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エホバの証人へ三位一体を証明する!
エホバの証人
[ 優人 ]
2018/2/14(水) 午後 4:37
もう返事なしでも大丈夫でしたが、わざわざありがとうございます。過去記事へのコメントですのに、すみません。他の記事も幾つか読ませていただきました。
使徒16:29は違う単語だったんですね、勉強不足でした。プロスキュネオーやヒシュタハワーについては、わたしはギリシャ語やヘブライ語に通じているわけではないので辞書などで学ぶしかないのですが、このブログも読み、エホバの証人の出版物も読みました。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/102000250?q=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%BC&p=par
(リンク貼ってよかったでしょうか。。。)どちらにも取れる語なので、結局文脈を考慮に入れて理解する必要がありますが、三位一体を信じる人からするとイエスは神だから崇拝と取るのがいい、信じない人からすると敬うと取るほうがいい、ということになると思いました。ただ、わたしとしてはエホバの証人の理解が理に適っていると感じました。
エホバの証人へ三位一体を証明する!
エホバの証人
[ だいすけ ]
2018/2/14(水) 午後 1:41
ですが、御子イエス・キリストを遣わしてくださり、十字架で死ぬことにより、僕たちに模範を示され、私たちに希望を与えてくださるためによみがえってくださいました。十字架は二つの木が交差しているように十字架上で神の正義と神の憐れみが完全に成就されたのですよ。
優人さん、丁寧に返信してくださり、こちらこそありがとうございます。もし誠実に聖書、それもヘブライ語(一部がアラム語)の旧約聖書、ギリシャ語の新約聖書を信じておられるのなら、新世界訳と他の日本語訳を比べてみてください。求める者は神を見出すことができると言われています。三位一体を信じているからサタンに惑わされているとお考えなら別ですが、少しでも信じてもらえるのであればお試しください。では。
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エホバの証人
[ だいすけ ]
2018/2/14(水) 午後 1:41
(優人さん、原語をお調べになったほうが良いですよ。そうすると新世界訳の誤訳がたくさんあることに気付くはずです。http://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Kekkan/index.html)
>み子がミカエルと同一人物だとしたら、天使長ですから
ミカエルについて書かれていることをご存じですか。
「主だった君のひとりミカエル」ダニエル10:13
この箇所が示しているのはミカエルと他に主だった君(天使)がいるということです。これがイエスについても当てはまりますか?
イエスは「わたしは道であり、真理であり、命えす。わたしを通してでなければ、だれひとり父のもとに来ることはありません」(ヨハネ10:14)というほど唯一の者であることを示しています。
>み父に謙遜さが欠けることになってしまうと思います
み父は創造主で、裁き主であるため、本来ならご自分の思うままに何でもなされても、僕たち造られた者たちは何も言うことはできません。
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エホバの証人
[ だいすけ ]
2018/2/14(水) 午後 1:33
優人さん
上記の僕の聖書箇所で訂正がありました。
ヨハネ20:18と言ったのは、20:28の間違いでした。
>父と子は別人格で別個の存在
こうおっしゃられるのはヨハネ10:30「わたしと父とは一つです」、また同書14:7「あなた方がわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう」、また14:9「わたしを見た者は、父を(も)見たのです」というみ言葉と矛盾します。
>信仰の対象になった根拠とされる聖句は、敬うことと崇拝することの違いを考慮に入れる必要があると思います(使徒16:29でパウロとシラスにひれ伏した牢番など)
こう言われた箇所で「ひれ伏した」と訳されているギリシア語はπροσπίπτω(prospipto)で通常の礼拝すると訳されるプロスキュネオーとは違い、別の箇所、マタイ7:25では「打ちつける」とも訳されている箇所でおっしゃられた論拠にはなりません。
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エホバの証人
[ 優人 ]
2018/2/10(土) 午後 11:15
でも一応、わたしが疑問に感じていたことは分かってきまして、ありがとうございます。聖書をそのまま読むと、み父とみ子の間には明らかな上下関係があると分かるのに、三位一体を信じている人はそこをどう消化しているのかな、と理解できなかったんですが。イエスご自身が、本来は同等なのにあえてへりくだっておられるとお考えだったんでしょうか。でも「キリストの頭は神です」というセリフはイエスご自身のものではないので、み父サイドからすると、いやいやイエスが謙遜しているだけで本当はわたしたち同等なんだよ、ということを暗示する聖句がないと、み父に謙遜さが欠けることになってしまうと思います。
長く書いてしまいましたが、丁寧にご説明いただき、ありがとうございました。わたしの結論は、神は三位一体ではないとするエホバの証人側の理解のほうが、道理にかなっていると思いました。三位一体が理解しにくいからではなく、聖書をそのまま受け入れた結果です。急にブログにおじゃました者に丁寧な対応をしていただき、ありがとうございました。
