2011/11/29(火) 午後 6:56
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すいませんすいません。 わたしの発言で、だいすけさんが気にしているかなーとか思っていたんですよ。 たまたま近隣の教会の神父の暴力事件があったものですから「どうなっているのよおい」って 感じで見に行こうかなと書いた程度です。 カトリックや正教会の信徒との接触は年に何回か機会はあるんですけどね。 自分の礼拝さぼって行くわけにもいきませんから。 ところでいまギデオン協会に誘われています。 まだ入会はしてませんが、誘っている方にはこう言っています。 「もし活動させてくれるなら、カトリック教会へも聖書置かせてもらいましょう」 ギデオンはプロテスタント内での活動らしいのだ。 カトリック側は断っているそうだが、「新共同訳聖書」置くだけならいいでしょうと。 ギデオンがだめなら、個人の立場で置かせてもらう。 キリスト教会と思ってカトリックの門を先に入る人も多いと思う。 意気込みはあります。 そんなやりとりをしています。 わたしの知人で、エホバの証人からプロテスタントそのあとカトリックになったひとが
3人います。 彼らの思いはどうなのかいろいろ聞いたこともあります。 |





ブログ記事も見ました。
わたしが教会へ行こうとしてカトリックを選ばなかった理由とほぼ同じです。
ただ、なぜカトリックがああいうことをするのか、それを聞いたり調べたりはしています。
(メッセージできませんでしたのでこちらに書きました)
2011/11/29(火) 午後 6:57
そういう理由だったのですね。まーくんさん。
僕は、カトリック教徒の人たちと決別するべきとは思っていないので、誤解しないでくださいね。
でも彼らの教えが聖書と違うという点は強調しなければならないと思っています。特に枝葉末端の問題ではなく、彼らの場合は根本的な救いの部分が違うからです。
元エホバの証人さんたちはいつも「終末」「バビロン」という言葉を何度も現役の時に聞いてきたので、そういうことばを教会で聞きたくない気持ちも分かります。しかしエホバの証人からカトリックに行ってしまうことは、異端から異端へと行ってしまうことですよ。
前の記事で書いたことと併せてペテロもバビロンという言葉を用いてローマを記しています(1ペテロ5:13)。彼がバビロンに行ったという記録は残っていなくても、ローマは新約に何度も登場し、そこで彼自身亡くなったという記録もあります。
なので、エホバの証人がカトリックを「バビロン」と呼ぶことは僕も同意できます。なので聖書における真理と聖書とは違う教えを区別することが大事ではないでしょうか。
2011/11/29(火) 午後 8:42 [ だいすけ ]