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聖書ってはじめて読むと難しいですよね。
それは誰もが感じることだと思います。
聖書の中に出てくる人もそう感じました。
『ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)
そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。
彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。
そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。
すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。 』使徒8:26−31
この宦官(去勢された召使)は旧約聖書のイザヤ書を読んでいたのですが、導く人がなければわからないと言ったのです。
まさに私が聖書を始めて読もうとしたときと同じでした。
私には幸いにも導いてくれる人がいたのですが、その人に教えてもらわなければ多くのことを誤解していました。
あなたも「聖書を読んでみたい!でも何か難しそう」と思われているならコメントにでも書き込んでいただければ、説明できるところは喜んでしたいと思います。
さて、この宦官は次のような箇所を読んでいました。
『彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。
彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」 』使徒8:32−33
この箇所を読んで宦官は次のように疑問を持ちました。
『宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」』
あなたはだれのことを話していると思われますか?
これはまさにイエス・キリストのことです。
彼は偽りの訴えによって、裁判にかけられたときも『ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開』きませんでした。
なぜ口を開かなかったのでしょうか?
彼は何か悪いことをして捕まったからでしょうか?
いいえそんなことはありません。
ねたみに燃えた宗教指導者たちによって、不正に罪を被せられたのです。
それはイエスが多くの奇跡を行い、多くの人を宗教指導者たちの偽りに気付かせていたからです。
それに多くの人が彼を預言者(神から言葉を預かる者)であり、キリスト(旧約聖書で予告された救い主)だと認めていました。
彼は神のひとり子でありながら、そのような偽りの訴えに耐えられたのです。
それは何のためにでしょうか?
それは彼自身が十字架という刑にかかり、その血を流し、死ぬためでした。
彼は、この世の罪を赦しに来たのです。
私たちの多くの極悪な罪の裁きをご自身が受けたのです。
本来なら、私がしたわるい事の裁き、報いは私が受けるべきです。
私の罪は私が死ぬことによってしか赦されません。
しかし、彼がその罪を負うことによって、私たちを赦したのです。
彼は十字架にかかり、死にました。
そのことを信じることによって、あなたは死後待っている裁きを免れることができるのです。
イエス・キリストの十字架の死はあなたにとってプレゼントです。
受け取るか、受け取らないかはあなたの選択です。
しかし、私はこれを読んでいただいた人みんなに受け取ってほしいのです。
イエスがあなたの罪のために、十字架の死をも耐え忍んだことを。
最後になりますが、彼は死んだままではありません。
三日目に復活しました。
「それは科学的にありえない!」といわれるかもしれません。
しかし、それは奇跡ですから科学という枠を超えています。
奇跡は起こったか、起こらなかったかでしか判断することはできません。
しかし、この十字架の死と復活を受け入れたものが当時のローマ帝国を変えたのです。
歴史、世界史を変えました。
もし、復活が嘘なら、どうしてキリストの十二弟子たちはそのために死んだりしたのでしょうか。
嘘のために死を選ぶ人はありません。
あなたは十字架の死を自分の罪のためと信じ、
復活を自分の希望のためと信じますか?
信じる人には永遠のいのち(一度死んでよみがえる)が与えられます。
そして、今この瞬間から新しい人生が始まります。
あなたもこの祝福に入りませんか?
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