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明けまして、おめでとうございます。
昨年、お世話になりありがとうございました。今年もよろしくお願いします。
さて、今日はモリエル日本の翻訳方針について書いていこうと思います。
はじめに、モリエル日本の説教が読みにくいと思われた方、すみません。
僕、だいすけが訳していますので、読みにくければ僕の責任です。
翻訳方針 : 人物名や著作名は原語の英語で残す
いつも読んでもらっているとお気づきになるかと思うのですが、ジェイコブ・プラッシュ(Jacob Prasch)というようにカッコ書きで英語を残しています。
その理由なのですが、まず英語と日本語ではネット上や文献にある情報量が圧倒的に違います。ネット上で7割くらいの情報が英語だとどこかで聞いたことがありますが、たとえばウィキペディアで何かを検索して、日本語の情報を見てから、英語の情報を見ると、おかしなほど情報量が違います。もちろん英語のほうがはるかに多いです。
特に聖書の情報は英語のほうが圧倒的に日本語より多いので、英語表記を人物名と著作名に残しています。
そのままコピーして、検索するとモリエルの説教が正しいことを言っているか確認できるためです。
また日本語・カタカナの性質として、表記のゆれがあります。
それは上に書いたジェイコブ・プラッシュでも、ある人はプラスカと言うことがあります。
なので、「プラッシュ」というカタカナ表記を知らず、「プラスカ、プラスカ」と検索していても何も出てこないのです。そのために英語表記を残しています。それはアウグスティヌスでもある人はオーガスチンといい、ヒレルでもヒルレルといい、アッシジのフランシスコでもフランチェスコといいます。
どれが正しいカタカナ表記かという議論はしてもしょうがない話なので、英語で残しています。
それゆえ、英語で残しているものを活用して、ご自身で勉強してみてください。
それと、もうひとつ付け足しますが、英語表記を残している利点として、数少ないとは思いますが、英語で「Jacob Prasch」と検索している日本人が、説教に出会えるということがあります。キリスト教や世界史を学んでいると、日本語の情報が無いような人物に行きあたることがあります。その時に、「カタカナ表記は知らないけど、英語表記は知っているんだけどな」という人のためにもなるかなと頭の片隅で考えています。
チェック&校正作業
チェックについてですが、僕が一旦翻訳したものをオーストラリア人のジェフに英語原文とチェックしてもらい、最近はそれからモリエルの支持者の方々に日本語校正してもらっています(本当に助かっています、ありがとうございます)。
モリエル説教翻訳を始めた経緯
僕が初めて、モリエル説教の翻訳に取り掛かったのは「ミドラッシュ 園の中のイエス」からでした。
翻訳を始めた当時は、全然人に見せようという気も無く、ただ自分自身がその説教から学べるので訳していました。なので、「読んで学べるように」というスタイルが今も残っていればと思います。
適用と限界
ジェイコブはもちろん、多くの場合西洋の人たちのところに招かれてメッセージをしています。
そのため西洋の人たちに分かりやすい適用をしています。
そこで問題になるのが、僕たち東洋の者たちには分かりにくい適用が出てくるということです。
それがひとつ、翻訳説教が抱えている限界だと思います。
みなさんには、その限界を知ってもらった上で、同じ原則をこの現代の日本の日常生活にも適用していってもらえたらなと考えています。
ここで、適用という話になったので付け足しておきますが、僕たち日本人は海外からの輸入品に頼っているように、キリスト教に関しても大いに輸入品に頼っています。それは悪い例も、良い例もあると思います。
悪い例は繁栄の福音、信仰のことば(告白すればすべて実現する)、ポジティブシンキングなどです。
そして、日本で有名とされている説教者が何を頼りにしているというと、ケネス・コープランドやヘーゲン、E・W・ケニヨンなど欧米の(根本的な偽りを教える)説教者たちのティーチングスタイルです。
なので、英語圏で流行っていることは数年遅れて日本に入って来るように、英語圏での常識、適用、情報を頭の中に入れておくことは無駄ではありません。(この頃知った日本のある教会はヒルソングをロールモデルにしていました)
そして、「何か間違っている」という時に、その元をたどっていけばたやすくその本来の姿が暴露されます。
翻訳者の責任
逆に、良い教えも海外から入っています。そのために情報量を増やそうと日本の翻訳者さんたちは頑張っています。その一例として挙げたいのが『祈りによる力』E・M・バウンズ著、羽鳥順二訳です。もしこれが日本語に訳されていなかったら手に取るきっかけにもなっていかなったし、日本語が本当に読みやすく、自分に語りかけるような気に読者はさせられます。また内容も祈りについて、素晴らしい本です。このような翻訳者になりたいな、と日々思っています。
