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わたしたちは神さまについてどんな印象を持っているのでしょうか。
ある人はサンタクロースのような「のほほん」として、人間のしていることに干渉しない神さま、
あるいは、いつも厳しくどんなことでも赦さない神さまを想像するかもしれません。
しかし、聖書の神さまはどんな神さまでしょうか。
まず第一に、創造主なる神です。
神は世界すべて、人間を含むすべてを創りました。
あなたもわたしも造られたのです。
次のような聖書の箇所があります。
『神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。』使徒17:26−28
私たちは神に造られたもので、神の中に生きているのです。
そして、あなたが神を探り求めることでもあれば、神を見出すこともあるというのです。
驚くべき言葉じゃないですか?
天地を創られた神を見つけることができるのです。
もちろん神さまは私たちに見つけてほしいと思っています。
それでは、なぜ神さま自身が現れて、信じろと言わないのでしょうか?
神は見えないと聖書は言っています。
他の箇所では、神を見てしまうと死んでしまうといっている人もいました。
次に、神さまはあなたの自由意志を大変尊重します。
あなたが神さまを知りたくない、見つけたくないと思っているなら神さまはそのようになさるでしょう。
しかし、自分を愛してくださっている神さまって、どんな方だろうと知りたがっている人には、神さまは自分を現します。そして、あなたはこの方こそ本当の神だと知るのです。
神さまは自分の造ったものを苦しむまま放っておかれるのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
しかし、あなたは神さまを知りたいと思っていますか?
不品行(性的にみだらなこと)、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊(酒に酔うこと)、遊興などを嫌われて、
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を愛してやまない神さまを知りたいと思いますか?
不品行は多くの問題をこの社会に引き起こしています。
妊娠中絶、みだらな性行為、欲望だけを追い求める関係、テレビを見ているとそのようなもので溢れかえっています。
そのようなものから何か良いものは得たでしょうか?
いつも後味が悪く後悔をうむだけではないでしょうか?
神さまは人間にとって何が最適かをだれよりも知っておられるので、警告しているのです。
「わたしのところに来て、わたしの言葉を聞きなさい」と
なぜなら彼は人間を造ったからです。彼はどこをいじったらどうなるかを全て知っています。
次に、偶像礼拝とは何でしょうか。
本当の神さま以外の創られたものを拝むことです。
実際の仏像などは言うにおよびません。
聖書は次のように言っています。
『あなたがたは、神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか。
鋳物師は偶像を鋳て造り、金細工人はそれに金をかぶせ、銀の鎖を作る。
貧しい者は、奉納物として、朽ちない木を選び、巧みな細工人を捜して、動かない偶像を据える。
あなたがたは知らないのか。聞かないのか。初めから、告げられなかったのか。地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。』イザヤ40:28−21
神さまは自分の手で造れるものでしょうか?
もし造ったと自分で思っていても、それはただ単なる金や銀や鉄、石や木にすぎません。
神さまをそのようなやがては朽ちるものとすることは出来ません。
しかし、仏像のような像は造っていなくてもあなたの心の中にある偶像はどうですか?
あなたは好きなアイドルがいますか?
英語でidolは偶像という意味です。
あなたがいつも心に抱いて、あがめている物、人それが偶像です。
あなたの偶像は何ですか?
ある人は仕事、ある人は趣味、ある人は恋愛、またある人は夢かもしれません。
そのようなものが永遠に続けばいいのですが、どれも一時的なものです。
私たちは裸でこの世に生まれ、裸で去らなければいけません。
それらはあなたが死んだあとも持っていけますか?
それらは絶対的な正しさを持っていますか?
誰もだまされてはいけません。
永遠に存在し、この世界を創った方である神さまこそ私たちは崇めるべきであり、
私たちと永遠の関係を持ってくださる方なのです。
しかし、あなたがこれを読んだのに続けて、その不品行や偶像礼拝の罪を愛していくと決めたらどうなるでしょうか?
神さまはその人に対してどのようなことが出来るのでしょうか。
神さまは悲しみながら、あなたをあなたの罪のゆえに裁くしかありません。
神さまに喜ばれる人とはどのような人でしょうか。
今まで、何も罪を犯したことがなく、汚れを知らない人でしょうか?
そんな人はだれもいません。
なぜなら聖書にはこうあるからです。
『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。』 ローマ3:23
すべての人が罪を犯しました。
それは隠れた罪でも、明らかな罪でも変わりはありません。
神さまはいつでもこう呼びかけています。
『(そういうわけですから、)あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。』 使徒3:19
そして、どんな重い罪を犯していた人でも、もしその人が悔い改め(神さまが正しくその方の言われる通りに生きていきたいと心に決め)るなら、神さまはその人を受け入れ、あなたは神さまとの関係を持ちます。
神さまはあなたを愛したいと思っています。実は、日々太陽を注ぎ、雨を降らせ、季節を変え、私たちが生きるのに必要なものを与えてくれていますが、
それは一般的な恵みです。
しかし、きよい神さまはあなたの罪のゆえにあなたに近づくことが出来ません。
じゃあ私たちはどうしたら良いのでしょうか?
先の箇所でもあったとおり、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
キリスト・イエスによる贖い(あがない)とは何でしょうか。
贖いは買い戻すという意味です。
あなたがこの世に、悪魔、罪の奴隷として売られていたのを神さまは買い戻し、自分のものとなさる
という意味です。
何かを買うときには必ず代価がひつようです。何かを払わなければなりません。
神さまは何を払ってくれたのでしょうか?
そのひとり子であるイエス・キリストです。
イエスが十字架で死ぬという代価があったからこそ、私たちは価なしに義(正しい)と認められるのです。
あなたのためにイエスは十字架上で苦しんで死にました。
あなたは神さまのなさったことを自分の罪深さのためだと認めますか?
それとも、彼の流した血をなにもなかったように無視し続けますか?
あなたを溢れんばかりの愛で愛してくださる方がいます。
その方の差し伸べている手をとりませんか?
この救いをうけ入れる人は次のように祈ってみてください。
「神さま、驚くほど罪深く、汚れた私を赦してください。
私は今まで偽りの偶像により頼んできました。
あなたが真実の神です。なぜならこんな罪深い私のためにひとり子を死に渡されたからです。
どうか私をきよめてください。あなたの救いを受取ります。
神のひとり子、イエス・キリストの名前によって祈ります。アーメン。」
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