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エホバの証人
[ 優人 ]
2018/2/10(土) 午後 11:05
続き
フィリピ2:6−8(9節も関係すると思いますが)に関しては、本来は父と子は同等なのに子がへりくだって地上に来て、自らご自身を低い地位にされた、そして復活後元の地位に戻されたという意味だと言うことでしょうか。でもそもそも、一方が他方にそういう名を与えるとか賜るというのは、与える側のほうが偉いからできるのではないでしょうか。コリント第一3:23-4:1でも、クリスチャンがキリストに従属し、キリストは神に従属しているという考えが示されていて、上下関係があると読めます。
そして同等である父と子が仕え合うと言われていますが、父が子に仕えるとか、父が子に服したというような考えは、聖書に出てこないと思います。子に父と同等の権威や力があるなら、人でいる時も父に祈る必要はなかったとも思います。
み子がミカエルと同一人物だとしたら、天使長ですからヘブライ1章にあるように他のみ使いより上の地位にあるとされているとしてもおかしくありません。
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エホバの証人
[ 優人 ]
2018/2/10(土) 午後 11:01
再びの返信ありがとうございます。
「聖書を信じる者は聖書を自分の考えに合わせて変えるのではなく、語っているままを取るべきです」おっしゃる通りだと思います。そうすると、父と子は別人格で別個の存在で、上下関係があるとしか思えないんですが。実際、西暦4世紀ごろまで三位一体の教理もなかったわけで、それまでの神の僕たちは聖書をそのまま読んでもそんな発想なかったということですし。
ヨハネ20:18はイエスを主と呼んだだけで、20:17も一緒に読むと「イエスの神」と表現されているので、やはり別個の方と取れます。啓示22:13はまた理解が違いそうなので割愛させてもらいます。コロサイ1:16は代理または実務者として創造されたという考えにも取れます。信仰の対象になった根拠とされる聖句は、敬うことと崇拝することの違いを考慮に入れる必要があると思います(使徒16:29でパウロとシラスにひれ伏した牢番など)。
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エホバの証人
[ だいすけ ]
2018/2/10(土) 午後 4:39
優人さんへ 上記の続き
その上で、もちろん優人さんの言われたように聖書はイエスよりも御父のほうが偉大であるや、キリストの頭は神と書き、もちろん人として父なる神に祈りました。
その理由は次の聖書箇所にあります。
『彼は神の形で存在していましたが、強いて取ること、つまり、自分が神と同等であるようにということなどは考えませんでした。いえ、むしろ、自分を無にして奴隷の形を取り、人のような様になりました。それだけでなく、人の姿でいた時、彼は自分を低くして、死、それも苦しみの杭の上での死に至るまで従順になりました。』フィリピ2:6−8
キリストはご自分を低くして御父に仕え、御霊はキリストの栄光を表わします(ヨハネ16:14)。その仕え合うことはご自分からなされたことです。僕たちもそうすべきです。
先ほどのフィリピの箇所の「人のような様になりました」とは人として存在する前は何だったのですか。御使いミカエルだと言われるのであればヘブライ1章がそれを否定しています。
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エホバの証人
[ だいすけ ]
2018/2/10(土) 午後 4:02
優人さん
まず三位一体について前提とする考えから違っているような感があるので、そこからお話させてください。
エホバの証人のみなさんは、「三位一体が理解しにくい」ために退けていますが、聖書を信じる者は聖書を自分の考えに合わせて変えるのではなく、語っているままを取るべきです。
優人さんは
>イエスを神としないほうがしっくりくる気がします
と言われますが、神はただ創造主なる神がいるだけで、「ある意味で神」という存在はいるはずがなく、創造主か被造物がこの世にはあるのみです。その前提の上で聖書はイエスを神(ヨハネ20:18)と呼び、アルファでありオメガである方であり(啓示22:13)、み使いより優れた方であり(ヘブライ1:13)、すべてのものを創造された方(コロサイ1:16)、信仰の対象(使徒20:21、26:18、ローマ3:22、ガラテア2:16、エフェソス1:15、フィリピ3:9、コロサイ1:4、2:5、テモテ第一3:13)として書いています。
エホバの証人へ三位一体を証明する!
エホバの証人
[ 優人 ]
2018/2/8(木) 午後 2:44
それでもあえてイエスを神とするなら、ある意味で神、でも父なる神と同一人格でもなければ、同位でもないということじゃないでしょうか。ヨハネ14:28「父はわたしより偉大な方」、コリント第一11:3「キリストの頭は神」などとあります。ルカ22:42では「わたしの意志ではなく、あなたのご意志がなされますように」ともあります。
仮にお二人とも神だとしても、お二人は別人格ですし、位も同一ではないですよね。なので少なくとも「三位一体」という単語は、合わないと思うんですが。カトリックの教えるそのままの三位一体は、わたしは理論としておかしいと考えます(カトリックの人からは、わけ分からなくても信じろと言われたことしかないです)。だいすけさんも三位一体という言葉は使われますが、スタンダードな三位一体を信じているわけではないですか?
長くなってすみません、いろいろ話題がとんでも分かりにくくなるので、他のコメントに関してはわたしもまた後日でも返信させてもらえると幸いです。「子イエスもある意味で神、でも父なる神と同位ではない」という部分だけでもいいので、意見を聞かせてもらえますか?