一方、「こんな本、日本語に訳して出版しなかったら良いのに」と思う本がキリスト教書店に多く並んでいます。間違った教えを流行らせている原因のひとつは、悪い本を訳す翻訳者にもあります。この種の翻訳者は悔い改めるべきです。全米で「何々セラー」になっていて、「売れる」という算段がついているから訳すのでしょうが、そのような売上優先で真理を曲げて良いのでしょうか?人生を導く目的や、ヤベツの祈りや、神の小屋など、欧米で大ヒットしてから日本語に訳されましたが、ただムーブメントに乗っかるだけで、真理を気にしているのでしょうか。聖書が読まれずに、その本を中心にして「〜読書会」というものが出来て、クリスチャンは一体何をしているのでしょう。
まとめ
最後のほうは少し語気を強めて書いていきましたが、このようなものが僕の翻訳に関する考えです。
翻訳のことを語りましたが、まだまだ素人で、至らないところもあるかと思いますが、これからもどうぞよろしくお願いします。また皆さんと顔を合わせて、直にお会いできることを楽しみにしています。
P.S. もうすぐで皆さんの手もとにモリエル日本のニュースレターが届きますので、楽しみにしていてください。
ニュースレターを希望の方は、以下のメールアドレスまでご連絡ください。
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モリエル日本のHPに仏教に関する記事が掲載されたので、お知らせします。
『日本の仏教 極東における大乗仏教』 スコット・ノーブル著
キリスト教に触れている方々は西洋的な価値観に慣れている方が多いと思います。
そして、僕たちの教会のように海外から来た宣教師によって、始められた教会は、
西洋を通ってきた「真理」を、日本に適用できる「真理」に変える努力が必要です。
そうではなければ、真理を伝えているつもりでも、伝えられている人は
「ああ、外国の宗教なのか」
「アメリカ人みたいにならなければならないのか」
と思ってしまいます。ですが聖書の強調点はそこではありません。
僕たちのすべきことは、パウロのしたようにその人の属している文化に応じて、福音の提示の仕方を変えることです。そうすることによって、その聞いている人の理解も自ずと深くなっていくのではないでしょうか。
と言う僕たちも、日本への真理の適用という点では、いつも悩みながら解決策を模索しています。
その点で、仏教という日本に広く浸透しているテーマから、聖書を紹介している記事は非常に貴重です。
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クリスマスシーズン到来のため、記事を再掲します。
『クリスマスがやって来る』 ジェイコブ・プラッシュ著
毎年、再掲していますが、読んだことが無い人もいるかと思いますので読んでみてください。
クリスマスはただの過去の出来事ではなく、未来に起こることをも教えています。
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イスラエルでは11月28日から12月5日まで「ハヌカの祭り」が行われています。
ハヌカの祭りについて、学びたい方は翻訳説教がありますので、お読みください。
『ハヌカの祭り』 ジェイコブ・プラッシュ著
モリエル日本
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バチカンが聖ペテロの骨を公開
【ニュース】
<バチカン>初代ローマ法王の遺骨箱初公開
バチカンが使徒ペテロの骨(と思われるもの)を公開したというニュースが出ました。
発見は70年前の1940年代だそうです。
このニュースはプロテスタント、福音派、聖書に固くつくクリスチャンにとってはそれほど大きくないニュースですが、カトリック信者の方々にとっては大きなニュースでしょう。
なぜなら、ペテロ(ペトロ)をはじめ、多くの聖人と呼ばれる死んだ人たちを崇敬(うやまって)いるからです。
【モーセの遺体】
モーセが亡くなったときに関して、聖書はこう語っています。
「こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。」申命記34:5−6
モーセ、また主はモーセが死後に崇められることを知っていて、このようにモーセの体がどこに葬られたか分からないようにされたのでしょう。
後に新約聖書で、悪魔と天使ミカエルがモーセの体について論じ合ったとあります。
「御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、「主があなたを戒めてくださるように」と言いました」ユダ9節
モーセの体(死体)については、聖書中ではこれ以上記述がないので、何を論じ、言い争ったか分かりません。
ですが、悪魔がモーセの死体を悪く使おうとしたのではないかと推測はできます。
【良いものでも崇拝され得る】
民数記ではモーセが蛇にかまれた人たちのために、青銅の蛇を作ったとあります(民数記21章)。
そして、それを仰ぎ見た人はかまれた傷がいやされたとあります。
ですが、その良いものでも後に崇拝されてしまいました。
「彼(ヒゼキヤ)は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた」2列王記18:4
イスラエル人たちは、その青銅の蛇に対し何をしていたとありますか?
