、アダム以降の人間本来の堕落した性質であって、クリスチャンでも、そうでない人でも、この世界を観ると存在しています。反対に、不品行でない人も、同じようにどちらの側にも存在しています。そのような視点から、キリスト教の特徴とは何なのかを説明していくことが大切だと思います。
宇宙の複雑さを知れば知るほど、宇宙物理定数を考えれば考えるほど、ビック・バンの特異性を考えれば考えるほど偶然とは思えなくなりました。天文学やゲノムの世界を観ても…。それから、聖書を読み始め創造主を考えるようになりました。
2012/11/14(水) 午前 4:49
箴言19:2 『熱心だけで知識のないのはよくない』…。だから、わたしは思想的背景を排除して、学術的調和を探しているのです。旧約聖書には、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」 (申命記 6:5)と書かれています。しかし、イエスは、「知性を尽くし、」という言葉を付け加えられています(マルコ 12:29)。最後にガリレオの言葉を記しておきます。『我々に感性や理性、知性を与えたもう神が、我々がそれらを放棄することを望まれるとは思えない』と…。以上で、終わりにしたいと思います。
2012/11/14(水) 午前 4:50
NZ_RRさん
まずこの議論はクリスチャンの交わりを分裂させる要素ではないことをはっきりしておきたいと思います。ですが、懸念が多くありますのでコメントをさせていただきます。
>物理・化学・宇宙論・地質学・天文学・生物学といった科学分野を否定してしまうことになります
僕はそれらの分野を全て否定はしていません。
ただ遠くの星が見えて、観測できている、また何万光年の距離と観測できるという事象が今の創造「科学」では僕の今知っている限り納得できる説明が出てきていないとだけのことです。
僕の言いたい点はふたつです。
●「進化論は証明されていない(なぜならすでに証明された理論のように多くの日本人が考えているからです)」
●「聖書の観点に立つならばあらゆる形態の進化論(個体の中での変化は除く)は否定されなければならない」
2012/11/14(水) 午前 10:45 [ だいすけ ]
NZ_RRさん
また基本的前提の違いが2つ認められたので、ここに記したいと思います。
●僕は進化論者とキリスト教を比べているのではありません
むしろ進化論と聖書の記述を比較しています。なのでどのクリスチャンが間違いを犯したと言われても、人はすべて堕落している存在なので聖書自体の記述が揺るぐことはありません。
またNZ_RRさんは、
>思想的背景を排除して、学術的調和を探している
と言われましたが、それで真理に到達するのでしょうか。
『知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』1コリント1:20−21
僕の意見では、聖書の記述すべてを信じるクリスチャンは、学術的調和を目指すことよりも、聖書全体の記述の聖書的調和を目指す者であるべきだと考えています。
以上です。有益な議論ありが
2012/11/14(水) 午前 10:57 [ だいすけ ]
だいすけさん、初めましていつもブログ楽しみに拝見してます。
ちょい気になったので、長文になりますがクリスチャンの一立場として、コメさせてください。
光速は特殊相対性理論上では不変ですが、一般相対性理論上では不変ではないようです。
私は科学者ではありませんからよくは分かりませんので、そのあたりの説明は割愛します。
私たちがよく耳にする○○光年は相対的な距離を測る意味では正しいのかもしれません。
地球をピンポン玉に例えると太陽は4mくらいのボールだというように、
○○光年といったときに計り知れないその距離をイメージするのに有益かもしれません。
しかし、光そのものが○○年間という時間をかけて旅をしてきたどうかについては、速度が不変ではない以上、私たちには正確な値を知ることができません。
未来に何か発見、科学の発展があればできるようになるかもしれません。
光をも吸い込むブラックホールがあるそうですが、ブラックホールに吸い込まれる光の速度はどうなんでしょうか。
人間にはまだまだ分からないことが多くあります。
2012/11/18(日) 午前 2:01 [ じゃする ]
あとゲノム解析というキーワードも目に入ったので、ついでに…
ミトコンドリアイブという言葉があります。
「すべての人類は母方の家系をたどると、一人の女性にたどり着く」
というものを証明したものです。
まあ、だからと言っても、その時に他の女性も存在していた可能性は否めないんですが、
神を信じている私からすると、やっぱ聖書ってすげーって思ってしまいます。
ちなみに、神話と呼ばれる書物の中で聖書ぐらいです。地球が宇宙空間に存在することを書いてあるのは。(ヨブ記26章7節)
その当時のエジプト人は地球が一頭の象の背に乗っており、その象は一匹の亀の上に、その亀はコブラの上に乗っていると考えていたような時代の話です。
当時、どこの誰が地球は宇宙空間に浮かんでるような姿を見ることができたのでしょうか。
たまたま書いてあったのが、たまたま整合しただけでしょうか?
