2011/2/15(火) 午後 6:24
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コメントいただきました、ブラザレンの諸断章の川向と申します。 確かに、中間時代のユダヤ人に向けてイエスが語っている、パウロにせよ、ペテロにせよ、他の使徒時代の人々も、ユダヤ人会堂の中にいた旧約聖書や外典を含む諸文書を通して、神と語ろうとしている人々に語っているため、その重要性はあると思います。これまで中間時代のユダヤ人の聖書観というのは、その直後ユダヤ戦争があり、かなり無視されている側面があります。ヨセフスなどのユダヤ古代史(日本語訳)やユダヤ教会などの行事やラビとの対話等もある程度参考になるかなぁ、と思いました。あまり、それが重要な視点を与えるからと言って、それに振り回されるのは、やめようと思いましたけれども。クリスチャンシオニズムについても、一定の距離を置きたいと思っておりますので。
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こちらのブログにお越しくださってありがとうございます。
ブラザレンの方ならよくご存じだと思いますが、聖書の中で多くの象徴があり、その象徴を用いて神が教えようとしていることはたくさんあります。僕が信者になって疑問を感じたのが、その象徴の読み解き方は何に基礎を置くのかということです。
象徴を無視すると小預言書やエゼキエル、黙示録、また律法などがまるで新約のクリスチャンに無意味に思えます。
一方、自分勝手な象徴解釈は、明白な教理から逸れ、あらゆる危険な教えを生んでしまいます。
それゆえ、しっかりとした解釈の基準が必要だと思いました。そうしているうちに「モリエル」という奉仕に出会いました。
http://www.moriel.org/Teaching/Online/Midrash/midrash_jap.pdf
イエスが旧約聖書の解釈法が確立したあの時代に生まれた理由はあると僕は考えます。イエスが当時のラビたちの手法で、聖書を解釈し、メシア預言を自分に当てはめていたことは多くの学者が意見を同じくするところです。
2011/2/15(火) 午後 7:42 [ だいすけ ]