香をたいていました
上の動画を見ると、ペテロの骨が納められた箱の前でローマ教皇は何をしてますか?
同じように香をたいています
モーセも神さまに用いられた人物で、青銅の蛇も本来悪いものではありませんでした。
そして、ペテロ自身も神さまに用いられました。
ですが、それらが崇敬と呼ばれていても、死んだ人物が霊的な力を持つものとして崇められるとき、それは偶像になってしまいます。
【聖書を信じるクリスチャンとしての対応】
まず最初に、ペテロは最初の教皇ではありません。
初代教会時代に、ローマの、または特定の地方の監督や主教が優位な立場を持つということはありませんでした。
第一世紀のエルサレム会議(使徒15章)で最後に結びの言葉を語ったのは、ペテロではなくヤコブでした(使徒15:13)。ペテロが最初の教皇であれば、なぜ裁定を下したのがヤコブなのでしょう。
またガラテヤの手紙2章では、パウロが面と向かってケパ(ペテロ)を非難したとあります(ガラテヤ2:11)。なぜペテロが最初の教皇ならそのようなことが起きたのでしょう。
またカトリックの聖職者の間では(西洋典礼の中では)結婚が禁じられていますが、ペテロにはしゅうとめがいて(マタイ8:14)、しゅとめがいるということは嫁の母がいたということです(=妻がいました)。またキリストの十字架後であってもパウロは「私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか」と言っています(1コリント9:5)。ということはケパ(ペテロ)が妻を連れて歩いていたということです。
またエウセビオスの『教会史』の中でも「教皇権の継承」は語られておらず、使徒の教え、権威がどう時代を下っていったかが強調されています。
またサン・ピエトロ大聖堂の座から語る時、教皇は信仰と倫理面において間違いを犯しえないと宣言されたのは、比較的現代で1870年です(教皇の不可謬説)。
また教皇権について次の箇所が多用されますが、
「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロ(Πέτρος )です。わたしはこの岩(πέτρα)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」マタイ16:18
カトリック教会はペテロの上に教会が建てられたとありますが、原語を見るとそうではありません。
ペテロは「Πέτρος:ペトロス=小石 」という言葉であって、この箇所にある岩という言葉は大きな崖を意味する「πέτρα:ペトラ」です。したがって、ペテロの上に教会が建てられたと言うことはできません。原語が違うのですから。
加えていうと、歴代の教皇44人もこれがペテロではなく、ペテロによる信仰告白を指していたと信じていました(White., The Roman Catholic Controversy p.120)。
それゆえ、ペテロは最初の教皇ではありません。
またペテロの骨が真正であったとしても、クリスチャンにとっては考古学的に意味のある発見であって、霊的に意味のある発見ではありません。
なぜなら、私たちの強調するところは、この土に戻る体ではなく、新しく受ける体だからです。
【結論】
この世的なクリスチャンはこのニュースを見て喜ぶでしょう。
ですが、聖書を知っているクリスチャンはこのようなことが反キリストによって利用されることを知っています。
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