ガリレオは当時の聖職者から迫害を受けたかもしれませんが、
結果的には、聖書には神にしか書けないようなことが書かれていたことを、私たちは知ることができたのです。
2012/11/18(日) 午前 2:03 [ じゃする ]
これまで私たちが科学を追及して新たな発見をしてもなお、
完全に否定されたことのないのが聖書です。
むしろ、聖書の言葉をくださったのが、神でなければ説明できないようなことがらが、
科学の発展と同時に改めて知らされることも多いのです。
もし、進化論が完全に証明されれば初めて、聖書が否定できるかもしれません。
しかし、このブログの題の通り、まだ誰にも証明はされていません。
そして、私は神を信じているので、これからどれだけ年月をかけても、
お金をかけても進化論は証明はできないだろうと信じています。
また進化論を証明しようとすることが無駄だとは思いません。
進化論が証明できないことで、
神はやっぱりいるんだと回心する人もいるかもしれません。
キリストを否定しようとキリストを調べるうちに回心したという
クリスチャンは多くいます。
また科学を追及しても神を信じていれば聖書に裏切られることはなく、
なお励まされる学者が多いのです。
2012/11/18(日) 午前 2:05 [ じゃする ]
聖書は書き変えられたから、と言う人もいます。
でもまだ成就してない預言の中に
例えば、世の終わりには二人の預言者が預言をし殺されるということが書かれています。
そしてその死体を三日半の間、いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が見るだろうというのです。
さて、聖書が書かれた当時、まだ車も飛行機もない時代において、まるで不可能なことを予言したわけですが、それが現代では可能になっています。
新聞、テレビがあり、インターネットを使えば生でその模様を世界中の人が見ることができるのです。
こんな予言、聖書を信じない人にとってはばかげた話かもしれません。
しかし、科学が人を盲目にしているのではなく、その盲目は不信仰のゆえです。
神はその壮大な計画の中に、私たちが発見して発展させた科学の力も、すでに、私たちがそれらを一つ一つを発見する以前から組み込んでいるのです。
だからこの記事で取り扱ったように、
極めて優れているとされる現代の科学者が
『「これは神様にしかできない」と思うことがたくさんありますから』
と語ってしまうのだろうと思います。
長文すみませんでした。
2012/11/18(日) 午前 2:20 [ じゃする ]
さて、一方的なアプローチでの考察しかしていないようなので、他方からのアプローチ、ドイツのプロテスタント教会もユダヤの虐殺を正当化したという歴史的事実と、現在の豊富な観測・検証された結果から、若い地球論に対する疑問を紹介しただけです。公正に判断することができるように情報を提供しました。そこに、何の思想も思惑もないことが分かりませんか…?さて、双方が一方的なアプローチで議論することは何十世紀も続いているもので、接点を見出せないまま過ぎてしまっているだけです。過去の歴史から学ぶことができないのは、どちら側も同じです。
科学は自然界の神秘を解き明かす力を持っていますが、科学は神に関する質問を説くためには役立ちません。神が存在するのなら自然界の外側に位置するので、科学は神について学ぶ方法ではないことが分かります。神の存在の証拠は、別の方法で理解することが必要だということです。
2012/11/19(月) 午前 10:08
聖アウグスティヌスは、紀元400年頃の人で、懐疑論者から神学者になった人です。彼は、非常に分析的な論考で、繰り返し時間の意味を考察し、神は時間の外部にいて、時間に拘束されない存在であると結論付けました。第二ペテロ3:8にもありましたね。神の時間を意味している言葉です。1,600年以上も前に出ていた聖アウグスティヌスの結論は、「創世記に書かれている事柄を、わたしなりにさまざまな方法で分析し、解釈してみた。そして、我々の思考を刺激するために曖昧に書かれた言葉については、これこそ正しい読み方であると性急に決めつけることは避けた。他により適切な解釈がある可能性もあるからである」と・・・。
現代でも、このアウグスティヌスの言葉を、心に留めておく必要はあると思います。現在でも結論を出すことができないのだから…。創造科学の中には、科学的仮説と説明しているものでも、空想科学小説というレベルに近い概念もあります。推論は推論として説明すべきなのではないでしょうか。科学の定義づけ、あるいは科学的証明という定義づけを学ぶ必要があるのではと思いました。
2012/11/19(月) 午前 10:09
次に別の方法として何があるか説明します。科学的証明ではないことは確かです。特に新約聖書に書かれている記録とイエスの存在を検証して行くことが大切だと思います。それが検証されれば、そこから旧約聖書の記録の真実性も引き出すことができるからです。わたしは、科学的証明よりは、法的=歴史的証明によって、聖書が本物であることを検証することのほうが、遥かに価値があり、説得力のある方法だと思っています。歴史的証明をするための豊富な資料・文献が残っているのだから、そこから説明するほうが、創造科学を使うよりも説得力があることは確かです。
また、前回も書きましたが、トマス・アクイナスが与えてしまった人間の自律性が、芸術世界やメディアに影響を与えてきた歴史を学ぶことをお勧めします。知性が堕落していく過程を、トマス・アクイナスから現代までを続けて学ぶことができれば、どのように、無神論や不可知論が出てきたのかという背景と、現代の思考形体が理解できます。
2012/11/19(月) 午前 10:09
バランスよく事象・事柄を検証することが大切だと思ったので、他方からのアプローチという形式で書いてみました。どうやら、聖書を信じているクリスチャンは、学術的調和を研究してはいけないようですね…。
2012/11/19(月) 午前 10:10
感謝します!聖書は論ではありません!
父なる創造の神からの啓示録ですねー。
永遠から永遠まで父なる神の家政(エコノミー)が実行中です!
水の惑星は創造神の傑作です!
更に神の、姿-形を表現する人人々は最高傑作です!
宇宙-人間程の精密・秩序を持っている有機存在 はありません!
主イエスは罪許す十字架、死後3日目の復活に因って神の命を与える霊に成られました。
マタイ5:3(ギリシャ語-霊の貧しい者は幸守-幸福 -である )1コリント15:22,45;ハレルヤ万軍の主!ハレルヤDicovry@notihodo@by Bereya
2012/12/5(水) 午後 10:58 [ ベレヤ ]